赤城→指揮官←エンプラ   作:きんたろう

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第1話

「指揮官様、指揮官様」

 

 優しい声音と頬に感じる手の感触で僕は目覚めた。

 

「朝餉の支度が出来ました。お顔を洗っていらしてください」

 

 僕に朝を告げた赤城は、視線を送ると嬉しそうに目を細めた。襦袢にエプロンと全体薄い恰好であるのも手伝って、どこか扇情的だ。

 僕は赤城から苦労して視線を引き剥がし、洗面所へと向かう。

 障子を開けると、現代的なバスルームが現れる。今僕が寝ていた部屋は畳張りに障子戸で、随分ちぐはぐに思えるが、これは元々あった宿舎を重桜風に改造した名残だ。

 

「今朝のおかずは?」

「良い鮭が手に入りましたから、焼き鮭ですわ」

 

 二人で手を合わせて、朝食が始まる。

 今朝の献立は、ご飯に味噌汁、ほうれん草の和え物に納豆が付いて、メインは鮭だ。ご飯が進むよう、どれも濃い味付け。つまり、全部僕好みに作られている。

 

「ご馳走さま」

「お粗末さまですわ」

 

 また二人で手を合わせる。

 

「それで、今日の予定は?」

「ええ、いつもと変わりありません。ただ、明日のパーティーについて、いくつか検討して頂きたい事が」

「ああ……それね。了解」

 

 いつもの業務と言うのは、遠征、進軍指示。それに伴う戦果報告などだ。

 つまり、ゲームでやっている事と大差ない。

 ……そう、ゲームだ。僕は、今目の前に居る赤城たちが物語の登場人物であった事を知っている。

 かつてスマホで彼女たちに触れていた僕が、何故今こうしているかは語るつもりは無い。大事な事じゃないから。

 重要なのは、僕がそれを知っていると言う事と、いくつかのシステムがこの現実に適用されてしまっている事についてだ。

 そのシステム――好感度システムは、僕がこの世界で生きて行く上で常に頭を悩まされる物になっていた。戦闘を行わせる度に上昇すると言う仕様は、この現実に於いて大いに忌避すべきものだと僕は思う。

 

「お勤めまでのお時間、如何いたしましょう?」

「ん……本でも読んでようかな」

 

 僕がそう言うと、赤城の九本の尻尾がざわめいた。

 加賀曰く、「姉さまの尻尾にはよく感情が乗る」そうだが、僕には分かった試しが無い。

 

「分かりました。では、私は指揮官様のお傍に」

 

 極自然な動作で、赤城は僕の隣に座った。そして手を僕の膝に置くと、少しだけ体重を預けてくる。

 どうやら赤城は始業までこうしているつもりらしい。

 僕は赤城の指に視線を落とした。そこには、キラキラと輝く指輪がはめられている。

 それは誓いの指輪。好感度が数字の上で100に達すると付ける事が出来るようになるアイテム。装備品としては若干のステータス向上が見込めるが、勿論重要なのはそこではない。名前の通り、これは結婚指輪なのだ。

 そして、大抵の場合、僕に災いを運んだアイテムだ。

 

「指揮官様……」

「……」

 

 名簿(と言う名のステータス)を見れば分かる事だが、この母港に僕を嫌う少女はいない。どころか、一生付いて行くと言う娘が殆どなのだ。ただ戦闘させていただけなのに。その中には僕が話した事が無い娘さえいるのだから恐ろしい。

 この結果がどういう状況を生むか。

 ある意味で、僕は今……赤城に守って貰っているのだ。

 

「……」

 

 赤城の尻尾の先端が首元をくすぐった。

 僕はページを捲る手を止めると、赤城の腰に手を回す。すると、尻尾がしな垂れ、膝の手に力がこもった。

 

「ああ……指揮官様」

 

 多分、喜んでいるのだと思う。

 赤城と言う女性は、彼女が欲しがるものさえ渡してやれば、とても良い妻として振舞ってくれる。

 

「赤城、そろそろ」

「あら、もうこんなに。指揮官様と過ごす時間はとても早くって、私、その内我慢が出来なくなりそうで恐ろしいですわ……」

 

 赤城と出会ったのは、勿論3‐4……かの大戦の行く末を決めたとされるミッドウェー海戦を再現した戦場だ。

 美しい黒髪に赤の隈取、狐の耳と尻尾と来て、開口一番に浴びせられた愛の言葉。

 当時の僕は、これこそ好感度に縛られない真実の愛だと指輪を渡したが……今は後悔しないでもない。

 当時と比べて、僕は大分打算的になっている自覚があるのだ。

 まあ、結婚してからは落ち着いたし、狂気的な言動も減ったと思う。

 

「そうだわ、指揮官様。今日はずっとここで過ごすのは如何?指揮は書面上だけで十分でしょう。ええ、そうよ。そうすればずっと一緒に居られるわ。ふふ、ふふふ」

 

 ……訂正。後で加賀に怪しい事してないか聞かないと。

 適当に誤魔化しつつ、始業の準備をする。

 

「それでは指揮官様。参りましょう」

 

 いつの間にやら全ての支度を終えたらしい赤城が、制服を持ってきてくれる。それに袖を通すと、準備は終了。

 指揮官としての僕の一日が幕を開ける。

 

 

 朝に気を付ける事のひとつに、“移動時、赤城と道以外見ない”と言うのがある。帽子を目深に被って下を見て歩くのだ。

 赤城は三歩後ろを静かに付いて来るが、僕の一挙手一投足は決して見逃さない。他の娘を視界に入れようものなら、夜彼女を宥めるのに長い時間を掛ける事になる。

 宿舎と執務室に大した距離が無いのが幸いだが、面倒くさいことこの上ない。

 

「なあ赤城。こんな話を知ってるか?その話は、ある旅の坊主が少女に一目惚れされる所から始まる」

 

 腹を探る意も込めて、僕は赤城に話を始める。

 

「その坊主は少女を迷惑に思って、嘘を吐いて逃げるんだが、怒り狂った少女は蛇身になってとうとう坊主を焼き殺すんだ」

 

 どう思う?と僕は視線で赤城に問うた。

 

「うふふ、そうですわね……私としては、ついつい少女の味方をしてしまいそうですが」

 

 赤城は妙に笑顔だ。

 

「お相手を殺してしまうのは、同情出来かねますわ~」

 

 そう思ってくれるなら、有難いところだ。

 

「私が望むのは指揮官様との永遠。殺してしまっては元も子もありません。……ふふ、まあ手足の保証は致しませんが」

 

 語尾にハートマークでも付いていそうな艶めかしい喋り方に、僕の背筋は泡立つ。

 そうこうしている内に執務室に着いた。

 このままでは一日24時間赤城と過ごす破目になる。僕の胃が破れるか、SAN値が無くなるか、手足がもがれるかのチキンレースは御免被る。

 そろそろ、彼女が帰ってくる筈なんだけど。

 

「指揮官様?先ほどは試す様な事を聞いて、一体どう言うお積もりなのです?赤城に何かご不満でも?指揮官様が仰るなら、私は何でも――」

「失礼する、指揮官。艦隊帰投した」

 

 待ち人来たれり。僕は破顔した。対称に赤城は真顔だが。

 颯爽と現れたのは、エンタープライズだ。執務室にノック無しで入って来れるのは、赤城と、彼女だけだ。

 

「ああ、丁度良かった。エンタープライズ」

「ああ指揮官。上級訓練、滞りなく終了したぞ。それで……赤城、秘書艦を代わろう」

「はい?今なんと?」

 

 赤城の尻尾がぶわりと広がった。

 これは多分、“怒り”か“不機嫌”のどっちかだな……。

 

「秘書を代わると言ったんだ。昨日からずっとだろう?私も待ち遠しくてな」

 

 エンタープライズの指には、赤城の指輪と同じものがはめられている。

 お察しの通り、彼女も書面上僕の妻という事になっている。重婚と言う問題については、そもそも二つ目の指輪も本部から送られて来たものだという事と、法律上彼女らは人間では無いので、当人が構わないなら良いらしい。

 

「あらあら、それなら貴女も遠征でお疲れでしょう?お休みになってはいかが?」

「私“も”指揮官に選ばれた艦だ。そんな事は問題にならないさ」

 

 赤城の方から舌打ちが聞こえる。

 先程、当人云々と言ったけど、勿論赤城が重婚なぞ納得するはずが無かった。その頃の僕は赤城の束縛に随分辟易していた。そこで僕が選んだのがエンタープライズだ。周りを納得させられて、しかも赤城を抑えられる人物など、彼女しかいない。

 

「指揮官。あなたはどうだ?私はあなたと共に居たい」

 

 ……打算に塗れた指輪だったが、エンタープライズは喜んでくれた。

 

「悪いけど、二人とも今日は出撃だ。エンタープライズには潜水艦隊を叩いて貰うぞ。赤城。秘書艦はもういいから、ドックで待機していてくれ」

「……そうか」

「分かりましたわ。赤城、行って参ります」

 

 赤城は一度僕の手を強く握ってから、エンタープライズには一瞥もくれずに執務室を後にした。

 エンタープライズは気丈に笑顔を作っていたが、僕はそこに陰を見つけてしまって、いたたまれなくなり、

 

「エンタープライズ。今晩夕食を一緒に取ろう。それでどうだ?」

「……!本当か指揮官!二人きりなんだろう?よし、約束だぞ!」

 

 エンタープライズと言う少女は、その武勲に惑わされがちだが、根は乙女だ。

 意気揚々と執務室を出ていくエンタープライズ。あの様子なら今日も活躍してくれるだろう。

 

「……にしても、僕のどこにそんな魅力がある風に見えるんだ」

 

 この世界に来て初めて見た、好意をありありと秘めた、女性の笑顔。

 僕は勿論、嬉しかった。けれどそれが、この世界の訳の分からない仕組みから来ていると分かれば、今度はいつそれが失われるか怯える日々であった。

 だから、彼女達とは肉体関係を未だに持っていない。もし彼女達が正気に戻った時、取り返しがつかないから。

 

「まあ何にせよ、これで一人。悠々させてもらいますか」

 

 指揮官の仕事と言うのは案外少ない。普段スマホでポチポチしていた事以下の内容しか無いから当然なのだが、いかんせん暇なのだ。

 僕はだらしなく椅子にもたれかかると、今朝読んでいた本を取り出した。そしてスマホにイヤホンを刺して――と、その時、執務室が控えめにノックされた。

 

「どうぞー」

「失礼します」

「ベルファスト。どうかした?」

 

 スカートを摘まんで、優雅な一礼を披露したその女性――ベルファストは、手に持った書類を僕に差し出した。

 

「パーティーの備品についての予算申請書の最終稿です。ご確認くださいませ」

「ああ……そう言えば」

 

 赤城がそんな事を言っていたような。

 

「ところで……秘書艦様はご不在ですか?」

「うん、出撃でね」

 

 書類は実によく纏まっていた。雑多な品目が分類ごとに分かりやすく整理されている。

 このベルファストと言う女性は、一言で言えば、とても優秀なメイドだ。ロイヤルメイド隊を率いて、母港の様々な雑事を担ってくれている。

 僕の仕事が少ないのも、彼女に依るところが大きい。

 

「でしたらご主人様。紅茶はいかがでしょうか?丁度手が空いたところですので」

「あ、本当?じゃあ甘めなのを頼むよ」

 

 さっさと書類にサインしてしまって、ベルファストの紅茶を待つことにする。彼女の淹れる紅茶は母港一なのだ。

 ほどなくして、トレーを片手にベルファストが戻ってくる。途端、紅茶のいい香りが部屋に満ちた。今から赤城への言い訳を考える必要があるかもしれない。

 

「ありがとうベルファスト。書類は済んだから」

「はい。それでは失礼致します」

「もう行くの?じゃあ食器はこっちで洗っとくよ」

「御面倒をお掛けします。後でベルに取りに行かせますから、ごゆっくりお仕事をお進めください」

 

 ベルファストの言う“ベル”とは、ベルちゃんの事だ。

 ベルファストが去った部屋で、僕は紅茶を啜る。

 

「うまい……」

 

 リンゴの風味がして、体が温まる。ティーポットにお替わりまで用意してくれたようだから、至れり尽くせりだ。

 

「ほんと、彼女に指輪を渡してればなあ……」

 

 口を突いて出たのはそんなクズ極まる言葉。

 それでも思わずにはいられない。メイドに尽くされるのは小心者の自分には気苦労だが、間違いなく今よりいい生活であった事だろう。

 勿論、ベルファストの好感度もカンストしている。しかし彼女はそんな事おくびにも出さない。居心地が良く、惹かれる部分だ。

 そんな妄想をしていると、

 

「ん?何だこれ」

 

 僕はティーカップとソーサーの間に、何か挟まれているのに気付く。カップを持ち上げると、どうやら二つ折りの小さな紙に、鍵が挟まれている様だ。

 これは?と、その時、

 

「指揮官……」

 

 そんな声と共に、扉が静かに叩かれる。

 今日は来客が多い日の様だ。

 

「どうぞ。ん、綾波か。どうした?」

「指揮官、メールと、お届けものです……」

 

 綾波はおずおずと手紙と段ボール箱を渡してくる。

 

「ありがとう綾波。あ、そうだ。スコーンあるぞ」

 

 綾波にお菓子を渡しながら手紙を開く。

 内容は、母港一周年に関する祝辞だ。箱の方は支給品らしい。資源だけなら箱には入れないだろうし、きっとダイヤが入っているに違いない。

 この世界には金を入れるアプリが存在しないから、いつもカツカツで、ダイヤは喉から手が出るほど欲しいものだ。

 

「このスコーン、オレンジの味がして、おいしいです」

 

 スコーンを味わう綾波を横目に、早速開封に掛かる。

 おお、ダイヤに、コイン、設計図、金装備箱――お?

 そこで気付く。金の縁取りに、深い黒の箱。……まさか。

 僕は光の速さでそれを机の引き出しの奥に隠した。

 

「……綾波。この箱の中身は見たか?」

「いいえ、見ていないのです」

「そっか、良かったよ。うん、もう行っていいから」

 

 綾波が部屋を出るのを待ってから、僕は文字通り頭を抱えた。

 ――そっか、一周年だもんな。十分あり得るよな。

 

「どうしよう……」

 

 前回指輪が配布された時――エンタープライズに渡した指輪だ――母港の様子は、それはそれは酷かった。あわやアズールレーン崩壊の危機。

 それは撃ち合いが始まるとかではない。冷戦だった。少女たちが笑顔で語らいながら、その実腹を探り合い踏み台にするチャンスを伺う……。

 

「一体何を考えて本部は指輪を配るんだ!!」

 

 結婚指輪が複数あって、不和を呼ぶことはあっても調和を呼ぶことはあり得ない。他の母港は違うのか?僕のとこだけ?まさか!

 

「とにかく、そうだ。処分してしまえ!」

 

 僕は勢いよく引き出しを開け――その勢いで、先ほどカップに挟まれていた紙が手元に舞い込んだ。

 見ると、中には短いメッセージが書かれていた。

 

『パーティーの夜、どうか指輪と、私の部屋へ』

 

 どうやら鍵の方は、ベルファストの私室の物のようだ。

 

「……」

 

 僕はくらりとした。

 これは随分奥ゆかしいが、その分明確な“誘い”だった。

 指輪が新しく届く事を既に知っていたらしい。彼女はメイド隊という独自の情報網を持っているから、そこから?

 

「きっと他の港から情報が洩れてんだ……」

 

 綾波は知らなかったが、ベルファストは知っていた。人の口に戸は立てられない。母港中に広まるのも時間の問題だ。

 こうなると指輪を処分するのは悪手だ。明確な決着が無ければ、こういうことはしこりを残す。

 

「ああ、くそ」

 

 言いようのない気持ちだった。涼しい顔をしていたベルファストが、こんなものを忍ばせていたなんて。嬉しいやら、恐ろしいやら。

 僕は鍵をポケットに押し込み、紙は窓から風に流した。

 

「指揮官。いいかい?」

「……」

 

 窓から吹き込む潮風が思いのほか気持ち良い。僕は火照り始めていた体を冷やすため、窓枠に体を預ける。

 

「いないのか?入るよ……なんだ指揮官。いるじゃないか」

「ああ、クリーブランドか……ちょっとボーっとしてた」

 

 クリーブランド。金髪と快活な性格が特徴のクリーブランド級一番艦。軽巡としての実力も折り紙付きで、頼りにさせてもらっている娘だ。

 

「疲れてるんじゃないか?休んだ方がいいぞ」

「そう見える?」

「ああ。顔が真っ青」

 

 そう言うとクリーブランドは、隣に立ってぱたりと窓を閉じた。

 

「それで、何の用だった?」

「用がなくちゃ、来ちゃいけないか?」

 

 僅かに俯いて喋るクリーブランドに、僕はドキリとした。

 

「そうじゃないけど」

「……あはは!冗談だよ。本気にしないで。それでね、今日はパーティーのお誘いに来たんだ」

「お誘い?」

「ほら、当日は来賓からメディアまで、たくさん人が来るだろう?」

「そうだな」

「だから指揮官の護衛が必要だと思うんだ。ほら、指揮官は重要人物さまだろ?」

「……そうかもな」

 

 “重要人物”の部分を茶化して言うものだから真剣味に欠けるが、多分クリーブランドなりの気遣いだろう。

 

「それに、“空母じゃ”護衛には向かないだろ?だから当日は私が傍に付いててあげるぞ」

「……」

 

 護衛については、僕も考えていなかった訳では無い。確かに赤城やエンタープライズでは即応性に欠ける。実際の所僕はベルファストに頼もうと思っていたのだが、気まずいし……。

 

「おっさん共のセクハラに耐えて貰わなきゃダメだぞ?」

「大丈夫、ドンと来いさ!」

「そっか。ならお任せしようか」

「やった!指揮官。大船に乗ったつもりで、その日は誰にも指一本触れさせないから!」

 

 手をぎゅっと握ってガッツポーズを作るクリーブランド。かわいい。

 

「さて、それじゃ僕はお仕事の続きだ」

「仕事って。暇そうにしてたじゃないか」

「たまたまだよ。たまたま」

「あっ……」

 

 僕はクリーブランドに背を向け――た所で、クリーブランドに裾を引かれる。

 

「ね、あの……何て言うか……その、パーティーの夜は……」

 

 クリーブランドにしては珍しく、歯切れが悪い。顔も赤い。

 

「いや!ううん!何でもない。まだ早いかな」

 

 何が“早い”のかは分からなかった。クリーブランドは結局言葉を飲み込んでしまう。

 

「それじゃ!失礼するよ指揮官。楽しみにしててくれ!」

 

 何を?と聞く前にクリーブランドは行ってしまった。

 もう少し駄弁っていたかったんだけど、まあいいか。

 

 

 窓を開けると、もう空は暗くなっていたが、辺りは準備の光で明るい。

 一周年パーティーと言う大きな催しを明日に控えて、母港全体が浮かれた雰囲気に包まれていた。指輪の事もあるかもしれないけど。

 皆明日着ていく服に悩み、どう過ごすか考える。何かが起きそうな気がすると言う、不思議な予感。何かをしたいと言う高揚感。

 この感覚は好きだ。

 

「前夜祭でも企画すれば良かったかな」

「今からでも遅くは無いだろう?」

 

 僕の声に応えたのはエンタープライズだ。赤城はまだ帰っていない。赤城の帰投時刻は深夜未明の予定だ。

 

「本気?」

「ああ。指揮官が声を掛ければ皆すぐに集まるさ」

「ビンゴ大会でもするか?商品は……」

「指輪……とか?」

「!」

 

 僕は振り返った。エンタープライズは涼しい顔で座っている。

 

「知ってたの?」

「ああ、さっきな」

「そう……エンタープライズ。僕は――」

「指揮官」

 

 僕の言葉を遮ってエンタープライズの凛とした声が響く。僕は言葉と一緒に体まで断ち切られた気になって、硬直した。

 エンタープライズはすくと立つと、僕の目の前に立った。

 結構身長の高い彼女だから、僅かに見上げる形になる。

 

「何も言わないでくれ。分かっているつもりだ。私は指揮官が誰を選ぼうが構わない」

「……」

「私はあなたの傍にいたいと思ったから、いたいから指輪を受け取ったんだ」

 

 エンタープライズは僕の左手を取り、握った。

 どうやらエンタープライズは僕が自分で指輪を取り寄せたと思っているみたいだ。

 

「あなたに誓ったことだ。あなたと共に生きる。だから、あなたはあなたの思うように生きて欲しい」

「だけどな……」

「間違うのが怖いか?」

「もちろん……そも、ここにいるのが間違いみたいなもので」

「やめてくれ指揮官。今の自分をまるごと否定しても良い結果は得られない」

 

 握られた手が広げられ、指と指が絡まる。

 

「もしあなたが迷って動けないと言うなら、その時は私があなたを連れて行こう。だから安心して欲しい」

 

 エンタープライズの言葉はどうやら僕の臓腑に活気を与えた様だった。

 

「それに、一番を譲る気もさらさら無い――」

 

 その言葉と共に、彼女の顔が、僕の視界いっぱいに広がり……。

 

「……ぷは」

 

 エンタープライズの吐いた息が僕の鼻をくすぐった。そして、顔を赤くしながら、

 

「やっぱり、まだ恥ずかしい。結婚式以来だったか?」

「ああ、うん。まあ。赤城が爆撃を始めたものだからろくに――」

 

 再び彼女の唇が僕の動きを止めた。

 

「……こんな時に、他の女の名前は聞きたくない……なあ指揮官。今度はあなたから」

 

 喘ぐように言うものだから、僕の頭はカッと熱くなって、彼女の肩に手を置き――

 直後、僕の耳は扉が軋む音を捉えた。

 

「誰!」

 

 僕が叫ぶと同時、廊下を遠ざかっていく足音がする。

 僕の保身に対するセンサーは、その足音に大きな面倒事の気配を感じて追いかけようとするのだが、

 

「指揮官!待ってっ!」

 

 エンタープライズの柔らかい腕が僕を後ろから抱きすくめた。

 

「頼む……」

 

 珍しく、弱々しい。そんな感想を僕は抱いた。

 ここでこの手を振り払えば、彼女との間に無くならない禍根を残す。その予感が足音に対する未練を断ち切らせた。

 

「どこにも行かないって……夕食もまだだし。そう言う約束だろ?」

「ああ……そうだ」

 

 そんな言葉を掛けても、エンタープライズが僕を抱く力は少しも緩まない。

 彼女の吐息が耳をくすぐって、僕は身じろぎした。

 僕は思う。エンタープライズはついさっき、僕に思うように生きろと言ったばかりだ。なのに、このありさま。先ほどの言葉に、全部ではないにせよ、強がりが混じっていた事は疑いようがない。

 エンタープライズは強い女性だ。なのに……。彼女の中で、僕はどうなっている?一つ言えるのは、好感度200なんて、まともじゃ無いって事だ。

 

「ほら、エンタープライズ。今日は僕が作るから、いい加減離してくれよ」

「……」

 

 それから暫く、エンタープライズは無言で僕を抱きしめ続けた。

 僕も、ただ突っ立ってされるがままでいた。

 

 

「ほう。それは災難だったな」

「そんな他人事みたいにさ……」

 

 事実だろう?そう言って加賀は微笑んだ。

 

 あの後。僕を自らの部屋に誘うエンタープライズを躱し、今僕は加賀の部屋にいた。

 布団は二枚横に並べて、就寝前の、今日一番の穏やかな時間が流れていた。

 

「エンタープライズは寂しいだけだ。指輪を貰ったと言っても、“それだけ”」

「もうキスだってしたよ」

「お前はそこまでは安売りだからな」

 

 痛い所を突かれて、ぐ、となる。

 加賀は僕を詰りながら、するすると襦袢に着替えていく。

 

「結局、いつも隣にいるのは姉さま。対抗心を燃やしても、指揮官は迷惑そう……これで傷つかない女子がいるか?」

 

 ぐぐ、と僕は唸った。

 

「しかし今に始まったことじゃなかろう。そろそろ慣れた頃か?」

「買ってくれるのは有難いけど、まだ胃薬が手放せないよ」

「ふふ、相も変わらずお前は弱いままか」

 

 加賀はそう言うと、布団の上に横座りする。

 

「さあ、今夜も慰めてやろう」

 

 ぽんぽんと自らの膝を叩く加賀。僕は誘われるままに膝枕を受ける。

 まるで子供扱いだったが、僕にはこの距離感が心地よかった。

 

「我慢ならないなら、一度抱いてやればいい。責任と言う奴だ」

「加賀、それは」

「――それは嫌だ。だろう?分かっているさ。お前の恐れている事も」

 

 そうだ。僕はこの母港でただ一人、加賀にだけは、僕が恐れている事を話したのだ。

 それは、どうしてだったか。

 ゆらりと加賀の白い尻尾が揺らめく。

 

「なぁ、加賀は……」

「何だ?指揮官」

「指輪を渡した……それを後悔して、その妹に逃げ込む奴を……どう思う?」

「何だ、そんなこと……。指揮官、お前は姉さまの夫であるが、私の“もの”でもある。つまらない事を気にするな」

「……」

 

 早くも眠気が僕を支配し始めていた。

 

「あんな指輪、やっぱり捨ててしまおうか」

「ああ、それもいいだろう」

「夜が明けなければな……」

「ああ」

 

 柔らかい手が、僕の頭を撫でる。

 その感触を最後に、僕の意識は眠りへと溶けて行った。

 

 

 お前の望みは何だと聞かれたことがある。僕の生活を見ていたその時の秘書艦の言葉だったと思う。

 仕事に精を出すでもなく、かと言って趣味に熱中するでもない。人間関係も随分適当だ。養う様な家族も、勿論恋人もいなかった。

 成程。これでは“どうして生きているのか”と疑問を持たれても仕方ない。特に彼女たちの様な戦場に身を置く人には、あまりに無気力で、無意味に映っただろう。

 確か、僕はこう答えた筈だ。

 

『ぬるい哨戒任務だけをやって、給料貰って、静かに本でも映画でもゲームでもやってたいよ』

 

 ……これは酷い。まるきり、モラトリアムにどっぷり浸かった学生が吐きそうな言葉だ。

 だが今の所、これは現在も変わらない全くの本心なのだ。

 僕は一度死を経験した。僕が生まれて二十数年に渡り積み重ねた全てを失うと言う経験は、明確に僕に変化を与えたと思う。

 僕は知っている。僕と言う人間がどれだけ脆くて、どれだけ無価値か。

 特に今いる世界の様な場所では。

 言い忘れていたが、艦船達は、ゲームと違って普通に死ぬ。それはもう、あっさり。

 

 兎に角、僕が求めるのは、楽な仕事と一人でゆっくりできる時間って事だ。

 現状、いくつか無視できない不満はあれど(主に指輪のせい)昨日などは特に楽に過ごせた。

 問題は、この平穏が脅かされた時、対処法を僕が殆ど持っていない事だ。

 ……今みたいに。

 

「指揮官様!お待ちしておりましたわ~。うふふ、初めまして。私、大鳳と申します。不束者ですが、よろしくお願いいたします」

 

 執務室の扉を開けたところ、語尾にハートマークが3つは付いていそうな甘ったるい喋り方で、その少女は名乗った。

 今朝方戻って来たらしい赤城もそこにいる。

 

「私、ショックですわ!指揮官様に挨拶に参りましたら、まさか指揮官様の妻を名乗る女がいるなんて!!」

 

 最近掃除したばかりの執務室は、所々焦げ跡が見られる。どうやら隣の赤城と小競り合いがあったようだ。僕の気配を捉えて、取り繕いはしたようだが。

 

「ああ、勿論今日の分の執務は終わらせておきましたわ~。ところで、大鳳、これが気になって……」

 

 そう言って取り出したのは、僕がしっかり鍵を掛けてしまっておいたはずの指輪。

 瞬間、今まで余裕を見せていた赤城の顔から表情と言うものが抜け落ちた。怖い。

 

「会ってその日に、と言うのも情熱的ですわね~。過去は全て忘れて、この大鳳と……ね?」

「言わせておけば、この害虫……!」

 

 僕の危機感知センサーは真っ赤っか。

 考える前に、回れ右をして逃げ出した。

 




続くかどうかは感想がくるかによる!!

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