「森の護り人」の「守るべき物」として、街に寄り添うように広がるシュラウベの森は大陸を代表する広大な原生林だ。
森の総面積は6,000エーカーを超え、その奥地は未だに人の手が入ること無く、独自の生態系を持つと言われている。
この森で採られる木材はユクモ木材と並び強度・柔軟性ともに高く、遥か西方の旧大陸ミナガルデの街からの注文があるほど、世界各地に輸出され街の一大産業になっている。さらにその広大かつ豊かな自然からモスやケルビ、ブルックやエルペといった草食獣が数多く生息しているため、街にはそれらを狩り、食用生肉や毛皮・角などを訪れた料理人や革細工師に販売する精肉店や革材料店が軒を連ね、シュラウベの民の生活を支えている。
まだ日が高く、鬱蒼と茂る木々の隙間から陽の光がちらちらと差し込んでいる森の中、幾人かの人影が森の奥へと足を進めていた。
「…つーかよ」
その人影達の先頭を歩くアルフレッドが怪訝な顔を見せる。
その姿は、街中でのみずぼらしい格好とは一転し、軽装ではあるものの必要最低限の急所を防護しているハンター専用の防具に身を包み、その背中には、彼の住処でヘルガが見た漆黒の銃が背負われている。
「…なんでお前もついてきてんだ?」
一団の殿(しんがり)を歩く若いハンターにアルフレッドが毒を吐く。
ギルドでアルフレッドが助けた青年ハンターだ。必死に恐怖を隠しているのか、表情は固く、目は泳いでいる。
「す、すいません。勝手だとおもっていますが、僕はどうしてもこの森に用事があるんです…」
「あ~、あっそ…お前の身内話なんかマジ興味ないけどな、そんな大事な用事があるなら一人ででも行きゃよかっただろ」
アルフレッドの一言に、青年ハンターの顔が曇る。
「…一人でこの森に入る事をギルドは許可してくれませんでした」
「森の主」がシュラウベの民に危害を加えるようになり、活動するハンターの数が少なくなるにつれ、森に立ち入ることに制限がかけられるようになった。特に経験が浅い新米ハンターは単独での立ち入りを禁じられている。
ハンターの絶対的な数が少ない辺境の地で、貴重なハンターの卵を失うことを恐れたハンターズギルドの策だったが、逆にモンスターを討伐できるハンターの数を減らしてしまう事になった。討伐するハンターが減った事で、モンスター達はより活発に活動するようになり、事態は悪化するばかりだった。
「ケッ…お前一人だったら、ドスファンゴどころかアイルー・メラルー程度の獣人の餌食になって、はいそれまで…だろーな」
「アイルー・メラルー程度」という言葉に、聞き捨てならないとアルフレッドの傍らを歩いているチコの耳が反応する。
「…旦那それはどういう意味ニャ…僕達獣人族はドスファンゴよりも下ってことニャ…?」
「…あ~悪りぃ、真っ先にハンターポーチの中の道具につっぱしる「手癖の悪い」お前らの方が猪突猛進性では勝ってるわ」
アルフレッドの言葉に少し考えるチコだったが、小さい手で腕組みし、ウンウンと頷きながら満足そうな表情を見せる。
「やっぱり旦那はよく分かってるニャ。あんな豚野郎と比べる必要もないくらい、僕達が勝ってるに決まってるニャ」
「…いや、馬鹿にしたんだけどよ」
頭の上にハテナマークが出ているチコを無視し、森に入ってから黙ったままアルフレッドの後につづいているヘルガに視線を移す。
「…おい」
唐突に話しかけられ、身構えるようにアルフレッドを見る。その身体は恐怖で震えおののいていた。
「…戻ンなら今のうちだぞ」
「…!」
震える身体を抑えるように、祈りを捧げるように、自分の小さな手をぎゅっと握りしめる。
「…大丈夫です」
「チッ…おいガキ」
アルフレッドが足を停め、ヘルガを睨むように見下ろす。
「…お前が母ちゃんの事を大事に思ってることは判ったがよ、まだ毛も生えてねぇガキが自分の命と引き換えにヤることかよ?」
「…」
その場の誰の目からも分かるほど、ヘルガの小さな顔の大きな目に影が落ちるのがはっきりと判った。
「…ガキはガキらしくよ、大人に甘えてワガママ言ってればいいんじゃねぇのか?あ?」
「…私…」
この人の言葉に甘えて、街に戻れば死ななくて済む。人間として、子供として当然の想いがヘルガの中に湧き出してくるが…それを押しこむかのように唇を噛み締め、今にも溢れんばかりの大粒の涙を瞳に抱えながら応える。
「…怪我が治らなくて、ママがいなくなっちゃったら、私ひとりぽっちだもん!…ひとりぽっちは嫌だもん!」
「…馬ッ鹿野郎!死んじまったら、あの世でひとりぽっちになンだろがっ!」
まるで自分の娘を叱る父親のように、アルフレッドが声を荒らげる。
「だ、旦那、もう辞めるニャ…」
「お、落ち着いてくださいっ…」
この小さな少女に殴りかかるのではないかと心配したのか、チコと青年ハンターが二人の前に割って入りアルフレッドを抑える。
「死んだら…」
声を荒げるアルフレッドを見ること無く、先ほどと変わらない祈るような姿のまま、ヘルガが続ける。
「死んだら、パパに会えるもん…ひとりぽっちじゃないもん…」
必死に泣くまいとしているヘルガだったが、ぐじゅぐじゅと鼻をすすりながら、小さく、懇願するようにつぶやく。
その言葉を聞き、燃え盛る炎が消えるかのように、アルフレッドが冷静さを取り戻していく。
「…お酒が好きな「堕落した」父ちゃんは嫌いなんじゃなかったのかよ」
ヘルガは無言のまま、小さな頭をぶんぶんと横に大きく、精一杯の力で振る。
この少女が「贄」という道を選んでしまった事は、誰のせいでもない。きっかけの一端を担ったドラゴン達が悪かったわけでも、両親が悪かったわけでもない。
両親は生きるためにドラゴンを狩り、そして、ドラゴン達は生きるために、ヘルガの両親を手にかけた。それは生ける物達の性だ。
それを理解しているからこそ、行き場のないアルフレッドの憤りは自己嫌悪となって彼自身を襲った。
「チッ…おら離せよ、行くぞ」
踵を返し、アルフレッドは足をすすめる。
青年ハンターが立ち尽くしたヘルガの小さな姿を見る。生きていればこれから沢山の喜びを経験するであろう、幼い少女の姿。
自ら進んで犠牲の道を歩む人に、ましては幼い少女に、なんと声をかけてやればよいのか。
いくら悩んでも、彼女にかけてやれる言葉は見つからなかった。
一体どの位歩いただろうか。
あれから誰も何も語ることはなく、ただひたすら、森の奥地へと足を進めていた。
どこまで行っても代わり映えのしない、ひたすら木々に覆われた森。先ほど木々の影にちらついていた陽の光は鳴りを潜め、琥珀色の空が溶けるように次第にくすんできている。
「…休むぞ」
代わり映えしない景色、と青年ハンターは思っていたが、よく見ると多少開けているその場所でアルフレッドが立ち止まった。
過去に誰かがここに来たのか、苔に覆われた焚き火の跡と、古びたテントが残っている。
「ここは…」
アルフレッドは無言のままドスンと背中から荷をおろし、荷の中から幾つか薪を取り出すと、ナイフで笹搔き状に傷をつけ焚き火の跡に並べる。
樹皮の導燃材に火を付け、薪に火が灯ると、薄暗くなった森の中に暖かい明かりが広がった。
「…「贄」が最後に暖を取るためにハンターズギルドが用意しているベースキャンプだ。…つっても、テント以外何もねぇけどよ」
「…最後の…」
青年ハンターが誰に向かってでもなくポツリと独り言ちる。
ハンターズギルドはシュラウベの森の様な「狩猟場」に幾つか、ハンター達が自由に休憩できるベースキャンプを設けている。
通常は雨水を防ぐためのテントに、焚き火ができる薪が用意されているが、ここは街からも遠く離れており、支給品が運ばれることが無いのか、テントは古びて穴があき、薪もどの位長い間放置されていたのか、すっかり腐ってしまい、土に帰る寸前だった。
「今日はここで休む。明日朝、日の出とともに出発だ」
パチパチと焚き火の音が森の中に放たれていくにつれ、明かりに誘われる羽虫のように、全員が焚き火の周りに集まってくる。
歩きづめで疲れきったのか、焚き火の前にチョコンと座っているチコが、うつらうつらと夢の中へ片足を入れている。
普通であれば、チコのように暖かい焚き火の明かりと、ゆらゆらと揺れる炎にまどろんでしまうだろうが、他の三人はただじっと焚き火を見つめていた。
「…気になることがあるのですが」
「…あン?」
沈黙を押しつぶすように、青年ハンターが語りだす。
「…ここに来るまで、モンスターに一度も出会いませんでした。小型の草食獣にさえ…です。何故でしょうか…」
街の近くは比較的安全だとはいえ、草食獣にさえ出会わないということはあり得なかった。ましてここは森の奥深く。熟練ハンターでさえたどり着けるか分からないほどモンスター達が犇めいているはずだった。
「…自分達の上に立つ王への献上モンにおいそれと手をだす馬鹿が居るかよ。…いや、たまに手を出してくる阿呆はいるか」
「…!」
考えるまでもなく、即答するアルフレッドに、もしやと青年ハンターの顔が青ざめる。
「てめぇは気づいてないだろーけどよ、ここに来るまで17匹、大型のモンスターが警戒するように俺らを見てたぜ。手をだすつもりはさらさら無いようだったけどよ」
恐怖を隠すように、身を縮める青年ハンターの姿が、アルフレッドの視線の端に映る。
そして逆には…呆然と火の光を見つめるヘルガが見える。感情が見えない、視線が定まっていない虚無な少女。
これまでこのような表情の人間をアルフレッドは数多く見てきた。戻りたいが戻ることも生きたいが生きることも出来ない、矛盾に支配された死の表情だ。
ヘルガのその表情を見るたびに、アルフレッドの胸の奥がズキズキと疼いた。
「…全っ然興味はねぇけどよ」
「えっ?」
胸の痛みを隠すように、アルフレッドが語りだす。
「…お前が言ってた「この森の用事」って何だよ?」
「…その…」
「こんな奥までついてくるっつーことは、…用事があんのは「主」か?」
青年ハンターの表情がより青さを増す。それはもはや血の気が引いた、土色に近いほどだった。
「…3ヵ月前」
焚き火の前で膝を抱えた両手で顔を半分隠し、表情を読み取らせまいと青年ハンターが続ける。
「3ヶ月前、僕は初めて狩猟に出ました。ギルドの計らいで、僕以外のハンターは百戦錬磨の熟練ハンターです。街の近くで森を荒らしているドスファンゴを退治してほしいという依頼内容でした」
今もはっきりと青年ハンターの両手に覚えている、あの最後の一刀。
「依頼は難なく完了しました。他のメンバーのお陰です。だけど、「成功の狼煙」を打ち上げた後、事件は起こったんです」
「…事件?」
アルフレッドの言葉に反応を見せず、淡々と続ける。
「突然あたりが暗くなり、不気味な音がするんです。今も耳に残っている風切り音…。そして、木の影から空を見上げると、そこに何かが居たんです。赤い、何か…」
「…」
「…何が起きたのか覚えていません。ただ、気がついたら、森に一人、僕一人が、森に」
うなだれるように、青年ハンターが塞ぎこむ。
「僕はその場から逃げました。怖くなって、他のメンバーがどうなったかも確認しようとせず、逃げたんです…そして、今でも…」
「…今でも…メンバーの一人、ガンナーの女性が最後に見せた、僕を安心させようと必死で作った笑顔が頭から離れません」
「…んで、後ろめたさからもう一回この森でその「赤い何か」を探して仲間がどーなったか確認したいと?」
アルフレッドが低い声で青年ハンターに問いかける。
「…3ヶ月色々なハンターに聞いて回ったんです。あれは、あの赤い何かは、「森の主」に違いないと、そう思っています…」
「チッ…おい、若造」
苛立ちが含まれた声にビクつくように青年ハンターが顔を上げる。
「あ〜…え〜っと…お前、名前なんだっけ?」
「へ、ヘスと言います…」
アルフレッドがぽりぽりと気まずそうに顔を掻く。長い時間一緒にいながら名前すら聞いていなかったことに今気がついたようだ。
「…ヘス、もし運良く生きて街にもどれたらよ、迷わず剣を置け」
「…!?」
剣を置け…ハンターをやめろと言うことか…。ヘスの顔に驚きと疑問の表情が生まれる。
「お前みたいに、自分のやってしまったことを後悔して、悔やんで、進むべき方向を見失って、突っ込まなくて良いモンに首を突っ込んで死んでいったニンゲンはこれまで山ほど見てきてンだよ」
荒々しく、焚き火の炎に新しい薪をくべながらアルフレッドが続ける。
「人間っつーのはよ、何に向いてるかは簡単にはわかんねぇけどよ、これだけは言えるぜ。お前はハンターには向いてねぇ」
「…僕も、僕もそう思います…」
「……ハンターだけが生きる道じゃねぇだろ?俺らと比べるとさ、ニンゲンの命は短けーんだ。死に急ぐ必要はねぇだろ?命のやりとりをすること無く生きてよ、優しい奥さんみっけて、平凡な一生をおくるのもいいんじゃねーか?」
興味無い…と言っておきながら、ぐだぐだと能弁を吐き出していた自分に気がついたアルフレッドが、急に口を閉ざす。
「…ま、「年長者」の戯言かもしんねーけどな。忘れろよ」
「アルフレッドさんは…」
「…あ?」
心の傷を誰かに吐き出し、少しは楽になったのかヘスが独り言ちるようにアルフレッドに問い掛ける。
「…アルフレッドさんは、誰かに頼ったり…泣きついたり、支えて欲しいとおもったことは無いんですか?」
アルフレッドの顔が一瞬凍りついた様な気がした。まるで、隠していた秘密を親に見つけられてしまった幼い子供のように。
「…チッ…あったとしてもてめぇに教えっかよ…」
「…そうですか…」
アルフレッドは否定はしなかった。否定しなかったということは、そういう存在があったと言うことだ。
これまで何十年も思い返すことすら無かった、女性の事がアルフレッドの脳裏に蘇っていた。
もう名前も、顔も思い出すことはできないが、彼女のぬくもりと、そして「最後」はつい先日の出来事のように鮮明に思い出すことができた。
「…こんのクソガキ、余計なこと思い出させやがって…」
「えっ…?」
何のことか分からないヘスが裏返った声を出す。なぜか苛立っているアルフレッドを見ると、自分が怒らせてしまったのか理解できずに慌て出す。
「…なんでもねぇよ!おら、てめぇもガキも、さっさと寝ちまえっ!」
「は…はいっ…」
慌てて縮こまり寝る準備を始めるヘスと、いまだ焚き火を見つめたままのヘルガをまくし立てると、苛立ちが収まらないのか、小刻みに足を揺らしながら焚き火を睨みつける。
「…どいつもこいつも、馬鹿野郎が…」
森の中はいつの間にか漆黒の闇に包まれている。
暗闇の中、遠巻きに様子を伺っているモンスター達の声が不気味に彼らの耳に届くが、焚き火の炎の暖かさと、静かで優しい「揺らぎ」がモンスター達の声の恐怖を、そして明日への恐怖をゆっくりと溶かしていった。