どこか懐かしく見覚えのある町並み。数多くの人々が行き交う街道に一人ヘルガは地面に打ち付けられた杭の様に立ち尽くしていた。
レンガ造りでよく手入れされている道、鍛冶屋や雑貨店、飲食店などの店舗、そして、冷たい無言の壁で遮られたような歩みゆく人々の目。
ヘルガはすぐに気がつく。故郷の「城塞都市ヴェルド」に自分が居ることに。
「…パパ?…パパ!」
不安と恐怖がふつふつと下腹部から生まれてくると、思わず喉の奥から父を求める声がひねり出される。
だが周りの行き交う人々の反応はない。道端の石ころが泣き叫んでいるかのように、気に止められることは無かった。
次第に恐怖が大きくなり、大きな瞳に大粒の涙が溜まる。
「…ヘルガ、泣いちゃ駄目だよ」
どこからか聞こえた気がした父の声にヘルガはハッとすると、小さな身体で強がるように身を縮めそのこぼれ落ちそうな涙をこらえるように両手を握りしめる。
「パパ、ヘルガ泣いてないよ!ママの言いつけ守ってるもん!」
虚空にぶつけるようにヘルガが叫ぶ。
しかし、行き交う人々の隙間、建物の影、目を凝らし父の姿を探すが、その姿は無い。
「…パパが居なくなって、ママに言われたんだもん、どんなに辛い事があっても泣いちゃ駄目だって」
一息に捲し立てるように、己に言い聞かせるように吐き出すと、ぎゅっと下唇を噛みしめる。
「…ママは、ヘルガが守らなくちゃ駄目なんだもん。しっかりしなきゃ駄目なんだもん」
「…ヘルガは本当にいい子だね。ママを、ママを頼むよ…」
背後から父の声が聞こえ、その姿を逃さんと力いっぱいに振り返る。が、父の姿はない。
「…パパ!「贄」になったら…パパに会えるんだよね!?」
「…ルガ……ヘルガ…」
「パパ!?」
自分の名を呼ぶ声に、父の姿を探し、あたりを見回す。
と、不意にヘルガの肩に暖かい手のぬくもりが伝わってくる。父の手だ。
ヘルガは姿を確かめるまでもなくそう確信し、安堵の表情を漏らすとその暖かい手の持ち主の姿を見たーーー
「…ヘルガちゃん、起きて!」
ぼんやりとした視点の定まっていないヘルガの目の前に居たのは…父ではなく、若い青年。
そして…薄暗く、重苦しい、海底に沈んでいるかのような鬱蒼とした木々。
先ほどの懐かしい故郷の街は何処にも無かった。
「…?パパは…?」
「お…起きて!早く!」
若い青年、ヘスは力任せにヘルガを抱きかかえると、すっかり火は消え、くすぶってしまっている焚き火の跡をまたぎ、木の影に走る。
「オラ、新米!ガキをそこに置いてさっさとこっちに来い!チコ!てめぇもだッ!」
「は、はぃぃい!」
「…!」
やっと状況を思い出したヘルガはヘスに抱きかかえられたまま、まだ視点の定まらない目をこすりながら、アルフレッドと対峙している「何か」に目を移す。
下半身や腹部は青い毛で覆われ、頭部は硬い甲羅で覆われている、巨大な熊…牙獣種のモンスター、アオアシラだ。
いつの間に寝てしまったのか、すでに木々の間から見える空は薄暗い褐色から鮮やかな赤みを帯びつつあった。
「だ、旦那!モンスターは「献上品」には手を出さないんじゃなかったのかニャ!!」
「かっ!バーカ、知性の無いモンスターどもに何期待してンだ?」
すっかり戦闘態勢に入っているアルフレッドは、漆黒の銃に弾丸を込めている。
「ガァアアアォオオオッ!!」
「うひっ!」
威嚇するように両手を広げ、雄叫びを上げるアオアシラにヘスがおののく。
元々食欲が旺盛で雑食なアオアシラだが、このアオアシラは特に…空腹に耐えかねているように見えた。
「新米、良いかッ!テメェはこの熊野郎の「餌」だッ!餌らしく、両手バタつかせて、熊野郎の後ろに走っていけッ!」
「ハイっ…はっ…えぇぇえ!?」
アルフレッドの言っている事が理解できないヘスが目を白黒させる。
「考えてる暇はねェぞ!オラ!行けッ!」
尻込みしているヘスを焚きつけるように、ヘスの足元に一発、威嚇射撃を行う。かなりの至近距離への威嚇射撃で、土と枯れ葉が舞い上がりヘスの頭上に降り注ぐ。
「…はいぃっ!」
「チコ!テメェはコレだ!」
情けなく、慌てて走りだすヘスを確認し、アルフレッドはチコに触角状の突起物が付いた円盤形の物を投げる。
衝撃を加えると放電する性質がある「雷光虫」という昆虫の電撃袋をいくつも埋め込み、その強力な電撃で踏んだモンスターの動きを封じる、「シビレ罠」だ。
「…ッ!ラジャーニャ!」
チコがシビレ罠を受け取ると同じタイミングで、囮になったヘスを捕食せんとアオアシラがゆっくりと四つん這いになり、そのターゲットを変える。
「こ…こ…こっち来ますよ!アルフレッドさんッ!!」
「…うるせぇ!餌は黙ってろッ!」
注意がそれた事を確認し、チコが小さい身とその素早さを活かし、滑りこむようにアオアシラの足元にシビレ罠を設置する。
空腹で「獲物」に夢中なアオアシラは全く気がついていない。
そのまま巨体を支える足が、躊躇なく力強くシビレ罠を踏みつける…と、黄色い閃光とけたたましい電撃音とともにアオアシラの身体がビクンと大きく震える。
そして、小刻みに痙攣するようにビリビリと身を震わせながら、アオアシラの動きがピタリと止まった。
「…オラ、まだオネンネの時間だっつーの」
アルフレッドが無造作に銃を構え、一発弾丸を発射する。
漆黒の銃身から放たれた何の変哲もない弾丸は、まるで引かれたレールの上を滑っていく様に、寸分の狂いなく、アオアシラの横にそびえ立つ巨木の根本に命中する。パンと言う乾いた音とともに弾けると、幹の一部を失った巨木は、バランスを崩し、メキメキという叫び声を上げながら、アオアシラの頭上に倒れこんだ。
人の倍以上ある巨体を持つアオアシラだが、その巨木に抵抗できるわけもなく、潰れる肺からうめき声とも取れる断末魔を挙げ地面に押しつぶされてしまった。
「…ギャゥ!」
「は〜い、ビンゴ」
「…!」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるアルフレッドと対照的に驚愕の表情を見せるヘス。
アルフレッドの神がかった「技」を見るのはは二度目だが、やはり精密で正確な「技」に目を疑ってしまう。
「な、何度見てもやはりスゴイですね…」
「あん?見せモンじゃねえぞ。…次から金取ンぞ?」
「……ハハ…」
怪訝な表情を見せるアルフレッドに、ヘスは引きつった笑顔を見せる
チコにアルフレッドは守銭奴だと聞かされていたが、この言葉が冗談なのか本気なのかヘスには全くわからなかった。
「…オイ、ガキ!怪我はねぇだろーな?」
木の影に隠れているヘルガに怒鳴りかける様にアルフレッドが確認する。
「…う、うん…」
「フン…」
木に身を隠しながら、覗きこむようにヘルガが返事を返す。
これから死に行く者に怪我の心配など無用なことかと、我ながら見当違いな心配をしたとアルフレッドは自己嫌悪する。
「アルフレッドさん…」
「…何だよ?」
また機嫌が悪くなったアルフレッドに、恐る恐るヘスが質問する。
「なぜこのアオアシラは、我々に襲いかかったのでしょうか?」
「…あ?」
巨木に押しつぶされたアオアシラに視線を移し、ヘスが続ける。
まだ息があるようで、うめき声とともに身を悶えている。
「ここに来るまで、何匹ものモンスターやドラゴン達が遠目に見ているだけだったのに…ここに来て」
めんどくさそうに頭をボリボリと掻きながらアルフレッドが応える。
「ンなこと知るかよ。腹が減って我慢できなくなったのか、そんなトコだろーよ?」
「……興を添える前の…余興と言った所だ」
突如、落ち着き、感情が感じられない冷めた声がアルフレッド達の耳に入る。
誰も聞いたことが無い、冷たい声。
「あ?なんか言ったかお前?」
「…」
「…あー、オイ新米」
ふと気がつくと、辺りが薄暗い影に覆われている。
遠く、赤みがかった空はすっかり青みがかり、日差しが木々の間からちらついていたが、何故か辺りは暗い。
「…何だこりゃ…」
「あの日…」
よろよろと腰を抜かしたかのようにヘスが座り込む姿がアルフレッドの目に写る。そして、恐怖で顔が歪むヘルガの顔。
「あの日と同じだ…」
弱々しく絞りだすようにヘスがつぶやく。
彼の初陣で襲った「厄災」。
そして三ヵ月前と同じく、ヘスの視界に入る、赤いーーーー何か。
轟音とともに、目前に赤い外皮に身を包んだ、炎のように、そして紅血のように真っ赤に染まった飛竜「ワイバーン」がゆっくりと、翼を羽ばたかせながら、木々を押しのけ、天空から姿を現す。
その姿に、恐怖というよりも畏怖の念がアルフレッド達を覆い尽くし、そしてどこか感じられる神々しさに誰もが息を呑んだ。
「…余興、と言ったのだ」
「てめぇ…人語を話すワイバーンは初めてだぜ」
言葉どころか、まばたきすら忘れてしまっているヘス達と違い、その年期からなのか落ち着きを装ったアルフレッドが口火を切る。
先ほどのアオアシラよりも更に何倍も巨大な、両手に翼をまとった巨大な飛竜。
その昔、繁栄を極めた高度な文明が意のままに操ったとされる「空の支配者」たるワイバーン。その中で「厄災の残り火」として古書の中にしか存在していなかった伝説の「主」が目の前に居る。
立派な翼に棘の付いた巨大な尾、掴まれればひとたまりもないと想像できる両足の鉤爪に凶暴さをそのまま表現したような牙…ワイバーンの中で最も強大な種族の一つで生息数も多いリオス種の「リオレウス」と酷似してはいるものの、その身を覆う衣はより赤みを増し、頭部にはリオス種にはない立派な角が二本生えている。
「…ほう、これは珍しい。小さき眷属、か」
「…あ?なんだって?」
赤いワイバーンは独りごちるようにそう囁くと、ゆっくりと確かめるようにアルフレッドに顔を向ける。
表情に変化など見えはしないが、アルフレッドにはそのワイバーンが笑ったように見えた。
「小さき眷属よ、余興に応えて頂き重畳至極…吾が」
身を起こす様に長い首を挙げ、アルフレッドを見下ろすように続ける。
「吾がこの森の「主」だ…」
さすがのアルフレッドも表情が引きつり、身構えてしまう。それほど森の主の圧力はすさまじく、まるで深海の様な芯に響く重圧感がアルフレッド達を襲った。
「…余興だと?それに…その「眷属」っつーのはどういう意味だ?」
「…そのままの意味だ。小さき眷属よ」
「わりーけどよ…親兄弟にワイバーンはいねえンだわ…」
アルフレッドの言葉に、笑っているのか、息を荒げ森の主が続ける。
「クックッ…主、幾星霜の時を生きておるにもかかわらず…知らぬのか?」
「あ?…どーいう意味だコラ」
アルフレッドの空気が尖っていくのが森の主にもわかったのか、翼を広げ威嚇するかのように、それとも一礼するかように続ける。
「…クックッ…主にそれを教える義務は我には無い。さぁ、小さき眷属よ、「贄」をここに」
話の腰を折られた様な形で、不本意な表情を見せるが、アルフレッドはチラリと木の影に隠れているヘルガを見る。
森の主の姿に怯え、血の気が失せ、恐怖に震えている小さい少女の姿。
アルフレッドの視線に気づき、精一杯の…笑顔を見せる。
「…」
言葉を発することが出来ないアルフレッドを察し、抜け落ちそうな膝を抑え一歩一歩、ヘルガが近づいてくる。
「…本当に良いのか…ガキ」
「…おじさん」
最後の力を振り絞るように、ヘルガがアルフレッドの顔を見る。
その目は、これから訪れる死の先で父に会える喜びなのか、どこか儚い明るさを含んでいるようにアルフレッドの目に映った。
「昨日…昨日、本気で怒ってくれて…おじさんのおかげで、パパとの思い出、思い出せたよ。買い出しのお手伝いで遅くなった時に怒られちゃった時のパパ…」
涙を必死にこらえ、笑顔を作ろうと頬が小さく痙攣している。
「大好きなパパを思い出せたよ…」
「…」
アルフレッドは、そんなヘルガの姿を見ることができず目を逸らしてしまう。
そして、精一杯「大人」を演じているこの少女と、自分に怒りが湧いてくる。
「…」
そういうとヘルガは無言のまま、アルフレッドの横を通り過ぎ、すぐに訪れるであろう、死へ向かうーーーー
「…チッ。おいワイバーン、一つ良いか?」
「…何だ小さき眷属よ」
森の主に背を向けたままアルフレッドが続ける。
「…てめぇはなんで、ニンゲンを喰うんだ?…そこに伸びてる熊野郎とかよ、ほかにもこの森には沢山食いもんがあんだろ?」
「…知能だ」
森の主が身を屈ませ、これから食すであろう、小さい少女を見て続ける。
「…あ?」
「…ニンゲンを食す理由は、知能だ。吾は血肉とともに、その記憶と…後悔、希望、全ての「知」を食することで得る事が出来る。「知」の栄養とでも言うべきか…」
ヘルガの姿をゆっくりと舐めるように見定めそしてその場に居るヘスやチコ、そしてアルフレッドをもう一度見渡すと、森の主の目に悦楽の感情が染みわたっていく。
「クックッ…よく見れば…知った顔がおるではないか。小気味よいぞ…。この小娘の後悔はより深い「知」を得ることが出来そうだ…」
身を奮い立たせ、我慢できないと言わんばかりに森の主は凶暴な雄叫びを上げる。
鼓膜が敗れるのではないかと思うほどの耳をつんざく雄叫びは森の木々の葉を吹き飛ばし、その葉が、まるで雪のごとく地面に降り注ぐ。
「…チッ、やっぱよ」
森の主の雄叫びを物ともせず、アルフレッドが空を見上げ独り言ちる。
「…要は、ムカつくだけなんだよな…単純に」
ゆっくりと身を返し、アルフレッドは森の主を睨みつける。
ーーーーその手には…森の主に向けられた、漆黒の銃。
「ククク…吾に弓を引くか。小さき眷属よ」
「…昔からよ、何かあったんじゃねえかと思うけどよ、マジでムカつくんだよ」
アルフレッドは力を込め、漆黒の銃の引き金に指を回し、しっかりと照準を森の主の額に合わせる。
そして、どこか吹っ切れたかのような意思に満ちた瞳を添えてーーー
「…目の前でガキが背伸びして、大人の真似すんのも!勝手に死んでいくのもよォ!」
「…だ、旦那!」
今にも引き金を引かんとしているアルフレッドに慌ててチコが駆け寄る。
「も、も、も、も、森の主に銃を向けるのはマズイニャ…!依頼失敗どころか…ギルドに指名手配されちゃうニャ!!」
わたわたとアルフレッドの周りを駆けまわりながら、制止しようとチコが大の字で大騒ぎする。
しかし、アルフレッドの目はしっかりと森の主を見据えたままだ。
「チコ、俺が受けた任務は「ガキを森の主の下に連れてけ」だぜ?」
「…へっ?」
「…んで、その依頼は達成済みだ。こっからは別の依頼、だ……オイ、ガキ」
石の様に固まったままのヘルガが、なぜ彼が森の主に銃を向けているのか理解できていない、という表情をアルフレッドに向ける。
「次の依頼、どーするよ?このままこのワイバーンに喰われるか?それとも…」
「…このワイバーンを討伐して、ママの元に帰るって依頼…俺に出すか?あん?」
「わ…私…パパに…」
小さく肩を震わせながら、ヘルガの表情がみるみる崩れていく。
そして、アルフレッドの目にも、少女の目に大粒の涙が溜まっていくのが判った。
「…ママを守るって死んだパパに約束したンじゃねぇのか?…死んだニンゲンには…死んだニンゲンにはもう会えねぇんだよ…ヘルガッ!」
アルフレッドがヘルガの名を叫ぶ。
今まで一度も呼んだことがなかったヘルガの名を。
そして、それに呼応するように…少女の心の叫びが森に響いた。
「………うぅぅぇぇぇぇえええん!死にたくない…!帰りたい…!ママに、ママに会いたいようぅ!」
父がこの世を去って数年。
今まで抑えていた涙が堰を切ったように、ヘルガの両目から滝のように溢れかえる。
数年分の、幼い涙。
「カッ!そうだよ、ガキはガキらしく、泣きながら大人に頼ればいいんだよ馬鹿野郎が!…依頼金はそのしょっぱい泣きツラで許してやンぜ!」
アルフレッドの顔に笑みが浮かぶ。
これまで見せてきた不敵な笑みよりも…さらに不敵な微笑み。
「…クックッ!小気味良い、小気味良いぞ、小さき眷属よ!その心意気、その希望!さぞかし美味であろうなァ!…主ら全て喰らい尽くしてくれるわッ!」
森の主が更に大きく翼を広げ、食らいつかんと更に強大な雄叫びを上げる。
その昔、世界を滅ぼしてしまった文明が利用した「厄災」の力。その力が、燃え盛る炎のように、永久(とわ)の時を生きる狩人に襲いかかった。