Ewigkeit Schlacht   作:羽月天夏(ユキア)

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第三章「少女 - Mädchen -」(前半)

 頬を、叩かれた。

 暗闇の中で一回だけだ。ぺちん、と情けない音を立てて、俺に小さな痛みを与えた。

 ────また、頬を叩かれた。今度は複数回、しかも連続で。

 誰かが俺を呼んでいる。起きなければ。そう思い、俺は目をうっすらと開けた。

 

 

「ターナー!!」

 突然はっきりとした声で呼ばれると、視界が一気に明るんだ。

 灰色に覆われた空と、深緑の木々が見える。目だけを動かして辺りを見回すと、見覚えのある顔があった。

 男だ。それにしては長いブロンドに、漆黒の双眸。雪同然に白い肌には何かの模様が刻まれている。

「おい、ターナー! 何とか言え、おい!」

 男──ガリウスは、俺の頬を手で叩いた。……ああ、さっきまで頬を叩いていたのはこいつだったのか。

「……ガリ、ウス」

 相棒の名を呼んではみるが、声が枯れていた。というよりは、上手く声を発することができない。そもそも、何故俺は気を失っていたのだろう。前後の記憶がぽっかりとなくなっていた。

「ターナー? ……よかった、生きてたぜ」

「勝手、に……殺すな」

「おっと、無理に動くんじゃねえぞ? お前、敵にやられて派手な怪我負ったんだからよ」

「……派手?」

 寝転んだまま両腕を上げてみると、確かに両方血に塗れて薄汚れていた。といっても、俺の場合右腕はバトルアーム(正式名称はサイバネティックアーム)である為に、生身である左腕の方を怪我している。

「壊されたのは腕だけじゃねえ。脚も両方やられてるし、臓器だって怪しいぜ。ほんと、ロアとノヴァードがいなかったら危なかったな」

 ……ロア? ノヴァード? 人の名前だろうが、どちらも知らない名前であった。ガリウスの言うことが本当ならば、恐らく共に戦った者なのだろうが……。

「……ターナー? お前大丈夫か?」

「何が」

「何って、どうしてそんなに何もかも忘れてやがるんだ? ひょっとして、記憶ぶっ飛んじまってるのか?」

 それすらも分からない、と俺は首を横に振った。

 恐ろしい程何も覚えていない。この大怪我が、今はとある戦いの後であるということを俺に訴えてきているのはよく分かる。だが、この怪我を負って気絶する前まで、自分が誰と、どのように戦っていたのか。そこだけ記憶を取られたかのように、思い起こすことができないのだ。

「……まあ、実際に会えば分かるんじゃないか。ロアとノヴァードに」

「…………」

 俺が黙りこくっていると、ガリウスが「おーい! こっち来い!」などと叫んでいるのが聞こえてきた。まだ俺は何も言ってないし、これから何か言う気もないのだが。

 しばらくすると、二人の人影が視界に入ってきた。

 一人は金髪緑目の男だ。深緑のマフラーを首に巻いていて、今の季節では珍しいな、とだけ思った。

 もう一人も男だ。こちらは黒髪赤眼。黒の革ジャンと銀か何かでできている十字架のネックレスが印象的だ。

「あの、ターナーさん。僕らが誰か分かりますか?」

 金髪緑目の青年が、彼自身を指さして俺に問いかけた。姿を見ても、思い出せるものは何一つない。

「……すまないな。何も思い出せない」

 正直にそう言うと、ガリウスの大きなため息が横から聞こえた。そんなものは気にも留めず、黒髪赤眼の青年は黙って微笑む。

「それじゃあ、もう一回自己紹介するしかないね。私はノヴァード。よろしく」

 黒髪赤眼の青年──ノヴァードはどこか素っ気ない雰囲気を纏っていたが、俺は気にせず「よろしく」とだけ答えた。

 次は僕ですね、と金髪緑目の青年が挙手をする。

「僕はロア。ロア・ブレームです。よろしく!」

 金髪緑目の青年──ロアは、軽く礼をする。俺も頭を僅かに動かして、礼をしているように見せる。

「さて、と。まずはターナーの回復が先だな。ロア、復元頼めるか? さっきは急だったからダメだったが」

「大丈夫ですよ、ガリウスさん。『復元』!」

 ロアの両手の指先から発せられた、温かな緑の光が俺の身体を包み込む。そして、身体中の痛みが少しずつ引いていくのを感じた。

 ……やがて傷が回復しきると、俺はいとも簡単に起き上がることができた。自分の身体を軽く確認してみると、気絶する前とは何も変わっていない。全て復元されたらしい。

 これには少なからず驚いた。

「すっげぇ……ありがとう」

「いえいえ。助かって良かったです」

 お礼の言葉をかけると、ロアは柔らかな笑みを浮かべた。

 全快した俺は勢いをつけて起き上がる。傷が開く気配もない。

「んじゃ、行動開始……と言いたいところだが、ターナーの記憶が一部ぶっ飛んでいる。まずはこいつに状況を説明するのが一番だろうな」

 ガリウスが真面目な顔つきになって、俺の肩をぽんと叩く。

 確かに、何も分からない状態では行動しても皆の足を引っ張るだけであろう。それに無駄なことにはならない。彼らも状況の整理ができるだろうし、俺が記憶を失くしたことがよかったわけではないが一石二鳥だ。

「さて。じゃあ、私が話そうか」

 そう言って、ノヴァードはゆっくりめに語りだした。

 

 ノヴァードの説明を要約するとこうだ。

 俺達は何かの拍子に、この世界に迷い込んできた。俺はよく覚えていないが、皆はこの世界に来る前に、何か黒いものを見たという。当然ながらその正体も分からない。

 初めは皆バラバラで、俺とガリウス、ロア、ノヴァードでそれぞれ行動していたところ、数時間前に鉢合わせした。ここまでは、何となく朧げな記憶がある。その時に、確かにロアとノヴァードに会ったような気がする。

 だが、お互いの自己紹介を済ませた直後、自分達の前に敵が現れた。白髪で黄金の瞳を持つ、十代前半程の少女……女の子の人形を抱えていたのだという。

 正直、俺がノヴァードからこの事実を耳にしたとき、何か作り話でも聞かされているのだろうかと思ってしまった。一度、冷静に考えてみてほしい。自分達より明らかに年下の少女に、俺達大人(といってもロアは恐らく成人はしていないだろう)が負けるはずがない。余っ程のことがない限り。

 今回俺が大怪我を負ったのは、その「余っ程のこと」の中にあの少女による攻撃が入っていたからであろう。ノヴァードによれば、俺はバトルアームのミニガンモードで何度か発砲した後、少女の切り裂き攻撃によって負傷し、一瞬のうちに気絶したのだという。その後、ロアの能力の一つである瞬間移動で逃げ出せた。そして今に至る。

 

 話を一通り聞いて、俺は深く、長く息をついた。ノヴァードのおかげで、大体のことは思い出せたような気がする。

 よくよく思い返してみれば、彼女は剣のような刃物は一本も持っていなかった。切り裂く攻撃をする手段なんてないに等しいはずだ。それに、彼女が代わりに手にしていたのは人形だけだ。とても大事そうに強く抱きかかえていたような気がするから、余程大事なものだったのだろう。あの人形には、何か特別なものが隠されていたりするのだろうか。

「しっかし、あのガキは俺のタイプじゃねえんだよな」

 ガリウスが突然、先程までの話題とはほとんど真逆の話をし始めた。こちらは拍子抜けしてしまって、肩ががくんと下がる。それは、ロアもノヴァードも同じだったようだ。

「あの襲ってきた女の子のことですか? ……って、なんでそんなことを今話すんですか」

「まあ、ちょっと聞けよ。なんか、あのガキはレディーって感じがしねえんだよな。そりゃ、まだ子供ってのもあるんだろうけど。でも、なんかこう、違うんだよ」

「どう違うんだよ」

 俺はバトルアームの小さな汚れを指先で軽く払いながら、ガリウスの愚痴にも似た雑談に参加する。こいつの言うレディー、というのは「大人の」女性だ。無論、人によってはそれ以外の女性も当てはまるのだろうが、彼の価値観からしたらそれがほぼ正しい。

 ガリウスはほんの少しだけ間を置いて、口を開いた。

「……人間としての感情みたいなものが、あいつからは感じられなかったような気がする。抑揚のない喋り方をしていた。まるで人形みたいだったんだよ。気味が悪いったらありゃしない」

「なるほどね。……まあ、それは分からなくもない。子供にしては、純粋さとか無邪気さみたいな、そういうもの全部ひっくるめた『心』があまりにも乏しく見えた」

 ノヴァードはそう語りながら虚空を仰いだ。ロアは膝を抱えて黙り込む。俺には、何一つ分からない。

 少女の姿や言動をはっきりと覚えていないからだろうか。ガリウスやノヴァードが言っていることが理解できない。人間としての感情がない。抑揚のない喋り方。人形のよう。気味が悪い。心があまりにも乏しい。

 よく、分からない。

 それは人間というのだろうか。感情のもたない人間は、果たして人間として認められるのだろうか。俺はそうは思えない。笑いも怒りも、泣きもしない人間など、人間ではない。ただの人の形をした、動く人形だ。

 ただの。

「ただの、人形じゃないのか」

 場が凍り付いた。

 それに気付き、俺ははっと口をつぐんだ。何をバカなことを言ってるんだ、俺は。

 ガリウスが黙って俺の顔の前に手を近付けて、

「いてっ!?」

 額をデコピンした。俺は無意識に手で押さえたが、デコピンを受けたところが僅かに熱を帯びていた。

「なーに感傷に浸ってんだ。お前らしくねーぞ」

「は!?」

「そんな真面目に考えたってしょうがねえだろ。相手は敵なんだ。変に情が移ったら、倒しづらくなっちまうだろ」

 確かにそうだな、と俺は顔を俯かせた。

「なんか、ごめんな」

「どうしたんですか、急に?」

 ロアが疑問の声を上げた。ノヴァードも俯き気味だった顔を少し上げた。

 膝と膝の間に顔を埋めて、俺は泣きそうな声で呟いた。

「俺、ここに来てから皆に助けられてばっかりだ」

 バトルアームを付けた右腕が、なんとなく痛む。復元で皆治してもらったのだから、何も異常はないはずだ。なのに、何故かズキズキと痛むのだ。まるで、俺の心がボロボロに引き裂かれていくように。

「……別にいいんじゃないか」

 誰にでもなく呟いた言葉に返してくれたのは、ノヴァードだった。俺は顔を膝から上げる。

「助け合うのは別に悪いことじゃないさ。どんな人でも、人生のうち一回は必ず誰かの助けを受ける。これは必然だろ。そんなの、何回繰り返したって同じさ」

 相も変わらずどこか素っ気ない態度でノヴァードは語るが、なんだか俺は気が楽になったような気がする。漫画の中にあるような名言を聞いたような気分になった。

「……そうだな。ありがとう、だいぶ楽になった気がするよ」

「そうかい? ……私は本当のことを言っただけだけどね」

 口ではそんな冷めたことを言うが、実際ノヴァードの口元は綻んでいる。満更でもなさそうだ。俺も少しだけ微笑んだ。

「さて! こんなところにいてもしゃあないし、動こうぜ」

 大声を張り上げて、ガリウスは勢いよくその場を立ち上がった。思えば、どのくらいこの場で動かずに会話していたのだろう。俺が倒れていた時間も含めると、相当長い時間ここにいるような気がする。

 皆次々に立ち上がったので、俺も慌てて立ち上がる。

「動くといっても、どこに行くんです? またあの女の子に鉢合わせしたら」

「ん。大丈夫さ。仲間を探しに行こう。私達だけでは心もとない。それに、ロアは仲間も探しているだろう?」

「そ、そうだけど……」

 ノヴァードとロアの会話からして、他にも何人か仲間がいるようだ。確かに、ロアの言う通り、俺達四人だけでは敵の能力には不相応すぎる。この世界にいるかもしれない、他の誰かを探すのが最適だろう。

「…………あれ」

 うっすらと生じた違和感に、俺はその場を振り返った。後ろには、誰もいない。

「どうした?」

「誰か……いたような気がする」

 ガリウスの問いに、できるだけ冷静に答える。ロアとノヴァードも俺の振り向いた方向に目を向けた。

 ……しばらく、俺達の間に沈黙が漂った。謎の気配を纏う誰かを見極めるために、皆が黙り込んでいる。

 いつまで経っても出てくる気配のない誰かをおびき寄せようと、バトルアームをミニガンに変形させようとした、その時だった。

 

「わあっ!!」

 

 ガサッ、という短い草音とともに聞こえてきたのは、短い悲鳴だった。恐らく転んだのだろう。

 急に心配になって、俺は無意識に声の主の方に歩み寄った。途中ガリウスの制止が聞こえたが、俺はまるっきり無視して歩みを止めない。

 長めの草を掻きわけると、俺ははっと息を呑んだ。

 

 

 ────悲鳴の主は、短い白髪の少女だったのだから。

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