第三章「少女 - Mädchen -」(後半)
「おいおい……ターナー、何やって……って、こいつ!!」
突然のことに呆然としていた頭が、ガリウスの声ではっきりとした。ガリウスの方を振り向くと、彼は驚愕した顔をしている。
俺は改めて、少女に向き直る。一瞬取り乱しそうになったが、今目の前で倒れている彼女は敵の少女ではない。
ノヴァードから聞いた少女の特徴は、長い白髪に金の瞳、そしてロリータに近い白いドレス。女の子の人形を持っている。
それに対し、俺達の前で倒れている少女は短い白髪だ。目は閉じているから色までは分からないが、着ている服は至って質素な白い長袖のワンピースだ。身の丈に合っていないのか、袖から手の甲が半分程しか出ていない。それに、人形がどこにも見当たらない。
この少女は、俺達の敵である少女ではない。また別の誰かだろう、と確信した。
「この子……気絶してるのかな?」
ロアが少女を抱き抱えて呟いた。少女の表情は少し苦しそうだ。
「お、おい、そいつは敵じゃあ……」
「大丈夫だ、ガリウス。この子はあの人形持ちの子じゃない。また別の子だ」
慌てふためくガリウスに、俺は冷静に事実を伝えた。
ロアが少女を抱いて、木の下に寝かせる。少女は目を覚ましてはいないが、表情は少し楽になったように思えた。
「う……うーん」
十数分経ったときのことであった。たまに交代しながらで少女の様子を見守っていたら、少女が呻き声を上げた。そしてそれから間もなく目を開けた。────金色だ。
その時様子を見ていた俺は、少女が目を覚ましたと皆に知らせた。少女は集まってきた俺の仲間達を目にして、きょろきょろと辺りを見回していた。殺気も、攻撃してくる気配もなさそうだ。
「……気がついたみたいだね」
ノヴァードが微笑みながら呟くと、少女は首を傾げた。
「あれ……おにいさんたちは、だれ?」
少女の声は優しく、明るいものだった。元気そうで何よりだと、俺達はほっと息を撫で下ろした。
「僕達が君のことを助けたんだよ。僕はロア。君は?」
ロアが優しい口調で少女の問いに答えた。少女はその大きな金目を輝かせて、こう答えた。
「ツィスカ! わたし、ツィスカっていうの!」
純粋な子供の型とも言えるようなその姿に、俺達全員が静かに、だけど大袈裟に驚いた。
白い短髪の少女──ツィスカは、俺達に自分のことを色々と教えてくれた。
自分は八歳だということ。この世界にある城に住んでいるということ。両親はどこかに行ってしまって、ここにはいないということ。一人ではあるが、森の獣達が助けてくれるから寂しくはないということ。
正直、言葉が出なかった。こんなに小さいのに、ツィスカは一人で生きているのだ。森の獣がいるから孤独ではない、といっても彼らは人間ではないし、意思の疎通も怪しいところだ。
なのにこの子はよく笑う。どんな話をしている時でも、笑顔はほとんど絶やさない。
一体、何がこの子をそれ程にまで元気づけているのだろうか。
「ノヴァードおにいさん!」
森の中を歩いている道中。ツィスカは、俺に後ろから抱きついた途端そう呼んだ。
出会ったばかりだから無理もない。彼女はまだ、俺達の顔と名前が一致していないのだ。先程も、ガリウスのことをロアと間違えたり、ノヴァードのことを俺と間違えたり。
「あ、あまりくっつくな……それと、俺はターナーだ」
「あ……またまちがえちゃった。ごめんなさい」
「いや、いいよ。会ったばっかりなんだから」
しょげるツィスカの頭を、俺は苦笑いしながら優しく撫でる。
俺自身が子供に慣れていないせいだろう。ツィスカ相手になると、どうも挙動が不自然になる。苦手、という程ではない。ただ、どう接すればいいのか分かっていない。だから距離をとりたくなる。
先頭を歩くガリウスが振り向いて、数秒間ニヤニヤと笑いかけてきた。……無性に腹が立つ。
「ターナーおにいさん?」
今度は間違えなかった。無音の腹立たしさを無音で抑え込んで、大丈夫、とツィスカに笑いかけた。
ツィスカは次に、俺の右腕を興味深そうに見つめた。
「ターナーおにいさん、みぎうでだけみんなとちがうね」
ああこれか、とツィスカにバトルアームを見せた。
「バトルアームって言うんだ。銃とか剣に変形するんだよ」
「そうなんだ……なんで、バトルアームなんてつけたの?」
……言葉が詰まった。何も言葉が出ない。冷や汗が伝ってきた。
あの形容しきれない苦痛と、凄惨な情景が蘇ってきたのだから……。
「ターナーおにいさん?」
「…………なんでもないよ。ちょっと、嫌なこと思い出しただけだ……」
バトルアームは本当に便利だ。これを付けるようになってから、俺は凡人にはできない多彩な戦い方を身に付けた。皆の役にも立てるようになった。
だが、その代わりに失ったものと得たものが、俺には身に余るぐらい辛いものだった。
悪魔を召喚した為に千切られた生身の腕。一時の希望。失われたのは、そんなものだった。だけど、それに関してはあまり後悔していない。当然の罰を喰らっただけだ。
俺にとっては、得たものの方が要らなかった。バトルアームは無論必要なものだ。要らないのは────血塗れの過去。
腕を失った付け根からは、大量の鮮血が溢れ出た。失血死してもおかしくなかった。付け根を中心に、猛烈に広がっていく熱。立てなくなるほどの苦痛。目の前が真っ暗になりそうな、絶望のどん底。
それが今でも、悪夢として俺を苛ますことがある。せめてツィスカの前だけでは、こんな俺の惨めな姿を見せたくはない。
────どのくらいの時が流れたのだろうか。
俺達はほとんど何も話さずに歩いていた。敵がどこにいるか分からないから、騒がしくする訳にはいかなかったのだ。
張り詰めた空気に耐え難かったのか、俺の左手を握っているツィスカは小さく鼻歌を歌っていた。何の歌かは知らないが、楽しげな曲調であった。だが、その表情はどこか陰っている。
「…………♪」
俺達はそんなツィスカの鼻歌を黙って聴いていた。彼女は誰に向かってでもなく、ただ寂しさを紛らわせるために歌っている。俺達が勝手に、少しでも気楽でいられるように聴いているだけだ。
「…………♪」
ツィスカの歌声が空気中にこだまする。小さく、だけど確実に響き渡っている。俺達はそれを聴いている。言葉の一つも発さずに。
「…………♪」
まだ、歌っている。誰に向けられたものでもない歌を、少女は歌い続けている。呆然としているように、俺達は静かに聴き続ける。
「…………」
やがて、歌声がやんだ。俺は自分の手を握るツィスカを見下ろした。
彼女の双眸から大粒の雫が溢れ出ていた。
「……ツィスカ?」
俺はそっと声をかける。なんでもないよ、とツィスカは自分の涙を拭った。
「なんでかな……? かなしいことがあったわけでもないのに、どうしてないちゃうのかな……」
皆の歩みが止まった。ツィスカの異変に振り返る。
「ん? ツィスカ、どうしたんだ? ターナーにいじめられたか?」
ガリウスがツィスカの前にかがんで、どさくさに紛れて何やらひどいことを尋ねた。この場で一発殴ってやろうかと思ったが、そんな場合ではないのでやめておいた。
ツィスカはちがうの、と首を横に振った。
「こわいよ……こんなところにいたくないよぉ……こわいひとがくる……」
俺達ははっと息をのんだ。空気がさらに張り詰めたものになる。ツィスカの不安を鎮めようと、俺は握っているツィスカの小さな手を離すまいと握りしめた。
しばらくの間、俺達四人は辺りを見回していた。 地上だけでなく、空からも敵が来るだろう。360度、何も見落とさぬように注視する。
────それがツィスカを目掛けて刃を向けてきたのは、一瞬のことであった。
「やらせっかよ!!」
ガリウスが掌から何か閃光のようなものを放った。その隙に、俺はツィスカを隠すように茂みの中に逃げ込んだ。俺はツィスカに、「ここで隠れてろ」と念を押して、敵の元に向かおうとしたが。
「うわぁぁぁん!! やだよ、いっちゃやだ!!」
大声で泣き叫びながら、ツィスカは俺の右腕にしがみついた。先程まで、彼女はここまでわがままではなかった。相当怖がってるのかもしれない。俺も敵からの襲撃に対応しようと、ツィスカの手を離そうとしたが。
「ロア、ターナー! ツィスカを守って!」
「わかった……!」
初めて聞いたかもしれないノヴァードの大声と、きりっとしたロアの声だった。……ああ、そうだ。こんな小さな子を置いて戦いに行くなんて、よく考えたら無情なことだった。俺は争いに慣れている。だけど、ツィスカは違う……。
この子の悲痛な顔が見ていられず、俺は右腕を引いてツィスカをかがんで抱きしめた。ツィスカはまだ、俺の腕の中で泣いている。どうしかして泣き止ませねば────。
「ッ!!」
背後に殺気が漂う。ツィスカを左腕に抱いたまま、俺はバトルアームをミニガンに変形させる。
パパパパパンッ!
振り返って何発か撃つと、殺気は少し遠ざかった。だが、まだ近くにいる。
「ターナーさん! 大丈夫ですか!?」
茂みの中に入ってきたのはロアであった。平気だ、と答えておく。
「くっ……ガリウス!!」
「わかってらあ!」
召喚システムで喚んでやる前に、彼自身が俺の目の前に飛んで来た。そして掌から何かを放った。今度は高圧線のようなものだ。殺気を纏った敵らしきものに着弾すると、何本かの木諸共爆裂した。
砂ぼこりが濃く舞っていて、遠くの方は何も見えない。
「やったか……?」
「いや、まだ動いてる」
ガリウスの問いに無慈悲な答えを返したのは、茂みにそっと入ってきたノヴァードだった。皆が周りにいて安心したのか、ツィスカも泣き止んで俺に抱きついて震えている。
彼の言う通り、ふわふわと鬱陶しく舞う砂ぼこりの向こうには、確かに人影がある。俺は目を凝らして、人影の正体を見定める。
体格は子供だ。ツィスカより少し背が高いくらいだろう。膝下までのドレス、そして腕には何かを抱きかかえている。
……まさか、あれは。
「……残念。また殺し損なっちゃったね」
背筋に悪寒が漂った。この声……どこかで聞いたような気がする。そう遠くない昔に聞いたものだ。
砂ぼこりが晴れてきて、敵の姿が露わになる。白髪金目、白いドレス、そして女の子の人形。
俺を大怪我まで追い込んだ敵の少女の特徴と、全てが合致していた。
「……今度は絶対やらせねえ。ここから黙って去って行ってくれたら、大いに助かるんだがな」
ガリウスは俺達の前で片手を上げ立ち塞がる。少女は表情を変えない。──まるで人形のように。
こうして対峙してみると彼女はやはり、子供は愚か人間にすら思えない。ガリウスやノヴァードの会話からなんとなく想像はできていたが、これほどにまで感情が欠如しているとは思わなかった。これじゃあ、動く人形と大差ない。
少女はふう、と小さく息をついた。
「そこの義手の人には用はないの。後で皆まとめて消せばいいんだから。私が今、消したいのは────
────そこの女の子」
少女が俺達の方のどこかを指さした。辿った先は、俺の腕の中の震える少女──ツィスカだ。
「へ……?」
ツィスカは訳の分からぬ顔をした。当然、俺達にも状況が呑み込めない。
……何故この子が狙われている?
「その子はね、私が永遠の自由を得るために一番邪魔な存在なの。どうしてそんな姿をしているのかな。ほとんど私と同じじゃない」
「あ……ち、ちがう……わたしは……」
「何も聞きたくないな。別に『あなた自身』に恨みがある訳じゃないけれど……私の求める世界には必要のないものだから」
ツィスカの身体も声も、恐怖でぶるぶると小刻みに震えている。
一見、ツィスカとあの人形持ちの少女は何か断ち切れぬ縁があるように思えた。ツィスカは何も事情を知らないみたいだが、相手の方はツィスカを殺したがっているみたいだ。事情が分からないせいで、何も分からない。
それに、彼女の「求めている世界」とは一体……。
「ツィスカに恨みがあるのか何だかは知らないが、これ以上彼女を怖がらせるのはやめてくれないか」
しばらく黙っていたノヴァードが、少女を睨みつけながら言った。少女は相変わらず無表情のままで、俺達に視線を向けた。
「どうして? あなた達には関係ないはずだよ。その子を庇うっていうなら、予定を早めて消してあげてもいいけど」
「……こっちこそ、何も知らないまま死ぬのはごめんだ」
俺が呟くと、少女の目が細められた。ツィスカは俺のことを不安そうに見ている。周りの皆も、戦闘態勢になりつつも誰も飛び出そうとはしていなかった。
これは一種のチャンスかもしれない。
「お前は誰だ? 一体、何が目的だ? 全部答えろ」
少女は人形を強く抱きしめた。
「私はシュルス。終焉を司る女神。目的は……誰にも奪われない、永遠の自由を得ること。だから、私の邪魔する人は皆滅ぼす」
永遠の自由。物語の中でよく出てきそうな言葉であった。それ故に、そんな実在するかも怪しいようなものを求める人形持ちの少女──シュルスのことがますます理解できない。
こんなことのために、俺の腕の中で震えるこの子は……。
「そのために……そんなもののために、ツィスカを殺すのか?」
ツィスカを抱きしめながら、俺は震える声で尋ねた。シュルスの表情は、やはり全く変わらない。
「……あなたも、私の夢をバカにするんだね」
「当たり前だろ。よく考えてみろ、シュルス。永遠って何だか、真剣に考えたことあるか?」
ガリウスの問いに、シュルスは何も答えない。
「人間に限らず、全ての生きとし生けるものには必ず終わりがやってくる。それが何であってもだ」
「……どうして? だって、神は長く生きてるじゃない。この子だって、ずっと昔からあの場所に閉じ込められていたのに」
「お前は神を分かっていない。神であるくせにな。その人形はどうか知らんが」
シュルスは下唇を噛んだ。腕の中の人形を見て、少しだけ悔しそうな顔をした。──完全に無感情、というわけではなさそうだった。
「……なんで」
騒々しい中だったら必ずと言っていい程聞こえないであろう、小さな声だった。
「なんで、私の夢を誰も分かってくれないの……?」
「シュルス……」
ロアがそっと名を呼んだ。彼女は悪い物を振り払うように、横に首を振った。
「違う、違う。私は間違ってなんかない。ずっと、それが正しいと信じて頑張ってきたもの……なのに、それが間違いだなんて、信じたくもない……!」
ふと思った。
────シュルスは、感情が全くないのではない。「少しだけ抜け落ちている」だけだ。
ただ、幸せや楽しみといった「正の感情」がほとんど見られない。逆に怒りや怨みといった「負の感情」が残っている。
彼女は、人形じゃない。人間だ。
「…………もう、嫌……いつか、皆────」
そう言い残して、シュルスは森の中から飛び去って行く。呆然とした俺達をその場に残して。
……疲れて眠ったのか、恐怖のあまり気絶したのか分からないツィスカを静かに見守りながら、俺は思った。
────自分達はとんでもないことに巻き込まれてしまったのだ、ということを。