「伊丹殿、あれはなにかご存知か?」
ヤオが指した方を見ると、ペルシアが倉田を卍固めによって制裁している真っ最中で
あった。
”大祭典”も盛況のうちに終了し、撤収作業もひと段落ついてやっと日常に戻ろうかと
いう頃。”伊丹と愉快な仲間たち”御一行様はアルヌス共同生活組合経営の食堂にて”お疲
れ様会”の出来事であった。
「えっと・・・レスリングという組み技競技をベースにしたスポーツエンターテイメント
の中の技の一つ、かな・・」
ヤオには聞きなれない言葉がいくつも出てきたので、探るように自分の解釈を口に
出す。
「闘争を演劇仕立てにしたものがあって、その中の技、ということでよろしいか?武術ではなく」
だいたいあってる、と伊丹は答えた。
「ヤオ、興味があるのか?」
「此の身は門の向こうにある無手の組討術かと思ったのだ。知る限りこちらの世界では
武装しているのが一般的で、自分も相手も武器を格闘と切り離して無手でやり合うこと
は想定しない」
それはそうだ、戦いに勝ち、生き残るためであればあらゆるものを使って戦いに臨む
のが正しい。
「なるほど、でも無手同士の武術、護身術、競技スポーツもいっぱいあるよ、ルールは
色々だけど。あったらどうするの?」
特地においては武装しているのが一般的で、公式の場でも武装は外さない。徒手同士の
闘争はまず発生しない。日本国内で活動するなら可能性があるかもしれないが。
「レレイ殿の事で思うところがあったもので・・・」
それはどうゆうこと?と伊丹が問うとヤオ曰く。レレイを狙う輩はこれからも現れる
だろう。魔法は強力ではあるが、虚を突かれたり使えないこともある。我らが護れないこと
もあるかもしれない。護身の為の武器を持つ、更にその為の稽古に時間を割くというの好ま
なさそうだ。しかし、無手の術を嗜むならアリかもしれない。本人次第ではあるが、と。
「護身術ねえ・・・・・悪くないとは思うけどなあ・・・」
伊丹も職業柄、戦うことがある程度見込まれるので徒手格闘はするといえばするが嗜む、
噛じるといった程度でしかない。伊丹の本分は闘争ではなく逃走の方だ。自分が職業であり
ながら半ば放棄していることを人に勧めるのは気が引ける、増して30過ぎ大人が若年者の
レレイに言えるわけがない。護身、といってもテレビの5分程度の時間で紹介できるような
ことが一つ二つ出来たからといってそれで身が守れるわけではない。相手がそれに対処して
きたらそれで終わりでは意味がないし、却って状況を悪くする。身を守るには全部できない
とだめなのだ。だから護身を教える所では”危険な所に近づかない”と”大声で助けを呼ぶ”を
まず最初に教えられる。ここにいる全員がそれは解っているし、ヤオも当然そうなのだが、
その上で言わずにはいられないのだろう。
「倉田どう思う?」
ペルシアの全力の愛(卍固めから派生する関節技の数々)を全力で受け切り、ボロ雑巾の
ように倒れ込んできた倉田に聞いてみた。
「レレイ・ちゃん・・忙しい・・・ですからねえ・・・。必要・・かも・・・
しれないですけど・・・」
テーブルに突っ伏したままで言葉を絞り出す。
「自分、思うんですけど・・・」
この場にそぐわない話かもしれないですけど、と断ってから倉田は話はじめた。大の大
人が時間を割いて、更にはお金を払って何かを習うというのであれば楽しくないと続かない。
何かしらの技術や芸を習得する興味が湧いてこない。渋々何かをやっても辛いだけで身に付
かないしワザワザ割いた時間を無為に潰してしまうのはバカバカしい。と。よくよく聞いて
みれば、数年前に某有名ジムに入門し、柔術、MMA、グラップリングを嗜むという。最初は
部活動のようなものを想像して見学に行ったが、練習を強要されるようなことは一切ない。
疲れたら休んでいいし、好きな練習だけやって帰っていいという。入門して面白すぎて、
動けなくなるまでスパーリングしてしまうこともあったという。知的欲求に体が付いていか
ない、というのは稀有な体験だったと。
「積み上げなければ効果がないなら、楽しく続けないと身にならないと思うんですよ・・・」
一理ある、と思った。伊丹自身は部活動の経験はないが、傍で見ていてあの強制めいた練習
やおかしな(子供じみた、というか実際子供なのだが)縦社会はどうにも納得できないと感じ
ていた。ただ、倉田がそっちのオタクにもハマっていたのに驚いた。格闘技・プロレスといっ
たオタクは歴史も古く、細分化されており掘り下げ所が半端ない。観る派、やる派、両方と
それだけでも掘り下げ方が変わってくる。かなり難儀な種類のオタクなのだ。それはともかく。
「慣れの問題はありますね」
と富田。不意に掴まれたりぶつかられたりして、体が硬直して対処が遅れるなどについては
普通の練習で解消できるという。
「楽しくやっても意味はある、ってことか」
ただ、一番の問題はレレイ本人が望まなければならない。興味を持ってもらえるか、だが。
「なんの悪巧みかしらぁ?」
とロウリィ。男ばかりでヒソヒソ話なんていやらしい、ともたれかかってくる。そんな話じ
ゃないよ、と伊丹。話の経緯を説明する。ロウリィはふうん、納得の様子。こちらの世界には
ない徒手同士の格闘競技、というのに文化の差を感じるらしい。
「うちにもイイのがいるわぁ」
モーイである。エムロイの神官見習いの男の娘である彼は、武芸は稽古すれどもからっきし
というタイプらしい。やる気はあるのだから、楽しくできれば変わってくるのではないか、と。
ただ、彼の場合は本人の意思は無視される。ロウリィが”やれ”といえば従うのみだ。思わぬ賛同
者の出現で、いよいよ本人に話してみる必要性が出てきた。外堀を埋めてから話をしては、断り
辛くなってしまう。護身はともかく、楽しく体を動かすという趣旨に反する。
「レレイ、ちょっといいか」
伊丹は”護身”の件は伏せて話すことにした。働き詰めでは体を壊す、体を動かして汗をかくこ
とも心と体の健康の為には必要だと思うんだがどうか。たまたま倉田の発案で数人で集まって練習
することになったので、良かったらいっしょにどうか。と。
レレイは暫らく逡巡したのち、
「やってみる」
と答えた。そうか、と伊丹は答えるに止めた。この種の運動がレレイに向いてるとは思えない。
が、縁もゆかり無かった物に、ある日突然目覚めてその道プロになったりすることもある。
だから、いろんなものに触れてみるのはいい事だと思う。楽しかったらもっといい。レレイには、
楽しい事をたくさん経験して欲しい。自分はオタク趣味を求め、収集し、楽しみ、邁進している。
レレイにもそんなものがあって欲しい。人生を楽しんでほしい。笑顔を見せて欲しい。その助け
になりたいと伊丹は思う。
「倉田!何勝手に決めてる!」
イイ感じに酔った栗林の声が飛ぶ。練習場所等の算段を相談している倉田達の話の中に栗林の
名前が出たらしい。格闘マニアで徽章持ちに指導してもらおうという。
「面白そうじゃない、わたしの指導は厳しいわよ~」
じゃあ結構です、と倉田はすげなく断った。楽しく続ける趣旨に反するし、敷居は低くしていろ
んな人に楽しんで欲しいからだ。怪我や不要な痛み、恐怖等は極力排除したいのだ。
「うそうそ!優しくするって!仏の志乃って言われてるんだから!」
デートコースにジムを入れて”お付き合い”ならぬ”どつきあい”を相手に要求する話は皆知ってい
る。多少不安ではあるが、子供受けはいいので年少者の指導なんかは向いてる気がする。この日は
日時と場所、そして倉田主催の練習会を開くということを決めてこの件は決定とした。
PM1:00
数日後。ニホンで言うところの土曜日。丘の上の自衛隊施設の柔道場に面々は集合していた。