御先祖様は子孫の為に動く
「散歩に行ってくる」
「お気を付けて行ってらっしゃいませ。晩御飯迄にはお戻り下さいね?」
「嗚呼、分かった」
住宅街のとある一軒家から、一人の少女が駆け足で家を出た。ポニーテールに結んだ黄色の細いリボンを靡かせ、全速力で住宅街を走り抜ける。その表情は喜びの表情の反面、複雑そうな表情を見せた。
「遂に……遂に!稲妻町へと戻ってきたぞー!」
可愛らしい顔立ちからは想像出来ない、古風な言葉を発しながら少女は走り続ける。彼女の名前は入野明。うら若き中学二年生である。しかし、それは少女「入野明」としての名前だ。彼女には前世の記憶がある。明治時代、動乱の時代を生きたうら若き青年であった。心の底から日本を変えたいと決意し、日々仲間と共にあちらこちらを駆け巡った青年であった。しかし、彼はその途中に結核を患いこの世を去った。その時の無念が残り、現世にて「入野明」として生まれ変わってしまった。彼はその点についてはどうでも良かった。気になっていたのは、仲間と結婚したばかりの妻と息子の事についてだった。仲間の事は、教科書には載っていなかったが、文献を漁ってみるとかつての仲間の名が記されていたので、自分の跡を継いで日本を変えてくれたのだと感心していた。
(問題は、妻子の事だ……家の者達には無碍に扱うなとは再三言っておいたから路頭に迷う事はなかろう。子孫がこの稲妻町に居てくれればな……)
駆け足で住宅街を抜け暫く走り続けていると、広い河川敷に出た。かつてはここで毎日仲間と議論を交わしていたものだと感慨深く思っていると、遠くの方から子どもたちの声が聴こえてきた。何やら黒と白のボールを蹴って転がしているようだ。
(確かサッカー、とやらだったかな?現代の言葉には中々馴れないものだ)
現代に生まれ変わり一番苦労したのが、外来語や英語だった。前世の頃から英訳等は友人に頼む程に苦手だった。なので現代においても英語のテストや授業には苦労していた。
(……昔も今も、子どもはあれ位元気な方が良いもんだ)
「まこ!竜介の時のカット!いい動きだったな!」
(なっ!?)
その場を去ろうとした入野の耳に聞き慣れた声が聴こえてきた。前世の小さい頃の自分の声とそっくりだった。まさかと思い、坂を滑るようにして下り、ギリギリ声の主が見える所まで近づいた。そして入野は目を見開いた。そこに居た少年はまさしく前世の自分の生き写しの様に見えた。入野は確信した。この少年は、自分の子孫なのだと。少年は自分よりも小さい子ども達とサッカーを楽しんでいた。
(彼が……俺の子孫なのか。そうか、生きていてくれたのか。会えたのなら、良いか)
入野は後ろに振り返り歩き始めた。元々入野は子孫と関わるつもりは無かった。例え自分が祖先だと言っても、今の自分は「入野明」なのだ。信じて貰える訳が無い。
(幸せに生きてくれよ……俺の子孫よ)
「誰だぁ!?こいつ蹴ったのは!?」
「だ、大丈夫ですか?すみません……」
怒鳴り声が聴こえてきたので振り返って見ると、背の高い男に少年が頭を下げていた。どうやら、ボールが当たってしまったらしい。すると隣に居た背の低い男が少年の腹に足蹴りをした。これには周りにいた子どもたちや入野も驚いていた。
(きちんと頭を下げて謝っていたでは無いか!?)
一瞬で身体中の血が怒りで沸騰しそうな感覚がした。男2人が何かを話しているようだが、どうにも少年達を馬鹿にしているとしか思えない。入野は気付けば彼らの元に走り出していた。
「おい貴様ら!!いい加減にしろ!!」
彼らの近くにまで近づいた入野は声を張り上げて男達に牽制を掛けた。突然の声にその場に居た誰もが驚いたが、入野は気にせずに続ける。
「彼はきちんと謝ったのでは無いか?それを侮辱するとはどういう了見だ!!貴様らは彼等よりも歳上なのだろう?ならば、歳上として正しい行動を取るのが普通だろうが!!」
周りの少年達が驚いていたが、二人の男は暫くしてニヤニヤと笑い出した。
「言葉遣いは気に食わねぇが、なかなか可愛い顔してんじゃん。俺らと遊ばね?」
「断る!!暇そうな貴様らとは違ってな、貴様らの様な奴と遊ぶ程此方は暇では無い」
「なっ……」
背の高い男が呆気に取られていると、背の低い男がけしかけるように言う。
「安井さん、お手本見せてやったらどうですかい?」
「お、いいねぇ」
安井と呼ばれた男は足元のボールに唾を吐き、そのまま思いっきりボールを蹴り上げた。ボールは勢い良く飛んでいった。素人とは言え、体格の良い男が繰り出すボールの威力はそれなりにあった。ボールは近くに居た少女に向かっていった。
「危ない!!」
少女の元に向かおうとした瞬間、何処かからか別の少年が飛び出して来た。少年は背の高い男目掛けてボールを蹴り返した。ボールは見事に顔面に当たり、跳ね返ったボールは勢いが衰える事なく入野へと向かっていた。
「よけて!!」
「ふんっ!!」
入野は咄嗟に右脚を高く上げ背の低い男目掛けてボールを蹴り返した。背の低い男が、見事に吹っ飛んだ。少年達は唖然としており、背の低い男はゆっくりと立ち上がり睨みつけた。
「て、テメェら……」
「ふん、自業自得だな」
「こ、この女ァ!!」
背の低い男が入野に殴り掛かろうと拳を振り上げた。入野は受け止めようと手を伸ばす。その手に別の手が重なる。
「その拳を降ろせ」
「ひ、お、覚えてろよー!!」
ボールを蹴り返した少年の殺気に怯んだ背の低い男は、少年の手を振り払い背の高い男を連れて一目散に逃げ出していった。入野は少年の方に向き直った。
「ありがとうな」
「あぁ……」
少年が小さく頷くとその場から歩き出した。すると子孫らしき少年が呼び止めて来た。少年は振り返らず、入野だけ振り返った。ボールを持ち、キラキラした目で見ていた。
「お前らのキックすげーな!!サッカーやってんのか!?」
サッカーという言葉に少年の足が止まった。
「なぁ!!何処の学校なんだ?良かったら一緒に練習しないか?」
しかし少年は彼等の方を向く事無く再び歩き始めてしまった。入野はゆっくりと後ろに下がり始めた。彼が去ったのなら次に来るのは自分だ。
(……悪いが、子孫に関わるつもりは無いんでな……せめてなら、我が子に会ってみたかったのだがな)
そのままくるりと後ろを向きそのまま全速力でその場を後にした。彼等の呼び止める声を聴こえないかのように無視しながら。
次の日の朝、入野は学校に行く準備を進めていた。入野は前世の記憶があるという事もあり、周りの同年代の子に比べて精神年齢が一回り近くも高い。その為、話が噛み合わず実質コミュ障のぼっちという扱いになってしまった。
(両親の仕事の都合で此処に引越しをすると聞いた時は、稲妻町に来れるから良しと思ったが、よくよく考えてみると全く新しい環境でやっていけるのだろうか……)
溜め息が止まらない入野はふと思い立ち、部屋の隅に立て掛けて置いた竹刀に手を伸ばす。なかなかの重量があり、持つとズシンとした重みを感じる。前世の頃はこの重さでも軽々と素振り千回はいけたのだが、現代では五百が良い所である。しかも、既に朝の内に素振りは終えている。これ以上振れば筋肉痛になる事間違い無しであろう。
(心が落ち着かない時はこれを振るえば良いのだが……女子の身体というのは不便な事が多い。この程度の重さが限界とは、自分でも情けない)
再び溜め息を吐いているとドアをノックする音がした。そしてゆっくりとドアが開かれる。
「明さん、もうそろそろ出発のお時間ですよ」
「嗚呼、分かった。では、行ってくる」
「お気を付けて。今晩はカレーに致しますね」
「松江さん、夕飯にはまだ早いと思うが……」
オホホと上品に笑う家政婦、松江に見送られ外に出る。
「行くの嫌だな……」
「珍しいですね。明さんが弱音を吐くなんて」
「松江さんも、前の学校で私がどうだったか知っているか?こんなんじゃまたコミュ障だのぼっちだの言われるのだろうな……嫌ではないが、心がどうも煩わしく感じるのだ」
「そう……でしたね。では、こうしませんか?最初に話した方とお友達になるというのは」
「本気で言ってるのか?」
「えぇ……私もそうやって友達を作ったものです」
「……善処しよう」
そう言い、入野は歩き始めた。真新しい制服にはどうも馴れない。チラホラと登校する生徒が見える。入野には気付いて居ないようだが、どうも居心地が悪い。
(慣れない事ばかりだな)
そう思いながら、重い足を引き摺る様に歩き始めた。
(……帰りたい)
前世で休みたい休みたいとばかり言っていた友人の気持ちが分かるような気がした。