其れは、たった一人で世界に抗い続けた詩人の物語。歴史の闇に葬られた、あまりにも勇敢だった詩人の一生、或いは戦記。
━━彼女にとって抗い続けたかった世界は、貴方と同じかもしれない。
━━空は蒼く、流れる雲は白く。然れど、大地は紅く、剣を握った同胞の心は黒く染まりゆく。
国中を歩き回り、その目で見たものをありのままに詩に乗せ、鳥の囀りのように往く先々で人々に歌って聴かせる流浪の女流詩人、セレナ。
彼女の詩は常に真っ直ぐで、どんなに悲惨な真実を見たとしても、それをありのままに歌った。人々は彼女の詩を聴いて世界の姿を知り、時には喜び、時には嘆き、時には怒り、時には泣いた。
空腹の少女、生きる為と青年を騙し
満たされぬ青年、満たされる為と少女を騙す
陰気な兵士、事の顛末も知らずに
傷付いた少女は鎖で繋がれた
地下の腐き牢獄は愛情を失う代わりに
皮肉にも腹は満たされてしまう
少女にとって牢獄は自らを生かす糧となり
蒼空は無情にも少女の鳥籠となった
時に、セレナは恨まれる身となることもあった。世界を見たままに歌う彼女は、人々に見せる世界を捻じ曲げる人々にとっては、邪魔でしかなかったのだ。
世界は、美しいだけではない。それでも、真実を見て、確かな世界を見なければ、本当の美しさは見えないだろう。
叶わぬ恋を求めた貴族の少年
約束が隣にあると知りながら
棘に覆われた薔薇を求め地に堕ちる
叶わぬ恋を求めた薔薇の少女
世界を敵に回すと知りながら
柵で囲まれた花畑を目指し血に堕ちる
断ち切られた約束は代償を求め
道連れに二人の生命を喰らい尽くした
彼女の詩は往く先々で人々の心を揺らし、人々が口ずさんでいた。しかし、彼女の旅路に着いていこうとする者は誰一人現れなかった。それは偏に、彼女の旅が過酷であることを誰もが詩から感じ取っていたからであろう。
特定の貴族や
地下深くに眠る蜘蛛
交わされる取引、買わされる奴隷
網は広く、宮殿から砂漠まで
外套を被せれば狗の躾人
無論、彼女の詩全てがそのように世界に抗うものではない。ただ路傍に咲く花の美しさを讃えた詩、大雨の後に雲間から顔を覗かせた太陽の暖かさを感じた詩、偶然見掛けた、小さな子どもの告白、そして額への口付けの甘さ……。全て、ありのままに。唯、見たままに。
兵隊の行進、鳴らされる足音
祈る聖女、その腕の中には赤子
願わくば未来ある赤子に平穏を
名も無き兵士よ、生きて帰れ
誰も殺さずに、生きて帰れ
願わくば未来ある赤子に平穏を
名も無き赤子よ、笑って生きよ
剣を握らず、笑って生きよ
造られた世界にとって、恐らくセレナの存在は邪魔でしかないのだろう。然れど、本当の世界を見るには、造られた世界に抗い続ける者は必要なのだ。
━━私が、そうなれたらいい。最期の刻まで、私が抗い続ければ。戦も、争いも、差別も。何れは無くなる筈だ。
蜘蛛の網にかかる前に。かかる迄に。少しでも多く、世界の真実を。例えそれを皆が信じずとも良い。唯、その詩を「知っている」、そんな話を「聞いたことがある」。それだけでも、世界は真実の姿を見せる筈。
奴隷はいつしか解放され始めた。其れが、セレナの詩に影響されてなのかは解らない。しかし、解放された奴隷は不死の兵隊と名乗り、戦場にて世界に抗うべく戦い始めた。
━━願わくば、抗う為の血がこれ以上流れないことを。
そう願っても、争いが続く世界は終わらない。しかし、塗り固められた世界の継ぎ接ぎは剥がれつつある。間違いは無い。
大空を舞う雄々しき鳥
射抜かれしは狩人の強弓
美しき空を舞う姿は二度と見られない
然れど射抜かねばならない
美しき少年を殺したくないのであれば
誰かが犠牲にならなくてはならない。「
新たな未来、真実の世界を見る為、この強固な世界を。争いに塗れた歴史を、葬り去らねばならない。時代の敗北者では無く、時代そのものを終わらせなくては。
生まれながらにして皇帝
生まれながらにして皇帝の奴隷
生まれながらにして唯の奴隷
唯の奴隷は皇帝に噛みつき
皇帝は自らの奴隷を処刑した
唯の奴隷は留まることを知らず
皇帝を処刑する迄死にはしない
例え国中に蜘蛛の糸が散りばめられていたとしても、国の外へ出るわけにはいかない。
この国こそが、今のこの世界そのものなのだから。
セレナにとって、この国に何か思い入れがあった、という訳では無い。唯、この国に抗い続けること。其れが、この世界に抗い続けることと同義だっただけだ。
水平線の向こう、海猫の声を聴き
私の詩を遥か彼方へ伝えておくれ
いつか出逢おう、海の向こうの友よ
顔も名前も知らぬ、愛しき友よ
何も見えない。聞こえない。
或る意味では懐かしい。手枷も、足枷も。この暗闇の牢獄も。或る意味では新鮮だ。罪人として、牢獄に囚われるのは初めての経験なのだ。
この狭い牢獄の中でふと思い出した詩は、あまりにも広大だった海の詩である。海の向こうには、真実の世界が広がっていたのだろうか。
牢番の兵士は真っ黒な暗闇の中でも、しっかりとセレナのことを監視していることが解った。
暗闇の鳥籠に囚われた歌鳥
羽撃くことは叶わないのだから
私は詩を歌うことしか出来ない
最期まで歌い続けよう
声が消える迄は敗北者ではない
「……貴女の声は素晴らしい」
牢番の兵士は、そう呟いた。
「何故、貴女は国に抗うような詩を歌ったのですか」
━━何故って?
━━私は、唯世界が見たかったの。ありのままを唯伝えようとしていたら、今迄見ていた世界が真実ではないことに気が付いただけ。
詩以外の、彼女の心が聴けた者は、恐らくこの牢番の兵士だけなのだろう。
━━私は、その真実の世界がどれ程無慈悲だったとしても。その真実が知りたかっただけ。その真実が見えたら、私も、少しは救われるのかなー、なんて、思ったりしてね。
然れど私は世界を愛する
間違いだらけだったとしても。
然れど間違いの無い物も在る
例えば、其れは生きる人々
恋の詩を聴き頬を染めた少女。
争いの詩を聴き涙した少年。
冒険の詩を聴き飛び跳ねた子ども達。
自由の詩を聴き力強く頷いた青年達。
約束の詩を聴き懐かしんだ老人達。
真実の詩を聴き戦った者達。
死者の詩を聴き祈った聖人達。
彼等は、彼女等は
間違いなく真実の心を持っていた
或いは、私が歌わずとも
詩が無くとも、真実は現れたかもしれない
然れど私は詩を歌ったでしょう
其れこそが私の生きた意味なのだから
願わくば、真実の世界が美しき世界であれ
願わくば━━
セレナは国への反逆罪として、公開処刑が行われることが決定した。
彼女が斬首台に上げられるその日、空は驚く程に蒼かった。まるで、鳥が飛び立つ際に、水平線の向こう迄見通せるのでは無いか、という程に。
「……何か言い残すことはあるか。
━━言い残すこと?勿論沢山あるわ。まだ、歌いたい詩が沢山。それはもう沢山あるのよ?
処刑の寸前まで、彼女は笑っていた。
まるで、敗北者になることを恐れていないかのように。
━━願わくば。真実の世界が生まれた時。私も生まれ変わって、その世界を見たい。そして、またその世界を旅して詩を作るの。
斬首台の刃が煌めく。陽の光に照らされ、人々の目に焼き付いた。
人はやがて死ぬ、誰であろうと。
然し人は生き続ける。人々の想いの中で。
海鳥に託した詩よ、人々に託した詩よ。
どうか、忘れないで欲しい。
私という、敗北者が歴史に存在したことを。
どうか、忘れないで欲しい。
真実の詩を。偽りの世界を。
どうか、忘れないで欲しい。
唯の奴隷だった、名も無き女のことを。
世界に抗い続けた、
━━願わくば……
……貴方でしょう?戦場にて世界に抗い始めたのは。
━━不思議な縁ね。まさか、敗北者のdramaを追う途中で、自分自身に出逢うことが出来るなんて。
……結局、貴方も今は敗北者。この詩人の想った真実の世界は、いつ見られるのかしら?願いは当分、叶いそうに無いわね。