それから二日後。病院の外に出たしょうこは大きく伸びをした。入院生活はこれで終わりだ。まだ何度か検査のために通わねばならないが。
一度自宅に戻ったが、両親は不在だった。少し心が痛んだが、今はそれよりもやらねばならないことがある。テーブルの上には新しい携帯があった。感謝、すべきなのだろう。
しょうこは着替えてから携帯をバッグに入れ、もう一度外に出た。駅へと向かい、電車に乗って、いつもの駅で降りる。
見慣れた景色を見ると、胸の奥がちくっと痛んだ。景色は変わりがないように見えるのに、自分も、自分を取り巻く状況も、すっかり変わってしまった。
バイトをしていたカフェは、ここからそんなに遠くない。だが、今の行き先はそこではない。しょうこは、いつもあさひと会っていた公園に足を向けた。今も彼がここにいるとは限らないが、何故だか、ここにくれば会えるという、不思議な確信があった。
思ったとおり、あさひは公園でベンチに座り、物思いに沈んでいた。いつも彼に会うのは夜だったので、昼間に会うのは妙な気がする。
「こんにちは」
あさひはしょうこに気づいていなかった。しょうこは近づいて、声をかける。第一声がこれ、というのもなんだか妙な気がしたが、他に何を言えばいいのか、わからなかった。
あさひがはじかれたように顔をあげ、しょうこを見た。
「えっ……」
しょうこがここにいるのに驚いているようだが、拒絶している様子はなかった。その様子に安心を感じつつ、言葉を口にする。
「隣、いい?」
「あ……う、うん。そっちこそ、もう怪我はいいのか?」
「うん。今日退院したの」
しょうこは、あさひの隣に座った。そして、どうやって話を切り出そうかと考える。
「あ、あのね……相談したいことがあるの」
悩んだが、結局、単純な切り出しになった。
「相談? なに?」
「わ、私……あれから、いろいろ考えたの。さとうのこととか、しおちゃんのこととか。……さとうが私を殺そうとしたのはわかっている。でも……それでも、どうしても私はさとうを嫌いになれない。私の中ではまだ、さとうは『友達』なの」
それがしょうこが出した「結論」だった。殺されかけたのだといくら思っても、さとうを嫌えない。彼女にすまないことをしてしまったという罪悪感や、そういうのを考慮に入れても、さとうの顔を思い浮かべる度に、まとわりつく感情は「友達」なのだ。
一方で、その感情は愚かだと、あさひは思った。さとうはためらいもなくしょうこを切り捨てられる人間だ。そんな人間を大事に思って、なんになる?
「あんたからしたら、さとうはしおちゃんを連れてって、私のこと、殺そうとして、最低な人間かもしれない。でも、仲の良かった時間もあるの。いっしょにいて、楽しかったし、思い出もある。それに、しおちゃんのことだって伏せて、恋人について話すときのさとうは、本当に幸せそうだったの。そして、その事実を話してくれたのも、私にだけだった」
最終的に道を違えてしまったとしても、それでも、かつてのさとうにはしょうこに対する友情はあったのだ。
「でも、あいつは人殺しだ。あいつがしおと暮らしていた部屋にいた奴、あいつが殺したんだろ」
しょうこは視線を伏せた。さとうが何故人殺しに手を染めたのか、それは自分にはわからない。
「そう……なんだよね。それは悪いことだっていうのはわかってるけど、友達だって気持ちも消えないの」
あさひは納得がいかない気持ちでしょうこを眺めていた。そう思うのは、結果として、しょうこ自身を苦しめるだけではないだろうか?
「それはわかったけど、何を迷っているんだ?」
「うん、あのね……。私、警察に、全部話したい」
しょうこの言葉にあさひは驚いた。警察に話すというのは、さとうに殺されかけたことをだろう。しょうこの性格なら、むしろ友達をかばって黙秘を貫きそうなものなのに。
「どうして……? 大切な友達って、言ってたよね?」
あさひの疑問はもっともだとしょうこは思った。これは普通なら「友達を売る」行為だ。だけど。
「うん。大切な、友達。だけど……なんて言うのかな。いけないことは、やっぱり、いけないんだと思う。このまま黙って、さとうのやったことをなかったことにしては、いけないって。でも、警察に言うとなると、しおちゃんの話もしなくちゃならなくなる。……あんたが、しおちゃんのことを話してほしくないのなら、警察に話すのは諦める」
それもひどく悩んで出した結論だった。目を塞ぎ、知らない振りをするのが、いいこととは思えない。だから、自分はあのとき、ふたりを写真に撮った。
瞳に涙をにじませて、しょうこは決意を口にする。あさひにはその表情が、ひどくあやうくて壊れやすいものに映った。
そんな表情をされてしまったら、もう、何も言えない。
「俺からも、ちょっといいか?」
「うん、なに?」
「前から、引っかかってたことがあるんだ。あのとき……あの火事の日、俺はあなたを置いて、しおを追いかけることもできた。……でも、できなかった」
あさひは身体の向きをわずかに変えて、しょうこと斜めから向かい合う形になり、彼女の手を握った。
「誤解しないでほしい。あなたを責めているんじゃない。でも、俺はあの時、しおじゃなくてあなたを選んだ。……だから、俺にはもう、しおを探す資格なんてない」
ずっと、心に引っかかっていた。ほとんど無意識に近い選択肢ではあったが、あのとき、あさひはしおではなくしょうこを選んでしまった。しおより大切なものはないと思っていたはずなのに。
「そんなの……そんなの、仕方がないじゃない! 私は自力で動けなかったの。あんたは私を見捨てられなかっただけ。選んだとか、そういう次元じゃない!」
さっきまで涙ぐんでいたしょうこが、今度は怒った声でそう言ってくる。その声が、何故か、嬉しい。きっと自分は、この声が、この言葉が、聞きたかった。
「あなたは、やっぱり、優しい」
「……バカ!」
「だから、いっしょに警察に行こう」
あさひがそう言うと、しょうこは驚いた表情であさひを見返した。
「え……え……?」
「いっしょに警察に行って、全部話そう。しおのことも、さとうのことも」
彼女がしたいと思うことに添おう。どのみち、もう自分にできることなどそんなにないのだ。それなら、せめて。
「……いいの?」
ためらいがちな口調で、しょうこは尋ねた。あさひが苦笑する。
「俺は今までずっと、母さんとしお以外、信用できる人間なんていないと思っていた。でも、あなただけは、信用できる。あなたは、俺が初めて出会った、信用できる家族以外の人間なんだ。そのあなたの望みだから」
「うん……ありがとう」