しょうことあさひは警察に行こうと思ったが、葉山からもらった名刺のことを思い出し、そちらへ連絡することにした。いきなり警察に行くより、その方が早く対応してもらえそうだったからだ。
公園から葉山の携帯に連絡を入れると、すぐに折り返しで通話がきた。事件のことで話したいことがあると言うと、葉山は「こっちから出向くから、場所を教えて」と言ってきた。
居場所を伝えて、待つことしばし。やがて、公園の入り口に、葉山と五島が姿を現した。勤務中だからだろうか、今日は二人ともスーツ姿だ。
「しょうこちゃん、退院したのね、おめでとう」
葉山は明るい笑顔でそう言った。五島の方は真面目な表情で「おめでとう」と口にした。
「ありがとうございます」
「それじゃ、あそこの東屋で話をしましょ」
葉山が公園の隅にある東屋を指差した。L字型の大きめのベンチが置かれている。そこで、しょうことあさひは二人の刑事に、経緯も含めて、自分たちの知る限りの事件の真実を語った。
話が終わると、葉山と五島は両方ともひどく驚いていた。二人はしばらく顔を見合わせていたが、やがて、五島の方が口を開いた。
「それを私たちに話したということは、君たちは松坂さとうを告訴したいんだな?」
あさひは言われた意味がわからず、口をつぐんだ。しょうこはあさひの隣で目を白黒させている。
「えええっと……」
「あのね、『この人悪いことしたので、捕まえてください』って警察に頼みたいのかってこと。あさひ君の目撃証言があれば、松坂さとうを未成年者誘拐罪で訴えられる」
あさひは法律の仕組みをほとんど知らなかった。なので、知らされた事実に唖然とするしかなかった。
「あ、でも」
葉山の表情が曇る。ちら、と五島を見たあと、彼女はまた言葉を続けた。
「ごめんね……誘拐罪で指名手配するのは可能なんだけど、たぶんもう、さとうを捕まえることはできないと思う」
「どういうことですか?」
しょうこの問いに、葉山はすまなそうな表情になった。
「松坂さとうと神戸しおの二人は、おそらくもう国外に出ちゃってるのよ」
「え?」
「しょうこちゃん、宮崎すみれって子を知ってる?」
宮崎すみれ。その名前は当然しょうこの知っているものだった。
「はい。同じバイトの子です」
正直言うと、仲はあまり良くない。すみれは無口で、しょうこはほとんど喋ったことはなかったが、たまに話すと、なんというか、敵意のようなものを感じるのだ。そうなると、しょうこのほうも愛想よく対応するとはいかない。傍目にわかるほどもめているわけではないが。
「その子がね、警察に白状したの。さとうに頼まれて自分と妹のパスポートを貸したって。入国管理局に問い合わせたら、その二人のパスポートを使った人物が、火事の起きた日の朝に、スイス行きの航空便に乗り込んでたってのもわかったの」
しょうこは驚きのあまり、言葉が出なかった。そして、それはあさひも同じだった。さとうは確かに思い切った手を使う人間だが、国外への逃亡を図るとは。
「……バカな子だよ」
五島が吐き捨てるように呟いた。思わず彼女の顔を見る。その顔には、苛立ち、焦燥、やるせなさ、そんなものが入り混じった表情が浮かんでいた。
「バカ、なんですか」
しょうこが乾いた声で尋ねた。
「ああ、バカだ。あの年齢で、身元を保証する人間もなく、言葉の通じない国へ行って、どうやって生きていく気だ。松坂さとうはドイツ語やフランス語が話せるのか?」
しょうこは首を横に振った。さとうは外国語はできない。学校の授業は嫌いだと言っていた。自分も嫌いだったから、そこでも話はあった。バイト先に外国人の客が来ても、日本語で話していた。
「言葉が使えないってのは、大きなハンデなんだよ。加えてヨーロッパじゃ東洋の容姿は目立つし、年端もいかない少女と子供だ。向こうの警察にでも逮捕されてくれればいいが、悪い奴らにつかまったら、どんなひどいめに遭うのかなんて想像もしたくない。冗談抜きで死ぬまで変態どもの相手をさせられかねん」
がたんという音がした。あさひが蒼白な表情でよろめいている。しょうこはとっさにあさひの身体を支えた。
「大丈夫?」
「そんな……しお……」
何をどうしたらいいのかわからず、しょうこはあさひの背をさすった。あさひの身体がぐらっと傾く。しょうこはとっさに姿勢を変え、あさひを抱きとめた。あさひの両腕がしょうこの背に回り、しがみつく。
かけてあげられる言葉などない。しょうこはただ、震えながらしおの名をつぶやくあさひを抱きしめていた。きっと、彼は泣いているところなど、見られたくはないだろう。
「……ごめん、迷惑かけた」
あさひが落ち着くのには、しばらくの時間がかかった。赤くなった目の周りをこすりつつ、前を向く。しょうこは彼の背に片方の腕を回したままでいた。
「はい、これ」
葉山が濡らしたハンカチを差し出す。あさひが泣いている間に濡らしてきてくれたようだ。あさひが逡巡していたので、しょうこが代わりに受け取り、あさひに手渡す。
「五島さん、もうちょっと言葉を選んでくださいよ。五島さんがあの手の人を嫌ってるのは知ってますけど――ついでに言うなら私も大嫌いですけど――身内の前では言葉を選ばないと」
葉山の言葉に五島は答えなかった。表情は無表情に近く、何を考えているのかは読み取れない。
「あの手の人って?」
訊いていいのかどうかわからなかったが、しょうこはつい尋ねてしまった。このあとに続きそうな沈黙に耐えられなかった、というのもある。
「子供を性的に搾取する人。……ああ、ごめんね。オブラートに包みたいんだけど、いい言い回しみつからないし、私も五島さんも、悲惨な実態目にしちゃったことがあって」
「じゃあ、やっぱり、しおは……」
「き……決め付けるのはやめようよ。さとうは言葉はできないけど頭良いし、要領もいいから、きっとなんとかするよ」
気休めにしかすぎない言葉をしょうこは口にした。それでも、言わずにいられなかったし、彼女自身もまた、そう思いたかった。さとうなら大丈夫だと。犯罪に巻き込まれたりはしないと。
「本当に頭が良かったら、生きる当てもないのに海外になど逃げん。言葉も通じない国で、どうやって自分たちの希望を伝える気だ? ふわっとしたイメージだけで行動しているから、ああいう結果になるんだ」
身も蓋もない言葉を五島が口にした。あさひが思わず五島を睨みつける。
「お前ら……っ!」
しょうこの制止を振り切り、あさひは五島に飛び掛った。が、五島はあっさりとあさひの突撃をかわすと、彼の腕を取って身体をくるっとひねり、あさひを地面に押さえつけてしまう。
「五島さん柔道の段持ってるんだよ。あさひ君、無謀」
葉山がそう言う傍らで、しょうこはあさひの許へと駆け寄っていた。
「離してあげてください!」
「大人しくなるまではダメだ」
押さえつけられたあさひはばたばたともがいているが、五島は刑事だけあってこういう事態には馴れているのだろう。平然としている。
やがて、諦めたのかあさひが大人しくなった。そんなあさひに向かい、五島が声をかける。
「頭は冷えたか? 暴れないのなら離してやるが」
不承不承といった様子で、あさひがうなずく。五島が手を離してあさひから離れると、あさひは不満そうな表情で立ち上がり、衣服についた塵を払った。
「大丈夫?」
「……怪我はしてない」
気遣いの言葉をかけるしょうこにあさひが答える。実際、五島の行動は、攻撃をそらして押さえつけただけで、あさひを傷つけるようなものは一切含まれていなかった。だが、あさひの感情は収まらない。
「だから……だから嫌だったんだ。大人なんて、みんな薄汚い。警察なんか信用できない。誰も助けてくれないっ!」
吐き捨てるようにあさひは叫んだ。五島があさひに近寄り、その両肩に手を置く。
「触るなっ!」
「ひとつ言っておきたいことがある。……さっきは、すまなかった」
思ってもない言葉に、あさひは動きをとめ、目を見開いて五島を見上げた。
「事実とはいえ、被害者に向かっていきなり言う言葉ではなかった。そのことは、反省している」
謝られるとは思っていなかったあさひは、言葉に詰まり、立ち尽くすしかできない。
「あっ……えっと……」
自分が何に対して怒っていたのか、よくわからなくなってくる。そんなあさひの手を、しょうこが握った。
「その上で、訊いておきたい。松坂さとうを誘拐容疑で告訴するか?」
「あの……さとうは国外に逃げちゃったんですよね? 指名手配に意味ってあるんでしょうか?」
しょうこは疑問を口にした。
「意味はある。松坂さとうが日本に戻ってきた場合、逮捕することができる。松坂さとうだとわかればの話だが。それに、国際指名手配をかけることもできる」
「それって、外国にいても逮捕されるということですか?」
「みつかれば、の話だな。そううまく網に引っかかってくれるかどうかはわからないし」
しょうこはあさひを見た。あさひも少しずつ話が飲み込めてきたようだ。
「……告訴、します」
あさひが感情の消えた声でそう口にする。五島はうなずいた。
「わかった。じゃあ、手続きをするから署にきてくれ」
「あの~」
不意に、葉山が声をあげた。
「署に戻るのはいいんですけど、五島さん、その前にどこかでお昼食べません? 調書だの手続きだののことを考えると、先に食べといた方がいいと思います」
時計を見ると十二時を少し過ぎていた。
「そうだな、軽く食べておくか」
どう考えても二人の行く末は『リリア 4ever』だとしか思えない。
さとうの学校の成績は良くわからないんですが、そこまで熱心に勉強するタイプには見えないんだよなあ……。