時間のかからないところがいい、ということで、昼食の場は近くのファーストフードになった。しょうこにとっては、前にさとうといっしょに入ったことのある店だ。その事実に、やはり胸が痛む。
「あ~、お前たち、食べたいもの食べていいぞ。勘定はこっちが払うから」
さっきのことを悔やんでいるのか、五島がそう言ってきた。
「そんな、悪いですよ」
「こういうときは、大人に甘えるもんだ」
きっぱりそう言われてしまったので、いいのかなと思いつつ、しょうこは食べたいものを店員に告げた。オーソドックスなバーガーとポテトのセット。飲み物はオレンジジュースにする。あさひも同じものを頼んだ。
「ん? 神戸はそれだけでいいのか? お前、食べ盛りなんだしもうちょっと食った方がいいんじゃ」
「大丈夫、です」
先ほどの話のショックのせいか、あさひの顔色は冴えない。五島も重ねてそれ以上言うことはしなかった。注文の品が来ると、四人で窓際のテーブル席に移る。
しばらく黙々とハンバーガーやポテトを食べていたが、やがて、五島が口を開いた。
「そう言えば、松坂さとうはなんで神戸しおを連れて行ったんだ?」
しょうことあさひは食べる手を思わず止めてしまった。五島が怪訝そうな表情になる。
「普通、自分と関係のない女の子を連れて行ったりはしないだろう」
「あ……あれ……? そう言えば、なんでだろう……?」
あさひが首を捻りながら、途方にくれた声を出す。それも仕方のないことだった。もともと宛てもなくしおを探し回っていて、そこへしょうこが目撃情報をくれたから、その場に駆けつけただけで、さとうについては「知っているのに黙っていて、しおを自分の前から隠していた気に入らない人間」としか認識していなかった。だから、その理由についても考えたことがなかったりする。
なお、現在のあさひのさとうに対する認識は「親友で彼女の身を案じていたはずのしょうこを殺そうとしたあげく、しおを勝手にどこかへ連れて行った、ろくでもない人間」というものである。
「さとうとしおがいっしょに映っている画像が送られてきたから、それで『こいつが!』て思ったけど、なんでしおはあいつといっしょにいたんだ……?」
あさひがしょうこを見る。とはいえ、しょうこも細かい事情を知っているわけではない。
「さとうはしおちゃんのことを私にも秘密にしていたから、詳しい事情はわからないけど……さとうはしおちゃんのことを『恋人』だって言ってた」
その場にいた全員が唖然とした表情になる。しょうこも実際、しおがさとうの恋人だったというのは、イマイチ、イメージがわかない。
「神戸しおは八歳だったよな? その年齢の子が『恋人』だと?」
口にはしなかったが、五島の表情は露骨に「松坂さとうの頭は大丈夫か」と物語っていた。
「私も正直、さとうが何を考え、感じていたのかはよくわからないんですけど……。さとう、私に『恋人ができたからいっしょに暮らし始めた』って言ったんです。すごく幸せそうな表情で。しおちゃんがいなくなった時期と、さとうが恋人と暮らしてるって言い出した時期がいっしょだったし、さとうはあの部屋でしおちゃんと暮らしていたことを考えると、さとうの恋人ってしおちゃんだったんだって……」
「松坂さとうは小児性愛者なのか?」
あまりと言えばあまりの言葉に、しょうこは返事もできず固まった。しょうこの隣ではあさひが困惑している。
「小児性愛者ってなんだ?」
「子供を性の対象とする変質者のことだ」
あさひが食べていたバーガーを取り落としかける。葉山が五島を横目で見た。
「五島さん、だから、言葉を選んでください。身内の前です」
「……すまない。で、えーと、飛騨。松坂さとうというのはそういう人間なのか?」
しょうこはぶんぶんと勢いよく首を横に振った。これは否定しなければと感じたのだ。
「私の知る限りでは、違います。というか、私、さとうの恋愛対象は『カッコイイ男の子』なんだと思ってたので……。実際、二人でよく男遊びもしましたし……」
最後の方は声が小さくなってしまった。さとうと男遊びをしていたのは事実だが、それをあさひの前で言うのは気恥ずかしい。
「しょうこちゃん……説教がましいことを言うのは好きじゃないんだけど、気軽にホイホイ男と遊ぶのは感心しないし、やめといたほうがいいよ? 傷つくのはいつだって女の子の方なんだし。自分を守れるのは、自分だけなんだからね。もっと自分を大切にしなくちゃ。病気とか移されたら笑い話じゃすまないし」
葉山がそんなことを言ってきた。今までだったら聞き流す台詞なのだが、一度死にかけたせいか、心に響いた。忠告を心に留めておこうと思いながら、話を続ける。
「あ、はい……。えと、それでですね、さとうってほら、すごく美人ですから、いっしょにいるととにかく人目を惹くんです。街を歩いていると声をかけられるのもしょっちゅうで、入れ食い状態でした」
「……俺はしょうこの方が可愛いと思う」
ぼそっとあさひがそう口にした。しょうこが真っ赤になる。
「はい、惚気はそこまで」
「あ、いや……その……えと、俺は純粋にしょうこが可愛いと思ってるだけで」
「だから、惚気はいいから。しょうこちゃん、続き」
「あ、はい。え、ええと……さとうはそうやって遊んでたわけですけど、男遊びが楽しかったっていうんじゃなくて、さとうは『自分を愛してくれるただ一人の人を探している。そういう人がみつかったら、男遊びはやめる』って言ってたんです。だから、私、さとうはついに本当に愛する人を見つけたんだって思ったんです。私にわかるのはそこまでです」
話し終えると、なんだか疲れた気がした。しょうこはオレンジジュースを口にふくんだ。冷たさと甘さが気持ちいい。
「ん~、てことは、松坂さとうは今までずっと、同性や子供には興味を示さなかったっていうこと?」
葉山の質問にしょうこはうなずいた。
「神戸しおが行方不明になったのは、母である神戸ゆうながノイローゼになったのが原因だったな?」
今度はあさひが辛そうな表情でうなずいた。
「ということは、これは本当の意味での『恋愛』ではなさそうね」
思案気な表情で天井を斜めに見上げながら、葉山はそう口にする。
「えっと?」
葉山の言葉の意味がわからず、しょうこは聞き返した。
「もうここから先は推論と推測ばかりになってしまうから、断言はできないんだけど、恋愛感情が発生するには、一定の精神面での成長――大体、第二次性徴にさしかかるころね――と、『互いがある意味で対等であること』が必要だと思うの。でも、十六歳と八歳は、どう考えても対等たりえない。精神の差も身体の差も、歴然としすぎている」
しょうことしても、八歳のしおがさとうの恋人だというのは、どうにも理解しかねる案件だった。とはいえ。
「でも、さとうは本当に幸せそうだったんです。恋人のために稼がなくちゃって、バイトも増やして。私それで、さとうは悪い男に騙されているんじゃないかって、心配になって」
「松坂さとうが嘘をついていたとは言っていない。私は、さとうは自分の感情を錯覚したんじゃないかと思っている。彼女が神戸しおについて、強い感情を抱いたのは確かでしょう。そして彼女はそれを『恋愛』だと錯覚した。愛情の回路が未発達な人は、様々な錯覚を起こしやすいの。さとうを育てた松坂みつはまともとは言いがたいし、さとうは常に愛情不足な環境で育ったとしても不思議ではないわ」
さとうにとって叔母の存在が潜在的な負い目になっていたのは確かだった。そのときのことを思い出し、しょうこは辛い気持ちになる。あのとき、目をそらしてはいけなかったのだ。
「そんなさとうが母に放置された神戸しおに出会った。小さくて幼い彼女なら脅かされる心配もないし、無力な存在に人は保護欲を刺激されるという研究もある。さとうがしおに保護欲を感じ、それを『恋愛感情』と錯覚した……というのも、充分ありえる話。
ここにどういう経緯で深谷が関わってくるのかはわからないけど、松坂さとうからすれば、1208号室はまさに『夢の城』だったんでしょう。それは、脆く崩れ去ってしまう砂のお城に過ぎなかったけど」
「私が踏み込まなかったら……」
言いかけて、これ以上言ってはダメだとしょうこは思った。それだと、あさひは真実を知らずにさまよい続けてしまう。
「うーん、しょうこちゃんが絡まなくても、最終的に松坂さとうはあの部屋捨ててたと思うな。深谷って人、精神的に参ってたとかで仕事を請けてなかったそうなんだけど、彼の絵を扱ってた人に訊いたら、そろそろ仕事に戻りませんかって促そうかと思ってたって言われたの。そうなったら、どの道、破綻しちゃったでしょうね」
それを聞いても、しょうこの心は軽くならなかった。
「飛騨、自分のせいだと思っているようだが、別にお前のせいじゃないだろう。初手を間違えたのは松坂さとうの方だし、飛騨のことにしたって、どこかに閉じ込めて時間を稼ぎ、その間に逃げる手はずを整えて、逃げる手段が全部揃ってから、脱出間際に警察に通報してお前を救出してもらうという方法だってあったんだ。それをせず、マンション全体を巻き込みかねない火災を起こそうとした時点で――火事は、松坂みつのアイデアかもしれんが――松坂さとうはまともな神経の持ち主とは言いがたい」
「俺も、しょうこのせいじゃないだと思う。……あいつ、頭がおかしい」
完全に納得はできなかったが、気遣ってくれる気持ちが嬉しかったので、しょうこはとりあえずうなずいた。
「松坂さとうが拾ったのが、犬や猫だったら、なんの問題もなかったのよねえ。あのマンションがペット飼育可だったかどうか忘れたけど」
今度は、葉山がそんなことを口にした。確かに犬や猫なら、なんの問題もなかっただろう。「私の愛する家族!」と、笑顔で紹介してくれたかもしれない。
「人間は、犬猫とは同じカテゴリーに入れられない。それに、二人の関係がどういうものであったにせよ、それは、ままごとのようなものに過ぎなかったと思う」
「そうなのよね。幼子と暮らすのは、ペットを飼うのとは全然違う。ペットは一生かけて面倒をみてあげる存在だし、愛情を注げばずっとこちらを可愛く慕ってくれる。でも人間の子供はそうじゃない。いずれその子は自立が必要になるし、育ってくれば外から隔絶された環境に不満を抱いたりもする。それに、その子が本来得られるはずの、同年代とのつきあいや教育すべてを取り上げるのはどう考えても虐待よ」
しょうこは、あらためてさとうとしおのことを思った。二人があの部屋でどんな生活を送っていたのかは、もうわからない。それを知ることができなかったのは、良かったのか、悪かったのか。
「しおは……」
不意に、あさひが口を開いた。
「しおはなんで、あいつについていったんだろう」
「それも推測になっちゃうけど、君たちの年齢を考えると、しおちゃんはあさひ君のことを憶えてなかったんじゃないかな。だから、あさひ君を見ても家族とはわからなかった。そして、彼女は一種のストックホルム症候群を起こしていたんだと思う」
葉山はゆっくりとそう口にする。あさひがよくわからないという表情になった。
「ストックホルム症候群?」
「誘拐事件とか、監禁事件とかの被害者が、自分をそうした相手に対して愛情みたいな感情を抱くこと。なんというか、向こうは自分の生殺与奪の権利を握ってるわけでしょ。そういう相手には気に入られたほうが、生き延びる確率は高くなる。だから、無意識に自分を騙すみたいな状態になってしまう。加えて、限定された空間だと、接する相手が限られるから、思考がそればかりになって、愛情のような感情は加速しやすくなる。それが、ストックホルム症候群」
そう言えば映画でそんな感じの話があったな、としょうこは思った。映画の内容はそれなりにロマンチックだったが、現実はそうでもないようだ。
「葉山さんて、詳しいんですね」
「ん~、昔、かなり本気で勉強したからね。ちなみに逆もあるんだよ。リマ症候群って言って、こっちは加害者の方が誘拐したり監禁したりした相手に対して特別な感情を抱くの」
「まあそういうわけだから、お前たちはもう、自分を責めるな。こうしていたらああしていたらというのは、どうしても考えてしまうものだが、そこばかりに意識を向けない方がいい」
原作に対する感想で「あさひはしおの幸せをまったく考えていない、身勝手」というものをちょこちょこ見かけるのですが、あさひってずっとしおと会ってないし、当然現状も知らないから「必死になって探し回り、連れ戻そうとする」というのって、むしろ当たり前の行為のはずなんですよね。八歳の家族が行方不明になっていて、探し回らなかったらそっちが問題のある人ですよ。
あと、さとうがしおとの関係を言葉できちんと説明した人って、作中だとおばさんだけなんですよね。はっきり言って「説明されずにあの関係を理解しろ」というのはかなり厳しいものだと思います。作中のキャラクターは読者と同じ情報量を持てません。そういうわけで、情報のすりあわせと推測回です。何も知らない外部の、それなりにまともな人の持つ意見は、こういうものになると思います。