「で、お前のことだが」
目の前で鋭い視線を投げかけてくる五島の存在を無視して、警察を飛び出すことも考えた。だがそれをした場合、どう見てもこちらが不審者だ。なので、あさひは黙って五島の言葉を聞くしかできなかった。
「お前、この先、どうする気だ」
「どうって……言われても……」
実際、あさひに考えなどなかった。五島がため息をつく。
「どうしても施設は嫌か?」
「嫌……だ」
「どうして?」
「人が……怖い」
嘘をつこうかとも思ったが、適当な嘘が出てくるほどあさひは器用ではない。結局、事実を口にしてしまう。実際、あさひは大勢のよく知らない人に囲まれるのは苦手だった。
一方、あさひの言葉を聞いた五島は複雑そうな表情になった。それからしばらく考え込んでいたが、ほどなく、口を開いてあさひに問いかけてくる。
「神戸、お前、飛騨のことをどう思う?」
「え……?」
思ってもなかったことを訊かれ、あさひはまた言葉に詰まった。脳裏にしょうこの顔が浮かぶ。
「彼女は……信頼できる、人……」
そう、しょうこはあさひにとって初めての、信頼できる相手だった。
「幸せに、なってほしい……」
しょうこにだけは幸せになってほしかった。夜の公園で、泣いている彼女をみつけたときから、ずっと。
「お前のその気持ちは真実だろうがな、お前がそんなじゃ、あの子は幸せにはなれんぞ。友人を心配するあまり殺されかけた子だ。お前がふらふらふらふらしていたら、心配し続けてドツボにはまる」
それは確かにとても可能性がある話で、あさひとしても気がかりではあった。自分にそんな価値があるとは思えないが、しょうこは優しい子で、あさひのことを気に入ってくれている。彼女の負担にはなりたくない。
「かといって、目の前から消えるってのも問題外だ。友人が行方不明になって、あの子は精神的にかなりきている。お前まで消えたらどうなる?」
これまたそのとおりで、あさひは何も言えなかった。だがその事実に腹が立ってくるのも、また偽りのない感情で。
「さっきから、知ったふうな口と綺麗事ばかり! だから大人は嫌いなんだ!」
五島の目の前で、あさひは感情を爆発させる。だが、五島も譲らない。目に強い光をたたえ、正面からあさひを見る。
「お前みたいなのはこっちは見飽きてるんだよ。大人に対して不満があるのはいいが、自分じゃまだ何もできないだろう」
「そうして、上から構えて、勝手なことを言うんだ! いつだって、いつだって!」
泣いても叫んでも誰も助けてくれなかった。父親の暴力で痣だらけになっているあさひに、誰も気づかなかった。あるいは見て見ぬ振りをした。心配するような声をかけておきながら、父の怒声で逃げ帰る。そんな人をどうやって信じられる? 大人はみんな嘘をつくのだ。
「誰も助けてなんてくれない。俺のこと、ゴミを見るみたいな目で見て。コソコソと噂話ばっかりして!」
本当は誰かに助けてほしかった。父親のひどい暴力から。でも、助けてくれる人なんていなかった。父親が死んで、母親が壊れて、しおがいなくなったときも、やはり助けてくれる人はいなかった。
「あ~、それは、なあ……」
五島が難しそうな表情になる。彼女はそのまま思案気な表情をしていたが、今度はやや落ち着いた声で、また尋ねてきた。
「で、神戸。お前、どうしたい」
「…………」
「さっきも言ったが、飛騨にこれ以上負担はかけられんだろう。あの子、元気そうに振舞ってるが、内心ではまだかなり参ってるはずだ」
「それはわかってるよ! 俺だって、しょうこの力になれるものならなってやりたい! 俺に関わったばかりに、あんな目にあったんだから!」
でも悲しいかな、あさひにはなんの力もないのだ。さっき葉山が指摘したとおりに。
「……それだが、まずは、自分の生活を安定させるのが一番だ。お前が無事で暮らしているとわかれば、それだけであの子は安心する」
結局、施設へ行けと繰り返すのだろうか。あさひは、反抗的な目で五島を睨んだ。
「で、その上で訊きたいが、お前、働く気はあるのか?」
「働く……?」
意外な言葉が出てきたので、あさひは怒りを失って五島の顔をみつめてしまった。五島は真面目な表情をしている。
「お前にその気があるのなら、こういうことに詳しい知り合いもいるし、必要なサービスを紹介してやれる。で、どうだ?」
突然差し出された救いの手。それは本当に突然だったので、あさひはそれを取ることもできず、困惑して立ち尽くした。五島はそんなあさひの答えを、辛抱強く待った。やがて。
「お願い、します……」
あさひは自分の意志で、その手を取ることに決めたのだった。
あさひはあの境遇を考えると「ちょっとありえないレベルでまともに育ってきている」んですよね。ほとんどのケースはもっとぶっ壊れます。