さとうの叔母とに面会してから、数日後のこと。しょうこはさとうの夢を見た。しおの手を引いて去って行こうとするさとうに、しょうこは全力で呼びかけた。大声で叫んで、泣きながらしょうこは謝った。何度も何度も謝った。
「しょうこちゃん」
さとうは立ち止まって、振り向いた。見るのが怖かったけれど、顔をあげる。さとうはすぐ近くで、微笑んでいた。
「私は、行くね。しおちゃんと新しいお城を探すの」
「さとう、お城なんてないんだよ! 戻ってきて、罪をつぐなって!」
刑事たちが言ったように、その道は破滅の道だ。さとうは未成年だから、罪を認めたとしても、そこまでの刑期にはならないはず。だから、しょうこはさとうに戻ってきてほしかった。
「しょうこちゃん、私はきっと、こういうふうにしか生きられないの」
「そんなことないよ、決めつけないで!」
必死で言葉をかける。意志を翻してほしくて。だがさとうは微笑んだまま、首を横に振った。
「ううん、無理なんだよ。私、いくらだって人を殺せるから。この愛を守るためなら、なんだってできちゃうから。でも、しょうこちゃんは、そっち側の人だから。まともに生きる人だから」
「じゃあ……じゃあひとつだけ、ひとつだけ約束して! しおちゃんのこと、絶対に傷つけないって! たとえ何があっても守るって!」
さとうが驚いた表情になり、動きを止める。しばらくしてから、さとうは手を差し出し、しょうこの手を片方とって、二人の小指を絡ませた。
「わかった。約束するまでもないけど、約束する。私はしおちゃんを傷つけないし、この命にかえてもしおちゃんのことは守る」
ゆびきりげんまん、と言って笑うさとうの笑顔は、しょうこがずっと見ていたもので。笑うさとうとは対照的に、しょうこの方は涙が止まらない。
「うん、ゆびきり」
「でも……しょうこちゃん、どうしてしおちゃんのこと、気にするの?」
「あんたにそういうこと、させたくないの。自分を慕っている誰かを、傷つけるような真似、してほしくない。それに、しおちゃんは、あさひの妹だから」
「しょうこちゃんは、やっぱりそっち側の人なんだよ。大丈夫、しおちゃんは傷つけない。それじゃあ、さようなら」
「……さようなら、さとう」
目が覚めると、頬が涙で濡れていた。さとうのことで泣いたのはこれで何度目だろう。もうわからない。
でも……さっきの夢は、少しだけ、ほっとできた。もちろんただの夢に過ぎないし、もしかしたらしょうこの願望が見せたものなのかもしれない。それでもしょうこは思いたかった。さとうがしおを傷つけず、守ってくれると。
昼過ぎに、しょうこの携帯に着信が入っていた。差出人はあさひで、「少し会って話したい」と書かれている。しょうこは学校が終わり次第、いつもの公園に行くと返信した。
学校は、いつもと同じで変わり映えがしない。予想どおり、クラスメイトたちはしょうこに対し、腫れ物に触るような対処をしてくる。だからといって、苛立ちもおぼえない。好奇心からあれこれ訊かれないだけマシだ。
なお、マスコミの類には追い掛け回されずに済んだ。他人の不幸を幸運と言っていいのかどうかはわからないが、しょうこが入院して数日後に、大物芸能人が麻薬で逮捕され、世間の関心はそちらへと向いてくれたのだ。その芸能人の逮捕のあと、芋づる式に別の芸能人が逮捕され、ワイドショーはまだその話題で持ちきりだったりする。
授業が終わると、しょうこは制服のまま、公園へと向かった。向こうはもう来ていて、いつものベンチに座っている。面倒を見てもらえるようになったせいか、格好は以前よりもずっとこざっぱりとしている。うつむいているので、表情はよく見えない。が、その姿勢から、しょうこは「何かイヤなこと」があったのだろうな、と検討をつけた。
「来たよ」
どうするのか迷ったが、しょうこは普段と変わらない声を出すようにした。あさひがぱっと顔をあげる。しょうこは微笑んで、あさひの隣に座った。
「どうしたの?」
「うん……」
一度顔をあげたあさひだが、またうつむいてしまった。あさひとのつきあいはそんなに長くないが、しょうこはこういうとき、どうすればいいのかはもうわかっていた。何も言わず、ただじっとあさひが話し始めるのを待てばいい。
「……今日、母さんに会いに行ったんだ。前に話したと思うけど、母さん、病院に入ってるんだ」
あさひの大まかな境遇については、しょうこはあさひから聞いて知っていた。静かにうなずいて、次の言葉を待つ。
「バイトもしてるし、寝るところもあるから俺は大丈夫、だから母さんは病気を治すのに専念してって言いに行ったんだ……そうしたら、母さん、言ったんだ。『しおはいらない』って」
「え……?」
しょうこは驚いて声をあげてしまった。いらない? 自分の子供を?
いや待て。しょうこの両親だって、しょうこのことを兄や姉と比べてばかりだ。いらないとまで思っているのかどうかはわからないが、兄姉よりも自分の優先度が低いのだけは確かだ。なら、それが先に進んでいる状態、というのもあるかもしれない。そこに心の病が加わるとなると……。
「俺……それを言われたとき、頭の中が真っ白になって、母さんに向かって怒鳴ってた。なんでそんなことを言うんだって。そうしたら母さん、またおかしくなって……病院の人に引き離された。まだ不安定だし、ちょっとしたことでおかしくなるし、怒鳴り声はとくに良くないって」
怒鳴り声がよくないというのはわかる。あさひの父は暴力男だ。彼を連想させるものに、拒絶反応を示すのも無理はない。
「母さんがしおをいらないって言ったのが信じられなくて。母さんはいつだって優しかったし、今日だって、俺が怒鳴ってしまうまでは、前の優しい母さんだったんだ。病院の先生には、母さんは俺を父さんのとこにおいていった罪悪感で、おかしくなったんだろうって言われた」
「それは……あるんじゃないかな。私も、今でもまだ、今回の事件、全部自分のせいだって、思ってしまうし」
いろんな人に、それはしょうこのせいではないと言われた。あさひも、二人の刑事も、病院の先生だって、そうだ。でも、それでもまだ、しょうこは完全には、罪の意識を振り払えずにいる。
「でも、しょうこが責めているのは自分自身で、他の誰かじゃない。どうして母さんは、しおのせいだなんて」
「それは、私にもよくわからないけど……でも、人って自分のしてしまったことを、自分のせいじゃないって思いたがるし……だから、きっと、あさひのせいじゃないよ。あさひのお母さんが思いつめて、異常な行動に出たのは、あさひのせいじゃないし、しおちゃんのせいでもない」
そう、きっと、誰のせいでもない。もっといい選択肢はあったのかもしれないけれど、少なくとも、責められる理由だけはないはずだ。
「だから、思いつめない方がいいよ。私もそうするから。ね?」
しょうこは一生懸命言葉をかけたが、あさひの表情は優れないままだった。
「もうひとつ、気がかりなことがあるんだ。俺の父さん、俺や母さんのことを殴ってばかりで、俺は今でも父さんのことが大嫌いだ。だけど、母さんがしおをいらないって言ったとき、すごい怒りがわいてきて……病院の人たちが止めてくれなかったら、何をしたか、自分でもわからない」
「で、でも……暴力を振るったりとかは、しなかったんでしょ?」
「今回は、さっきも言ったけど、病院の人たちが止めてくれたから。でも、あの、マンションが火事になった日、俺はさとうを殴ってしおを取り戻すつもりでいたし、それでさとうが大怪我しても構わないって思ってた」
あさひは両手を額に当てて深くうなだれた。声からは感情が抜け落ちてしまっている。
「もしかしたら、俺も父さんみたいに……なっちゃうのかなって、そう思ったら、すごく怖くなって……」
虐待は連鎖する。以前、何かのテレビ番組でそんな主張がされていたのを、しょうこは聞いたことがあった。
でも、今ここで、それを認めてはいけない。
「あのときは非常事態だったし、あさひが来てくれたから私は助かった。あさひは動けない私を助けるのを、最優先にしてくれた。あさひはお父さんとは違うよ」
震えるあさひの背に、しょうこは自分の手を当てた。
「それに、あさひはもう一人じゃない。私がついてる。ううん、私だけじゃない。刑事さんの実家に、下宿させてもらえてるんでしょう? 本気で心配してくれてなかったら、そんなことしないよ。何かあったら、もう頼っていい人がいるんだよ。絶対に、あさひをお父さんと同じになんか、させない」
言いながら、胸の奥に痛みが走るのを感じる。以前、さとうを闇の道から連れ戻そうとしたときの記憶が甦る。あのときは、もう手遅れだった。でも、今回は違う。
それに、一人だけではない。ささやかな手助けでも、複数集まれば、きっと違う結果になる。そう信じて、前を向くのだ。
さとうの行為、罪状によっては逆送の可能性もあるかと思うのですが、しょうこが逆送について知ってるのは無理があると思ったため、それについては言及させていません。
「あなたのせいじゃない」という言葉、あまり良いものではないんですが、この状況だと他にかけられる言葉がないし、実際、どちらのせいというのも無理があるんですよね。一番悪いのはあさひの父親ですが、もう死んでるしなあ……。