公園であさひの話を聞いたあと、気分を変えたいと思ったしょうこは、彼をカフェに誘った。
「あ……うっかりしてたけど、お金、大丈夫? 持ち合わせがないなら、私が払うけど……」
しょうこの言葉に、あさひは首を横に振った。
「何かあったときのためにって持たされてるから、ちょっとは大丈夫。刑事さんと弁護士さんが相続とかよくわからなかった部分、ちゃんとしてくれたし」
あさひの現状については、彼から前に連絡をもらったときに詳しく聞いている。彼がもう公園ではなく、きちんと屋根のあるところで寝ているのだとわかったとき、しょうこは心の底から安堵した。
ケーキが美味しいと評判の駅前の小さなカフェに、二人は入った。あさひは、カフェに入るのは初めてで、どうしても気後れしてしまう。自分は、こういう場には場違いではないかと感じてしまうのだ。
あさひが行動をためらっていたので、しょうこはウェイトレスに空いている席を案内してもらったあと、彼に「ここ、座ろう」と声をかけた。あさひがおずおずと席に座る。
「こういうとこ……初めてだから、慣れなくて」
「うん。私も初めて一人で入ったときは、ちょっと緊張した」
しょうこはメニューを手に取って開いた。様々な美味しそうなケーキの写真が載っている。しょうこはケーキが好きだし、さとうもそうだった。たぶん、しおもケーキは好きだろう。
「あさひは、甘いものは好き?」
「あまり食べたことないけど……好き、かな……」
目の前のしょうこを眺めながら、あさひはしょうこは甘いものが好きに違いないだろうなと思った。
「俺、よくわかんないから、しょうこと同じのでいいよ」
「わかった。すいませーん、注文お願いしまーす」
ウェイトレスを呼んで注文を頼む。頼むのはオペラと紅茶のセットにした。さとうといっしょのときはあまり頼まなかったケーキだが、今日は、これが食べたい気分だった。
ケーキを待つ間に、しょうこはさっきあさひから聞いた話を思い返した。ゆうなは、いったい何を思って、息子を置いて家を出たのだろう。そして、そのあと、どんなふうに暮らしていたのだろうか。
もし……ゆうながあさひのことばかりを気にかけていたのだとしたら、しおは寂しかったのかもしれない。そして、寂しかったのは、さとうも同じで。だから、惹かれあったのだろうか。
でも、何故か、しょうこにはそれが「いいこと」とは思えなかった。ガラスでできた橋を渡るかのような、危うい行為に思えてしまう。そう感じる理由ははっきりとはわからないけれど、頭の中で何かが警鐘を鳴らすのだ。
どうしてこんな感覚がするのだろうとしょうこが考え込んでいると、不意にあさひが「ごめんな」と言ってきた。
「どうしたの?」
「ほら……前、さとうのことを『今でも友達だと思っている』って言ったよな」
確かに言ったし、今でもそうなので、しょうこはうなずいた。
「俺、あのときは『なんだってそんなバカなことを』って思ったんだ。でも、今日、母さんと衝突して、それで、わかったんだ。母さんがしおをいらないと思って捨てたのだとしても、俺にとって、母さんは母さんで、嫌ったりとかはできないって。母さんの言ったことややったことに対しては腹が立つし、許せないって思う一方で、母さんは病気なんだから気遣ってあげなきゃって思う。そして、もし、今ここに母さんとしおの両方がいたら、俺はきっと、どちらも選べない。……しょうこが言っていたのは、そういうことなんだなって、やっと、わかったんだ」
あさひも複雑な思いを抱えているのだと、しょうこは思った。自分がさとうを大事に思うように、あさひは母や妹を大事に思っているのだ。
なんだか、胸の奥が暖かくなるような、そんな感じがする。
人の心は複雑だと、しょうこは思った。さとうとの関係に踏み込もうとして、失敗して彼女に拒絶されたときは辛かったし、そのあと関係を修復しようとして、彼女に殺されかけたときは、もう人生に希望なんてないんだと思うぐらい絶望した。そういった暗いできごとは、今でも自分の心に陰を落としている。
でもその一方で、あさひが自分を必死になって助けてくれたことや、お見舞いに来てくれたこと、今もこうして自分と気持ちをわかちあえているということは、嬉しく思ってしまう。それもまた、偽りのない感情。
「あさひがいてくれて、良かった」
そう言うと、あさひが驚いた様子でしょうこを見た。少し置いてから、かすかな笑顔を浮かべる。
「俺も、しょうこがいてくれて、良かった」
どちらからともなく、手を繋ぐ。互いのぬくもりが、心地良かった。
そうしていると、二人分のケーキとティーセットが運ばれてきた。しょうこが付属の砂時計をひっくり返していると、あさひが「それは?」と訊いてきた。
「この砂が全部下に落ちたら、紅茶をカップに注いでもいいよ、って合図」
あさひは小さな砂時計を見た。砂時計からは砂がサラサラと下に落ちて行く。しおがいたらこれをおもちゃにしたがったろうな、とあさひは思った。
砂が落ちきったところで、紅茶をカップに注ぐ。目の前のケーキは長方形をしていて、茶色のスポンジとクリームが層になっており、上には艶のあるチョコレートがかかっていて、金箔があしらわれている。
しょうこはフォークでケーキを切り分け、口に運んだ。かなりビターなチョコレートを使っているようで、口の中に苦味と甘味が同時に広がる。
「ケーキって、もっと甘いものだと思ってた」
ケーキを食べながら、あさひが呟いた。
「あ、もっと甘いのが良かった?」
「いや、これでいいよ。苦いけど、美味しい」
ケーキを食べながら、あさひは何か考え込んでいる。それが何なのか、しょうこはたやすく検討がついた。
「今、しおちゃんにも食べさせてあげたいって思ったでしょ?」
「あ……うん」
「でも、しおちゃんにはオペラはまだ早いんじゃないかな。これはアルコールも使ってるし。もっとこう、ふわふわっとして、甘みが強くて、見た目が可愛いケーキの方が喜びそう」
ケーキよりも、パフェとかの方がいいかもしれない。色々入っているし、見た目も可愛らしい。
四人でカフェに来ていたら、どんな感じだっただろう。ふと、しょうこはそんなことを思った。まず、席で揉めそうだ。しおの隣にどちらが座るかで、あさひとさとうは絶対に意見があわない。でもたぶん、さとうの方がしおの隣に座るだろう。それで、ちょっと落ち込むあさひに、しょうこは自分の隣に座ってほしい、と言うのだ。
席が決まったら今度は注文だ。メニューを見ながら女子三人でどれがいいかで盛り上がるのを、あさひがちょっと困った様子で眺めている。最後までしおが候補のふたつで悩んでいると、さとうが「じゃあ、両方頼んで、半分こしましょう」と言う。
「しょうこ、どうかした?」
あさひに声をかけられて、しょうこは現実に引き戻された。あまりに幸せな空想だったから、すっかり浸ってしまっていた。
「あ、うん……ちょっと、ね。四人で来れたら、良かったなって思っちゃって」
「四人……」
言われたあさひは考え込んでしまう。あさひにとって、ずっとさとうは「敵」だった。今でも複雑な気持ちがあるけれど、様々な葛藤を経てきた今となっては、さとうに対する気持ちは以前ほど苛烈なものではなくなっている。
「そう、だな……」
しょうこの言うとおり、四人でケーキを食べる。そういう幸せの形も、もしかしたらあったのかもしれない。もっとうまく歯車が噛み合って、誰も罪を犯さなければ。もっと違う出会い方をしていたら。
「今からでも、戻ってきてくれればいいのに」
「でもそれだと、さとうは逮捕されるぞ」
指名手配がかかっている。殺人に関しては叔母が罪をかぶったが、しょうこに対する殺人未遂としおの誘拐の罪が残っている。
「うん。けど、さとうは未成年だから、たぶん、刑期はそんなに長くならないと思う。罪をつぐなってやり直してくれるのなら、私は友達として、さとうを待つよ。そして、出てきてくれたときは、今度こそ四人で、ケーキを食べるの」
あさひは複雑な気持ちでしょうこを見た。気持ちが和らいだとはいえ、さとうに対してはまだ苛立ちがある。でも。
四人でケーキを食べるのが、きっと、しょうこが願う「幸せのかたち」なのだ。視線を、食べかけのケーキに落とす。世の中は、このケーキのように、苦くも甘くもあるもの。
「……そのときは、また、これを食べたい」
あさひの言葉に、しょうこは一瞬驚き、それから、今度は満面の笑顔になった。その笑顔に、胸の奥が暖かくなる。これでいい。
四人でケーキを食べるというのが、しょうこが最終的にイメージする幸せのかたちです。