「判決。被告人、松坂みつを無期懲役の刑に処す」
裁判長の判決の言葉を聞いても、松坂みつは微動だにしなかった。しょうこは裁判を傍聴に来ていたが、この位置では、判決を受ける被告人は背中しか見えないので、表情はわからない。でもおそらく、いつもと変わらないのだろう、と思う。
公判の間中ずっと、松坂みつは変わらぬ薄ら笑いを浮かべ、ひとごとのような表情で被告人席に座っていた。隣に座る年配の弁護士は、対照的に疲れた表情だった。刑事の話によれば国選ではないそうなので、この人も彼女から何か吸い取られたのかもしれない。
検察の方はよく通る声が印象的な女性で、きっぱりした口調で松坂みつの罪を糾弾した。自らの罪状が並べられている間も、松坂みつはやはりずっと笑顔で、正面の判事もその後ろの裁判員たちも微妙な表情を向けていたが、気にした様子もない。さとうの叔母である彼女が、いったい何を考えているのか、しょうこにはよくわからなかった。精神異常による無罪を狙っているのだろうかとも思ったが、精神鑑定の結果は「責任能力あり」だったはずだ。
なお、しょうこは裁判で証言はしていない。検察側からは自供及び物証がたくさんあるので、証言がなくても大丈夫だと判断されたし、弁護側からは、しょうこが松坂みつに好意的な証言をするはずがなく、証言させるメリットがない、と判断されたようだった。
これがさとうの裁判だったらどうだったんだろう、としょうこは思った。弁護側から証言を頼まれたのだろうか。
松坂みつは起訴されたすべての罪で有罪だと認めていたため、弁護側ができることは、自分から出頭したことで反省の態度は示されている、と主張するぐらいだった。
審理が終わるころに、裁判員の一人が手をあげて、松坂みつに質問をした。それは「あなたは悪いことをしたと思っているのですか?」というものだった。
「悪いことをしたとは思っていません」
それが、松坂みつの答えだった。隣の弁護士がもっと疲れた表情になる。
「たくさんの人がもしかしたら焼け死んだかもしれないのにですか?」
納得がいかなかったのか、裁判員が重ねて尋ねる。
「はい。すべては愛のなせる技ですから」
その返答に、裁判員は顔を引きつらせた。そして、それ以上の質問はしなかった。弁護士席では弁護士が頭を抱えている。
そのまま審理は終了し、そのあとは裁判員と判事による評議が行われる。そして今日が、判決の言い渡される日で、しょうこはまた、学校を休んで法廷に来ていた。
裁判を受ける側の権利として、控訴もできるはずなのだが、しょうこは松坂みつはそうしないだろうと確信していた。
公判が終了し、退廷するとき、松坂みつはこちらを振り向いた。いつもの笑顔のまま、唇がかすかに動く。声は発せられなかったが、しょうこは何を言おうとしていたのかがわかってしまった。
昼をやや過ぎた時刻に、しょうこはあさひが働いている店を訪ねた。そんなに大きくない個人経営の定食屋で、店の前には、小さな黒板が出してあり、今日のおすすめが書かれている。店内に入ろうとして、しょうこはためらった。連絡を入れずに突然来られても、迷惑だろう。なんといっても向こうは仕事中なのだ。
「あれ、しょうこちゃん」
かけられた声に、しょうこはそちらを見た。五島と葉山の二人だ。
「あさひ君に会いに来たの?」
「え、ええ……そのつもりで来たんですけど、連絡を入れてないし、いきなり来たら、仕事の邪魔になるだろうから、やっぱりやめようかと……」
「せっかく来たんだから入っていきなよ。私たちもちょうどお昼ご飯食べようとしてたとこだし。一番混む時間はもう過ぎてるし」
「えーと、このお店って……」
「うん、行き着けのひとつ。五島さんのお父さんも引退してるけど刑事でさ~、そのころからのつきあいだから、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのかよくわからなかったが、結局しょうこは二人にについて、店内に足を踏み入れた。「一番混む時間は過ぎている」と葉山が言ったとおり、店内の席の埋まり具合は半分ほどだ。カウンターの中にいた年配の男性が、声をかけてくる。
「おや、ミカさんにアオイさん。そっち空いてるんで、座っててください。今、注文を取りに行くんで」
「じゃ、座りましょ」
葉山にうながされて、しょうこは四人がけのテーブル席のひとつに座った。葉山が反対側に座る。五島は座らず、立ったままで店主に声をかける。
「近江さん、神戸はどうしてます?」
「毎回それ訊きますね。あの子なら、真面目にやってますよ。この分だと大丈夫でしょう。おや? ところでそちらのお嬢さんは、親戚か何かですか?」
「ううん、この子はね~、あさひ君の彼女だよ」
五島より先に葉山が答える。その内容に、しょうこは真っ赤になった。そんな話は一切していないはずなのに、突然彼女は何を言い出すのだろうか。
「あああああの葉山さん、わわわ私は、その……」
「あはははは、なるほど! そうだ、神戸の奴、そろそろ休憩なんですよ。この際ですし、いっしょに食べてけばいい。それで、注文は?」
「えっと、じゃあ……チキンカツ定食を」
五島は煮付け定食を、葉山はアジフライ定食を頼んだ。店主はさっさと奥へと行ってしまったので、しょうこは認識を訂正する機会を失ってしまう。
「葉山さん……私たち、つきあっているわけじゃ……」
「え、違うの?」
何故そこで当然のようにそう思われているのか、よくわからない。
「だって救命士さんたちが言ってたよ。あさひ君、火事の現場で血相変えてしょうこちゃん助けようとしてたって」
「それは、そうですけど……目の前で誰かが大怪我をしていたら、助けようとするのは当たり前だと思いますし……」
「それに、どう見ても二人は仲のいいカップルにしか見えないよ」
しょうこは今まで以上に赤くなった。顔から湯気が出ているのではないかと思ってしまう。確かに心当たりは……ある。
「葉山、若い子をあまりからかうもんじゃないぞ」
セルフサービスとおぼしきお茶を持ってきた五島が、葉山にそう言った。はいはい、と葉山は答えているが、どこまで本気なのかはよくわからない。
「そう言えば今日は平日だが、飛騨、お前、学校はいいのか?」
「休ませてもらいました。判決の出る日だったので。どうしても、自分の目で見届けたかったんです」
「ああ、そう言えばそうだったな。結果はどうだったか?」
「無期懲役です」
刑事二人は多忙のため公判を傍聴できなかったそうなので、しょうこはざっと裁判での様子を説明した。その最中に、調理服を着たあさひが緊張した様子で食事を運んでくる。
「あの、本当に俺もいっしょに食べてっていいんですか?」
バイトの影響があるのか、あさひの口調は以前とは変わっていた。三人ともそろってうなずく。
「せっかく近江さんが食べてけって言ってるんだ。こういうときは素直に好意に甘えたらいい」
失礼します、と言って、あさひは自分の分の食事を取ってきて、しょうこの隣に座った。
「で、バイトの調子はどうだ?」
「あ、うん……ヘマも多いし、忙しいし、なれないことばかりで大変ですけど、たぶん、ついていけてると思います。忙しい分、余計なこと考えなくてすむので、そこは助かってます」
「最初は誰だってなれないもんだ。大丈夫、お前ならできる」
「うん。私もバイトを始めたばかりのときは、失敗してばかりだったから」
あさひのバイトに対する感想が一区切りついたところで、話はまた松坂みつの裁判に戻った。しょうこが裁判での彼女の態度や様子、発言について説明すると、五島は呆れた表情に、葉山はうんざりした表情になった。
「ほんっと、変わんないね、あの人……検察や裁判官、裁判員になった人たちが気の毒だわ……」
「そこだけは認めてやりたくなるな」
「認めなくていいです」
あさひは何も言わなかったが、表情からすると、やはり呆れているようだ。
「あの、気になることがあるんですけど」
「なに?」
「あの人、法廷を出るとき、こっちを見たんです。私、前の方に座っていたんで、目があったんですけど、そのとき、こう呟いたように見えたんです。『愛さえあれば刑務所であっても問題ないのよ』って」
葉山は片方の手を額に当て、こめかみを軽くもんだ。
「五島さん、刑務所の方に用心するようにって、言っておいた方がいいんじゃないですか? 光瀬のときみたいになっても困るでしょうし」
「既に通達はしてあるが、念のためにもう一度言っておくか。向こうとしてもトラブルは避けたいだろう」
二人のやりとりから、しょうこは松坂みつが警察でどう思われているのかを悟った。
「刑務所で愛ってどういうことなんだ?」
あさひが尋ねる。尋ねられても、しょうこにはわからない。
「私もよくわからないんだけど、さとうの叔母さん、なんか『愛』についていつも言ってるの。でも……私、あの人は誰のことも愛せない人だと思う」
「そりゃそうでしょ。あの人にとって愛は手段にすぎないもの」
葉山が切って捨てるような、冷たい口調でそう言った。普段の彼女からは違う様子に、しょうこもあさひも驚いて葉山を見てしまう。
「葉山、飛騨と神戸が怯えてるぞ」
「別に、怯えてな……ません」
あさひがそう口を挟む。葉山はごめんね、と普段どおりの口調で謝罪の言葉を口にした。
「でも、なんで、その松坂みつって人は、そんなことを言ったんですか?」
「負け惜しみだろう」
「しょうこちゃんに対する挑発じゃない?」
五島と葉山の意見は分かれた。だが、否定的だというところは共通している。
「あのね、二人とも、松坂みつの言うことは真に受けなくていい。あの人は人をあやつるタイプの人だから。もう刑務所行きも決まったことだし、区切りをつけて、自分の大事なものを大事にして」
何故か、あさひがしょうこを見た。そして、しょうこはまた、頬が赤くなるのを感じる。
「あとは武器があればいいのよね」
「警察が武装を勧めるんですか」
あさひがやや呆れた声を出す。葉山は首を横に振った。
「ああ、この場合の武器っていうのは、『生きていくために必要な知識や技術』って意味よ。そういうのがあるとね、やっぱ色々違ってくるから」
しょうこは何故か、葉山が前に、自分を自宅まで送ってくれたときのことを思い出した。あのとき、母は珍しく何も言わなかった。彼女の刑事という立場も、それを場合によっては利用するのも、彼女が言う、「武器」なのだろうか。
「でもそれって、どうやって手に入れるんです?」
「ん~、しょうこちゃんなら、勉強が一番手っ取り早いんじゃないかなあ。しょうこちゃんのご両親、しょうこちゃんが『勉強したい』って言ったら、援助は惜しまないんじゃないの?」
確かに「塾に通いたい」と言ったら、通わせてくれそうな両親ではある。ただ、しょうこは、はっきり言って勉強は嫌いだった。
「でも勉強しろって言われても……」
「無目的にするんじゃなくて、ほしい知識とか資格とかにターゲットを絞るの。例えば、あさひ君がこの先このお店でずっと働きたいって思うのなら、調理師とかの免許があった方がいいから、そのための勉強をする必要がある。別の道に進みたいのなら、それにあわせた勉強がまた、でてくる」
「俺は……まだ、よくわからない。でも、ここは、いいと思います……」
葉山の言葉を受けてあさひが言う。
「まあ、まだお前たちは未成年だ。もうしばらく、ゆっくり考えてもいいだろう。時間の経過とともにわかってくることもあるしな」
「あ、はい……」
わかりづらいですが、火事が起きてから一ヶ月以上経過してます。裁判始めるのって、いろいろ手続きだのなんだのがあるので、どうしてもそれくらいブランクが空いちゃうんですよねえ。
なお、葉山さんはガチであさひとしょうこがつきあってると思い込んでました。まあ、そりゃ、思われるよねえ……あれだけくっついてりゃ……。