「これで、よし」
二通の葉書を投函し、しょうこは微笑んだ。隣には、あさひが立っている。
「付き合ってくれて、ありがとう」
「俺の方こそ、こういう場所があるって教えてくれて感謝してる」
あさひは、目の前の建物を見た。ここは漂流郵便局。届け先のない手紙を受け付けてくれる場所だ。
あの事件が起きてから、十年が経過した。その間に、色々なことがあった。しょうこは猛勉強し、高校の卒業後には法学部へと進学し、法科大学院を経て、弁護士になった。最初はしょうこの努力を冷めた目で見ていた両親も、結果を出すにつれて、態度を軟化させていった。弁護士になってからの進路でまた揉めたが――両親は企業弁護士の道を勧めたのだが、しょうこの望みはもっと人の役に立つことだったのだ――最終的に両親が折れた。この件については両親の中でもいろいろと葛藤があったようだが、最近では「うちの娘は、弁護士になって社会の役に立とうとしている」と考えてくれているようである。
あさひの方は、定食屋でアルバイトをしながら、しょうこより二年遅れて通信制の高校を卒業し、さらにバイトを続けながら調理師の免許を取得した。免許の取得と同時に、バイトから店の正式なスタッフとなり、同時に下宿させてもらっていた五島の実家も出て、一人暮らしを始めた。母のゆうなは数年前に病院を退院したが、入院中にDV被害者だった女性と親しくなり、その女性の勧めを受けて、被害者女性の自助グループに参加し、現在は他の被害女性を助ける側に回っている。
その十年は、決して平穏に過ぎたわけではない。二人は何度もつまづき、壁にぶつかった。勉強が思うように行かなかったり、厄介な客とトラブルになったり、身近な人と衝突したり。怒りを爆発させて後悔した日もあれば、涙で眠れない夜もあった。
それでも、二人は決して諦めなかった。後ろを振り返ってしまうときもあったけど、できる限り前を向いた。どちらかが辛いときはもう片方が支えになった。一方で、どちらかに嬉しいことがあれば、もう片方はいっしょにそれを喜んだ。そうして、過ごして、積み重ねた時間が十年。
そして、十年の間、さとうとしおはずっと行方知れずのままだった。ある日突然、「逮捕された」か「死亡した」という知らせが届くのではないか、あるいは、突然本人たちが尋ねて来るのではないか、そう思っていたが、いずれも起きなかった。
短いようで長い十年という時間。でも、二人が思い出すのは、十六のときのさとうと八歳のときのしおだ。以前と比べて栄養状態のよくなったあさひは背が伸びて、しょうこよりも背が高くなり、身体つきも大分がっしりしたし、しょうこは背こそ伸びなかったものの、身体つきの方は以前よりも遥かに大人びた。でも、しょうこもあさひも、成長したさとうとしおの姿を思い描けない。生きていれば、さとうは二十六に、しおは十八になっているはず。それなのに、二人の脳裏に浮かぶのは、あの日、炎上するマンションで別れたときの二人の姿だ。
ふんわりとした綿菓子のような夢を、いっしょに探していたときのことを思い出し、今でもしょうこは切ない気持ちになってしまうことがある。二十六になった今の自分には、そんなものは存在していないのだとわかってしまっているのだ。それでも、あのころを思い出す度にわきおこるのは、若くて未熟だった当時の自分たちを、抱きしめてやりたいという気持ち。そして、しょうこは今でも涙ぐんでしまう。
そんなときにしょうこを抱きしめてくれるのはあさひで、でもその彼もまだ、しおに対して行き場のない想いを抱えているのを知っているから、しょうこの方でもあさひを抱きしめ返すのだ。
苦しくて、辛くて、苦くて、悲しくて、でも温かくて、優しくて、愛しくて、切ない。すべての想いは互いの腕の中に。
あれからずっと、二人は同じ願いを抱いて生きてきた。それは、いつかさとうとしおが戻ってきたときは、いっしょに「お帰り」と言ってあげよう、というもの。でもその願いが、今のところ、叶っていない。
そして、十年という節目の年となった今年。区切りをつけるために、しょうことあさひはここに来た。決して届かないこの気持ちを、形にするために。
諦めたわけではない。もしかしたらもう死んでいるかも、と思う度に、いや絶対生きている、と思ってしまう。おそらく、これからも自分たちは待ち続けるだろう。いつかさとうとしおが戻ってきてくれる日を。
だから、願いは捨てない。これは、自分たちの決意表明。
「行こう」
あさひが左の手で、しょうこの右の手を取る。手をつないで、二人は道を歩く。今までも、そしてこれからも。