黒い流れ。その中を自分は漂っている。
ときどき、目の前を何かが流れる。誰かの、声が聞こえる。
「手間をかけさせないで」
「期待はずれ」
「せめてもうちょっと……」
嫌だ、聞きたくない。耳を塞ぎたいのに、身体が動かない。声はやまない。
ぱらぱらと、落ちてくるもの。白い紙にプリントされた文字。それが、言葉を作っていく。
「そして、お姫様は自分を助けだしてくれた王子様と、幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
小さかったころに、好きだったおとぎ話。絵本を抱えて「王子様はいつ来てくれるの?」と訊いたら、バカにしたように笑われた。「おとぎ話を真に受けるなんて、いったいいくつよ? もっとまともなことに興味を持ちなさい」と言われて。
まともなことって、なんだろう?
落ちてくる文字が、つもって山になっていく。息が苦しい。文字が見える。声が聞こえる。
「聞いた? あそこの奥さん、あんな偉そうなことを言っているけど、実際のところあそこの息子さんは……」
どうして、さっきまで笑顔で話していた人の悪口を、別れた途端に言えるの?
「だからねしょうこ、あなたも人に悪く言われるようなことは、しちゃだめよ。人なんて、別れたあとは笑ってその人の悪口が言えてしまうのだから」
そう言うのなら、それだけは絶対にしない。友達の悪口だけは、何がなんでも言うもんか。
「バイトがしたい? しょうこ、学生の本分は勉強だと何度も言っただろう。今のままの成績では、希望の学部に入れないかもしれん。くだらないことを言ってないで、さっさと勉強にはげめ」
「お兄ちゃんやお姉ちゃんは、あなたの年頃にはもっとしっかりしていたのにねえ……何が悪かったのかしら」
「これは何だ? 高校生が化粧品か。お前の学校の校則で不順異性交遊は禁止のはずだろう。これは全部捨てておくからな」
「最近、家に帰ってくるのが遅すぎるんじゃない? それとその安っぽいアクセサリー、そんなの着けて歩くのやめなさい。品格を疑われるわ」
だって、家は楽しくない。外の方が楽しい。学校の勉強は楽しくないし、クラスメイトはみんな取り済ました子ばっかり。本音なんて誰も聞いてくれない。
親に黙ってこっそりバイトを始めて、そこでさとうと知り合って。バイトは楽しかったし、さとうと遊び歩くのはもっと楽しかった。やっとちょっとだけ自由になれた気がした。これで王子様のように自分を連れ出してくれる人がみつかれば最高だったけど、そこまでは望まなくてもいい、そう思えるぐらいに、あのときは楽しかったのだ。
頭が、痛い……。灼けつくような、いや、焦げ付くような痛みというのが近いのかもしれない。
ふっと、気が抜ける。周りを風が吹き、つもった言葉がぱらぱらと飛ばされて行く。
ああ、みんな飛んで行くのか。みんな飛んで、なくなっていく、綺麗さっぱりなくなったら、きっとすっきりする。
「……や……れ……」
不意に、また声が聞こえた。誰かの声。
「あなたは頑張った。勇気も出したんだと思う」
頭を撫でる、誰かの手の感触。……これは、あの子だ。公園で会ったあの男の子。捨てられた動物のような目をしていて……だから、放っておけなかった。
いなくなった妹を探しているのだと、真剣な表情で彼は言っていた。その表情を見て、思ってしまった。もしこれくらいの年齢のときに自分がいなくなったとして、自分の家族は、こんなに真剣に自分を探してくれるだろうか。警察に届けを出すだけで終わりにせず、夜の遅くまでポスターを貼って回ったりしてくれるだろうか。
だから、力になりたいと思ったのだ。妹を手元に返してあげて、彼が心からの笑顔を見せてくれたら、きっとそれが自分を救ってくれるだろうから。
さとうがどうして彼の妹といっしょにいたのかはわからない。でも、二人がいっしょにいるのを見た瞬間に、携帯のカメラを起動して画像を取り、彼へのメールを送信していた。
……ああ、自分は、だめだな。
結局のところ、何もかも、ダメにしただけなのかもしれない。
笑った顔、見たかったよ。
また、頭が痛い。黒い何かが、目の前に渦巻いている。風は、いつのまにか止んでいた。
わたしは、本当は……。
……熱い。
周りが、ひどく熱い。それに、なんだか、空気が悪い。咳き込んだはずみに、誰かの声が聞こえた。
しょうこちゃんの家族構成がよくわからないので一部捏造してます。一人っ子かなあと思ったのですが、子供一人だともっと監視がきついのでは? と感じたので兄弟アリにしてあります。
家族構成もだけど、どの程度ダメな家庭なのかもわからないのが書いてて頭が痛いです。しょうこは親にかなりきつい不信感を抱いていますが、「心底グダグダ」レベルだと、彼女の個性とかみ合わない(しょうこ本人がいい意味でも悪い意味でも普通の感性の持ち主だが、グダグダレベルの家庭だとこういう人間はまず育たない)んですよね……。