あさひは苛立ちながら夜道を走っていた。しょうことはもうずっと連絡が取れていない。彼女の身に何かしら良くないことが起きたのは確かだ。
この世で信じられるのは妹のしおだけだと思っていたけれど、彼女は、しょうこだけは、信じてもいいと思った。それに、彼女は写真を送ってきた。しおと、あの女が映っている写真。それきり、連絡が取れなくなっている。
しょうこから写真が送られてきてから、あさひはすぐに戻りの電車に乗った。しょうこと連絡を取ろうとしても返事がない。時間がないと感じ、しおについて嘘を教えた三ツ星を脅して協力を取り付けさせた。吐き気がするくらい三ツ星のことは嫌いだったが、他に手段がない。そもそもこんなことになったのは、嘘をついて妨害をしたあいつが悪いのだ。
その三ツ星からはさっき電話があった。この後に及んであいつはまた嘘をついた。しおがいるのは1208号室なのに、305室にいると言ったのだ。建物さえわかればあいつに用はない。
たどりついたマンションのエントランスに、探していた相手はいた。しおと、彼女を連れて行った女、松坂さとう。大きなスーツケースを持っているところを見ると、ここを離れて遠くへ行こうとしていたのだろう。向こうはこちらを見るなり、しおの手をつかんで身を翻して逃げ去ろうとする。
一瞬にして頭に血が昇り、あさひはさとうのあとを追って走り出した。だが角を曲がった瞬間、肩に激しい痛みが走る。待ち構えていたさとうにスーツケースで殴られたのだ。動きが止まった瞬間に、向こうはまたも身を翻し、しおと共にエレベーターに乗り込んでしまった。駆け寄るが既に扉は閉まったあとだ。もう片方のエレベーターの所在は十一階。イライラが募るが、待つより他にない。
ようやくエレベーターが来た。乗り込んで、十二階のボタンを押す。エレベーターがあがる時間が、ひどく遅く感じられる。
十二階に到着したあさひは、廊下に出て唖然とした。立ち込める黒い煙と、ものが焼ける臭い。火事だ。
考えるよりも先に身体が動いた。1208号室に向かって走る。ドアは開いていた。そして、その中に。
火の手があがる部屋の中、倒れている黒い人影。その姿には見覚えがあった。あれきり連絡のなかったしょうこ。彼女が、燃える部屋の中に倒れている。
あいつだ、あいつがやった。友達だといって、ずっと案じてくれていた相手に、こんな仕打ちを。
ここにしおはいない。行き違ったようだ。しおを探すのなら、ここを離れて、エレベーター前に戻らなくては。
そのとき。人影が身動きした。生きている。彼女はまだ、生きている。置いていけない。
しおを追いかけろ。
しょうこを助けなくては。
追いかけろ。助けなくては。追いかけろ。助けなくては。
「……あああああっ!」
よくわからない衝動にかられ、あさひは叫んだ。床を蹴って走り、部屋の中に駆け込む。一瞬で倒れているしょうこの傍らにまで走りより、膝をついてその身体を助け起こした。
手に触れた身体には確かにぬくもりがあった。首筋に手を触れると、脈動が感じられる。あさひはしょうこの身体を手で支え、顔を覗き込んだ。瞳が僅かだが、開いている。
「し……しっかり! しっかりしてくれ!」
その叫びが聞こえたのだろうか。しょうこは小さく笑った。唇が動いて、言葉がこぼれる。
「お……じ……み……た……」
はっきりとは聞き取れなかった。あさひはしょうこの右腕を自分の首にまわし、彼女の身体をなんとか立たせた。ずっしりと肩に重みがかかる。力の入らない身体を引きずるのは思ったよりもはるかに重労働だった。
「逃げるぞ!」
力を振り絞って、あさひは廊下へと出た。その瞬間、廊下に立っていた二人と顔をつきあわせてしまう。さとうと、しお。
「しおちゃん、行くよ!」
さとうはまたしおの手を引いて逃げようとする。追いかけたいが、自力で動けないしょうこを連れていては、それはできない。
「しお、そいつについて行くな! いっしょに、母さんのとこに戻るんだ!」
しおがびくっと動きをとめ、こちらを見る。さとうが殺しそうな視線で睨んでくるが、それはどうでもよかった。
「そいつは、自分の友達を生きたまま焼き殺そうとする奴なんだぞ! そんな奴といっしょに行くんじゃない!」
「知ってるよ!」
しおの答えにあさひは言葉を失った。しおはきっぱりとした表情で首を横に振った。
「わたしが一番大事なのはさとちゃんで、お母さんじゃない。お母さんなんてもういらない! それに、あなたなんか知らない!」
きつい拒絶に、また言葉が詰まる。さとうが歪んだ笑顔を浮かべ、しおに行こうと声をかける。しおは笑顔でさとうに連れられて行ってしまった。
「くそっ! くそくそくそくそっ!」
しょうこを支えたまま、あさひは激しい感情に襲われ、足元の床を何度も何度も蹴った。せっかく探し当てたのに、しおにはろくに話をするまでもなく、逃げられてしまった。
何度めかわからない罵倒の言葉を叫んだときだった。しょうこが小さく身動きした。
「……え?」
しょうこの目はこっちを見ていた。唇がまた動く。
「ご……めん……ね……」
「ち……違う違う違う! あなたのせいじゃない! あなたが悪いんじゃない! あなたが……」
「お……いて……って……い……よ……」
言葉の意味を理解し、あさひは勢いよく首を横に振った。彼女の腕を支える自らの腕に力をこめ直す。
「……置いてかない」
「で……も……わた……あし……で……」
「いいから!」
背後の部屋の炎を激しくなり、煙がすごい勢いで噴き出してきていた。急いで逃げなければ。……そして。
彼女だけは、助ける。
あさひは必死で歩みを進めた。ろくに動けない人間の身体がこんなに重いものだとは思わなかった。額に汗がにじみ、息が荒くなる。しょうこは何か言っていたが、言葉になっていなかった。
なんとかエレベーターの前までたどり着いたが、火事のせいでシステムが切り替わったのか、ボタンは反応しなかった。仕方なく、近くの非常階段に足を向ける。
歩く以上に、人を支えて階段を下りるのは重労働だった。疲労で遠くなりかける意識を必死で引き戻しながら、あさひはしょうこを支えて階段を下っていく。
だが、三階分を降りたあたりで限界が来た。膝をつく。もう動けそうにない。……ダメだ。しょうこだけは、助けてあげないといけないのに。
「……ごめん」
呟くが、答えはない。また意識を失ったのだろうか。表情を伺おうとした、そのとき。
駆け寄ってきた人間があった。
「要救助者二名発見! 直ちに救助に移ります。君、大丈夫か?」
「俺より、彼女を……」
「誰も見捨てたりはしない。両方ともちゃんと救助するよ。……よく頑張ったね。おーい、早く!」
ばたばたと駆け上がってくる足音がする。助かるのだ。気が抜けた瞬間、あさひはそのまま倒れてしまった。
補足というかなんというか。
アニメ見たとき、しおの行動と台詞、違和感がすごかったんですよね。三歳のときに生き別れた相手の顔なんて憶えてないんじゃないかと思うんですよ。実際問題として、幼稚園あがる前の記憶って、皆さんどの程度保持してます? とくに引越しとかあった人、当時の周りの人とか憶えてます? 加えて、あさひの年齢を考えると、ちょうど成長期で容姿とかかなり変わってくる時期なので、なおさらわからないんじゃないかと思います。
なお、この話ではあさひ君はしょうこちゃんを連れているので殴りかかれないし、追いかけることもできません。なので、話のやりとりは短くなりました。悠長に話してないでたぶん逃げるよ。
あと、まあ、わかると思いますが、この話ではさとうとしおは飛び降りず、逃げてしまっています。ただし、二人のその後は書く予定がありません。