白を基調とした病室。中央に、ベッドがひとつ。その上に、しょうこは寝かされていた。頭の傷には包帯が巻かれ、他の傷もきちんと処置がなされている。左手には、点滴の管。ぽたぽたと、一定のリズムで雫が落ちていく。
横を向くと、病室の窓が見えた。窓の向こうには青空。雲ひとつない綺麗な空だったが、その事実はしょうこを慰めてはくれなかった。
あの日。さとうが住んでいたマンションが火事になった日。さとうに焼き殺されるところだった自分は、妹を探しに来たあさひに助けられ、一命を取りとめた。あさひは自分を連れて、非常階段を降りようとして、途中で力尽きたところを、通報を受けてかけつけた消防士に二人そろって救助された。
そのまま病院に運ばれ、治療を受けたらしい。というのも、そのときの記憶ははっきりしていないのだ。気がついたらこの部屋で、ベッドに寝かされていた。意識が戻ったのがわかると、部屋にいた看護士さんが飛び出して行き、やがて医者とおぼしき男性と、両親を連れて戻ってきた。何か言われたように思うが、これまたはっきり憶えていない。怪我の状態についてとか、そんな話だったと思う。両親の方もあれやこれやと言っていたようだが、この辺りでまた意識が飛んでしまい、やはり何を言われたのかは思い出せない。
日が経過するにつれ、しょうこの頭も次第にはっきりとしてきた。とはいえ、あのとき起きたことの全部を、綺麗に思い出せたわけではない。一部は霞んでよくわからなくなってしまっている。
確かなのは、さとうに殺されかけたことと、あさひに助けてもらったことだ。……彼があんなにいっしょに暮らしたいと願っていた妹の存在と引き換えにして。
ぽたり、と涙が頬を伝って落ちた。結局、自分はまた間違えたのだ。間違えて、最悪の事態を引き起こしてしまった。さとうは自分を拒絶した。あさひは妹を取り戻すのに失敗した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
そうして泣きじゃくっていると、部屋のドアを叩く音がした。涙をぬぐおうかと一瞬頭に浮かんだが、そうする気力もない。
「失礼します」
そんな声と共に入ってきたのは、長身で髪をまとめた三十代後半ぐらいの女性と、二十代後半ぐらいのセミロングの髪の女性だ。どちらもスーツを着ているので、病院の関係者ではなさそうである。二人の女性は、泣いているしょうこを見て、しまったという表情になった。
「……飛騨しょうこさん、ですよね? 今、時間よろしいですか?」
しょうこは涙をぬぐって、消えそうな声で「……はい」と答えた。女性たちはしばらくひそひそと話し合っていたが、やがて年上の方の女性が前に進み出た。
二人は刑事だった。マンションの火災について話を聞きたいのだという。
「あくまで形式的なものだから、あまり気負わないでくださいね」
五島ミカと名乗った女性は、静かな声でそう言った。半歩後ろほどの距離で、年下の方の女性がメモを開いているのが見える。
「まず、飛騨さんはどうしてあのマンションに?」
「……あ、えっと……友達に、会いに」
ともだち。その言葉を口にしたとき、胸の奥が痛んだ。友達だった。友達のはずだった。
「その友達というのは?」
「……松坂さとう、です。バイト先がいっしょ……あ」
しょうこは思わず身を起こした。はずみで傷が痛み、思わず顔を顰める。五島が軽く身を乗り出し「そのままで大丈夫ですから」と柔らかい口調で言った。
頭を枕に戻し、しょうこは考えた。バイトのことは両親に秘密にしていた。とはいえ、もうバレてしまっているだろう。
「さとうとは、バイト先がいっしょで、それで仲良くなりました……えっと、あの、その……」
「……あのね、飛騨さん」
不意に、後ろにいた方の刑事――確か、葉山アオイと名乗っていた――が声をあげた。
「ご両親とかに黙っておきたいことがあるのなら、それはこちらから喋ったりはしないから、安心してください。あなたの年頃だと、親には言えないようなこととか、いろいろあるでしょうし」
葉山の言葉に、五島もうなずいた。少しだけ、気分が軽くなる。
「それで、飛騨さん。松坂さんの部屋は三階の305号室だけど、あなたがみつかったのは九階への階段です。そこで、神戸あさひといっしょにいるところを保護されました。どうしてあのフロアに?」
「……わかりません」
しょうこは答えた。実際、どう答えていいかわからなかった。
「ゆっくりでいいし、思い出せるところからで大丈夫です。松坂さんを訪ねたのはいつですか?」
あれは、確か……しょうこは、思い出せる日付を答えた。
「火事になった日は思い出せますか?」
しょうこは首を横に振った。五島は思案気な表情になる。
「松坂さんは、あなたが訪ねたときは在宅でしたか?」
「……いいえ。いたのは、叔母さんだけです」
「それであなたはどうしたの?」
「叔母さんが……えっと……さとうは別の部屋に行ってるよと言ったので、その部屋に」
「そこはどこ?」
「1208号室……」
「そこで松坂さとうさんと会ったんですね?」
「……え……えっと……会った、と思うんですけど……なんというのか、よく思い出せなくて……」
嘘だ。本当は憶えている。でも、喋れそうにない。さとうに殺されかけただなんて、この人たちの前で言いたくない。
五島と葉山が顔を見合わせた。二人はしばらくそのまま視線をかわしていたが、やがてまた五島の方が口を開いた。
「頭を打っているし、記憶が不正確でも仕方がないかも……でもごめんなさい、もう少し訊かせて。あなたといっしょにいた、神戸あさひ君。彼とはどんな関係ですか?」
「友達、です……」
「彼もいっしょに松坂さんのところに行ったのですか?」
「いいえ」
不思議と、強い声が出た。自分でその声に驚いてしまう。
「彼がどうしてあそこにいたのかはわかりますか?」
「…………」
しょうこは答えられなかった。あさひについて、自分の一存で話していいとは思えなかったのだ。警察も頼らず、一人で妹を探し回っていたあさひのことだ。この件について、あれこれ喋ったらきっと迷惑がかかる。
五島と葉山はまた顔を見合わせた。何を思っているのか、それは、表情からはわからない。
「今日のところはここまでにします。それでは、私たちはこれで。……お大事に、飛騨さん」
「大丈夫、あなたの心配するようなことは何もありませんから」
二人の刑事は頭を下げて、病室を出て行こうとした。
「……あの、待ってください」
思わず、しょうこは声をかけていた。二人が怪訝そうな表情で振り返る。
「何でしょう?」
「あ、あの……彼は、どうしてますか。あさひ君は」
ふっと、葉山が笑顔になった。ベッドに近づいてくると、膝を折ってしょうこに目線をあわせる。
「彼なら大丈夫。元気にしています」
その言葉を聞いたとき、しょうこは張り詰めていたものが切れるような感覚を憶えた。
「良かった……」
そんな呟きが、意図しないうちに唇からこぼれていた。
「それでは、今度こそ失礼しますね」
刑事さんたちは、しょうこはただの被害者だと思っています。