翌日になる。放課後を迎え、絋汰のいる公園前にまどかがやって来る。
「マミは、どうだった?」
「……お休みしていました」
「……そっか。学年違うのに、わざわざアリガトな」
予想通りと言えば酷だろうが、やはりマミは無断欠席した。
魔法少女は、一歩違えば死を伴う世界。それを身を以て感じ、戦意喪失をしてしまった。
「……危険な目に遭ったから、仕方ないかもしれないな」
「………………」
本当にそうなのかと、まどかは引っ掛かりを感じる。
確かに死に直面したとは言え、彼女にそれなりの覚悟がないようには見えなかった。
食べられかけて、一気に怖くなったのか。それではではないような気がしてならない。
「……あの、絋汰さん」
違和感を彼へ尋ねようとしたが、二人は当時に、やって来たある人物へ注視する。
暁美ほむらだ。
「……やっぱりここにいたのね」
「ほむらちゃん……?」
「おう……けど、良く分かったな?」
「宿無しだから、公園で寝ているかと」
反論したいが、間違いではないので、羞恥から絋汰は身を縮める。
次に彼女の語り口から、絋汰は反応した。
「……って、事は。俺に会いに来たのか?」
「ええ、その通りよ」
「……私は外れた方がいい?」
「……貴女にも個人的に話があるの。いてくれて構わないわ」
相変わらず表情のないほむら。歳不相応な落ち着きが、絋汰にとって強い違和感だ。
それはさておき、彼女は絋汰をじっと見据え、話し出す。
「……まどかから聞いたわ。まさか異世界の人間とはね」
昨日、さやかやマミへ、自分たちが異世界の人間だと言う事を告げた。
そして光実と貴虎へは、自分たちは別々の時間軸から来た事を教えた。
俄かには信じられない話だろうが、短期間でアーマードライダーが現れた事や、超科学的な『戦極ドライバー』の存在を含め、信じせざるを得ないように話した。
尤も、家無し集団だともバレてしまったが。
次に時間軸については、光実が強く驚いていた。絋汰は「隠していたつもりは無かった」と……思わず嘘を吐いてしまう。
戒斗の話と、未来で手に入るエナジー系のロックシードを見せ、即座に納得はしてくれた。
貴虎は一旦病院に戻り、光実と絋汰は共に公園で夜を明かした。
「……絋汰さん」
「ん?」
「未来では、何が起きたんですか?」
「起きたって、どうしてそう思うんだミッチ?」
「……兄さん、とても変わっていたからです」
横に長い滑り台で夜空を見上げる二人。
光実も、自分がユグドラシル関係者の弟だと隠していた。しかし未来で全て分かっていると伝えたので、彼もまたそのように接する事と決めたようだ。
だが彼にとって一番の衝撃は、兄の変化。
厳しく、現実主義で、威圧的な兄は……優しく、何故か寂しげな表情を見せた。
その変貌に、光実は強いショックを受けていたようだ。
「……その。へ、ヘルヘイムの正体が少し分かったんだ! 別世界かなんかの森で、それが俺たちの世界に侵入しているってさ」
「あの森も別世界だったんですか……」
「貴虎はその侵入を止めようとしていたんだ。その流れで、俺たちと協力関係になったんだよ」
その過程において、オーバーロードの存在と侵略、未来の光実の暴走と狂気……については、やはり話をする勇気は足りなかった。
しかしいずれ、この世界から帰る前には、必ず伝えなければならない。もしかしたら、未来が変わるかもしれないからだ。
「……ミッチ。これ、食うか?」
「いえ、絋汰さんどうぞ。何だか、お腹が空いていないんですよ……甘い匂いをずっと嗅いでいたからかな」
「………………」
戦極ドライバーは、人間を怪物にする『果実の魅力』を打ち消す。
同時に、人間に無害な形にし、栄養を摂取する装置。ヘルヘイムに世界が侵略された場合の、『生命維持装置』。
ロックシードとしてセットした時点で、人体に栄養の供給が開始される。つまりベルトを付け続けていれば、食料はいらない。
恐らく戒斗は、この機能を利用して餓死を免れている。
尤も、ロックシードのエネルギーは無限ではない。なるべく、経口からの、人間らしい摂取が良いだろう。
(ミッチの様子から見て……果実を食べた人間がインベスになるってのは知らないようだ……でも……)
そのことも、やはり絋汰は言い出さない。言い出せない。
「……そっか。じゃあ、貰うぞ」
包装を取り、味の薄い廃棄のツナマヨおにぎりを咀嚼する。
話は現在に戻る。
光実は退院の手続きをする貴虎の付き添いに行っている。戒斗は相変わらず、何処でなにしているのやら。
「隠していた訳じゃない。言っても信じるか、まぁ、アレだったし」
「……唐突に言われたら信じなかったわね。嘘にしても馬鹿げているから」
「辛辣だなお前は……」
ほむらは、隣で心配そうに立つまどかを一瞥した後、「それで」と続けた。
「……元の世界に戻る為に、魔法少女を……まどかを利用するつもり?」
声に鋭い、敵意が滲んでいる。
慌てて絋汰は否定した。
「そんなつもりはない! 来たからには帰る道があるハズだ。これは俺たちの問題だし、関わらせはしない!」
「…………それなら良いわ」
「まどかはまどかなりの願い事で、魔法少女になれば良いからな?」
否定したハズだが、その言葉で一気にほむらの表情は不機嫌に落ちる。
「……その必要はない。昨日のマミを見たでしょ? この世界は決して華やかじゃない」
「……ほむらちゃんは……見て来たの? その……魔法少女が……」
「何度も見て来たわ。死んでも遺体さえ残らない者もね。貴方が思う以上に、残酷なの」
その点を鑑みれば、確かに魔法少女になっては欲しくないとも思える。
強制的な戦いに身を投じ、明日死ぬかもしれない世界を生き抜く。強大な力に対して割りに合うかと言われれば……割りに合う以前に、命に深く関わる以上は、なって欲しくはない。
「貴方も同じでしょ? 葛葉絋汰……軽率に言わないで」
絋汰自体が、まさにそうだからだ。痛いほど分かる。
「……ワリィ。けど、強く願う人を無下には……」
「必要ない。何度も言わせないで……この街は私が引き受けるわ」
マミが不安定な今、見滝原にポッカリと空いたポスト。そこにほむらが埋め合わせとして、守護する。
尤も彼女はマミほど、熱心に魔女退治をしないようだが。
「だから貴女は、そのままで良い。もう考えないで」
「……ほむらちゃん、どうしてそこまで……?」
「……話は済んだわ」
二人に背を向け、立ち去ろうとするほむら。
何か声をかけようと見つめる絋汰だが、何を言えば良いのか分からず立ち尽くす。
言ってやる事なんて、幾らでもありそうだ。だが言ってやれないのは、彼女の強い意思……執念じみた「ソレ」を前に、言っても届かないと諦念していたからだ。
「なぁ。まどかは、ほむらと仲良いのか?」
「仲良し……までじゃ、ないんですけど……」
「気のせいじゃねぇよな……やけにまどかに入れ込んでいるって言うか……」
「…………あの」
「お? どした?」
少し言いにくそうに口籠るが、まどかは意を決したように話し出した。
「……ほむらちゃんと私……なんだか、前にも何処かで会ったような気がするんです」
「そうなのか? 前に何処かでって……何処で?」
肝心な所だが、彼女は更に口籠りながら喋る。
「……夢の…中、で?」
身支度を整え、貴虎はベッドから立ち上がる。
今日で彼は退院だ。傍らには、光実が待っていた。
「兄さん、本当に良いの? お金なら僕が幾らか持っているけど」
「いや。これも魔法の力か……怪我はもう治った」
「魔法って言っても、やっぱり不安はあるよ。最後に上の階で精密検査してもらえるようにしたから。それだけは受けてね?」
「……世話になるな」
傷痕は数多、残ってはいるが、貴虎は光実に自らの身体を見せないようにして隠していた。
しかし身体を動かしても痛みはない。負担は軽減されたと捉える。
「それにジッとしていられない……お前たちを、元の世界に帰さなければな」
ハンガーにかけていた上着を羽織る。
所々破れてしまっているが、置いて行く訳にもいかない。
角が取れたようだが、責任感の強い性格はそのままだ。
光実は彼の変わっていない所を見つけて、つい笑ってしまう。
「なに言ってるの。兄さんも帰るんでしょ? その言い方じゃ、兄さんだけ残るみたいだ!」
「………………」
少しの間、動きを止める。
苦い表情を少しだけ浮かべたが、すぐに笑みを繕う。
「……そうだったな」
絞り出すように告げて、襟を正した。
「それでだ。光実は、葛葉絋汰らとどう動いている?」
魔法少女については昨日の内に、知っている事は全て貴虎に教えていた。
「絋汰さんと僕は、暁美ほむらから情報を得ようとしているよ。あの子、何かを知っている」
「俺を助けてくれた少女か……駆紋戒斗は?」
「彼は一人で行動しているよ。魔法少女の願いを使おうとしているって」
「……相変わらずな男だ」
だが彼の境遇を知った今は、罪悪感に満ちていた。
駆紋戒斗の人格形成の根底に、ユグドラシルの存在があった。
戒斗の両親が経営していた工場を強引に潰し、家族をバラバラにしたのは、そのユグドラシルだ。
ユグドラシルの強引な都市開発は数多の人々を絶望に追いやり、若者の将来を悪戯に蹂躙した。
その結果こそ、貴虎が「社会の屑」と毛嫌いしていた『ビートライダーズ』の発足に繋がる。
これらに気付いたのは、全てを失った後だった。
駆紋戒斗は、ユグドラシルの『毒』を見て育った。
見えなくなった将来を、強引にでも切り開く強さを彼は求めた。
自分の場所から外された現状こそ、彼が最も『我を押し出せる環境』なのかもしれない。
二人は病室を出て、精密検査を受けるべく上の階に行こうとエレベーターに乗っていた。
「光実」
「ん?」
「俺はお前らと違い……ベルトがない。魔女とは到底、戦えないだろう。グリーフシード集めは任せる。駆紋戒斗については、俺に任せてくれないか?」
「兄さんが説得するの?」
貴虎は頷く。
「しかし奴を動かすには、材料が必要だ。こちらとあちらに利害が一致した時にこそ、やっと駆紋戒斗は耳を傾ける」
「そうなると……魔法少女の願い以外の対案が必要だね」
「……いや。それ以外の方法もある」
「……え? それって、どういう……?」
彼の脳裏には、『あの光景』が過っていた。
ドス黒く闇に包まれた、瞳を。
「確証が欲しい。その為にまず、話をしたい人物がいる」
「話したい人物……誰の事?」
「それは……」
エレベーターが開く。
車椅子の患者が待っていたので、急いで二人は廊下に出た。
検査室に向かう途中、貴虎は病室から飛び出した人物とぶつかる。
「あ……」
その人物は、知っている少女だった。
「君は、昨日の……」
「さやかちゃん……?」
二人へ視線を向けた彼女の目は、涙に濡れている。
「……! ご、ごめんなさい……!」
「ちょ、ちょっと!?」
すぐにさやかは目を隠し、俯きながら廊下を走って行く。
貴虎は何が起きたのか把握する為、彼女が出て来た病室を覗いた。
「…………光実。お前は、あの子を追え」
「え?……兄さん?」
「頼めるか?」
穏やかに、貴虎は促す。
光実は少し躊躇を見せたが、兄の判断に従う事にし、さやかの後を追う。
光実がいなくなった事を見計らい、貴虎は病室へ入る。
「うぅ……ああぁ……!」
ベッドの上で、両目を押さえつけ、嘆く少年。
その左手からは、血が流れていた。
更に目を惹くのは、床中に散らばったCDとカバー。全て割れている。
「………………」
足元に、CDプレイヤーが落ちていた。
彼はそれを拾い上げ、少年に近付く。
シーツに、左手から滴る血が痛々しくついている。
「……怪我しているじゃないか」
「……!!」
彼の声に驚き、少年は顔を上げる。
目は泣き腫らし、見開かれていたが、深い絶望の色は瞳を染めて主張していた。
「このプレイヤーは、君のか?」
「……ッ! 違います……! で、出て行ってください……ッ!!」
顔を背け、涙を隠す。
絶望し、見ず知らずの貴虎さえも敵に見えてしまっているようだ。
その姿が計らずとも、貴虎の胸を痛めた。
「……ほっとけなくてな」
「何なんですかッ!? 関係ないでしょッ!? 一人にしてくださいよッ!?」
「そう言う訳にもいかない……知人が、悲しんでいたからな」
知人とは言わずもがな、美樹さやか。
彼女が悲しんでいると聞き、同時にさやかの知人と知り「え?」と呟き、再び彼は貴虎を見た。
「さやかの……?」
「呉島貴虎だ。こんな成りだが……まぁ、しがないプロジェクトリーダーだ」
傍らに置いてあった丸椅子を引っ張り、彼の傍らに座る。
貴虎の穏やかな、成熟した雰囲気と口調により、少年の頭は少し冷えたようだ。
「名前は?」
「上条……恭介です」
「上条恭介だな。差し支え無ければ、何があったのか話して欲しい。君に失礼があったなら、こっちから美樹さやかに話しておくが」
「………………」
押し黙り、俯く恭介。
その様子を見て確信した彼は、恭介の左手を指差し、告げる。
「……左手が動かないのか?」
「……さやかから聞いたんですか」
「いや、怪我をしても痛がる素振りがないからな……麻痺しているようだと。違ったかい?」
血だらけの左手を眺め、恭介は自嘲気味に笑う。
「……つまらない事故ですよ。ニュースでやるような……でもそのせいで二度と……」
貴虎は散らばっているCDカバーを見遣る。
どれもこれも、クラシック音楽ばかり。年頃の少年が聴くには、古めかしい。
「……君はピアニストか、何かの奏者のようだな」
「……バイオリンです」
彼の家系は優秀な演奏者を輩出した、音楽一家だ。
そして彼もまた音楽とバイオリンに魅せられた、若きバイオリニストだった。
毎日毎日、練習に明け暮れ、努力し、叱られて涙も流した。
彼の努力は認められ、将来を期待された天才として持て囃された。
彼もまた、一族の名に恥じないようにと、期待に応えるべく驕ること無く邁進し続けた。
その数年の努力は、たった数秒の事故で、水泡となる。
彼の左手は、現代の医療では修復不可能なレベルにまで、神経が断裂していた。
「……昨日医者からも言われたんです……『バイオリンは諦めろ』って……!」
「………………」
「もう二度と動かないんですよ……! もう弾けないんです……!」
嘆き、悲しみ、涙をシーツに落とす。
血と涙のシミはまさに、彼の悲壮と努力を示しているようだ。その終点にある、無常もまた。
「……なのにさやかは弾けない音楽を聴かせて……カッとなって……」
「……叩きつけた訳か」
「……いつか治る。音楽は僕をそう、慰めてくれたのに……もう。聴くのも見るのも嫌なんです」
「………………」
「……うぅう……弾けない音楽なんて……!! もう一生弾けないんだ……!!」
抑えきれない衝動が、ベッドを殴りつける。
大きく軋み、血の跡がこびり付く。
その跡を見て、彼はまた泣いた。
「魔法か奇跡でも起こらない限り……!!」
貴虎は一度目を伏せる。
少し考え込んだ後に、また恭介へと視線を向けた。
「そうだな。一生かかっても、魔法も奇跡も起こりはしないさ」
彼の言葉に驚き、恭介は貴虎へ向き直る。
目の前の彼の表情は厳しくも、悲しげだった。
「CDを叩き割れば、左手は治るのか。友達を傷付ければまたバイオリンを弾けるのか。自棄になれば時間は戻るのか……何も変わりやしない。ただただ腐り続けるだけだ。違うか?」
恭介の目は敵意を剥き出しにする。
「……そんな事分かってるッ!! でもどうすれば良いんですかッ!? 僕は一生弾けないッ!!」
「………………」
「僕には、バイオリンしか無いんですよ……!! 生き甲斐だったッ!!……でもそれももう、無くなった……僕がどれだけ、それに心血を注いで来たのか、分かっているんですかッ!?」
一頻り思いの丈を吐き出し、息を荒げて肩を上下させた。
彼に喋るだけ喋らせた後に、また貴虎は話し出す。
「きっと、私の理解に及ばない領域まで、君は努力をして来たのだろう……身体が動かなくなるんだ。怖いハズだ」
「じゃあ……!」
「ほっといてくれ、分からない癖に」と続ける前に、貴虎は言葉を被せる。
「君はバイオリンに魅せられた」
いつの間にか空は夕陽に傾き出した。
斜陽の紅が、開け放たれたままの窓から差し込んだ。
「憧れて望んで……そして念願のバイオリンを与えられた時の喜びは恐らく……人生最高の瞬間だったろう」
風が吹く。カーテンが、踊るように揺れる。
そのカーテンの隙間からテラテラと差す夕陽が、貴虎の顔を照らした。
「その喜びが……奪われたんだ。とても苦しいだろう……」
まさにそうだ。
彼もまた、奪われた人間だ。
失い、将来が見えなくなった人間だ。
「……すまない。私は、君の全てを……確かに理解は出来ないかもしれない。ただ、私はそれでも言っておきたい」
一呼吸置き、彼は続ける。
「……君は強い人間だ。信じ続けられる人間だ。だからこそ、ここまでやってこれたんだ」
「……僕は弱いですよ」
「弱くなんかない。私は君とは初対面だ……だが、君が今も、音楽やバイオリンにかける情熱を忘れていないその強さに、私は感動したんだ」
「…………え?」
「……忘れていないから……失って怒れるんだ。失って泣けるんだ」
貴虎は立ち上がった。
憂いを帯びた表情は、影が隠す。
「私は、奪い続けた人間だ。そしてまた、失った人間だ」
「……貴方も、失ったんですか……?」
「仲間や……家族すらもな」
影が晴れた時、横顔の彼は真っ直ぐ、恭介へ向き直る。
「……だが、腐ってしまった人間だ。最早、奪い失っても、涙も出ない。そして、変わる事を忘れた。そうなっては駄目なんだ」
微笑む貴虎の表情は、弱々しく見えた。
「……君がもし、魔法や奇跡を信じるなら……まずは、未来を信じ続けて欲しい。医療の世界はリアルタイムで進歩を遂げる……近い未来、その手を治す技術が出来るハズだ」
それに、と付け加える。
「君の持つ天性の才能を、音楽に使わず腐らせるには惜しい……例え手が治らなくてもどうか、君は強くあって欲しい。私の、ささやかな願いだ」
恭介から背を向け、貴虎は病室を出て行こうとする。
寂しげな背中を見て、恭介は思わず呼び止めた。
「あの! どうして……」
「………………」
「……どうして。こんな僕を、励ましてくれるんですか……?」
立ち止まり、貴虎は少しだけ言葉を探した。
「……この歳になると、融通が利かなくなる。私のようになって欲しくなかった」
若干、冗談めかしたような言い方。
「四肢は動くが……心が止まった、愚か者にな」
最後に彼は呟き、出て行く。
「……素晴らしい演奏だ。君のか? 上条恭介」
恭介のベッドの傍に置かれたCDプレイヤーからは、美しい旋律が流れている。
きめ細かく、抱き締めるような、バイオリンの音色。
貴虎はプレイヤーを起動させ、彼から離れていた。
この曲は、自分の演奏だ。
復帰するまでのイメージトレーニングにと、さやかが録音したものを焼いてくれた。
「………………」
血だらけのシーツを掴み、沈み行く夕陽を眺める。
バイオリンの旋律は、それから暫しの間、流された。
暫しか、或いは永遠の別れか。
いずれにせよ、彼の心には希望が芽生え始めていた。
死が無いプロジェクトリーダー