縢れ運命!叫べ勝鬨!魔鎧戦線まどか☆ガイム   作:明暮10番

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君去りて後の街にて

 翌日になる。放課後を迎え、絋汰のいる公園前にまどかがやって来る。

 

 

「マミは、どうだった?」

 

「……お休みしていました」

 

「……そっか。学年違うのに、わざわざアリガトな」

 

 

 予想通りと言えば酷だろうが、やはりマミは無断欠席した。

 魔法少女は、一歩違えば死を伴う世界。それを身を以て感じ、戦意喪失をしてしまった。

 

 

「……危険な目に遭ったから、仕方ないかもしれないな」

 

「………………」

 

 

 本当にそうなのかと、まどかは引っ掛かりを感じる。

 確かに死に直面したとは言え、彼女にそれなりの覚悟がないようには見えなかった。

 食べられかけて、一気に怖くなったのか。それではではないような気がしてならない。

 

 

「……あの、絋汰さん」

 

 

 違和感を彼へ尋ねようとしたが、二人は当時に、やって来たある人物へ注視する。

 暁美ほむらだ。

 

 

「……やっぱりここにいたのね」

 

「ほむらちゃん……?」

 

「おう……けど、良く分かったな?」

 

「宿無しだから、公園で寝ているかと」

 

 

 反論したいが、間違いではないので、羞恥から絋汰は身を縮める。

 次に彼女の語り口から、絋汰は反応した。

 

 

「……って、事は。俺に会いに来たのか?」

 

「ええ、その通りよ」

 

「……私は外れた方がいい?」

 

「……貴女にも個人的に話があるの。いてくれて構わないわ」

 

 

 相変わらず表情のないほむら。歳不相応な落ち着きが、絋汰にとって強い違和感だ。

 それはさておき、彼女は絋汰をじっと見据え、話し出す。

 

 

「……まどかから聞いたわ。まさか異世界の人間とはね」

 

 

 

 

 昨日、さやかやマミへ、自分たちが異世界の人間だと言う事を告げた。

 そして光実と貴虎へは、自分たちは別々の時間軸から来た事を教えた。

 

 俄かには信じられない話だろうが、短期間でアーマードライダーが現れた事や、超科学的な『戦極ドライバー』の存在を含め、信じせざるを得ないように話した。

 尤も、家無し集団だともバレてしまったが。

 

 

 次に時間軸については、光実が強く驚いていた。絋汰は「隠していたつもりは無かった」と……思わず嘘を吐いてしまう。

 戒斗の話と、未来で手に入るエナジー系のロックシードを見せ、即座に納得はしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 貴虎は一旦病院に戻り、光実と絋汰は共に公園で夜を明かした。

 

 

「……絋汰さん」

 

「ん?」

 

「未来では、何が起きたんですか?」

 

「起きたって、どうしてそう思うんだミッチ?」

 

「……兄さん、とても変わっていたからです」

 

 

 横に長い滑り台で夜空を見上げる二人。

 光実も、自分がユグドラシル関係者の弟だと隠していた。しかし未来で全て分かっていると伝えたので、彼もまたそのように接する事と決めたようだ。

 

 だが彼にとって一番の衝撃は、兄の変化。

 厳しく、現実主義で、威圧的な兄は……優しく、何故か寂しげな表情を見せた。

 その変貌に、光実は強いショックを受けていたようだ。

 

 

「……その。へ、ヘルヘイムの正体が少し分かったんだ! 別世界かなんかの森で、それが俺たちの世界に侵入しているってさ」

 

「あの森も別世界だったんですか……」

 

「貴虎はその侵入を止めようとしていたんだ。その流れで、俺たちと協力関係になったんだよ」

 

 

 

 

 その過程において、オーバーロードの存在と侵略、未来の光実の暴走と狂気……については、やはり話をする勇気は足りなかった。

 しかしいずれ、この世界から帰る前には、必ず伝えなければならない。もしかしたら、未来が変わるかもしれないからだ。

 

 

「……ミッチ。これ、食うか?」

 

「いえ、絋汰さんどうぞ。何だか、お腹が空いていないんですよ……甘い匂いをずっと嗅いでいたからかな」

 

「………………」

 

 

 戦極ドライバーは、人間を怪物にする『果実の魅力』を打ち消す。

 同時に、人間に無害な形にし、栄養を摂取する装置。ヘルヘイムに世界が侵略された場合の、『生命維持装置』。

 

 ロックシードとしてセットした時点で、人体に栄養の供給が開始される。つまりベルトを付け続けていれば、食料はいらない。

 恐らく戒斗は、この機能を利用して餓死を免れている。

 

 

 尤も、ロックシードのエネルギーは無限ではない。なるべく、経口からの、人間らしい摂取が良いだろう。

 

 

 

 

(ミッチの様子から見て……果実を食べた人間がインベスになるってのは知らないようだ……でも……)

 

 

 そのことも、やはり絋汰は言い出さない。言い出せない。

 

 

 

「……そっか。じゃあ、貰うぞ」

 

 

 包装を取り、味の薄い廃棄のツナマヨおにぎりを咀嚼する。

 

 

 

 

 

 

 

 話は現在に戻る。

 光実は退院の手続きをする貴虎の付き添いに行っている。戒斗は相変わらず、何処でなにしているのやら。

 

 

「隠していた訳じゃない。言っても信じるか、まぁ、アレだったし」

 

「……唐突に言われたら信じなかったわね。嘘にしても馬鹿げているから」

 

「辛辣だなお前は……」

 

 

 ほむらは、隣で心配そうに立つまどかを一瞥した後、「それで」と続けた。

 

 

 

「……元の世界に戻る為に、魔法少女を……まどかを利用するつもり?」

 

 

 声に鋭い、敵意が滲んでいる。

 慌てて絋汰は否定した。

 

 

「そんなつもりはない! 来たからには帰る道があるハズだ。これは俺たちの問題だし、関わらせはしない!」

 

「…………それなら良いわ」

 

「まどかはまどかなりの願い事で、魔法少女になれば良いからな?」

 

 

 否定したハズだが、その言葉で一気にほむらの表情は不機嫌に落ちる。

 

 

「……その必要はない。昨日のマミを見たでしょ? この世界は決して華やかじゃない」

 

「……ほむらちゃんは……見て来たの? その……魔法少女が……」

 

「何度も見て来たわ。死んでも遺体さえ残らない者もね。貴方が思う以上に、残酷なの」

 

 

 その点を鑑みれば、確かに魔法少女になっては欲しくないとも思える。

 強制的な戦いに身を投じ、明日死ぬかもしれない世界を生き抜く。強大な力に対して割りに合うかと言われれば……割りに合う以前に、命に深く関わる以上は、なって欲しくはない。

 

 

 

「貴方も同じでしょ? 葛葉絋汰……軽率に言わないで」

 

 

 絋汰自体が、まさにそうだからだ。痛いほど分かる。

 

 

「……ワリィ。けど、強く願う人を無下には……」

 

「必要ない。何度も言わせないで……この街は私が引き受けるわ」

 

 

 マミが不安定な今、見滝原にポッカリと空いたポスト。そこにほむらが埋め合わせとして、守護する。

 尤も彼女はマミほど、熱心に魔女退治をしないようだが。

 

 

「だから貴女は、そのままで良い。もう考えないで」

 

「……ほむらちゃん、どうしてそこまで……?」

 

「……話は済んだわ」

 

 

 

 

 二人に背を向け、立ち去ろうとするほむら。

 何か声をかけようと見つめる絋汰だが、何を言えば良いのか分からず立ち尽くす。

 

 言ってやる事なんて、幾らでもありそうだ。だが言ってやれないのは、彼女の強い意思……執念じみた「ソレ」を前に、言っても届かないと諦念していたからだ。

 

 

「なぁ。まどかは、ほむらと仲良いのか?」

 

「仲良し……までじゃ、ないんですけど……」

 

「気のせいじゃねぇよな……やけにまどかに入れ込んでいるって言うか……」

 

「…………あの」

 

「お? どした?」

 

 

 少し言いにくそうに口籠るが、まどかは意を決したように話し出した。

 

 

「……ほむらちゃんと私……なんだか、前にも何処かで会ったような気がするんです」

 

「そうなのか? 前に何処かでって……何処で?」

 

 

 肝心な所だが、彼女は更に口籠りながら喋る。

 

 

 

 

「……夢の…中、で?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 身支度を整え、貴虎はベッドから立ち上がる。

 今日で彼は退院だ。傍らには、光実が待っていた。

 

 

「兄さん、本当に良いの? お金なら僕が幾らか持っているけど」

 

「いや。これも魔法の力か……怪我はもう治った」

 

「魔法って言っても、やっぱり不安はあるよ。最後に上の階で精密検査してもらえるようにしたから。それだけは受けてね?」

 

「……世話になるな」

 

 

 傷痕は数多、残ってはいるが、貴虎は光実に自らの身体を見せないようにして隠していた。

 しかし身体を動かしても痛みはない。負担は軽減されたと捉える。

 

 

「それにジッとしていられない……お前たちを、元の世界に帰さなければな」

 

 

 ハンガーにかけていた上着を羽織る。

 所々破れてしまっているが、置いて行く訳にもいかない。

 

 

 角が取れたようだが、責任感の強い性格はそのままだ。

 光実は彼の変わっていない所を見つけて、つい笑ってしまう。

 

 

「なに言ってるの。兄さんも帰るんでしょ? その言い方じゃ、兄さんだけ残るみたいだ!」

 

「………………」

 

 

 少しの間、動きを止める。

 苦い表情を少しだけ浮かべたが、すぐに笑みを繕う。

 

 

「……そうだったな」

 

 

 絞り出すように告げて、襟を正した。

 

 

 

「それでだ。光実は、葛葉絋汰らとどう動いている?」

 

 

 魔法少女については昨日の内に、知っている事は全て貴虎に教えていた。

 

 

「絋汰さんと僕は、暁美ほむらから情報を得ようとしているよ。あの子、何かを知っている」

 

「俺を助けてくれた少女か……駆紋戒斗は?」

 

「彼は一人で行動しているよ。魔法少女の願いを使おうとしているって」

 

「……相変わらずな男だ」

 

 

 だが彼の境遇を知った今は、罪悪感に満ちていた。

 

 

 

 駆紋戒斗の人格形成の根底に、ユグドラシルの存在があった。

 戒斗の両親が経営していた工場を強引に潰し、家族をバラバラにしたのは、そのユグドラシルだ。

 

 ユグドラシルの強引な都市開発は数多の人々を絶望に追いやり、若者の将来を悪戯に蹂躙した。

 その結果こそ、貴虎が「社会の屑」と毛嫌いしていた『ビートライダーズ』の発足に繋がる。

 

 これらに気付いたのは、全てを失った後だった。

 

 

 

 駆紋戒斗は、ユグドラシルの『毒』を見て育った。

 見えなくなった将来を、強引にでも切り開く強さを彼は求めた。

 自分の場所から外された現状こそ、彼が最も『我を押し出せる環境』なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は病室を出て、精密検査を受けるべく上の階に行こうとエレベーターに乗っていた。

 

 

「光実」

 

「ん?」

 

「俺はお前らと違い……ベルトがない。魔女とは到底、戦えないだろう。グリーフシード集めは任せる。駆紋戒斗については、俺に任せてくれないか?」

 

「兄さんが説得するの?」

 

 

 貴虎は頷く。

 

 

「しかし奴を動かすには、材料が必要だ。こちらとあちらに利害が一致した時にこそ、やっと駆紋戒斗は耳を傾ける」

 

「そうなると……魔法少女の願い以外の対案が必要だね」

 

「……いや。それ以外の方法もある」

 

「……え? それって、どういう……?」

 

 

 彼の脳裏には、『あの光景』が過っていた。

 ドス黒く闇に包まれた、瞳を。

 

 

「確証が欲しい。その為にまず、話をしたい人物がいる」

 

「話したい人物……誰の事?」

 

「それは……」

 

 

 エレベーターが開く。

 車椅子の患者が待っていたので、急いで二人は廊下に出た。

 

 検査室に向かう途中、貴虎は病室から飛び出した人物とぶつかる。

 

 

「あ……」

 

 

 その人物は、知っている少女だった。

 

 

「君は、昨日の……」

 

「さやかちゃん……?」

 

 

 二人へ視線を向けた彼女の目は、涙に濡れている。

 

 

「……! ご、ごめんなさい……!」

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 

 すぐにさやかは目を隠し、俯きながら廊下を走って行く。

 貴虎は何が起きたのか把握する為、彼女が出て来た病室を覗いた。

 

 

「…………光実。お前は、あの子を追え」

 

「え?……兄さん?」

 

「頼めるか?」

 

 

 穏やかに、貴虎は促す。

 光実は少し躊躇を見せたが、兄の判断に従う事にし、さやかの後を追う。

 

 

 

 光実がいなくなった事を見計らい、貴虎は病室へ入る。

 

 

 

 

 

 

「うぅ……ああぁ……!」

 

 

 ベッドの上で、両目を押さえつけ、嘆く少年。

 その左手からは、血が流れていた。

 更に目を惹くのは、床中に散らばったCDとカバー。全て割れている。

 

 

 

「………………」

 

 

 足元に、CDプレイヤーが落ちていた。

 彼はそれを拾い上げ、少年に近付く。

 

 シーツに、左手から滴る血が痛々しくついている。

 

 

「……怪我しているじゃないか」

 

「……!!」

 

 

 彼の声に驚き、少年は顔を上げる。

 目は泣き腫らし、見開かれていたが、深い絶望の色は瞳を染めて主張していた。

 

 

「このプレイヤーは、君のか?」

 

「……ッ! 違います……! で、出て行ってください……ッ!!」

 

 

 顔を背け、涙を隠す。

 絶望し、見ず知らずの貴虎さえも敵に見えてしまっているようだ。

 

 

 その姿が計らずとも、貴虎の胸を痛めた。

 

 

「……ほっとけなくてな」

 

「何なんですかッ!? 関係ないでしょッ!? 一人にしてくださいよッ!?」

 

「そう言う訳にもいかない……知人が、悲しんでいたからな」

 

 

 知人とは言わずもがな、美樹さやか。

 彼女が悲しんでいると聞き、同時にさやかの知人と知り「え?」と呟き、再び彼は貴虎を見た。

 

 

「さやかの……?」

 

「呉島貴虎だ。こんな成りだが……まぁ、しがないプロジェクトリーダーだ」

 

 

 傍らに置いてあった丸椅子を引っ張り、彼の傍らに座る。

 貴虎の穏やかな、成熟した雰囲気と口調により、少年の頭は少し冷えたようだ。

 

 

「名前は?」

 

「上条……恭介です」

 

「上条恭介だな。差し支え無ければ、何があったのか話して欲しい。君に失礼があったなら、こっちから美樹さやかに話しておくが」

 

「………………」

 

 

 押し黙り、俯く恭介。

 その様子を見て確信した彼は、恭介の左手を指差し、告げる。

 

 

「……左手が動かないのか?」

 

「……さやかから聞いたんですか」

 

「いや、怪我をしても痛がる素振りがないからな……麻痺しているようだと。違ったかい?」

 

 

 血だらけの左手を眺め、恭介は自嘲気味に笑う。

 

 

「……つまらない事故ですよ。ニュースでやるような……でもそのせいで二度と……」

 

 

 貴虎は散らばっているCDカバーを見遣る。

 どれもこれも、クラシック音楽ばかり。年頃の少年が聴くには、古めかしい。

 

 

「……君はピアニストか、何かの奏者のようだな」

 

「……バイオリンです」

 

 

 彼の家系は優秀な演奏者を輩出した、音楽一家だ。

 そして彼もまた音楽とバイオリンに魅せられた、若きバイオリニストだった。

 

 

 毎日毎日、練習に明け暮れ、努力し、叱られて涙も流した。

 彼の努力は認められ、将来を期待された天才として持て囃された。

 彼もまた、一族の名に恥じないようにと、期待に応えるべく驕ること無く邁進し続けた。

 

 

 

 

 

 その数年の努力は、たった数秒の事故で、水泡となる。

 

 彼の左手は、現代の医療では修復不可能なレベルにまで、神経が断裂していた。

 

 

「……昨日医者からも言われたんです……『バイオリンは諦めろ』って……!」

 

「………………」

 

「もう二度と動かないんですよ……! もう弾けないんです……!」

 

 

 嘆き、悲しみ、涙をシーツに落とす。

 血と涙のシミはまさに、彼の悲壮と努力を示しているようだ。その終点にある、無常もまた。

 

 

「……なのにさやかは弾けない音楽を聴かせて……カッとなって……」

 

「……叩きつけた訳か」

 

「……いつか治る。音楽は僕をそう、慰めてくれたのに……もう。聴くのも見るのも嫌なんです」

 

「………………」

 

「……うぅう……弾けない音楽なんて……!! もう一生弾けないんだ……!!」

 

 

 抑えきれない衝動が、ベッドを殴りつける。

 大きく軋み、血の跡がこびり付く。

 

 その跡を見て、彼はまた泣いた。

 

 

 

「魔法か奇跡でも起こらない限り……!!」

 

 

 

 貴虎は一度目を伏せる。

 少し考え込んだ後に、また恭介へと視線を向けた。

 

 

 

 

「そうだな。一生かかっても、魔法も奇跡も起こりはしないさ」

 

 

 

 彼の言葉に驚き、恭介は貴虎へ向き直る。

 目の前の彼の表情は厳しくも、悲しげだった。

 

 

「CDを叩き割れば、左手は治るのか。友達を傷付ければまたバイオリンを弾けるのか。自棄になれば時間は戻るのか……何も変わりやしない。ただただ腐り続けるだけだ。違うか?」

 

 

 恭介の目は敵意を剥き出しにする。

 

 

「……そんな事分かってるッ!! でもどうすれば良いんですかッ!? 僕は一生弾けないッ!!」

 

「………………」

 

「僕には、バイオリンしか無いんですよ……!! 生き甲斐だったッ!!……でもそれももう、無くなった……僕がどれだけ、それに心血を注いで来たのか、分かっているんですかッ!?」

 

 

 一頻り思いの丈を吐き出し、息を荒げて肩を上下させた。

 彼に喋るだけ喋らせた後に、また貴虎は話し出す。

 

 

「きっと、私の理解に及ばない領域まで、君は努力をして来たのだろう……身体が動かなくなるんだ。怖いハズだ」

 

「じゃあ……!」

 

 

 

 

「ほっといてくれ、分からない癖に」と続ける前に、貴虎は言葉を被せる。

 

 

 

 

「君はバイオリンに魅せられた」

 

 

 いつの間にか空は夕陽に傾き出した。

 斜陽の紅が、開け放たれたままの窓から差し込んだ。

 

 

「憧れて望んで……そして念願のバイオリンを与えられた時の喜びは恐らく……人生最高の瞬間だったろう」

 

 

 風が吹く。カーテンが、踊るように揺れる。

 そのカーテンの隙間からテラテラと差す夕陽が、貴虎の顔を照らした。

 

 

「その喜びが……奪われたんだ。とても苦しいだろう……」

 

 

 

 

 まさにそうだ。

 

 彼もまた、奪われた人間だ。

 失い、将来が見えなくなった人間だ。

 

 

「……すまない。私は、君の全てを……確かに理解は出来ないかもしれない。ただ、私はそれでも言っておきたい」

 

 

 一呼吸置き、彼は続ける。

 

 

「……君は強い人間だ。信じ続けられる人間だ。だからこそ、ここまでやってこれたんだ」

 

「……僕は弱いですよ」

 

「弱くなんかない。私は君とは初対面だ……だが、君が今も、音楽やバイオリンにかける情熱を忘れていないその強さに、私は感動したんだ」

 

「…………え?」

 

「……忘れていないから……失って怒れるんだ。失って泣けるんだ」

 

 

 貴虎は立ち上がった。

 

 憂いを帯びた表情は、影が隠す。

 

 

「私は、奪い続けた人間だ。そしてまた、失った人間だ」

 

「……貴方も、失ったんですか……?」

 

「仲間や……家族すらもな」

 

 

 影が晴れた時、横顔の彼は真っ直ぐ、恭介へ向き直る。

 

 

「……だが、腐ってしまった人間だ。最早、奪い失っても、涙も出ない。そして、変わる事を忘れた。そうなっては駄目なんだ」

 

 

 微笑む貴虎の表情は、弱々しく見えた。

 

 

「……君がもし、魔法や奇跡を信じるなら……まずは、未来を信じ続けて欲しい。医療の世界はリアルタイムで進歩を遂げる……近い未来、その手を治す技術が出来るハズだ」

 

 

 それに、と付け加える。

 

 

「君の持つ天性の才能を、音楽に使わず腐らせるには惜しい……例え手が治らなくてもどうか、君は強くあって欲しい。私の、ささやかな願いだ」

 

 

 

 恭介から背を向け、貴虎は病室を出て行こうとする。

 寂しげな背中を見て、恭介は思わず呼び止めた。

 

 

「あの! どうして……」

 

「………………」

 

「……どうして。こんな僕を、励ましてくれるんですか……?」

 

 

 立ち止まり、貴虎は少しだけ言葉を探した。

 

 

「……この歳になると、融通が利かなくなる。私のようになって欲しくなかった」

 

 

 若干、冗談めかしたような言い方。

 

 

 

 

「四肢は動くが……心が止まった、愚か者にな」

 

 

 最後に彼は呟き、出て行く。

 

 

「……素晴らしい演奏だ。君のか? 上条恭介」

 

 

 

 

 恭介のベッドの傍に置かれたCDプレイヤーからは、美しい旋律が流れている。

 きめ細かく、抱き締めるような、バイオリンの音色。

 貴虎はプレイヤーを起動させ、彼から離れていた。

 

 

 

 この曲は、自分の演奏だ。

 復帰するまでのイメージトレーニングにと、さやかが録音したものを焼いてくれた。

 

 

「………………」

 

 

 血だらけのシーツを掴み、沈み行く夕陽を眺める。

 バイオリンの旋律は、それから暫しの間、流された。

 

 

 暫しか、或いは永遠の別れか。

 いずれにせよ、彼の心には希望が芽生え始めていた。




死が無いプロジェクトリーダー

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