暗い世界に、薄い赤の光が差し込む。
それは自分が目を閉じていると気付き、彼は瞳を開く。
白い天井、アルコールの匂い、右腕の鈍い痛み。
彼は病院にいる事を、知覚した。
「…………病院か?」
身体を起こす。
長く眠っていた為、倦怠感が強い。それでも強い痛みは少なく、右腕にある注射針以上の物はない。
彼の着ていたボロボロのスーツは着替えさせられ、涼しげな院内服。身体には包帯が巻かれていた。
「……生きている?」
意識を失う寸前が、脳を突き抜け追憶される。
衝撃と、身体の許容を超える痛み。
仮面越しからではない、自分の肉眼で見た、曖昧な最後の光景。
自分の幻影、自分の影、自分の過ち、自分の家族、自分の弟。
自分に容赦のない、決定的な一撃を食らわせた、白い戦士。
スローモーションのように、その光景を一目見た。
そのまま世界は反転し、暗転し、身体は冷たい水に埋まった。
暗闇の中で、自分は必死にもがいた。
死ぬ事よりも、もう一度、弟の顔を見たかった。
仮面に隠された、弟の顔を見たかった。
そして、救いたかった。
次に現れた映像は、その光景から一転。
黒髪の少女が、自分に話しかけた。
すると狂うほどの痛みが、和らいだ。
彼女は背を向け、夜に消える。
声をかけようとした所で、気力を果たした身体は眠りについた。
何をしたかは分からないが、何かをしてくれた。
彼は、記憶から戻る
「俺は……光実と……そして、少女に…………」
世界はどうなった。
『知恵の実』は、ヘルヘイムは、オーバーロードは……光実は、葛葉絋汰は。
「………………」
ベッド横にかけられた、ナースコール。
即座に手に取り、ボタンを押した。
絋汰は、通勤通学の会社員や学生らで行き交う、朝の大通りにいた。
流れる人の波より外れた、消防用ポンプの上に腰をかけて。
「………………」
戒斗との会話が想起される。
「魔法少女の契約での『願い』で、元の世界に戻る。それしか方法はない」
それだけ告げ、歩き去ろうとする彼を絋汰は止めた。
「待てよ戒斗! じゃあ、あの子らを利用しろってのかよ!?」
「難点は、俺たちが別世界の人間だと信じるかどうかだな」
「そう言う問題じゃないだろ!!」
彼の肩を引き、目線を無理やり合わせた。
戒斗はいつも通りの、あの冷めた目のまま。
「別に騙すつもりはない。叶えたい望みがないなら、俺らの為に使えと要求するだけだ……他の望みが出る前にな」
「願い事はたった一度なんだ!……戦いの義務を負わされるんだ。彼女らの意思で、彼女らが叶えたい願いを叶えさせるべきだろ!」
「良く聞く話だな。使える物を出し惜しみし、最後まで腐らせる……弱者の考えだ。使える物は、使えるべき時に使わせてやれ」
「だが……!」
「それに望みを言うのはあっちだ……つまりは向こうの意思になるな、葛葉」
掴む絋汰の腕を逆に掴み上げ、戒斗は鋭い目付きで睨む。
「……未来のお前なら分かるだろ。俺は、ここで燻っている暇はない。魔女とやらを倒し続けた所で、俺の……お前の理想すらも訪れない」
「………………」
「……分かったなら、あの二人を説得しろ。お前の方が信頼されている」
腕を離し、また踵を返して絋汰の元から去る。
「お前はどうすんだ!?」
「別の魔法少女の候補を探す」
「どうやって!?」
「あのキュウべぇとか言う、気味の悪い生き物だろ。お前が言うには、人間の言葉が理解出来るらしいからな」
キュウべぇと結託し、探すつもりだろうか。
確かにキュウべぇならば戒斗の要求を飲むだろう。寧ろ、魔法少女を増やすよう立ち回ってくれる協力者、互いに徳だ。
「…………戒斗……」
もう呼び止めたって、彼は止まらない。
高架下を抜け、街の中に消えてしまった。
記憶から抜け出し、朝の大通りに戻る。
確かに戒斗の言う事は筋が通っていた。元の世界を見捨てる事は出来ない上、絋汰も仲間や家族……救うべき人間がいる。
こんな所で、魔法少女の体験コース補助なんて役目をやっている暇はないハズだ。
魔法少女の願い事ならば、確かに帰る可能性はある。キュウべぇも、「素質による」と言っていた……つまり素質さえあれば、何でも叶えられる訳だ。名声を手に入れられるとも。世界を超えるなど途方もないが、不可能ではない。
「……いや、やっぱ並行世界を超えるなんて無理だろ。キュウべぇも予想外だろうし……」
悩んでいた彼は、近付く足音と呼ぶ声で我に帰る。
視線の先にはまどかと、さやかと……もう一人知らない少女がいた。お淑やかそうで、やや癖のある髪。
「絋汰さん、奇遇ですねぇ! おはよーございまーす!」
「おはようございます!」
「おう、おはよっ!……えっと、友達か?」
絋汰が聞くと、彼女はぺこりと綺麗な会釈をした。育ちの良さが伺える。
「初めまして、『志筑 仁美』です。お二人から色々伺っていますよ」
「あぁ、そ、そうですか。これは御丁寧にどうも〜……」
余りのお嬢様オーラに、絋汰は大きくお辞儀して屈服する。
その様子を、まどかとさやかは笑った。
「あっははは! 絋汰さん、これじゃどっちが歳下か分かりませんぜ!」
「う、うっせぇ、さやか! お前はもう少しお淑やかになれ!」
「流石に大声で笑うのはないかな……」
「そうですわね。さやかさん、是非一度私が淑女らしさをご教示いたしましょうか?」
「あ、あれ? 今度はあたしがマウント取られてる?」
学生らしい、ワチャワチャとした会話。
「最近お二人とも、非常に仲睦まじくて……禁断の愛と疑っておりますが、絋汰さんご存知ないですか?」
「は? 禁断の愛?……そう言う関係だったのか」
「だから違うっての! 絋汰さんも間に受けないで!?」
「も、もう! 仁美ちゃんったら!」
将来の心配は置いておき、目前の幸せを噛み締めるような笑顔。
「そう言えばさ、こないだメチャクチャ美味いフルーツパフェの店見つけたんだけど、どう!?」
「行ってみたいですね! 予定が合うのかが悩みですけど……」
「イチゴのパフェがいいなぁ、食べたいなぁ」
(多分、トルーパーズだな……この世界じゃまだ穴場か……)
無機質な通学路に血を通わせるような、賑やかな雰囲気。
(……この二人は、二人なりで考えるべきだ。俺らの事情を挟むべきじゃない)
一つの願い事と、一生の戦い。釣り合いなんて馬鹿らしいほど、二つは大事だ。
魔法少女にならないのも選択、願い事を引き換えに責務を負うのも選択。なるかならないも、何を叶えるのかも、他人が介入して良い訳がない。
絋汰は幸せなこの世界の、無垢なこの笑顔を見守る事にする。
彼が元の世界に帰るまでの間。
「……あっ」
「……ゲッ」
「あら」
各々、何かを見つけた反応。
絋汰も前を向く。そこには見覚えのある人物。
「ほむらちゃん……と?」
「転校生……と、アレ? だ、誰あの美少年?」
「お兄さん……ではありませんか? 恐らく……」
制服姿の暁美ほむら。そう言えば彼女とは二回目だと、絋汰は思う。
いや、その絋汰の認知は随分遅れてからのものだ。
ほむらの存在に気付いた瞬間、彼の思考はほむらの隣を歩く少年に集中した。
向こうも同じだ。動かしていた足が止まり、大きく目を見開き、呆然とした表情。
呉島光実だ。
「絋汰さん……!? 絋汰さん!!」
「ミッ……チ? ミッチィ!?!?」
膠着した絋汰をよそに、光実は颯爽と駆け寄り彼の手を握る。
「今、ミッチって言いましたね!? 僕の知っている絋汰さんなんですね!?」
「ミッチなんだよな……俺の知る……!? お前も来てたのか!?」
「えぇ、えぇ、絋汰さん……! 僕もう、一人ぼっちかと……!」
「あーあー泣くな泣くな! 募る話もあるだろうし、兎に角……」
彼をあやしながら、ハッと辺りを見渡す。
冷めた目のほむら。
驚愕顔のさやか。
赤面のまどか。
興奮気味の仁美。
「これが、禁断の愛……!?」
「ちげぇよ!? ミッチ、一旦離れようミッチ!!」
誤解を受けた朝方だった。
戒斗は公園。平日の為、殆ど人がいない。いるとしも朝の運動に来た老人たちで、長居はしなかった。
ポケットに手を入れ、指先でロックシードを弄りながら何かを探していた。
「…………何処にいる。良い話があるぞ」
『探しているのは僕かい?』
茂みからキュウべぇが飛び出した。
戒斗の足元まで近寄り、見上げて来る。種が猫が狐か分からない以前に、こののっぺりとした顔が苦手だ。
「ここだったか。通学路で候補を漁っていると思っていたがな」
『もうみんな、授業中だよ。流石に授業中じゃこの僕でも』
「魔法少女の契約に協力してやる。候補の場所を案内しろ」
『……おや?』
キュウべぇの尻尾が、興味深そうにピョコっと上がる。
話が微妙に噛み合わない事と、彼の食い気味な話し方に違和感。
「望みをこっちの考えるものにするなら、誰でも魔法少女にしてやる」
『断るよ』
「悪い話じゃないハズだが」
『……なるほどね』
試しに話してみた「断る」に、戒斗は無反応だ。
彼は、キュウべぇは見えているが『声が聞こえていない』様子。
「分かっているのか分かっていないのか、不気味な奴だ。鳴き声すらあげれんのか」
『いや、理解しているよ』
「……やっと話したか」
戒斗にも聞こえるように、キュウべぇは力を調整した。
初めて彼の声を、もとい喋る事に気付いた戒斗だが驚きはない。予想でもしていたかのようだ。
『驚かないのかい?』
「人語を喋れない生き物が、人間と契約出来るか」
『成る程! 論理的な考えだ! 言われてみればそうだね!』
敢えて自分から聞こえるようにした、とは言わない。
キュウべぇは彼の提案と、彼から伺える野望の気配を感じたからだ。一々注意するのは野暮。
『それで、魔法少女を誰でも契約を結ばせるって話だったね。あと、君の望みを……かい?』
「俺の求める望みで契約させる。その為に信頼を勝ち得て、納得させる算段だ」
『他人の為に願いを行使する事例は沢山あるよ。統計上、その人にとってなくてはならない人物が選ばれるから……相当な信頼関係が必要だ』
「別に全ての奴にするつもりはない。素質があり、自我の甘い人間を使う。それならばかなり楽だろ。貴様は、そんな人間を紹介しろ」
『成る程。それなら随分と早く済みそうだね。自我の弱い少女はなかなか判断を決めかねるから、僕としても大助かりだ!』
キュウべぇは彼の提案を肯定した上で、「だけど」と続けた。
『君の願いはなんなんだい? 名声? 富? 或いは力かい?』
「俺らは別世界の人間だ。元の世界に帰る」
戒斗は隠さず、ストレートに話す。
一般的な目で見ればどちらも異質な存在だ。それに変に勘繰られるより、先に提示していた方が良い。
キュウべぇは垂れかけた頭を、キュッと持ち上げた。表情はないが、強い関心を向けている。
『君たちは並行世界の人間って事かい!?』
「信じるのか?」
『あり得ない事象でもないし、更にこれで君たちの力にも説明が付くよ! 明らかに君たちの力、この世界とは一線を画した物だ……それに少ししか話していないけど、統計上君のようなパーソナリティの人間は冗談が苦手だからね!』
とことんこちらを見透かしてこようとする。
喋らない時も気味が悪いが、話せば尚も気味が悪い。
「何であれ、俺に協力するならそれで良い。一つ聞くが、世界を跨ぐほどの望みも叶えられるのか?」
彼の質問に、キュウべぇは答えた。
『かなり難しい、途方も無い願いだと思うよ。こっちも全く事例がないからね』
「理論上、不可能ではないんだな?」
戒斗もキュウべぇの性格を読めて来た。
こう言うタイプは肯定か否定かしか言わない、言葉を濁す事を知らない正直者。
今だって「かなり難しい」であり、「無理」ではない。
『確かに、可能だよ。莫大な素質を持つ魔法少女……ならばね』
「……その口ぶりでは、存在はするようだな」
無表情なキュウべぇが笑った。
『歴代最高の素質を持つ魔法少女が、この町にいるよ。その子ならば、君の望みは叶えられる』
淡々と続ける。
『しかも、君の言う自我の弱い少女ともピッタリだ!』
戒斗は逸る気持ちを抑えながら、表面上は冷静を保ったまま。
彼は元の世界に帰らねばならない。絋汰が話した未来を聞いた以上、その気持ちは強まっていた。
「……それは誰だ」
『彼女を手放すのはとても惜しい。君からの梃入れがあるなら、とても助かるよ』
キュウべぇは戒斗を見上げながら、また目だけをニコッと笑わせた。
随時無表情なだけに、その表情は怪しさを与える。
『「鹿目まどか」……昨日、僕を抱いていた、桃髪の少女だ。今後現れるか分からないほどの逸材だよ!』
熱のこもった、話し口だ。
『……望めば、「万能の神」にだってなれる。君たちの世界線移動なんて、イチゴのヘタを取るより簡単な事だ』
戒斗はキュウべぇの笑顔を見て、更に油断ならない相手だと気付く。
しかしそんな事より、戒斗は掴んだ。元の世界に帰る、最善の方法を。
「……あの子どもか。一応聞くが、そいつ以外では?」
『いないね。もしかしたら、この世界中を見ても見当たらないかもしれない。鹿目まどか……しか、いないよ』
「そうか。礼を言う」
そうなれば、まどかからの信頼を得ている葛場絋汰を、どうにか動かさなければならない。
戒斗の考えは変わった。どうにかして、鹿目まどかから望みを託させるしかない。
公園を去ろうとする戒斗に、キュウべぇは疑問を飛ばした。
『お礼と言うのは、「ありがとう」と言った定型文が必要だ。「礼を言った」の礼は感謝の概念を表す言葉であって、儀式的意味の礼は言っていないんじゃないのかい?』
理屈的過ぎるこの白い生物は、何があっても好きになれないだろう。
同時に、信用も出来ないだろう。一生かかったところで。
集中投稿は、一旦終了です。
また二作を進めますので、よろしくお願いします。