まどかたちは、学校に行く。
その間、絋汰と光実は中学校の校門前で話し合っていた。
「絋汰さんも無事のようで、良かったです! 気付けば知らない所にいたし、何もかもが違うし……」
「俺も度肝抜かれたよ……まさか、並行世界なんてなぁ」
「……これも、ヘルヘイムの森が関係しているのでしょうか」
「それは分からねぇや。兎に角、ミッチと……うん。また会えて良かったぜ」
光実の肩を叩き、激励する。
すると嬉しそうに微笑み、絋汰へ憧れの眼差しを送っていた。
絋汰の言った、「また会えて良かった」には、二重の意味が含まれている。
彼の様子からして、恐らくは戒斗同様、絋汰よりも過去の時間軸の光実だと判明した。
オーバーロードと手を組み、ユグドラシルを掌握し、絋汰に憎悪を抱く……あの光実になる前の彼。
同時に絋汰は知っている。光実が、貴虎の弟である事と、その深い心の闇まで。
「また会えて良かった」には、チーム鎧武で馬鹿やっていた、あの呉島光実にまた会えた事への感慨深さが潜んでいた。
「……そうだ。あと、戒斗の奴も飛ばされてんだ」
「え!? チームバロンの駆紋戒斗……も、ですか!?」
「何とか戒斗とも協力して、元の世界に帰らねぇとな? ほら……あー……舞とか、いるんだし」
言い出せない。
近い未来、光実が敵として牙を剥いて来るなんて、言える訳がない。
「舞さん……はい。そうですね。僕らには、僕らの使命がありますから」
「……あぁ、そうだな」
同時に、人懐っこい笑みを浮かべるその下にある、彼の深い闇を。
思わず、未来の光実の姿が、目の前の彼と被って見えてしまった。
目は漆黒の如く暗く、表情の消えた機械のような性格に堕ちた、あの光実の姿。
兄、貴虎を偽り、真・斬月の姿で容赦なく絋汰を殺害しようと狙って来た、あの光実。
悲しくなった、何処で間違えちまったんだ。
そして手遅れになるまで気付けなかった、自分が許せなくなる。
今だって未来の話を、一言も言い出せずにいる。ヘルヘイムの真相も、世界の顚末も。
自分は臆病者だ。つい、目を逸らしてしまう。
「……絋汰さん?」
「あ……な、何でもねぇよ! それよりミッチ、あの黒い髪の子と行動していたのか?」
光実は真剣な表情で頷く。
「魔法少女の説明も、既に……」
昨日の出来事をふと、想起する。
魔女を討伐した後、彼はほむらの家へ招かれた。
殺風景で、生活感のない空っぽの家。本当に人が住んでいるのかと、思ったほどだ。
どこまでも白く、潔癖。
「……あなたのその力は、何なの? 教えてくれたら、その絋汰って人の所に明日案内するわ」
彼女の質問に対し、光実はクッションに腰掛けながら続けた。
魔法少女の姿だったほむらは既に、制服姿となっている。
「……言っても、僕も詳しくは分からない。これをあるディーラーに渡されて、何も知らずに戦っていたに過ぎない」
本当はそのディーラーと上手く取り引きしたが、伏せておく。
ほむらは腕を組み、目を伏せて考え込んだ。
「戦っていたって、何と? 魔女な訳ないわよね。あなた、驚いていたし」
「……ねぇ。その魔女とか、君の事とかも教えて欲しいよ。話についていけない」
「兎に角、何と戦っていたかは教えてもらえないかしら。分からないのはこっちもなの。次いで、イレギュラーなのは明らかにそっちでは? この街では、魔法少女の方が普通だし、魔女退治も私たちの仕事なの」
「………………」
薄々感じていたが、この暁美ほむらは年齢に対し、あまりに成熟し過ぎているような。
聞けばまだ中学校らしいが、彼女が話す言葉の節々には、自分の兄がそうであるように、影がある。その影を揺蕩わせ、光実へミスリードを狙っているかのようだ。
とても中学校の子どもが出来る芸当ではない。
だからこそ光実は、この暁美ほむらに対し極限の警戒心を抱く。
「……一種のゲームなんだ」
「……ゲーム?」
「攻勢と守勢で別れて陣地を奪う……単純なゲームだよ。だから他のプレイヤーが、僕らの戦闘相手さ」
「……たかがゲームに、あんな高度な火力は必要かしら? 魔女すらも倒したのよ」
「そっちの方が盛り上がるからじゃないかな? 地味に斬り合うだけじゃチャンバラごっこと変わらないし、ダメージにならない弾を撃ちあったって、サバゲーと変わらない。ほら、ベルトの音声だってそうだ。場を盛り上げる為に作られた証拠だよ」
言葉を尽くし、半分真実半分嘘の説明をする。
何でも良い、彼女を納得させたなら、魔法少女について信憑性のある情報が聞き出せると踏んだからだ。
分からない所を「分からない」で言い切れば、向こうも何も話さないだろう。
「多分、将来的には兵器じゃないかな。その為のデータ収集に僕らが使われているんだろう。高火力なのも納得かな?」
「……ふぅん。つまり利用されている訳?」
「そうなるね」
「随分、あっけらかんとしているわね」
「まず死ぬ事はないから……僕らにはリスクがないからね……今の所」
リスク云々より、謎が多いのが正直だが。
「それで。貴方たちを利用しているのは組織? 企業?」
「ねぇ。僕は最低でも五割は話したんだ。そっちも教えてくれるべきでは、ないの?」
「………………」
ほむらも光実が、ごく一般的な学生ではないと気付いたようだ。
一筋縄では行かないのはお互いかと思いつつ、何処まで話すか暫し考え込む。
「……いいわ。等価交換としてね」
魔法少女の話は驚愕の連発だった。
キュウべえと呼ばれる者と契約し、願いを一つ叶えてもらう代わりに、魔女と戦う使命を負わされる。
魔女とは呪いの存在で、人間を殺人や自殺に駆り立てる。
魔法少女も魔力を充填する為には、魔女を倒さねばならない。
絋汰がマミやキュウべえから聞いた話と、ほぼ同じだ。
「これが魔法少女よ」
「……凄いね。予想以上だよ……!」
「それで私の質問は?」
「……誰の主催かは分からないよ。それを僕らは調査している」
光実は十分に聞けたと判断し、切り上げた。
それよりもほむらの性格からして、真に深い箇所は話さないだろうと見極めたからだ。
「じゃあ、実用的な質問でもしましょう」
ほむらは話を変える。
段階的に話を進める、とても中学生には見えない。
「……貴方は私たちの味方?」
妙な含ませがある口調だ。
光実は彼女の思惑が読めずにいる。だがこの質問に対しては、自分の心に正直になるべきとも考えた。
「魔女の存在は危険だって、気付いたよ。出来る事なら、君たちと協力はしたいね」
懐に入れば、自ずと彼女の思惑が分かるかもしれない。
「だからその代わり……絋汰さんの所に案内して欲しい。あと、君の事も教えて欲しい」
「……私の事?」
「まだ何か隠しているよね」
この少女は、核心を隠しているようにしか思えない。何を考えているのかが分からないと共に、光実の今の現状に繋がる事を知っている可能性もある。
ほむらは視線を落とし、少し考えた後に話を続けた。
「その絋汰って人の所には案内してあげるわ。どうせまどかたちと会うでしょうし」
「ありがとう」
「私については……そうね。魔女を倒すと手に入るグリーフシード。それを私に十個は提供しなさい」
光実と目を合わす。
「そしたら教えてあげるわ。『真実』も添えてね」
気のせいではないだろう。
ほむらが少し、儚く見えた。
「……『真実』?」
光実が話した、ほむらとの昨夜の会話。
含ませのある彼女の言葉に、絋汰も眉を顰めた。
「……あの子、何かを知っています。僕らがここに来た原因かは分かりませんけど……近い何かは知っています」
「しかしグリーフシード十個……つまり、魔女十体分かぁ……割に合うんだかどうか」
「彼女もそれを見越していると思うんですよ。僕らが切ればそこまでとも思っているかもしれません。でも、僕らにメリットも取り付けてくれましたよ」
「メリット?」
「僕らがこの力の事を調べているって話を利用して、組織から逃げてこの街に落ち延びたって話をしたんですよ」
光実はコートのポケットに手を入れ、何かを取り出した。
ビニール袋に数十個入った、コンビニのオニギリとパン。
「食料です……賞味期限切れの廃棄ばかりですけどね」
グリーフシードと食料の交換が、提示されていたようだ。
ほむらもなかなかの食わせ者だが、光実もまた交渉上手だった。
時間は進み、陽が西に傾く。
早い所ではもう、家路を急ぐ学生の姿や、部活に精を出す者も見え始める頃。
駆紋戒斗は歩道橋の上にいた。
そこから、まどかたちの通う見滝原中学校が眺められる。
束の間の熱、束の間の恋、束の間の絆……勝利。
同時に挫折、堕落、怠惰、攻撃、嫉妬……敗北。
一瞬の一場面に懸命を見出す、学生たち。或いは、何も見出せない者たち。
強者と弱者。戒斗の拘る二元は、学校と言う小さなコミュニティに集約されているように見えた。
社会と学校は違うと聞くが、人間の構図で見るなら二つは変わらない。
強者と弱者がまかり通り、大抵は弱者が弱者を攻撃するに他ならない。
真の強者のいない世界。その点は、社会も学校も同じだ。
「………………」
彼が凭れかかる歩道橋の手摺の上を、キュウべえが優雅に歩きながら話しかける。
『まどか達は下校したよ。マミとまどかは帰宅中、さやかだけが病院に行った。三人は十八時くらいに会う約束だ』
「今、行った所で仕方がない。俺は警戒されているからな」
『確かに夢見がちな少女たちに、君のリアリズムは否定に聞こえたかもね。では、どうするんだい?』
顎を撫で、戒斗は様々な可能性を思案しながら告げる。
「鹿目まどかが一人の時を狙う」
『それならここから北西三キロの所に行くと良いよ。マミとまどかが分かれる三叉路だ』
「普段時は話しかけない」
『……? どう言う事だい?』
キュウべえを見据えながら、戒斗は自分の作戦を話す。
「鹿目まどかが、魔法少女になる決心を固めた所を狙う」
まだ話が読めないのか、キュウべえは首を傾げた。
『それを促すのが君の役目ではないのかい?』
「言い換えよう。決心を固めざるを得ない状況を作る」
『どうするんだい?』
手摺から身体を離した。
「魔女の結界を利用する。何度か歩いて理解したが、入り組んだ構造をしている……孤立を誘う事も可能だ」
『つまり……まどかが、結界内で孤立した所で切り出すのかい? マミがいる分には難しいよ』
「いいや可能だ。寧ろ巴マミ……奴の存在は必要になる。奴は鹿目まどかにとって憧れの存在。魔法少女体験コースとやらが既に、決心を付けさせる土台になっている」
まどかやマミらの関係性や、『マミの事』についてはキュウべえから情報を得ている。
その上で彼は作戦を構築した。
「先輩然としているが、体験コースとか言うお遊びに付き合わせている時点で、マミは二人を仲間にしたい思惑が強い。いずれ、自分から鹿目まどかに思いの丈を話すだろう」
『それと、結界で孤立させる話とは?』
「その後の話になる……結界内は異常の空間。現実世界の日常の中より、判断を早めさせるには、学校の通学路よりそっちの方が話が通じる……それに孤立させる程度は造作もない。使い魔との乱戦に鹿目まどかを離す名目を使えば良いだろ」
『成る程。マミがまどかに自分を事を話し、決心を付けさせる。まどかの性格上、必ず彼女に同情するね。それで結界内で君と二人になる状況を作り、説得するって認識で良いかい?』
戒斗は上出来だと、無言で頷く。
「そしてキュウべえ……貴様がすべきは、巴マミの欲を煽る事だ」
『マミの……かい? まどかじゃなくて?』
「鹿目まどかに素質がある事や、見滝原の魔女の出現率を伝えろ。本人へは必要ない、巴マミから言うだろ」
『その二つを言えばマミもまどかを引き入れたいって考えるね。素質に関しては何処まで言おうか』
「最強の魔法少女までは必要ない。優秀とだけ言っておけ」
『嘘ではないね。分かった、これとなしに言ってみるよ』
「それで良い」
作戦を全て告げ、彼はキュウべえの前を去ろうとする。
遥か頭上を、飛行機が通った。
雲が延々と続き、何処か遠くまで伸びて行く。
『そうだ。これだけ忠告しておくよ、カイト』
階段を降ろうとする彼に、親しげに名前を呼びながら告げた。
『暁美ほむらに気を付けて。彼女はまどかの契約を、阻止しようとしている』
階段を降り、頭の位置まで来た手摺の上を覗く。
キュウべえは既に、いなくなっていた。
「……暁美ほむら。留意する」
歩道橋を降りる。
そろそろ太陽が橙色に近付く頃。
「では……本当に、警察に届けなくても良いのですか?」
「転んだだけの事故です。事件性はありませんので、話を大きくしても仕方がありません」
「分かりました。怪我自体は酷くないので、明後日には退院出来ます」
「ありがとうございます、先生」
医師はそれだけ告げると、まだ仕事が残っているようでそそくさと部屋を出て行った。
呉島貴虎は窓の外を見やる。
平和な世界だ。同時に、自分の知る世界ではないとも知った。
ユグドラシルも無ければ、ヘルヘイムの森も無い。貴虎の望んだ世界。
自分は逃げられたのか、追放されたのか。
いや、後者だろう。あの世界に、自分の居場所も役目もない。
愚か者の役立たず……自分の弟さえ止められない男が、舞い戻った所で仕方がない。
神は自分にのたれ死ねと、宣告でもしたようだ。
貴虎は爽やかな気分だった。あの世界には絋汰らがいる、心配はない。
『戦極ドライバー』も、『ゲネシスドライバー』も失くした自分が戻った所で、足手まとい。
この世界で、ただただ祈るだけだ。平和を、終息を……全てが元通りになる事を。
「……身体が鈍るな」
治療に精密検査や経過観察。半日以上、ベッドの上だった。
身体に気怠けを感じた貴虎は、散歩に出る事にした。
「うわっ!?」
「……おっと」
病室を出る時、入り口で誰かとぶつかりそうになる。
貴虎が一瞬早く反応し、相手の肩を掴んで止めた事で、衝突は免れた。
「す、すみません!」
「院内を走るのは良くないな。急いでいるのか?」
「面会時間が、近いので……」
ショートカットの青い髪の少女だ。制服姿で、学生だとはすぐに分かる。
胸に、CDとプレイヤーを抱えていた。
「なら留まらせる訳にはいかないな。気を付けて行きなさい」
「すみませんでした! あ、あと、ありがとうございます!」
謝罪と感謝を述べ、今度は小走りにならず早歩きで廊下を進む。
突き当たりを曲がり、エレベーターに乗った所で姿は見えなくなった。
「……若いな。俺が守りたかったのは、未来ある若者たちだったんだな」
噛み締めるように微笑みながら、彼は廊下を歩く。
院内を暫く歩くと、自販機のある休憩所近くで、看護婦が泣いている場面に出くわした。
新人らしい、若い看護婦。同僚と思われるもう一人が、慰めている。
「どうか、されたのですか?」
別に自販機を利用しに来た訳ではないが、つい貴虎は話しかけた。
慰めていた方の看護婦が、一度お辞儀をしてから訳を話す。
「長い間、闘病されていた方がとうとう亡くなられたんです……色々と話したり励ましの言葉をかけた方でしたから、私たちも無念で……」
「それは辛かったですね。私の口から言えた事ではないかもしれませんが、それだけ偲んでくれる人がいて、亡くなられた患者さんもきっと喜んでいますよ」
出来る限り、泣いている看護婦を励ます貴虎。
看護婦は涙声で話した。
「亡くなられた百江さん……娘さんがいらっしゃったんです……」
「娘さん?」
「まだ小学生くらいの……母親が亡くなったと知った時の顔を思い出すと、辛くて辛くて……」
「そうだったのですか……」
それに関しては、同僚の看護婦も暗い顔を見せる。
「優しい子ですよ。お母さんにお菓子を持って行ったり……一年前には大好物だとかのチーズも届けていましてね」
「その頃には酷く弱られ……何も食べられない状態でしたのに……」
救えない命と言うのもある。
貴虎は痛いほど、知っている。
そして自分は、その命の選別者になろうとしていた。
それでも救う為に動き、提案もした。
結果が今の自分だろうか。
他人の為に泣ける、この看護婦のような心は自分にあったのだろうか。
悲しみに暮れる彼女を励ます権利が、自分にはあるのか。
陽はどんどん沈んで行く。
一つ消えた命。貴虎の心も沈んで行く。