・6月4日 月曜日 17:22 東京都中央区銀座4丁目
警視庁築地警察署 数寄屋橋交番
少し休め―上司の中村に言われ、交番奥の休憩室で倉嶋が休めたのは本当にごくわずかであった。
先ほどから交番が面する都道304号線、通称晴海通りで信号機の異常が多発、追突事故が相次いでいるのだ。
そのため激しい渋滞が発生、まったく動かない道路に業を煮やしたドライバーたちが、倉嶋や中村ら対応に当たる警察官たちに陳情、あるいは八つ当たりをしてくる始末であった。
その中で倉嶋が対応した案件は、ただの信号機トラブルによるものではなさそうだった。
持ち主であるプリウスの運転手によると、何もしていないのに急に車が止まり、あとはキーを回してもウンともスンともいわなくなったそうだ。
聴取しているわきから、苛立ち気味なドライバーたちが倉嶋に詰め寄る。
「おい、ケータイ通じないぞ」「この辺どうなってるんだ!?」
(そんなこと私に言われても・・・)
原因がわからない以上、とにかくなだめすかすしかなかった。
信号機は完全に停止、状況を報告すべく無線で署に呼びかけても返事がない。いま何がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。
喧噪、怒号が飛び交う数寄屋橋に、やがて妙な音が鳴りだした。
ブーン、ブーン・・・・ハエが飛ぶ音に似ていた。だがここまで大きいものが聞こえるだろうか・・・。
「うわっ」
倉嶋に食ってかかっていたドライバーが空を見上げた。倉嶋は彼の視線を追った。
数寄屋橋の空に、無数のカマキリが飛び交っていた。壮絶な光景だった。ビルの壁にビッシリと張り付き、看板にもたくさんの群がうごめいている。他の警官やドライバーもそれに気づき、空を見上げてポカンとするしかなかった。
「ぎゃあ!」
すぐ近くで悲鳴が上がった。スマホがアスファルトの道路に転がり、1人の中年男性が右足首を押さえてうずくまっている。
「大丈夫ですか?どうしまし・・・」
思わず倉嶋は息を呑んだ。男性の傍らに、猫ほどはあるカマキリが両手の鎌をもたげていた。
カマキリは振り上げた鎌を男性の臀部に降ろした。「いっでぇ!」信じられないが、革製のベルトごと男性の皮膚を切り裂いた。
「うぎゃあ!」「いでで」
するとあちこちでドライバーが崩れ落ちだした。倉嶋のそばに停まっているアルファードのボンネットに、倉嶋の上半身ほどはあるカマキリが舞い降りた。
容赦なくカマキリは鎌を振るった。すんでのところでかわし、倉嶋は足と臀部を怪我した男性をかかえあげた。とにかく、どこか建物に入らないと・・・・。
倉嶋は身を低くし、車列の隙間を縫ってとにかく交番を目指した。晴海通りは大混乱となり、慌てて車に戻り、カギをかけてすくだまる者、近くの銀座ルミネやZARAに逃げ込む者―。
ボンっ!という音が倉嶋のすぐ近くで聞こえた。目と鼻の先、BMWのボンネットに現れたカマキリは、人間ほどの大きさだった。威嚇のため持ち上げた鎌から、鮮血がしたたっていた。
さっぱりワケがわからず、とにかく現場を離れようとした。フッ、と空を切る音がして、男性を抱えていた左肩が急に軽くなった。違和感に左を向くと、倉嶋の髪の毛にべったりと血がついていた。男性は右手を倉嶋に預けたままー右手が断裂した状態で、地面をのたうち回っている―。
「いやあああああ!!」
たまらず倉嶋は悲鳴を上げた。腰を抜かした倉嶋に、その大きなカマキリは飛び上がって襲い掛かった。
パン!パン!
乾いた音がすると、カマキリはドサッと倒れこんだ。透明な体液が倉嶋の靴元に広がった。
「倉嶋、逃げろ!」
同じ交番に勤務する高田だった。手には警視庁制式拳銃、SAKURAが握られている。
高田は果敢にも、近くで女性を追いかけ回しているカマキリに銃弾を撃ち込んだ。さらに伸縮式の警棒を引き抜き、飛び交う小型のカマキリをバッタバッタと払いのけるように叩き始めた。
「ほれ、みんな逃げろ!倉嶋ぁ、誘導しろぉ!」
恐怖に立ちすくむ人々に声をかけ、さらに高田は快進撃を続ける。どうにか倉嶋は立ち上がると、警察官としての自身の職務を思い出した。
「みなさん、建物の中へ!」
怒号と悲鳴の中、必死に声を振り絞った。近くにいた者たちを中心に、倉嶋の誘導の元銀座ルミネになだれ込む。
周りを見ると、班長の中村と同僚の寺田巡査長もルミネへと人々を誘導していた。
ひとり、高田は怪気炎を上げ、どんどんカマキリを倒していく。勇敢、というよりも、半ば狂っているようにも見えた―。
「高田ァー、うしろだー!」
班長の中村が叫んだ。汗まみれの顔を後ろに向けた高田は全身が硬直した。4トントラックほどはあるカマキリが頭上で高田を凝視していた。
「ひいいぃー!」
恐怖とも怒りともつかないおたけびを上げ、高田はなお警棒を振り上げた。だが、高田の身長よりも大きい鎌で身体を袈裟斬りにされた。
「あかッ・・・・」
口からドッと血があふれ、なぜか自分の足元が視界に飛び込んできたところで、高田は意識が遠のいた。
・同時刻 東京都千代田区永田町2丁目 総理大臣官邸
国内で相次ぐ災害への質疑で、紛糾した国会を後にした瀬戸と望月一行は、休む間もなく執務室から地下1階の危機管理センターへと向かうべくエレベーターに乗り込んだ。
正直、国会で野次だらけの時間を過ごすより、現在の状況把握と対応を協議する時間でありたかった。
疲労ばかり募る国会から戻ると、都内各地で停電、さらにカマキリの群れが人々を襲っているというよくわからない状況報告を受けた。
「駒場警察庁長官によると、カマキリは人を襲う上、捕食するとのことです」
望月からの報告にも、頭を抱えるばかりだった。あんな小さな生物がなぜ、どうやってそんな芸当を?
「停電と何か関係があるのか?」
「現在のところ、不明です」
瀬戸は目をつむった。原因はともかく、事実として都内各地でカマキリが人を襲う上、停電で激しい混乱。総理大臣としてやるべきことは、早急に自衛隊に出動を命じ、警察、消防と協力して対応に当たらせること、及び一刻も早い停電の復旧を目指すことだろう。
「要件としては、これは災害派遣かね?」
瀬戸は望月に尋ねた。彼は在職8年。戦後最長期間を官房長官として勤めてきた内閣の“先輩”でもあるのだ。
「むしろ、治安出動が妥当でしょうなあ。カマキリだけでなく、混乱した都民の保護―場合によっては鎮圧も想定しなくてはならん状況です」
治安出動―また野党に突っ込まれるだろうが、現状それしか為すべきことはない。
(肚をくくらねばならんな)
瀬戸は1人頷いた。そのとき、ガクン、という音がして、エレベーターが上下に揺れた。
「どうした?」
瀬戸は誰ともなく訊いた。SPがインカムに手を当て、外部に呼びかける。
「インカムが聞こえません」
SPの中でも若手と思われる男が焦りを見せた。
年長のSPがエレベーターの緊急通話ボタンを押したが、待てども返事がこない。
「まさか、ここも停電したのか?」
頭上を見上げながら瀬戸がつぶやいた。自身でもそれはあり得ないと認識していた。外部電源が途絶えたとしても、首相官邸は自家発電でその機能を失うことはない・・・はずだった。
・同日 17:51 千葉県君津市君津1番地 新日鉄住金君津工場
「おい、あれなんだ?」
これからの夜勤に向けて、早めの夕食を取ろうとしていた工員が、社員食堂から窓の外を指さした。
東京湾を挟んでのぞむ夕暮れの東京。いつもなら、都内にそびえるビル群の航空灯がともる時間だが、ただただオレンジ色に染まるのみ。人工の灯りがまったく確認できなかった。
それもおかしなことに、あちこちで黒い煙が上がっているのだ。
「火事にしちゃ数が多いな」
「ここで線香くらいの煙に見えるってことは、ありゃよっぽど大きいぞ」
食堂にいる全員が窓の外に遠く広がる東京へ注目していた。
やがて彼らは、視線の先にひときわ大きな黒煙、もとい爆炎が上がるのを目撃した。
「お、おいい、あれ・・・!」
「飛行機だ・・・」
「はあ?」
「見たぞオレ、さっき飛行機が落ちてくの・・・・」