・6月4日 月曜日 18:07 神奈川県横浜市中区日本大通1番地
神奈川県庁 第二分庁舎内 安全防災局 危機管理センター
「ええ、ただいま県警と消防から詳しい情報を取得してる最中です」
「外務省もフランス大使館も連絡がつきません、情報は京都の在日フランス総領事館へよこしてください」
浮足立った職員たちの緊張を含んだ声と、あちこちで鳴り続ける電話で騒然とする神奈川県庁危機管理センターだったが、清水安全防災局局長に続いて八田部 侑神奈川県知事が入室すると、緊急回線番以外の全員が起立し、一礼した。
八田部は局長の案内で「対策本部長」と書かれた札のある席についた。先に到着していた富井神奈川県警副本部長が90度のお辞儀をし、八田部のために椅子を引いた。
「おつかれのところ、誠にもうしわけありません」
緊張のためかやや上擦った声で、富井は労いの言葉を出した。
「いえ」
八田部は短く返し、「移動の車内で簡単な報告は受けましたが、いま一度詳細を教えてください」と正面のモニターを正視したまま言った。
モニターにはもうもうと噴きあがる黒煙と、その下で勢いよく燃える炎が映し出されている。別なカメラで撮っているのだろう、突然の出来事を眺める人、スマホをかざす人、続々到着するパトカーや消防車が見てとれる。
「はあ、20分ほど前です。パリ・シャルル・ド・ゴール空港発羽田空港行のエールフランス275便が、羽田空港着陸前に制御不能との通報あり、その直後に羽田空港管制塔との連絡も断絶しました。それから、15分前、飛行コースを大きく逸れたエールフランス機が、東京都世田谷区、二子玉川付近に墜落しました。現在、正確な墜落地点を確認中ですが・・・この様子では、川崎市高津区にも被害が発生していると思われ・・・」
「東京で発生している停電や通信障害との関連は?」
「はあ、なんとも」
この富井副本部長は勉強のみをがんばってきたタイプなのだろう。この手の役人にありがちな、なんとも歯切れの悪い言い回しだ。
「こちらも現在確認中ですが、川崎市東部で原因不明の停電、及び通信通話障害が発生していると、川崎市役所の危機管理課から連絡があったところです」
清水局長が補足してくれた。
「霞が関との連絡は?」
「17:30頃から、まったくもって不通です」
八田部は大きくため息をついた。
「失礼します、遅くなりました」
県議会から抜け出してきた谷口副知事がやってきた。
「八田部知事、保土谷と座間の駐屯地ではすでに準備を整えているそうです」
「そうか、わかった。ただちに公安委員会を招集してくれ」
八田部が県庁へ戻るまでの間、県議会の合間を縫って谷口は県内の自衛隊駐屯地と連絡を取っていた。
「清水局長、今回の航空機墜落事故対応のため、県知事として、自衛隊に災害派遣を要請する。至急要員を集め、準備に当たってくれ」
短く頷くと、清水は控えていた関係者に矢継ぎ早に指示を出し始めた。
「谷口さん、この状況で、大沼都知事は災派要請を出せるものかな?」
やや私的な会話となるため、八田部は声のボリュームを一段落とした。
「おそらくは、難しいでしょう。うちに出向してる総務省の人間から聞きましたが、都内の停電と通信障害は、渋谷と新宿がもっともひどいらしいです」
「都庁も霞が関も機能せず、か・・・」
八田部はふうっと息を吐くと、用意されていた水を一口飲んだ。用意してずいぶん時間が経ってたのか、まったく冷えていなかった。
どうやら、ここ神奈川県が半身不随となりつつある東京に代わって危機対応を迫られることになりそうだ。
そういえば・・・午前中まで開催されていた全国知事会で一緒だった、会田千葉県知事と房川埼玉県知事はもう戻ったろうか?
デスクの受話器を上げ、交換台に告げた。
「千葉県庁と埼玉県庁に連絡をとってくれ、各県知事と話をしたい」
言いながら、電話線を経由する東京が停電していることを思い出した。うまく繋がるだろうか・・・。
・同日 18:41 大阪府大阪市中央区大手前2丁目 大阪府庁舎 政策企画会議室
「やあ、また来ましたよ」
改めて出迎えた原田大阪府知事に、やや横柄な口調で小林愛知県知事が声をかけた。
昨日から本日午前中まで、年一回の全国知事会定例会議が、ここ大阪で開催されていた。本来は47都道府県知事すべてが集うことになっているのだが、北海道や新潟、長崎や鹿児島など、現在進行形で災害対応に当たっている各知事の欠席が相次ぎ(大沼東京都知事は都内停電への対処と、東京五輪準備のため欠席)、出席者数が過去最低の知事会となってしまった。
ホストとして数か月前から準備を重ねていた原田にとっては面目丸つぶれだったが、今回は事が事であるだけに、致し方なかった。
知事会の内容も、当初予定されていた議題とはかけ離れ、ここ一ヶ月国内で発生が続いた災害のことばかり話された。
大抵の知事は午前中で予定を終え、各地元へと帰途についたが、大阪で地元のPR活動や行政機関等の視察のため、大阪ないしは近畿圏内に残っていた知事も少なくなかった。そのため、急遽招集に比較的融通の利いた知事が大阪府庁に集ったのだ。
その中には、2年1期で知事会長を務める侭田島根県知事の姿もあった。臨時も臨時とはいえ知事会に使用するにしてはやや殺風景な会議室だったが、とりあえず即席の会議として体裁は整った。
コの字に並べられたテーブルには、以後必要に応じてこの場に不在の各知事とリアルタイムで会話できるよう、スカイプを立ち上げた状態のパソコンが設置されていた。
「えー、それでは、お忙しい中みなさんまた御集りいただき、ええー感謝します」
知事会長である侭田が口上を述べたが、侭田は県議会でも知事会でもたびたび指摘されるほど、とにかくしゃべりが苦手だった。このような事態にも関わらず、つっかえながら会議を回そうとする侭田に苛立つ列席者も多かった。
「侭田さん、事態は急を要するんだ。さっさと議題からいこう」
小林が苛立ちを隠そうともせず、侭田につっかかった。
「ああ、はい。えーそれでは、さきほど八田部神奈川県知事と、会田千葉県知事から要請と、さて、提案がありまして」
煽られた侭田は伏し目がちに、慌てて作られたであろう次第を読み上げた。まったく変わらないテンポに、今度はあちこちから失望気味に嘆息が漏れた。
(持ち回りとはいえ誰だ、こんな男を会長に推薦したのは)
進まない事態にうんざりとばかりに、小林は目を手で覆う。
(なんで私なんかが会長にされたのかなあ・・・)
当の侭田も、ほとほと弱っていた。
・同日 18:58 東京都中央区新富1丁目 首都高速都心環状線 京橋ランプ付近
まったく映らなくなったカーナビを恨めし気に見つめつつ、近藤はパジェロの中で大きくあくびをした。
関越道を進み、東京外環道に入ったまでは車の流れも順調だった。本来はそのまま環状線を湾岸線まで進め、有明から月島の自宅があるオンボロ賃貸マンションへと戻るつもりでいたのだ。
ところが夕刻頃、どういうわけか首都高が尋常でなく混み始め、少しでも渋滞のなさそうだった駒形~箱崎ルートを進もうとした。その折、新宿にそびえるビル群の向こうに黒煙が上がり、職業柄向かおうとテレビ、ラジオをつけたが、どこも停波したのか何も聞こえない。
やがてカーナビも更新されなくなるころには、多少車が動いていた銀座方面へ活路を求めて車線を変えた。そこが運の尽きだった。
京橋ランプがほんの数十メートル先だというのに、車はさきほどから1センチも進まない。いくら渋滞が名物なのと、時間的要素があるとはいえ、このままでは夜が明けても動かないのではないか・・・。
もういっそのこと車を乗り捨てて、高架の下に見えるファミリーマートでおにぎりでも買ってくるべきか・・・。
空腹と暑さにうんざりしていると、ふと気がついた。
先に見える汐留の高層ビル群、夜に差し掛かっているのに真っ暗なのだ。
はて、汐留でもひときわ目立つ電通に倣って、みんなで残業すっぽかしでもしたのだろうか・・・?
そんなバカな、だがそんなバカなことが目の前で起こった。
高速道路の外壁の向こうにあるオフィスビルやマンションが、一斉に電気を消した。いや消したというより―停電したのだろうか。
それどころか、渋滞の車列から放たれるヘッドライトもテールランプも消えてしまった。
溢れんばかりの光に満ちた東京が、一気に真夜中になってしまったようだ。
無論、近藤のパジェロも同様だった。
(まさか噂のEMP兵器ってやつかな?)
自分でもまさかとは思ったが、近藤の発想はあながち間違えていなかった。
ドン!
真上から震動と共に音が聞こえた。誰かが天井に乗っかりでもしたのか?
ドアを開けて確認しようとしたとき、フロントガラスが派手に割れ、何かが飛び込んできた。
ギョロっとした大きな二つの目、三角形の顔に、おちょぼ口だが鋭い口・・・カマキリ?
だがそれは、近藤の知るカマキリにしてはずいぶんと大きかった。目玉ひとつとってもおにぎりくらいあるだろうか・・・?
恐怖と本能でドアを蹴り開け、慌てて走り出したのは、そんな冷静でバカバカしい考察をしてる刹那であった。周りの車からも、人々が飛び出してくる。危うく目の前で開いたドアに少し身体をぶつけながらも、近藤は京橋ランプを目指して走った。
どうやら大きなカマキリは一匹だけではなさそうだった。すっかり暗くなった空を見ると、人工的な明かりが失われて月光に照らされる面以外は漆黒となったビルの上から何匹かカマキリが飛び降りてきた。
不快な羽音を響かせながら、近藤のすぐわきをカマキリが飛び去ると、数メートル先を走る男性に密着し、両手で男性の頭を刺した。
(ウソだろ・・・・)
大きいとはいえ、カマキリの鎌が人間の皮膚はおろか骨まで突き破るなんて・・・。近藤は明確に悟った。自分は今、生命の危機に晒されている。
とにかくランプを走り下り、息が上がるのもかまわず建物に避難しようとしたとき、目の前を走る男性が転び、近藤も巻き添えを食ってしまった。
さきほどおにぎりを買おうかと思ったファミリーマートの自動ドアに激突し、左肋骨辺りに鈍く強い痛みが走った。
自動ドアは半開きのまま止まっていて、怪我の功名、とばかりにはいつくばって店の中に入った。
だが、動きが鈍った近藤は恰好の獲物だったのか、一匹が背中に乗ってきた。
「うおおおー!」
怒声を上げて近藤は床を転げまわった。無我夢中で気がつかなかったが、振り落とされたカマキリは近藤の背丈ほどはある大型の一匹だった。
尻を引きずりながら、近藤は店の奥にあるトイレへ隠れようとした。だがカマキリはそれを許さず、近藤に詰め寄る。
近藤は棚に陳列されている商品―マスクや石鹸やらを手当たり次第に投げつけた。大型化したカマキリは比例して頑丈らしく、攻撃に意も返さず近藤を追い詰める。
(南無三・・・!)
亡くなった両親の顔を思い浮かべたそのとき、近藤の右手に何かが当たった。
閃きと同時に、近藤はそれをひっつかみ、カマキリの顔に思い切り噴射した。
近藤がつかんだもの―殺虫剤をまともに浴びたカマキリは、大きく身を仰け反らせ、そのままひっくり返ってしまった。
イチかバチかの賭けに競り勝った近藤は、苦しみもがく大カマキリをそばにあった傘で滅多打ちにした。さすがに頭部への集中攻撃にはかなわなかったのか、しばらくすると大カマキリは動かなくなった。
大きく上がった息を整えると、近藤は手近の殺虫剤を何個か持ち、店の奥に身を潜めた。
そしてポケットからスマホを取り出し、110番をタップした。
だが、何の反応もない。話し中音もしない。確認すると、電波はちゃんと立っているし、充電も少なくない。
そういえば、都内で通信障害が起きていると、新潟をでるときニュースでやっていたことを思い出した。いや通信障害だけではない。スマホがメニュー画面のまま、フリーズしてしまった。
ひとまず座り込み、近藤は身体と心を落ち着けることにした。
外は停電、明かりはなく(月は出ているが)、警察もつながらない。パジェロは高架の上にあり、手元の武器は殺虫剤と傘くらい・・・。
ガサゴソと音がして、そっと外を見ると、猫ほどのカマキリが2匹、店に侵入してきた。見ていると、さっき近藤に逆襲され動かなくなった個体に群がり出した。
バリバリ、バリバリ・・・同族同士が喰らい合う、気味の悪い音が店内にこだまする。