・6月4日 月曜日 20:38 北海道札幌市中央区北3条西6丁目
北海道庁 本庁舎3階 知事執務室
「オホーツク振興局から、新たな情報です」
福田副知事が、焦りを隠せない上擦った口調で伝えてきた。
「網走市第一漁港付近から出現した巨大生物は、市内中心部を横断し天都山付近で方向を南へ転進。現在地は網走市と大空町の境付近を進行中と思われます」
「道警からです」今度は危機対策局の副局長からだ。
「20:35現在、網走市内各所で複数の火災発生を確認。市内中心部は国道39号線、同244号線付近を中心に、壊滅状態とのことです」
次々と上がってくる深刻な状況に、北海道知事 一橋 冴子はそれでも冷静さを欠くことはなかった。
「もう一度確認するけど、本当なの?」
「はい・・・現場消防からの情報だと、姿かたちから見るに、間違いなく、ゴジラだと」
ゴジラ・・・いまでは歴史の教科書か、災害・有事対応の会議で時折にしか触れられることはないが、いまから65年前、東京及び大阪という日本の二大都市を灰燼に帰し、ようやく戦災から復興し始めた日本を恐怖と混乱のどん底に叩き込んだ、恐るべき怪物、怪獣。そのゴジラが再び現れたとは、にわかには信じがたかった。
だが、現実にゴジラ出現となれば、知事としてやることは決まっている。決まってはいるのだが・・・。
「官邸への連絡は?」
「3時間前から、一切の連絡も応答不能です。同様に警察庁、市ヶ谷の防衛省にも連絡が取れないと・・・」
かつての二度にわたるゴジラ、及びアンギラスの襲撃を受け、1956年に改正された自衛隊法第76条には、「巨大生物に対する武力行使及び自衛隊の行動」という条項が付け加えられた。
すなわち、もし今後ゴジラ、アンギラスまたはそれに匹敵する存在が日本国内に出現した場合、内閣総理大臣は自衛隊に防衛出動を命じ、それに則り、自衛隊は必要な武力を巨大生物―いわゆる、怪獣に行使することができる―。
だが、幸いにも以降一度も怪獣対処を含め、防衛出動が発せられることはなかった。今日このいままでは。そしていざ、防衛出動を命じる張本人である首相に連絡が取れないという状況までは、自衛隊法及び関連法では想定していなかった。
「通常、首相官邸及び中央官庁は都内が大規模に停電した場合でも、独立した発電と回線を確保して危機に対応可能なはずだけど?」
何を隠そう、一橋自身、かつて経済産業省官僚時代、東京電力及びNTTと連携して有事における中央官庁の回線・電力確保を手がけたのだ。
「はい。そのはずなんですが・・・」
こんなことは考えられなかった。非常電力及び回線すらも失われる事態・・・そんなことはあり得ない。否、当時の検討会で一度だけ、議題に上がった懸念材料及び今後の検討課題としたことがあった。
(EMP・・・電磁パルス?)
当時、高高度核爆発等、強烈な電磁パルスを伴う攻撃を受けた場合、独自回線を確保したとしても、官邸並びに官庁の停電・機能喪失は免れない。今後は電磁パルスへの防御を段階的に進めていく―そんな結論だったことを思い出した。
一橋は右手で頭を押さえた。
(まさか、いや、ありえない)
そう、ありえない。もし高高度核爆発が起きた場合、電磁パルスによる電子機器の著しい障害は東京だけにとどまらない。少なくともさらに広範囲―関東・東海・東北へ影響が及ぶはずだ。
だが、現実は東京、その中でも23区中西部に限られているというではないか。
「・・・引き続き、官邸へのコンタクトを取って。それから、至急公安委員会を呼び出してちょうだい。ゴジラに対し、道知事として災害派遣・・・治安出動を要請します」
要請による治安出動・・・道知事として、現状でき得る最大限の対応だった。
同日 20:43 神奈川県横浜市 神奈川県庁
八田部神奈川県知事は、怒涛の如く押し寄せる悪い報せに滅入りそうになる意識をなんとか奮い立たせ、対応を検討・指示することを繰り返していた。
墜落した航空機は東京・二子玉川だけでなく、川崎市高津区にも延焼火災を広げていた。それだけでなく、数分前、川崎市ほぼ全域が停電したと報告が入った。信号機停止により交通障害が生じ、消防・救助活動に深刻な遅延を引き起こしていた。
加えて、18時過ぎ頃から、東京都内より徒歩で避難してきた多くの都民受け入れにも苦慮していた。
さしあたり、通常川崎市が定めた指定避難先―学校や公共施設への収容を行ったが、市の想定避難者を軽く上回る都民が押し寄せ、避難所不足が露呈した上、停電により避難者支援もままならず―。
そして、県警から上がった報告には耳を疑うしかなかった。
『都民の証言では、人間ほどはあるカマキリに襲われ、都内で負傷者多数』
『消防も病院もまったく機能せず』
八田部は、この大規模停電を当初「質の悪すぎる送電・通信障害」と捉えていた。今夜中には復旧し、厄介な事後対応が明日明後日の急務となる―だが現状、復旧どころか停電の範囲が広がるばかり。それも、大きなカマキリが闊歩し人間を襲うなど、まるで昔見た宇宙昆虫が地球を襲うハリウッド映画ではないか・・・。
幸い、墜落したエールフランス機以外の航空機は、成田・中部・茨城といった近隣空港へ緊急着陸したため、それ以上の犠牲は避けられたのだが。
「八田部知事、東京電力によると、現在都内停電への復旧作業に当たるも、原因不明さらに東電本社とも連絡が取れず、復旧の見通しはまるで立たないそうです。また、NTT並びに主要携帯電話キャリア3社も同様の状態です」
清水の報告は、さらに気が滅入るものだった。
「事実上、東京はすべての都市機能を失ったということだな・・・」
誰にともなく八田部はつぶやいたが、清水を始め、周囲の職員はその言葉に戦慄した。
八田部は机の右側に置かれたパソコンで、スカイプを起動させた。
さきほど、八田部の呼びかけで参集された臨時の全国知事会―それほど大げさなものではなく、あくまで状況が落ち着くまでなるべく多くの知事と意思疎通を図れれば、程度の発想だったのだが―の会議室とつながった。
『八田部さん、大変な中もうしわけない。どうされました?』
真っ先に八田部を労った原田大阪府知事始め他の知事たちに対し、八田部は首都にもっとも近い現場の知事として集まっただけの情報をすべて伝えた。みるみる相手側の会議室も雰囲気が強張っていくのがわかった。
『文字通り、首都機能が麻痺するとは・・・』
情報の深刻さに、疲れ切った様子で原田はぼやいた。
『しかし、原因はこれ何でしょうか?』
本来開催された知事会後、帰路についていたところを呼び出され、急遽逆戻りした会田千葉県知事がいつものようにぼんやりとした口調で皆につぶやいた。
『断定はできませんが・・・EMP兵器による攻撃を受けた状況と似通っています』
元自衛隊3佐で、知事会後は県産食材のPRで大阪に残っていた町田宮城県知事が発言した。
『何ですね、その、EMPとかいうのは?』
ふてぶてしく座っていた小林愛知県知事が、苛立ちと緊張を滲ませている。
『簡単に申し上げれば、電磁パルスを利用した攻撃です。殺傷能力こそないが、普段我々が目にしている大抵の電子機器―パソコン、携帯はもちろん、ありとあらゆる電子機器を機能停止に追い込み、混乱させる・・・。もし使用された場合、現代では、核攻撃・生物化学兵器に並ぶ脅威とされています』
『そんなバカな・・・じゃあ、中国なり北朝鮮なり、とにかく、外国による攻撃だということか』
『ですが、その状況を作り出すには、成層圏での高高度核爆発を起こす必要があります。確認は必要ですが、その線とも言い難いでしょう。もし高高度核爆発であれば、東京だけでなく日本の広範囲に影響が出るはずだ』
「町田さん、あるいはサイバー攻撃という可能性は考えられますか?」
画面の向こうへ八田部は問いかけた。
『それも何とも・・・。いずれにせよ、原因の追究をしないことには、対処のしようがありません』
『だいたいこんなときに、政府は何をやって・・・』
言いかけて、小林は口をつぐんだ。
『八田部さん、それと、その、何ですか・・・カマキリが人を襲うというのは?』
原田が空気を変えた。
「こちらも詳細を確認中です。都内にはまだ、多数の負傷者が残されているとの情報もあります」
画面先の全員が、程度はあれ八田部の話に疑問を持った。
『すみません、実はそのカマキリの件で、京都大学から情報提供があったそうです』
右手を挙げ、川名京都府知事が発言した。
『どうやら数日前から、都内でカマキリを研究なさってた先生が戻ってこられて、詳しい分析の最中だったそうです』
『そんなこと何の関係が?』
小林は川名を睨みつけた。
『はっきりとはわかりませんが、その先生が言うには、どうもカマキリの異常発生と都内の停電には、何らかの関係があるとか・・・』
バカバカしい、小林を筆頭にかぶりを振る列席者もいた。
『川名さんどうでしょう、その先生をお呼び立てするのは?』
『ええ、早速当たってみましょう』
そのとき、画面の左端から大阪府の職員と思われる男性が室内に駆け込んできた。
八田部がいる危機管理センターのテレビ画面にも速報が入っていた。
【速報 北海道網走市で大規模火災発生。市内壊滅状態】
同日 21:03 北海道網走市上空
真っ先に網走市へ駆けつけたのは、先月来噴火を続ける十勝岳の様子を撮影に来ていた北海道STVテレビのヘリコプターだった。
東京の停電は報道にも深刻なダメージを与えていた。NHKはもちろんのこと、主要4局に加えテレビ東京、各独立局もすべて停波してしまい、後に「史上最大の放送事故」と称された最大5分間の停波時間を経て、現在は大阪のテレビ局から全国へ向けて放送が為されていた。
「御覧いただいてますのは、現在の北海道網走市の様子です!えー市内あちこちから、炎と煙が上がっているのが確認できますでしょうか!」
STVテレビレポーターの佐藤は、マイクを握ったまま身を乗り出して眼下の市内を仰いだ。操縦席から「あぶないから下がって」と注意を受ける。
「目撃証言、その他情報によると、いまから40分ほど前、網走港より巨大生物・・・怪獣が上陸し、わずか20分弱で市内を蹂躙したとのことです!えー、救助活動でしょうか、消防車と救急車が炎上する建物に集まっているのがわかりますでしょうか!」
『佐藤さーん、その巨大生物なんですが、一部情報では、ゴジラではないかと言われているんですが、いかがでしょうか?』
ヘルメットをかぶった大阪・読売テレビのアナウンサーが呼びかける。
「ええ、現在確認中ですが、かつて東京・大阪を襲った怪獣、ゴジラに類似した怪獣だったとの情報も得られてます、はい!」
ヘリは市内上空を旋回すると、改めて、眼下の惨禍を映し出すべく方向を戻した。
「オホーツクの主要都市であり、観光都市でもある網走は、完全に蹂躙され、無残にも瓦礫の山となっております!これほどの被害・・・・あっ!あれ・・・背びれです!背びれです!」
『佐藤さん、どうしました?背びれですか?』
「いま私たちの真下でしょうか、背びれが見えまして!」
「危ない危ない!」
ヘリは左に旋回した。パイロットは後方の佐藤とカメラマン以上に、その姿を目撃した。
夜の闇の中でもはっきりとわかる、黒く蠢く影。そして波打つような背びれが、ヘリのライトを照らしたのだ。
パイロットの旋回はほとんど本能的なものだった。あんな怪物と、目を合わせたくない、目を合わせるわけにはいかない・・・。
同日 21:08 大阪府庁舎
列席の知事たちは一様に息を呑むほかなかった。
テレビに映し出された網走市の光景、そして中継が捉えた、巨大な黒い影―。
「北海道の一橋知事より、自衛隊に治安出動要請が出されたそうです。現在、北部方面隊が部隊を展開、警戒に当たるそうです」
「予想進路に当たる大空・弟子屈・釧路・厚岸の各自治体に避難指示が出されたそうです」
会議室には、即席の情報センターが設けられ、府の職員が各自治体と連絡を保ちながら、集まった知事たちに情報を上げる仕組みが整えられていた。
「ゴジラは死んだんじゃなかったのか」
テレビの光景を見て、目を丸くしながら小林がぼやいた。
「東京だけでも、非常に厄介な話だがなあ」
終止うんざりしたように、原田がつぶやいた。
「しかし治安出動とは・・・北海道は陸自の精鋭部隊が駐屯してるだろ。ならさっさと武力行使に移ったらどうだ」
小林は半ば元自衛隊員だった町田を意識して、檄を飛ばした。反応するかのように町田が応える。
「残念ながら、現行法では各都道府県知事の権限では治安出動が限界です。巨大生物相手への武力行使を伴う防衛出動は、内閣総理大臣の命令によって為されるものです」
「こればかりは、国政の最高責任者による発動だ」
そんなことも知らないのか、そう言いたげな原田の窘めだった。
「じゃあ、自衛隊はこのまま指をくわえて見てろということか。治安出動でも、警察官職務執行法が適用できるだろ。緊急避難として、武器を使ったら良いじゃないか」
なおも食い下がり反発する小林に、町田は冷静だ。
「警察官職務執行法では、あくまで警察が想定する武器使用―すなわち拳銃、せいぜい小銃やライフル弾までしか規定しておりません。あくまで武器使用の対象を人間としか定めていないからです」
「しかし被害の拡大を防ぐために、何か策はないのですか?」
遠慮がちな会田には珍しく、町田に食ってかかった。
「無論、自衛隊内でも具体的方策を検討はするでしょうが・・・せいぜい威嚇、あるいはいずこかへ誘導程度のことしか不可能でしょう」
誰もが、法治国家の弊害を呪わずにはいられなかった。
「東京ではカマキリの大群、北海道ではゴジラ。頼みの政府とは連絡つかず・・・いったいどうなってるんだ、この国は」
吐き捨てるように小林は言った。
「ひとつ、憂うべきことがあります」
町田が口を開いた。
「首都が機能しないばかりでなく、国政の中心たる内閣及び国会とコンタクトが取れず、且つ現況として武力行使が必要と思われる事態に関わらず、軍・・・すなわち我が国では自衛隊による活動が事実上不可能。現在の日本が置かれた状況は、国家主権の重大な危機に直面していると考えられます」
相変わらず小難しいことを、という目で小林は町田を睨み、他の知事は町田の真意が測りかねていた。
「国家というのは、他国から国家と承認される政治機能があり、国家を維持するためには必要に応じて相応の軍事力を所有する。すなわち政治と軍事が担保されてこそ、国家たりえるのです。翻って現在の日本はどうですか?」
皆、押し黙ってしまった。
「たしかに・・・政治も、軍事も、適切に機能していない」
それまで黙っていた侭田が口にした。
「そうです。国家の中枢たる内閣の安否すらわからず、故に軍事行動に移せない現在の日本は、国家主権を失ってしまったといっても過言ではないでしょう」
「国家主権を失った、となれば、すなわち?」
原田はなんとなく町田が言わんとしていることが理解できたが、敢えて尋ねた。
「日本は無政府状態、日本という国家そのものが消失するということです」
「そんな・・・」
小林は「我々は生きて存在しているじゃないか」と言いかけたが、黙った。自身を含め幾多の日本人が生存していることと、国家の存亡は関係ない―そう理解したのだ。
「これは極端な比喩になりますが、たとえば、他国の軍隊が東京に侵攻し、政府首脳を始め国会議員を全員殺害、中央官庁をすべて爆破した―現在は、そんな状況と酷似しています。国家主権成立の三要素である『国民』『領土』『統治の仕組み』、このうち『統治の仕組み』が欠落した状態ですから、最悪なケース、日本は無政府状態と見做され、外国勢力の侵入、干渉すら拒むことができない状況も考えられます」
「なんということだ・・・」
「国土のごく一部、東京が停電しただけでこんなことになるとは・・・」
「これはあくまで、最悪のケースです。ですが、『今そこにある危機』でもあるのです」
「存立危機事態、というやつか・・・」
知事会の会議室は重苦しい沈黙に包まれた。
「あのう、なんとか打開策を見出すことは、できませんかねえ?」
侭田は遠慮がちに、だが彼なりに精一杯言葉を発した。
「ですな。この現状で何ができるか、検討する他ないでしょう」
原田は大きく頷き、控えている側近に「府庁職員の応援をもっとよこしてくれ」と命じた。
6月5日 火曜日 2:48 北海道厚岸郡厚岸町宮園1丁目
セイコーマート厚岸店 駐車場
厚岸町消防団第一分団第三部長・立山 啓介は、消防無線機から流れる最新情報に耳を傾け続けていた。
『繰り返す、団本部から全分団へ。ゴジラの予想進路上にある避難場所の撤退を速やかに行うように』
「部長、ゴジラってこっち来てるんですかね?」
消防車両から若手の団員が降りてきた。
「はっきりとはわかんねーけど、夜見た予想進路だと釧路方面へ抜けるとか言ってたけどなあ」
だいたい、昨夜は非常に慌ただしく、出がけにチラっとテレビを観れた程度だったが。
厚岸町で父の代から工務店を営む立山は、昨日は5月の地震で津波被害を受けた隣町の住宅補修工事を終えると、18時過ぎに自宅へ戻り、幼稚園児の娘と息子を風呂に入れ、食事とビールで一日を終えて床につくはずだった。
「お父さん、テレビテレビ!」
妻の理香がベッドに入った立山を血相変えて呼びに来て、テレビを観ると、網走が壊滅したとか流れているではないか。
最初は地震か火山噴火かとも思ったが、ヘリによる空撮で映されたのは、かつて戦闘機乗りであり、神子島爆撃を敢行したと武勇伝を語る祖父からさんざん聴かされてきた、60年以上前に日本に現れた怪獣の姿だった。
町の防災無線も鳴り、町内の全消防団員に出動命令が下りた。災害時避難場所へ住民を避難誘導するためだ。
多少の混乱もあったが、それでも日付が変わるころには、町内の公共施設や学校、国民宿舎などに避難を終えていた。そのときの情報ではゴジラは釧路方面へ抜けるとされ、ホッと胸を撫でおろした。このままいけば、明け方にはゴジラは太平洋に到達し、町内の避難指示は解除されるだろう。
(海に入ったら、さっさと自衛隊が片付けてくれるだろう)
今回は避難のみで、朝になればいつも通りの日常が戻るだろうと考えていた。だが15分前に流れた防災無線によると、ゴジラは進路を東へ向け、厚岸方面へ向かっているというのだ。
そのとき、防災無線のチャイムが鳴った。
『こちらは、防災厚岸広報です。2:50分現在、ゴジラは中茶安別付近を通過、進路をさらに東へ向け、町内への侵入が確実となりました。これにより、太田地区、白浜地区、宮園地区に避難されている町民のみなさまは、ただいまより避難場所の移動を開始してください。避難場所は―』
『団本部より全団員へ。ゴジラが厚岸町内に侵入。ゴジラが厚岸町内に侵入。太田、白浜、宮園各地区は、住民を東部の水鳥観察館へ至急移動するよう通達。繰り返し、団本部より―』
立山たちのいる宮園地区も、該当していた。
「おい、車両出すぞ」
車両を出発させると、近くにある町立真龍中学校へ向かった。ここには宮園・白浜地区の住民が避難していて、校庭にはビッシリと車が駐車されていた。
防災無線を聴いて、早くも自家用車で出発する人もいたが、立山は団員数名を体育館と校舎へ向かわせ、自身はマイクを握った。
『ただいま、団本部より避難が指示されました。みなさん、サンヌシ地区の水鳥観察館へ移動を開始してください。水鳥観察館へ移動してください』
最初こそスムーズに動いたが、やがて校門前で出口渋滞が起き始め、数分後には国道44号線も渋滞が始まった。
上空にはヘリコプターが飛び交い、けたたましく未明の空を賑わせている。
北海道東部は日本でもっとも夜明けが早く、午前3時くらいには東の空がだいぶ明るくなってくる。
『こちらは、防災厚岸広報です。ただいま・・・ゴジ・・・速度を・・・』
防災無線が何やらしゃべっているが、上空のヘリがやかましく、よく聴き取れない。
『団本部より全団員へ!現・・・ゴジ・・・太田・・・』
消防無線も聴き取れない。上空では自衛隊と警察、それに報道のヘリだろうか。見たこともないくらい多くのヘリが飛んでいる。
「おーい!」
渋滞車列から運転手が声を上げた。近所のケーキ屋の店主だった。
「ラジオでやってた!ゴジラ太田まできたってよ!」
「なに!?」
「だから!太田まできたって!」
とにかくヘリがうるさく、普通の会話も怒鳴りあいだ。
「部長!なんか地震じゃないですか!?」
車両から団員が声をかけてきた。
ズン・・・ズン・・・ズン・・・!
町のお祭りのとき、立山は太鼓頭なのだが、その太鼓を叩くときの音に似ていた。あの五臓に直接響く音。だが威勢よく鳴る太鼓のそれとは違い、そこはかとなく気味の悪い響きだった。
ズン・・・!
今度はヘリの音にも負けず、聞こえてきた。
ズン・・!!
渋滞中の車にいてもわかるくらいの震動だった。
「ああ!部長!!」
団員が北にある真栄の丘付近を指さした。
山の陰から、ヌウっと顔を出した。大きく丸い目は、はるか高くから自分たちを見下ろし、睨みつけているようにも思えた。
立山は全身が硬直した。顔を上げないと全体像が見えない、そんな生物などいるものか。
車両では、同じく団員が窓の外を仰いだまま固まっていた。いやな汗が流れた。
このまま永遠に固まってしまう身体を無理やり動かすように、立山は全身から声を張り上げた。
「逃げろー!!!」
おそらく住民も同様だったのだろう、固まっていた身体が、立山の叫びでようやく反応した。
慌てて車を進めようとするが、渋滞でそれもままならない。やがてあちこちで車がこぜり合い、衝突する音がした。
立山は咄嗟に車両へ戻り、マイクを握った。
『ただいまゴジラが現れました!車を捨てて、避難してください!!』
声のかぎりをマイクに叩きつけた。団員たちに誘導棒を握らせ、東へ、とにかく東へと避難させる。
悲鳴を上げながらも、住民たちは誘導に従い、国道の歩道にあふれ出した。立山は体育館・校舎から出てくる住民をとにかく敷地の外へ誘導する。
「車両はダメだ!走って避難させろ!!」
団員に怒鳴り指示すると、誘導棒をブンブン回し、住民を誘導する。
おそらく最後尾と思われる、老人や足の悪い人たちに付くと、背中に手を当てながら立山も一緒に歩いた。
だが、走るにせよ歩くにせよ限界があった。国道44号線は宮園交差点を過ぎると、のぼり坂となるのだ。先を急ぐ住民たちも走り足が歩き足になり、比較的若く元気のある住民たちが乗り捨てられた車列を縫うように先を目指す。
「道の駅だ、道の駅に入ってー!道の駅―!」
やむなく、立山は坂の上にある道の駅厚岸に誘導することにした。一緒に歩いている老人たちも息が上がり、これ以上歩き続けることは困難だった。
やがて町を遥かに見下ろせる道の駅駐車場にたどり着く頃には、轟音が聞こえ、土煙が舞ってきた。
さきほどまで立山たちがいた辺り―宮園交差点にゴジラは達していた。住宅をなぎ倒し、やがて厚岸湾に足を踏み入れた。
住民たちは上がった息も整わず、ただただ目の前に広がる信じられない光景をあおぐしかなかった。
「牡蠣の養殖場が・・・」
隣の老人がワナワナ震えていた。町が誇る特産物―湾内に仕立てられた牡蠣の養殖棚が、完全に踏みつぶされてしまった。
ゴジラは顔を左に向けた。湾の先に突き出た半島に、厚岸町中心部が広がっている。
夜明けとはいえ、町内の灯りはまだ点されていた。ゴジラは灯りに吸い寄せられるように、町の中心部に上陸した。
立山がいままでよく耳にした、重機で住宅やビルを壊し、造成する音・・・入り江の向こうから聞こえてきた。だがその音の規模は、立山が聞いてきた何倍も激しく、無秩序なものだった。
破片や瓦礫が舞い上がり、土煙が爆発的に広がっている。
やがてゴジラの背びれが青白く光った。
まるで眼下に広がる、人間が作り出した灯りを憎むかのように咆哮すると、白い煙を吐き出した。不可思議にも煙そのものが光っているようにも見えた。
たちまち町の中心部が燃え上がり、ゴジラほどはある丈の炎が広がった。
ゴジラはさらに背びれを光らせると、続けて白い煙を吐いた。
町役場から中央公民館、高校や中央商店街がある一角が完全に炎に包まれた。火災は猛烈な勢いで、町の南側に広がっていき、やがて町営森林公園がある森へ燃え移った。
ここまであっという間に炎が広がる様を、立山はもちろん、道の駅に避難していた住民誰も見たことがなかった。
町の灯りを完全に炎に包んだゴジラは、大きく咆哮すると、そのまま進んで海へと没していった。自衛隊のヘリだろうか、飛沫を上げて海面を切り裂く背びれを追いかけた。
(何で攻撃しないんだ・・・!)
立山だけでなく、誰もが思ったことだった。
「こりゃあ町は、全滅だ・・・・」
隣に佇む老人が、もうもうと上がる黒煙を呆然と眺めつつ、つぶやいた。
立山は消防無線をひっつかみ、怒声ともいえる声でしゃべった。
「第一分団第三部長より団本部へ、これより第三部は町内の火災消火へ動きます。使用可能水利等、指示を願います!」