6月5日 火曜日 6:42 神奈川県庁庁舎
圧倒的な情報量と言葉で説明する剱崎を、八田部はパソコン画面越しに眺めていた。
いささか荒唐無稽とも思える話ではあったが、例のカマキリ騒ぎの裏付けとしては非常に興味深い内容だった。
常識云々の議論を差し置いても、現在の状況は剱崎の説明に齟齬が感じられないのだ。
「えー、剱崎先生」
モニターへ向けて、八田部は声をかけた。
「神奈川県知事を務める八田部と申します。私からいくつか、質問をさせていただきたい。よろしいですか?」
剱崎は画面の向こうにいる八田部にやや不満げに顔をすぼめつつ、縦に首を振った。
「まずひとつ。川崎へ避難してきている都民の証言によると、件のカマキリ―カマキラスでしたね―が、人間に襲い掛かってきて、負傷者も多数出ているそうです。人間を積極的に襲うのは何か理由があるとお考えですか?あるいは凶暴性が増していると考えられますか?」
剱崎は水を一口煽ると、『いまから話そうと思ってたことですが』と先置きし、話し出した。
『急成長を遂げたこの個体について、摂氏5℃の状況下でいくつか検証を行いました。まず、従来のカマキリに比べて両手、すなわち鎌ですな。この部分が異常に硬くなっている。従来ですと、カマキリの鎌など人間にとって恐れるに足らぬものですが、私が指先で触ってみたとき、鎌を振ったんです。そうしたら、ゴム手袋がパックリ切り裂かれました。もしやと思い、今度は研究室にあったこぶし大のプラスチック片を与えると、これも真っ二つにしてしまった。正確な強度は算出されてませんがね、この事実を以て考えると、人間の皮膚を切り裂くなど造作もないと申して良いでしょう』
さらに、と剱崎は続けた。
『なぜここまで鎌が硬質化する必要があるのか。私は、浜名湖の車内で共食いを盛んに行った事実を思い起こし、折の中にマウス、成長したカマキラスより小さいハツカネズミですな。こちらを放ってみた。映像を用意してあります』
剱崎はパソコン越しの各県知事にも見えるよう、スクリーンを移動させ、パソコンの動画ファイルを開いた。
鉄製の虫カゴを開け、麻酔を打たれて伸びているマウスが放られる。そこから先は、まともな感覚を持つ人間ならとても直視できない光景だった。
『もう、もういい、たくさんだ!』
ただでさえ剱崎の体臭で参っていた小林が、吐き気を込めた声で怒鳴った。
『おわかりですかね。カマキラスは鎌だけではなく、顎も強化されている。最初の一口でマウスの皮膚を容易く食い破ったということは、人間の皮膚も例外ではないということですな。ええっと、八田部さん、でしたか。人が襲われたと証言があったと聞きましたが、カマキラスが何のためにここまで鎌と顎を進化させたか?なぜ人を襲うのか?これ以上は、申し上げる必要がありますかな?』
肝心なところで勿体ぶりおって、小林の悪態が聞こえた。
「カマキラス、でしたか。都内では人間ほどの大きさになった個体もいたという証言があります。これは・・・申し上げにくいのですが、捕食した結果、ということですか?」
自分でも想像したくない、常識外れなことだとは思うが、そう考えるしかないのかと八田部は問う。
『でしょうな。ハッキリ申し上げましょう、カマキラスは人間を絶好の餌と見做していると考えられる』
八田部は額に脂汗が噴き出すのがわかった。胃が持ち上げられたような浮遊感があり、口が乾いていく。
「では剱崎先生、重ねて質問します」
ハンカチで額と首筋を拭き、乾きでかすれ気味に上擦った声で八田部は言った。
「どうすれば、カマキラスの駆除、あるいは活動が収束しますか?我々で対処できることは何だとお考えですか?」
『もっとも有効なのは、低温下の環境となることです』
事も無げに剱崎は答えた。
『先述の生育状態から、カマキラスにとっては摂氏30℃以上の環境で活発に行動します。これを下回ると運動機能に差し障りあるのか動きが鈍り、摂氏10℃未満ですと歩行ができず、先ほどの映像通り捕食くらいしかできなくなる』
『では、このまま秋、冬を迎えれば、自然と活動が収束していきますね』
会田の発言に『バカな!いまは6月だぞ!都内の気温が下がる9月までこのまま指をくわえられるか!』と小林が金切り声を上げた。参集した誰もが思ったことだった。
「剱崎先生、小林知事のおっしゃる通りです」
相も変らぬ会田の呑気さにうんざりしながら、八田部は言った。
「停電により首都機能が停止してから半日、これだけで経済的にはもちろん、政治的にも日本は甚大な損害を被っています。季節の変化に頼るだけの余裕などどこにもありません。他に、対策はありませんか?」
現在、停電は川崎市全域に広がっている。すなわちカマキラスは、じわじわと神奈川へ侵攻しているということだ。八田部にとっても喫緊の課題であった。
『そうですな・・・単純なことですがね、殺虫剤が有効でしょう』
聞いていた知事全員の目が丸くなった。
『いちいちカマキリを見つけては、キンチョールを噴きかけて回れっていうのか』
苦々しく小林が言った。
『町田さん、どうでしょう?自衛隊で対処は可能だと思われますか?』
原田が難しい顔をする町田に訊いた。
『純粋に考えて、自衛隊のみでは対処は困難であると考えます。範囲が広すぎますし、どれだけの数のカマキリが存在するのか、通信が遮断された状況では判断しかねます。そもそも、自衛隊には害虫駆除を目的とした殺虫剤の装備がありません。新たに用意をする必要があります』
「機能している害虫駆除の企業に問い合わせてはいかがでしょうか」
口にするのもバカバカしいところだが、八田部にとってはそれほど切迫した状況だった。
もしこのまま、例のカマキラスとやらが川崎を越え、横浜まで侵攻し、都市機能を失ったら・・・。
何としても、ここで食い止めなくてはいけない。
「それと剱崎先生、もうひとつ」
手元に差し出された資料を見て、八田部は画面に話しかける。
「たったいま入った情報によれば、東京23区のうち都心3区、渋谷、新宿など城西地域との連絡は途絶えたままですが、隅田川より東・・・台東や足立、荒川などの区とは連絡が可能な状況です。これはいったいどういう事由によるとお考えですか?」
『ふーむ』口元に手を当ててしばらく、剱崎は答えた。
『断言はできないが、カマキラスは渋谷、新宿付近でまず繁殖が始まり、それがじわじわと活動域を拡げてきた。ところが都内を流れる河川を越えるのは、さすがに簡単にはいかんのでしょうなあ。憶測でしかないが、数的に渋谷・新宿地域より西に流れた群れが多かった。川崎の停電はそのためでしょう』
「では、いずれ城東地域も停電していくと?」
『おそらくは』
「連絡のついた城東の区役所と連絡を密にしてくれ」
隣に控える清水に、八田部はささやいた。
『あのー』
画面越しに会田が挙手した。
『今回ゴジラが出現したことと、何か関係があるんでしょうか?』
『知りません』
小馬鹿にしたように鼻先で笑い、剱崎は視線を外した。
『失礼、みなさん』
ちょうど付帯の府職員から報告を受けていた川名が立ち上がった。
『もうひとつの懸案事項であるゴジラに関してですが、こちらも専門家を招集しました』
『専門家って、まさか』
原田が目を見開き、川名に注目した。
『はい。京都大学大学院の、尾形大助教授です』
全員が得心したように首を縦に振った。
『たまたま、先日から北海道大学での学会に出席なさってるそうですが、自衛隊協力の下、こちらへ昼前には到着できるよう、手配をしております』
それまでに具体的な対処を、と話し出した知事たちの中で、剱崎はフン、と斜めに俯いた。
同日 7:02 北海道網走市南10条西3丁目付近
「まさか、こんなことが実際に起きるなんて・・・」
引きちぎられ、鋼線が剥き出しになった電線、飴細工のように曲がりくねった信号機、路面に散乱する、それまで家屋の屋根や壁だった破片に囲まれ、金崎はつぶやいた。
「金崎、いまは感傷に浸るより、早く仕事済ませなさい」
昨夜、なんとか部屋から持ち出したiPadで周辺を撮影しながら、緑川は金崎を促した。
ゴジラが網走に上陸してから、間もなく11時間が経とうとしていた。
網走駅前のホテルに入った緑川は、部下の金崎に起こされ、二人で網走川の北側へと避難した。幸いにもゴジラは川を越えることなく南下したため、二人はケガもなく無事だったが、滞在していたホテルはゴジラが振った尻尾の一撃で破壊され、大した荷物もなく二人は漁協施設に身を寄せ、夜明けを待った。
東京支社とはまったく連絡が取れず、未明に大阪本社の進藤海損部長と連絡はついたものの、「交通機関が運行再開するまで待機、市内で被害を受けた企業や契約している住宅の様子をできる限り写真に撮ってこい」という指示を忠実に実行した。する他なかった。
「こんなときに・・・うちってすげぇブラックだったんですね」
そう苦言を吐く部下を「気持ちはわかるけど、これも大事な仕事なの。時には非情に徹して状況把握をしなくてはいけないのよ」と窘めた。
だが緑川自身、「どうせ電車も道路もアカンならやることやってきてや」とのたまった同期の上司に怒りを覚えていた。
メールで添付された契約物件のうち、まだ3割程度しか現認できていなかった。そのうちかなりの物件が、ゴジラ由来の高放射線に汚染され立ち入りが固く禁じられている。状況現認も大事だが、自分と部下の安全も考慮する必要がある。
この調子では、できる限りの現認を終えるのはあと30分もかかるまい。あとはいつ動くかわからぬ鉄道なり空路なりの再開を、途方に暮れながら待つだけだ。
所属する東京支社は連絡がつかないどころか、支社と従業員の安否すら不明の状態だ。聞けば東京も大変なことになっているらしい。進藤の指示は「どうにかこうにかして、大阪本社へ来い」という、あまりにも無茶なものだったが、事実そうするより仕方がなかった。
「すみません」
少し離れた場所から声をかけられた。白い放射能防護服に身を包んだ一団がいて、先頭が立ち入り禁止の黄色い帯をあたりに引いている。
「この辺りは放射線量が高いんです、速やかに退去してください」
どうやら警官らしい。状況が状況だけに、もっと写真を、と粘るわけにもいかない。「すみません」と言い、緑川は金崎を連れて離れようとした。
「ちょっと、失礼」
防護服の一団の中から、輪の中心にいた男性が声をかけてきた。
「突然お声がけして失礼、あなた方はなぜ、こちらの様子を写真に撮られていたのですか?」
「ああ、私どもはこういう者です」
緑川と金崎はスーツのポケットから名刺を差し出した。損害保険の文字を読み、男性は納得したようだった。
「突然でもうしわけない、あなた方の撮られた写真データ、頂戴することはできませんか?」
「えっと、失礼ですが警察の方ですか?」
写真は保険金支払いの証拠となる物証であると同時に、保険会社にとっては大切な顧客の個人情報にもなり得る。公的機関といえど、おいそれとデータを提供することは憚られるのだ。
「これは失礼。私は京都大学大学院の、尾形と申します」
防護マスク越しに、その男性は答えた。
「京都大学の尾形さんって・・・あの、ゴジラ博士ですか?」
しまった、言ってしまってから、緑川は口を押さえた。
「ええ、そうです。巷ではそう呼ばれているようですね」
公的な名称でないにも関わらず、尾形は嫌な顔もせず頷いた。
「やっぱり・・・。よく雑誌やテレビでお見掛けしてます。今回も調査でこちらへいらしたのですか?」
「ええ。いえ、昨日北大で学会がありまして、出席して札幌に滞在していたのです。そうしたらゴジラが網走に現れたというので、未明にこちらへ参ったのです。ですが、大阪の知事会に呼ばれてしまいましてね、現地調査もそこそこに、大阪へ戻らなくてはならないんです。そこで、お二人の撮影された写真でもって調査の補完をさせていただきたいな、と思いまして」
テレビで見る通り、尾形は穏やかで、よく通るバリトンが耳に心地よい。
「それでしたら」緑川は傍らの金崎を促した。
「昨日、僕が避難しながら撮影したこの写真はどうですかね?」
金崎は自らのスマホを、尾形に差し出した。興味深そうに写真を眺めた後、「この写真も含めて、ぜひともデータをいただきたいです。それは可能ですか?」と訊いてきた。
「わかりました、提供します」
あっさりと言い放った緑川に、「副部長、いいんですか?」と金崎は目を丸めた。
「公的なものだもの、OKでしょ。然るべき手続きは後で処理できるよ」
「ありがとうございます」
尾形は頭を下げると、いいから早くこの場を去りましょう、と目で訴えかけていた警官に「恐れ入りますが、速やかに女満別空港へ向かいましょう。このまま大阪へ」と言った。
「えっ?すみません尾形先生、大阪へ向かわれるんですか?」
「そうですが・・・?」
それを聞いた緑川は、ニッコリと笑みを浮かべた。金崎はそんな上司の顔を、いままで幾度か目にしてきた。
「あのう、でしたら、交換条件というのはいかがでしょうか?」
それから40分後、尾形と随行の調査団数名、そして緑川と金崎という突然の乗客を乗せた陸上自衛隊固定翼機、LR-2は、大阪伊丹空港へ向けて女満別空港を離陸した。
『ホンッとちゃっかりしとんのう、お前は』
離陸前、緑川は大阪本社の進藤に経緯を話すと、こう言われた。
「でもいいでしょ?予想より早く大阪いけるし、あたしたちのデータがゴジラ対策に使われるんだもん、お国のためでしょ」
行きがかり上、大阪到着後に緑川と金崎も、ゴジラ襲来の目撃者として知事会に同席することとなった。
通常の旅客便に比べて乗り心地はあまり良くなく、緑川は若干の二日酔いが先鋭化しているとはいえ、願ってもないことになった。
同日 8:05 東京都千代田区永田町 首相官邸
「いやあ、参りましたな」
エレベーターの上板から、さらに最寄りの扉へとなんとかよじ登った首相一行は、汗をしきりに拭いながら廊下にへたり込んだ。第一声が望月だった。
昨日夕刻、エレベーターが停止した後、どの非常回線も携帯電話も繋がらず、やがてエレベーター内が蒸し風呂状態となった。
元体操選手だったというSPの1人が、他のSP2人の手を借りて上板を外し、その板を使って少しずつ、階の扉をこじあけたのだ。
たまたま4階扉が手の届く範囲にあったのは幸運だった。もし最寄りの扉が手の届かない範囲であれば、エレベーター内で飢え死に、または酸欠を待つばかりという状況に陥っていたはずだ。
老齢の瀬戸と望月もだが、身体を張って宰相とその女房を助け出したSP3人の体力はもはや限界だった。とにかく4階のトイレに入り、手洗い場の水を飲んで渇きを癒し、体力がある程度戻ると他のスタッフを探した。
だが4階には誰もおらず、たとえ停電でも動くはずの緊急回線も不通だった。
「これは妙ですなあ。非常事態でも、官邸の回線は常時確保されているはずなのですが」
望月が首をかしげていると、SPの1人が廊下にうずくまってしまった。汗が止まらないのに唇が青く、肩で息をしている。
「いかんな、熱中症だ」
瀬戸はSPの上着を脱がし、他のSPに水を持ってこさせた。常時快適な温度に保たれているはずの官邸だが、エアコンも停止しているらしい。
「これは、停電のレベルが尋常ではありませんな」
横になり、申し訳なさそうなSPを近くにあったファイルで扇ぎながら、望月がぼやいた。
「うむ。とにかく、彼が落ち着いたら他の階を探索してみよう。我々もいまは、あまり派手に動かない方がいい」
瀬戸自身、身体中の毛穴から汗が湧き出る不快な感覚を堪えていた。このまま動いたら、このSPの二の舞になってしまう。
後に、このとき動かなかったことが自分たちの運命を分けたのだと瀬戸たちが思い知らされるのは、しばしの時間が経過してからだった。