6月5日 火曜日 16:40 大阪府庁舎 小会議室二
この期に及んで右往左往する各知事たちに、呆れたような薄笑いを浮かべながら剱崎が部屋に入ってきたのは、ちょうど尾形が妻の靖子に「今日は戻れないから夕飯はいらない」と電話を終えたところだった。
くたびれた顔でスマホをいじっていた休憩中の府庁職員たちは、尾形と剱崎が同室になった途端に咳ばらいをして席を外していった。
「この国はいったいどうなってるんでしょうなあ。あんな意気地なしを知事に選ぶだなんて」
剱崎のぼやきを、尾形は無視した。
「まあ、そんな国だ、これを期にいっそのことイチからガラガラポンした方が良いのかもしれませんなあ」
関わり合いを絶つように卓上の書類に目を落とす尾形に、剱崎はなおも近寄った。
「尾形先生、相変わらずゴジラにご執心のようだが、このままいくとゴジラより早く、カマキラスに日本は滅ぼされるでしょうな。今後のゴジラ研究を考えるより、早いところ避難をした方が良さそうだ」
剱崎は挑発的にテーブルに腰かけ、尾形を見下ろした。
「・・・先ほどのお話では、この分だと明日の午後にはカマキラスの群れが関西に到達する、ということでしたか?」
ここにきてようやく、尾形は顔を上げた。
「ええ、ええ。さっき知事会で話した通りだ。一同みんなビビッてしまって、未だマスコミには発表してませんがね」
底意地の悪そうに、剱崎は笑った。
「仕方がありませんよ。中央と違い、非常事態時のマスコミ対応に長けた部署もノウハウも存在しない。第一、むやみに避難を呼びかけたところで、収拾のつかない混乱が生じるばかりです。そんな中でも、知事のみなさんは現状でしっかりやってらっしゃると思います」
「さすが、お偉いさんとお付き合いのある尾形先生はおっしゃることが違う。忖度がお上手ですな。ま、いずれさらなる被害は免れない。もはや諦めの境地に達する方が賢いでしょうな」
無造作に伸びてきたあごの髭を指でなぞりながら、剱崎はいやらしく笑顔を見せた。ヤニと汚れで黄ばんだ歯が、いやらしさを助長していた。
「現在、自衛隊西部方面隊を中心に対応を協議しているとのことです。東京と違ってこちらにはまだ時間的にも距離的にも余裕がある。座して死を待つようなことなど・・・」
剱崎は口を閉じ、悪意ある笑った目を向けてきた。
「だがあれほどまで繁殖し行動力も急成長した存在に、打つ手などありますかな?尾形先生、私は常々、人類がいつまでも地球の支配者であると思うな、そう学生たちに説いてきましたよ。我々はね、こうして存在している以上、緩やかながら確実に滅びへと向かっているんです。今回はその速度が一気に上がったに過ぎない」
クックックッ、と鳩のように笑う剱崎に、尾形は我慢ならぬとばかりに立ち上がった。
「剱崎先生、おふざけも大概にしましょう」
「おふざけなどではありませんよ。もう良いじゃないですか。人類は充分、この地球上で贅沢してきた。支配者がシフトする自然の摂理に任せましょう」
「・・・あなたという人は!!」
一段と声を荒げ、尾形は剱崎に詰め寄った。剱崎は薄ら笑いをやめ、垂れていた目じりを上げた。
「私はね、尾形先生。とうに人間への愛想は尽きてるんですよ。何故か?それは訊くまでもないでしょう。ええ、あなたのせいですよ!」
尾形は唇を噛み、反論を押しとどめた。
「20年以上も前になりますね、私があなたの下で研究員を務めていたときだ。あなたの研究にいたく共感した私は、あなたの学術論文作成に基礎から携わった。ちょうどあのときも、今年のように猛暑でしたなあ」
剱崎は窓の外に身体を向けた。うだるような空気に包まれた大阪市街が仰げた。
「あなたがずっと提唱していた、ゴジラの生命力への探究、及びゴジラとの共存可能性。私も生物学を修めてきた身として、一も二もなく乗っかりたくなった。そりゃあ、昆虫研究分野へ進もうとしていたのに、大事な時期になぜゴジラ研究などに乗り換える?そう、当時のお偉方から言われましたなあ。ええ、いまでも『不運な奴だ、あのとき浮気しなければ、今ごろお前も名誉教授の座でもおかしくない』とは言われます。ですがね、私は自分の役職なんざどうでもいいんだ。尾形先生、あなたと芯が通った研究をしたかったんですよ」
尾形は目を瞑り、椅子に座り込んだ。もう幾度と聞かされた話だったが、遮ることもしなかった。できなかった。
「論文発表の一週間前でしたねえ、あなたが急に、仕上がりかけた論文を破棄し、こちらの論文を世に出す、などとのたまっってきたのは。ええ、世間は許さないかもしれません。ようやく戦後からの脱却を果たそうとした日本を2度も壊滅の危機に晒し、新たに出現した場合、今尚我が国最大の脅威であるゴジラとの共存を謳った論文など。ですがあなたは、それでも生物学者としてゴジラの抹殺ではなく研究を望んでいた。私は嬉しかった。生物の神秘を解き明かそうとする、あなたの姿勢が。だのに・・・・」
意気消沈した尾形に、剱崎は向き直った。
「誰に唆されたのか、そんなことはどうでもいい。あなたは『ゴジラとの共存可能性』ではなく『ゴジラ再出現時の対応及び対抗方法』などと、生物学からおよそかけ離れた論文を送り出してきた。大学や文科省の軍門に降り生物学者としての、いや、いち研究者としての魂をドブに捨てたあなたは、見事に名誉教授の座を約束され、マスコミにもちやほやされ、我が世の春を謳歌した。さぞかし痛快だったでしょうなあ、あなたの進言通りに政府や自衛隊が動き、膨大な予算が組まれ、ゴジラの厚い皮膚突貫を目的とした0式特殊徹甲弾(通称フルメタルミサイル)や3式回転型徹甲弾(通称D03削岩弾)といった兵器が配備され、新たな商品開発に成功した三菱重工から見返りに多額の研究費用が寄付されるといった流れは。言うことを良く聞く良い子に育てば、甘いお菓子がもらえるんだ。先生は、生きるのがお上手だ」
聞き慣れた皮肉ではあったが、やはり剱崎に言われるといまでも堪えきれず胸が苦しくなった。
「世の空気に流され、本当に研究すべき事象は軽視する。人間の浅ましさ、ここに極まれり。今回の件はね、きっとそんな浅ましくて無知な人間への罰ですよ。尾形先生、いくら名誉が手に入り、研究資金が潤沢でも、人間みな死んだらなあんにも残りませんな」
ふいに、気配がして会議室へのドアを見た。憤怒の表情を浮かべた川名が仁王立ちしていた。
「これはこれは川名さん、聞いてらっしゃったのですか」
剱崎は笑顔で川名に顔を向けた。その笑顔も、お愛想や後ろめたさのない、純粋なものだった。
「まあ、あなたたちも仕事だ。カマキラス退治の参考になることなら、もっとお話しましょう。だがさっきも言いましたね、時間も準備も間に合わないかもしれない」
「剱崎先生、よろしくお願いします」
怒りで歯をくいしばる顔とは正反対の、ゆっくりした丁寧な物言いだった。
再び1人になった尾形は、目を閉じたまま天を仰いだ。
同時刻 大阪市中央区城見 大阪ビジネスパーク内 KGI損保本社12階 喫煙所
『われは逃げねぇのきゃ?』
電話口から、母の美津子がいつも通りキンキン声で話しかけてきて、緑川は懐かしさのあまり笑いと涙が同時に出た。
「仕事あんもん、めったに思わねよ」
『仕事仕事って、われはまあず、このいっこくもんがあ』
カマキラス騒ぎが北関東にまで及んだと聞き、緑川は群馬にある実家に電話をかけたのだ。テレビでは事態が切迫した様子を報じていたが、美津子は相も変わらず、たまに電話をかけては結婚といつ帰るかを訊いてくるいつもの調子そのままだった。
「お母ちゃん、そっちは世話ねえ?テレビで関東の方、なっから騒いでっけど?」
『なーん、隣の昭夫さんなんかとんましてさっきわげさ来たども、あんじゃぁねえっておっぺしてやった。まったぐ、肝のちっとんべえこと!」
上州のカカア天下を地でいく美津子らしかった。
『だいたい、逃げっぺども122号渋滞してんべえ。せっちょなことしねで、デンとしてんべえ』
緑川は思わず笑った。『美津子さんは赤城が噴火してもたまげね』と近所でよく言われたが、歳を取ってもまったく変わらず豪気なものだ。
『まっとな、町うちのお菓子屋の若夫婦よ。ほれ、われの同級生の美沙ちゃん。まあだややっ子いっからって、かかどんらと片品さ逃げたんだがね。あれはおやげねえ。かかどん泣いてだぞお』
同級生の名前が出たところで『われも、はぁ結婚しんなん?』と、結局いつものパターンとなった。
ため息をついたところに、金崎がやってきたのが見えた。
『ごめん母ちゃん。仕事しねど。おだいじな』
電話を切ると、緑川はタバコに火をつけた。喫煙所に入ってきた金崎は、珍しそうにこちらを見てきた。
「やめようって思ってるんだけど、なかなかやめらんないんだ」
「いえ、副部長・・・涙が出てますよ?」
金崎に指摘されて、緑川は慌てて鏡を見た。
「うわ、化粧落ちちゃう・・・」
照れ隠しのつもりでメイク道具を出したが、金崎はずっとこちらを注視してくる。
「なに?そんなにおかしい?」
「いえ、副部長涙流したの、初めてみました・・・」
どうやら自分が思ってた以上に、つい涙が出てしまっていたようだ。
「ごめ、実家に電話してたから・・・」
「副部長でも、泣くときあるんですね」
緑川は照れと苦笑いが混ざった。
「そりゃあ、あるよ。みんなの前で見せないけどね」
化粧が終わると、金崎はなんとも言い難い顔をしていた。
「ちょっと、あたしが少し弱気になったからって、やめてよね」
「い、いえ・・・」
今度は金崎が照れ笑いを浮かべた。
「それより、進藤部長が探してました。急いで来てくれ、って」
「ロンドンの件?」
タバコを揉み消しながら、緑川は訊いた。
「いいえ。何かはわかりませんが、深刻な様子でした。財務部長とケンカに近いやりとりしてましたから・・・」
なんとなく、見当がついた。
「わかった。行こ」
金崎を促し、緑川は歩き出した。
「ねえ金崎、これからちょっと覚悟決めないといけないかもよ、あなたの人生」
「え・・・・僕、何かやらかしましたか!?」
「あなただけじゃない。あたしも、みんなも」