・6月5日 火曜日 19:40
東京から灯りが消えて、2日目の夜を迎えた。
普段は煌々たる灯りが夜を照らし、多くの人が行き交う東京の街は、無数の建造物が不気味にそびえる異様な空間となっていた。
時折、カマキラスによる混乱で各所にて火災が確認できる程度で、ビルの中でじっとしている人々はいつ終わるとも知れぬ暗闇の中、恐怖と心細さに葛藤しながら、あてもなくまた灯りがつくことを祈っていた。
後に供された衛星写真では、東京を中心とした川崎〜平塚、松戸〜八街、川口〜蓮田までの首都圏一帯が綺麗に暗闇と化しているのがはっきりと確認できるほどだった。
東京から放射状に伸びている東名、中央、関越、東北、常磐といった高速道路、並びに主要国道は、果てしない光の筋がはるか遠くまで伸びていた。いずれも100キロ以上と過去最大級の渋滞となり、且つ収束の目処はまったく立たず、1ミリも動かない車両の中で皆気を揉み続けるしかなかった。
やがて車の排熱と排気ガスで道路上の気温が50℃を突破し、渋滞中の車内でもエアコンが適切に機能せず、熱中症、脱水症状や一酸化炭素中毒に見舞われる人々が増え始めた。業を煮やし、車を捨てて高速道路外へと徒歩で避難する人々が、渋滞と混乱に拍車をかけていた。
そして暗闇はなお広がっていた。カマキラスの勢力拡大だけではなく、千葉、茨城、静岡の沿岸部では光に強く反応するゴジラ警戒のため、厳重な灯火管制が敷かれていた。灯火管制下では避難もままならず、各所で避難しようとする住民と警察の間で激しい対立が起きた。
避難ができない、あるいは諦めた人々は、いつ襲いくるかも知れぬカマキラス、そしてゴジラに怯え、家の中で震える他なかった。
本来、適切な処置をすべし政府が機能を停止している上、地方自治体では法律上どうにも対処できぬ事象が溢れ、人心の動揺はやがて東日本全体に拡大していった。
・同時刻 大阪市中央区 大阪府庁舎
「貴国で発生している災厄に対し、国連決議を根拠とした軍事作戦で以って対処する。米国を中心とした多国籍部隊による軍事作戦を日本時間明朝7時、決行する。いまから10分ほど前です、在日米国大阪総領事より、このような報せを受けました」
皆に配布されたA4判用紙と同じものを、逸田は読み上げた。
列席の知事は、逸田の先まで目を通していた。
「核戦力ではなく、通常戦力を用い、静岡県天竜川を防衛線とした作戦を敢行・・・まあ、核が使われぬだけマシと言えますかな」
すっかり力の抜けた原田に、「いえ、事態は変わらず深刻と言えます」と、即座に町田が否定に入った。
「敵方の能力、及び兵站を考慮すると、陸上部隊による作戦展開は考えられません。おそらく、カマキラスの影響がない高高度からの攻撃が適当でしょう。問題は、使用兵器です。核戦力は使用せずとも、核に匹敵する威力の爆弾が用いられると考えられます。具体的には、BLUー82、通称デイジーカッター、あるいは燃料気化爆弾が投入される可能性が高い」
「わかるように言ってもらえないか」
皆を代弁するように、小林が声をあげた。
「いずれも、2001年のアフガニスタン戦争時、米軍による使用実績があります。周囲約3平方キロが完全に爆破され、俗に『村ひとつまるごと爆撃した』と言われた爆弾です」
町田はすかさず釈明した。
「そんなものを使おうなどと・・・」
原田は歯噛みしたまま二の句が告げられなかった。
「当然、使用前には住民の避難が必要になりますが、防衛線とされる静岡県はまだしも、連絡が途絶えた首都圏での使用も辞さないとなると・・・。しかも、国連安保理ではロシアを中心に、核戦力投入を推す声も依然として大きい」
一様に深いため息が吐き出された。スカイプ画面の向こうでは、杉浦静岡知事を筆頭に、動きが慌ただしくなる知事が見られた。
「ここまで他国に好き放題やられるとなると、仮に事態が収束したとしても、事後の問題が大きすぎやしませんかな?」
小林が皆に問うと、何人かが目を瞑り黙り込んでしまった。
「やむを得ない状況とはいえ、事実上、立派な主権侵害ですからな」
深刻な事態を口にしつつ、小林にはどこか含みを持たせたような余裕が見られた。
「日本の政府機能が復活したとして、払う犠牲が多過ぎる」
原田が吐き棄てるように強く言った。
「増して、もしカマキラスによって総理を始めとする閣僚、国会議員の先生方が犠牲となっていた場合、この国は・・・」
「現実的な話として、日本は米国がイニシアチブを取りつつ、国連管理下にしばし置かれることとなるでしょう」
自分でも言うのが心苦しかったが、町田は腰を下ろしつつ言った。
「この国は、もう一度戦後からやり直すことになるのだろうな・・・」
椅子に深く背を委ね、原田は漆黒が広がる外をぼおっと見やりながら言った。
同時刻 大阪府大阪市中央区 大阪ビジネスパーク KGI損保本社
必要人員を残し、社内の人間には帰宅が命じられた。どうあっても東京と連絡がつかない上、首都圏の混乱が中部日本にまで広がりつつあるためだ。
「そんなワケで、必要部署以外、明日はみんな自宅待機や。まあ、オレ出社せなあかんし、お前らも家に帰ろうにも帰られへんなら、悪いが明日も一緒にここおってくれ」
進藤は両手を合わせて懇願した。
「いいよ。どの道、東京には戻れないし。仕事も多いんでしょ?」
緑川が訊くと、「まあな、多いっちゃ多いが・・・」と、進藤は後頭部を掻いた。
「いずれにしてもな、明後日になれば、場合によっちゃみんなヒマになるやもしれんぞ。さっき榎木取締役と話したらな、そうなればみんな、東京行けばいい、復興需要で人手不足なるでーとか呑気にアホのたもうたったで」
進藤は意地汚く笑い、卓上のお茶を呷った。
「それにしても・・・」
未だ事態を理解しきれていない金崎は、うなだれて拳を握った。
「なあ、せっかく大企業に入社したのにこないなことなってもうて、すまんな。日本海洋銀行の融資決裁が、こないに紛糾するとは思わなんだ」
カマキラス出現による首都機能喪失は、日本経済に深刻な影響を与えていた。ロンドン、ニューヨークの為替市場において日本円は暴落、1ドル169円とわずか1日で70円以上下落してしまった。
通常であれば為替差益によって日経平均株価は上昇するわけだが、世界経済の中枢である東京が機能しないため、下落幅が差益をはるかに上回ってしまっていた。
何より、東京はおろか日本国家の存亡まで危険視される状態に至り、日本国債の価値が毀損されかねず、既にアジアでは日本発の金融危機が取り沙汰されていた。緑川や進藤ら民間には正確な発表はまだ為されていないが、国連介入による日本統治ともなれば膨大な日本国債はただの紙切れになる懸念もあった。
KGI損保は、同業他社と比較しても日本国債がポートフォリオの大部分を占めており、良くも悪くも日本経済、国勢に影響を受けやすい財務体質であった。かかる事態に至り、日本円そのものが価値毀損ともなれば、会社の資産がほぼ吹き飛び、即死しかねない状況であった。
グループ企業である日本海洋銀行への融資を申し入れたが、在京メガバンクが軒並み半身不随となっている中、在阪である日本海洋銀行に緊急融資依頼が殺到、決裁処理が破綻しつつあったのだ。
「せっかく、ランスロット生命買収まであともう一息ってとこまで漕ぎ着けたんやけどなあ」
進藤は背伸びをして、あくびと一緒に言った。買収交渉を進めていた東京本社のプロジェクトチームと連絡が途絶した上、会社の資産が吹き飛びかねない状況では、交渉推進どころではなかった。
「なあ緑川、お前どっかエエ勤め先知らんか?こういう状態や、多少給料下がるんはしゃあないけど」
「こっちが紹介してほしいくらいよ。ここの仕事に追われて、転職なんて考えもしなかったもの」
「せやな、オレもそうや」
努めて明るく振る舞うが、本当は縁川も進藤も、不安を隠しきれず俯く金崎と同じ気分だった。この歳で再就職はかなり厳しくなるだろう。
「なんや、外が騒がしいのう」
進藤は窓の向こうにそびえる大阪城に目をくれた。64年前にゴジラ、アンギラスによって破壊されたが、不死鳥の如く蘇った大阪城は、かつてにも増して大阪府民の誇りであった。
「ああ、関東からの避難者がぎょうさんおるで。まったく、この熱帯夜にあれほどどないすんのやろ」
「そういえば、大阪城公園に臨時の一時避難所設けるって、ニュースでやってた」
言いながら、緑川はあの中に東京本社の誰かが紛れていないか、期待を向けていた。先ほど電話が繋がった石川のことが特に気になっていた。避難先の横浜も停電したというが、無事に避難できただろうか。
何より、石川が断片的に話していた「カマキリよりも恐ろしい存在」なるものが耳に残ってしまっていた。