・6月6日 水曜日 5:07 神奈川県三浦半島城ヶ島沖合3キロ地点 海上自衛隊護衛艦「たちかぜ」
「艦長、少しお休みになられては・・・」
副艦長の榎並二等海佐に促されても、「たちかぜ」艦長の大 秀明一等海佐は口を真一文字に結び、かぶりを振った。
昨日午後、茨城県に上陸したゴジラのさらなる南下、首都侵入防衛のため、海上自衛隊横須賀基地所属の護衛艦隊が文字通り東京湾を封鎖するかのごとく三浦半島沖合に展開、レーダーやソナーに反応しないとされるゴジラを駆逐すべく、艦の全感知能力を駆使して警戒に当たれ・・・そうしているうち、横須賀基地との連絡が途絶えた。
やがて空いっぱいに黒い波が広がり、そのまま護衛艦隊へと降下してくる群れ、かまわず対岸の千葉県へ向かおうとする群れにわかれた。
緊急避難措置として各艦は20ミリ対空機関砲で応戦したが、圧倒的な数のカマキラスには威嚇程度にしかならず、降下してきた群れとの白兵戦となり、いまは艦内の中央司令室に残存人員を集め、息を潜めているほかない状況であった。
カマキラスによって艦隊の通信機能は沈黙し、最新鋭の探知能力も兵装も稼働しない、大きな木のいかだと何ら変わらず湾内を漂流する以外何もできなかった。
「米軍との連絡は?」
大 は通信担当に訊いた。
「如何なる通信も不能です」
大 は黙って頷いた。
「各員、兵装を再度確認の上、待機」
意気消沈する部下たちに声をかけ、大 は再び東京湾の先、太平洋を仰いだ。この期に及んでなお、たとえ目視でも湾の先から侵入する可能性のある敵への警戒任務を愚直に守らんとしていた。
度重なる敗戦に沈んでいた隊員たちも、そんな艦長の背中を見ると、個別の兵装ー89式小銃の残弾確認や点検に取り掛かり始めた。
「副長、波が高いな」
言われてみれば・・・榎並は艦長の視線を追った。
「計測はできませんが、それほど風が強いとは思えません」
榎並の言葉に、大 は黙っていた。
「かつての記録に目を通したが、彼(か)の潜航波は船を転覆させるに充分であるとされる。よもやとは思うが・・・」
「艦長、まさか・・・」
「よしんばそうだとして、対戦も警告もできぬが・・・」
艦の揺れが強くなった。海面には、明らかな白波が目立つようになっていた。
・同日 5:19 東京都江東区若洲 東京港臨海道路 東京ゲートブリッジ
肌を心地よく撫でる海風にいくらか心を癒されたが、警視庁湾岸警察署刑事課の赤川巡査部長は早くも昇った太陽に目を窄めつつも、ゾロゾロと歩く避難者たちに目を光らせていた。
東京都内の大規模な停電も、今日で3日目を迎えた。相変わらず本庁との連絡はできないままだが、それでも東京臨海部は比較的通信手段が残されていた。
本署との無線通信は健在であり、また携帯電話も時折通じる状況が続いていた(東京都以外への通話のみ)。
何より、都内で発生しているとされるカマキリによる人的被害は、現在のところ湾岸部では報告されておらず、また広大な敷地(東京都臨海防災施設そなエリア、中央防波堤等)は、都内からの避難者を受け入れるのに絶好の場所となっていた。
本庁との指揮系統は寸断されているが、それでも湾岸署は現場判断で避難場所の確保及び誘導、警備に当たっていた。水上警備部隊も健在で、わずかな数ではあるが都内から押し寄せる避難者の輸送に役立てていた。
だがいつ、カマキリたちが襲い来るともわからず、また食糧、水、医療品もまったく不足しており、不安と緊張から避難者間でトラブルが頻発していた。人員は限られてはいるが、避難者の移動手段である橋の警戒には刑事課が当たっていた。
心地よい海風に神経が安らいだか、睡眠不足のせいか、赤川は足元が揺れるような感覚が続いていた。
両手で頬を叩き、意識を覚醒させる。だがほどなくして、また足元が揺れるのだ。
「赤川さん?」
おかしな動きをする赤川を見かねて、パトカーから部下の里中が顔を覗かせた。
「ああ。どうも寝不足のせいか、身体がフラつくんだよ」
頭をトントンと叩き、意識を正確に保つよう努める。だが足元の揺れは、さらに大きくなっていた。
「里中、なんか揺れてないか?」
「えー?」
怪訝な顔をしながら、里中はドアを開け、アスファルトに立った。
「あれ?たしかに・・・揺れてるような?」
赤川は首を傾げた。ゲートブリッジもレインボーブリッジも、風が強い日などは揺れが生じることがある。だが風速が1メートルもなさそうな様子で揺れるのは、どうにも解せなかった。
一瞬、地震のように橋が揺れた。赤川と里中だけではなかった。橋を渡っている避難者たちも揺れに気づいたようで、足を止め辺りを見回した。
「え、地震?」「人が多くて橋が揺れてるんじゃないか?」
あちこちで声が上がった。だが吊り橋であるレインボーブリッジならいざ知らず、トラス橋であるゲートブリッジは、構造的に人や車の量で揺れることなど考えられない。
ズン・・・・!
今度は明らかに揺れた。だが地震と違い、揺れは一瞬だった。
ズン・・・!
まるで大砲を撃つかのような、低くそれでいて強く響くような音だ。
ズン!
足元がふらつき、避難者たちから小さな悲鳴が上がった。
「おい、地震じゃないぞ・・・?」
よろめいて転んだ女性を助け起こしながら、赤川は里中に言った。
「変ですね」
里中が言いかけたとき、ズン!!という激しい音が響き、一瞬だが立っていられない揺れがゲートブリッジを襲った。
避難者たちは道路にしがみつくようにしゃがみ込み、赤川は辺りを警戒しながら膝を立てた。
「気をつけろ、大型のカマキリかもしれん」
イヤな汗が額に浮かんだ。状況を考慮し、署長判断で各員に拳銃携行命令が出されていたが、聞くところによる4トントラック並のカマキリが現れた場合、果たして太刀打ちできるだろうか・・・・。
ズズズズズ・・・・何かを引き摺るような音がした。音が続き、橋の揺れは小刻みになった。
「里中、発砲用意」
里中は緊張の面持ちで頷き、ホルスターからジークザウエル・P230を引き抜いた。
「みんな真ん中に!センターラインに寄って!」
赤川は声を張り上げた。指示に従い、避難者の一団は道路中央に寄り始めた。
引き摺るような音がより大きくなり、橋の鉄骨部分が鋭い音を発した。大型のカマキリにしては様子がおかしい。この揺れは、まるで海の底から響いてくるような感じがする。
「あ!」
避難者の1人が東京湾の海面を指差した。赤川が視線を向けると、海面が泡立ち始め、何かが海を割った。
鋭い剣山のようなものが、地を揺らしながらヌウっと浮き上がってきた。
「カマキリじゃないか?」
恐怖に震える声を誰かが上げた。だがカマキリにしてはどう見てもおかしい。鎌や脚などではない。
「背鰭・・・?」
隣で里中が呆けたようにつぶやいた。それだ!赤川は声に出しそうなくらい得心した。背鰭が海面をモーセのように割ってきたのだ。
立っていられないほどの揺れが橋全体を包み、赤川たちは思わず身を伏せた。暴風雨のような水しぶきが飛んできたと思うと、辺りが暗くなったように感じた。何かの日陰に入ったように、陽光が届かなくなった。
揺れがやや治まり、赤川はゆっくりと顔を上げた。既に身を起こしていた何人かの動きが止まっていた。時間でも止まったのかとありえぬことを考えた。
次の瞬間、赤川も身体が硬直した。目が合った。
その目は凄まじく大きく、天から見下ろされているように思えた。
カシャ、カシャ・・・避難者の中には、呆然としたままスマホで撮影する者がいた。被写体は画面をはみ出すほど大きかった。
口の中がねっとりとしてきた。隣の里中は無表情のまま歯を鳴らしている。
ものすごい揺れが橋を襲い、皆思い出したように悲鳴を上げた。誰ともなく橋の左右へと走り出し、赤川は誘導しようとしたが、うまく声が出ない。
里中を含む何人かは完全に腰が抜けたように座り込み、あんぐりと口が開きっぱなしだった。
「離れろ、離れろ」
精一杯声をしぼり出すが、掠れた声しか出てこない。それでも這いつくばるようにして皆が橋の中央から逃れたとき、大きな黒い影は橋を咥え上げた。
押し込むように避難者を走らせる赤川の耳に、鋭く激しい音がつんざき、思わず鼓膜を守ろうと耳を覆った。
恐る恐る振り向くと、大きな影は咥えた橋を噛み砕いていた。強靭な橋がウエハースのようにボロボロと砕け散り、海面に落下していく。
どうにか橋の袂にたどり着いた赤川は、ようやくその黒い影を見上げた。そうだ、前に学校で習ったことがある。中学校の日本史、大学の防災学、警察学校の避難警備で・・・。
「ゴジラ・・・」
誰にともなく言葉にした。
海面上の橋頭は完全に崩れ去り、ゴジラはその巨体を揺らしつつ、有明・国際展示場付近に上陸した。
国際展示場、そなエリアに避難していた人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。轟音が上がり、ゴジラはゆりかもめ、国立がん研究センターを突き崩すと、首都高速湾岸線を踏み抜いた。動かなくなっていた車列に火がついたのか、爆炎と黒煙が膨れ上がり、朝の空を黒く染め上げた。
震えながら、里中が寄ってきた。顔面が蒼白で、呼吸が荒い。
再びゴジラに目を向けた。有明運河を渡り、昨年開業したばかりの東京豊洲市場に達していた。署からの連絡によれば、豊洲市場にも大勢の人が避難していたはずだ。人間の悲鳴なのか、建物が崩壊する音なのか、判別がつかない。最新の工法と健在で作り上げられた東京の新拠点は、無惨にも瓦礫の海と化した。
「彼」は突然鼻っ柱を叩かれたかの如く、身が跳ね上がった。
この惑星の支配者が発し、「彼」が無効化した波長とはまったく異なる、禍々しく恐ろしい波長を感じたのだ。
はるか遠い昔、大いなる虚空の中で「彼」が「主」に出逢ったときのようだった。
この惑星に、これほどまでに恐ろしい存在があったとは・・・。
「彼」は食事を止め、惑星に拡がらんとしていた僕たちを喚んだ。
支配者の出す波長どころではない。この存在そのものが、「彼」にとってとてつもない脅威に感じられた。
しかも、この恐ろしい存在が目指す先は明らかに自身であろうと「彼」は痛感した。
確証はまったくないが、波長のすべてを自身に向けられている気がしてならないのだ。
「彼」の喚びに応じた僕たちが、空を舐めるように恐ろしい存在へと向かっていくのが見えた。
この惑星の支配は後だ。ただちに、あの恐ろしい存在を屠らなくては・・・。
「彼」は羽根を広げた。