・6月6日 水曜日 5:42 神奈川県横浜市中区日本大通1番地
神奈川県庁 第二分庁舎内 安全防災局 危機管理センター
県庁への電話が殺到して10分ほど経過した。ついさきほど、永遠に続くと思われていた停電が突如として復旧、重苦しい沈滞の空気が一気に取り払われ、あちこちで色めきだっていた。
昨日夕刻、カマキラスの行動拡大による停電によって横浜市全域が停電してからも、八田部は恐怖に怯える職員や幹部たちを叱咤し、1人でも多くの命を救うべく県庁舎を開放させ、近隣にいた市民たちをとにかく庁舎・県議会議事堂に避難させ、近隣のビルへも協力を仰ぎ、建物へ収容の後、厳重に封鎖を指示した。
幸いカマキラスの侵入は報告されてないが、冷房のないコンクリート庁舎内は一気に気温が上がり、熱中症・脱水症状で体調不良を訴える避難者が続出した。
それでも、屋外にいてカマキラスに襲われる危険性はいくらか回避できているのは事実であることもあり、混乱もあったが比較的落ち着いた統制が取られていた(収容された避難者に県知事である八田部自身が説明、指示を行ったことも大きかった)。
それが朝になり、さすがの八田部も疲労をにじませ、危機管理センターの本部長席にかけたまま仮眠を取ろうとしていた矢先、庁内の電源が復旧し、照明と冷房機能が働き出した。
ややあって県の関連施設、県内各自治体、警察や消防などから電話が矢継ぎ早にかかってきた。県内でも早くからカマキラスの影響を受けていた川崎市との回線も回復したこともあり、八田部は眠気も忘れるほど職員からの報告聴取に追われていた。
急なこととはいえ事態が一斉に良い方向へ動き出したこともあり、電話に追われる職員にも活気が出てきたが、やがてその活気も不可解な現実が醸しだす不穏な空気へと変質していった。
「局長、間違いないんだな?」
眉間に皺を寄せ、八田部は清水に訊いた。
「はい。横浜、川崎いずれの市危機管理課からの連絡です」
「県内の警察署からも、同じ報告が相次いでます」
相変わらず額に汗を浮かべている富井も、後ろから声をかけた。八田部は無言で頷くと、スカイプ画面に向き直った。
回線復旧に喜んでいた大阪の各府県知事たちも、八田部の表情からただならぬ雰囲気を読み取っていた。
『八田部さん、何か、ありましたね?』
画面から、原田がうかがうような顔をしてきた。
「はい・・・。まったく不可解なのですが、県内各地からの報告ですと、カマキラスの群れが一斉に東へ飛び去っていったそうです。それにより県内の電力も復旧してますが、いまも続々と同様の報告がもたらされています」
列席の知事たちも、ただただ怪訝な顔をするばかりだった。
「剱崎先生、何か考えられることは・・・?」
『わかりませんなあ』
剱崎も不思議そうな顔をかしげるばかりだった。
各所から、警察・消防の手が圧倒的に足りていないと報告があり、八田部は難しい顔を崩さない杉浦静岡県知事へ応援要請を出すべく清水と打ち合わせているときだった。
「八田部知事、横須賀の海自総監部との回線が回復しました」
谷口副知事がわきから声をかけてきた。
「東京有明付近で爆発的火災が確認された上、四方からカマキラスの大群が有明を目指すように飛んで行った、との報せが入っています・・・」
八田部は慄然とした。誰も想定できない、新たな事態に突入したということか・・・。
「また未確認情報ですが」と、谷口が前置きして言った。
「護衛艦『たちかぜ』を始めとする艦隊が、原因不明の高波により大きく損傷を受けたとのことです」
谷口は言葉にはしていないが、原因と思われる存在を目力に込めているのがわかった。
・同時刻 東京都中央区勝どき2丁目 浄土宗知恩院派 光然院
「お父さん、早く!」
「ご隠居、しっかり!」
息子の條然と衆徒の博に大声で促されても、梨然和尚は爆発的な土煙が広がる晴海通りの先へ向けて、ただひたすら阿弥陀仏を念じていた。
65年前と、まったく同じだった。
当時、戦災に焼かれた東京の復興に伴い、星空が見えなくなることを憂う論調もあったが、それでも明日のより良い生活に向けてみんなが一生懸命働き、まだまだ修行の身であった自身も世の安寧を祈念していたときだった。
あの日も、星空が見えなくなった。9年前の東京大空襲と同様、いやそれ以上に、東京の空が紅く染め上げられていた。
隅田川の水面も燃えさかる炎を映し出し、やがて炎の中を大きく黒い影が割って現れ、隅田川に足を踏み入れた。
「ちくしょう・・・ちくしょう・・・!」
呆然とする群衆の中、梨然の前にいた少年が、歯ぎしりしながらつぶやくのを聞きながら、梨然はそのときも阿弥陀仏を唱えていた。
まったく以て不可思議ではあるが、復興しつつあった帝都を焼き尽くした悪鬼の如きあの黒い影は、人智をはるかに超えた存在に思えてならなかった。極楽浄土とはまったく正反対の、火焔地獄からの遣いに対しても、梨然は念仏以外、かける言葉が見当たらなかったのだ。
65年を経て、いま自身の目の前にまた、大きく黒い影が現れ、梨然は恐怖におののくことも怒りにみなぎることもなく、あのときとまったく同じだった。
大勢の人々が晴海通りからこちらへ逃れてくる。それを追うように、粉塵となったコンクリートの煙がなだれ込んでくる。
大地が揺れ、寺院の瓦屋根がいくつか落ちてきた。この世の終わりを示すように、タワーマンションが砕かれながら倒れてきた。
粉塵の中から、ひときわ大きな影が身を現した。梨然はより一層、合わせた手に力を入れ、念仏を強く唱えた。
揺れが次第に収まっていき、惚けたように念仏を繰り返す父を抱き起すと、條然は辺りを見回した。
道路は街灯が倒れ、すべての建物・車両がコンクリート色に染め上げられている。生死に関わらず、人々も例外ではなかった。
ズン・・・ズン・・・ズン・・・!
不気味な音は地を揺らしながら、まだ続いていた。
瓦屋根に注意しつつ、條然は寺院の外に出た。いつも目にしていた建物のうち、いくつかがなくなっていた。その代わりに、見たこともないようなコンクリートと瓦礫の山が連なっていた。
鉄がひしゃげるような大きな音がした。高層ビルがなくなり、視界がいつもより開けていた。山のように大きな黒い背鰭を揺らし、図太い尻尾が勝鬨橋を強かに打ち付けていたのだ。
冷たい汗が一気に身体を湿らせた。條然は父と同じく、手を合わせ阿弥陀仏を唱えだした。涙も叫びも怒号も出なかった。ただ自身の信仰に従うしかなかった。
返す尾で築地大橋を一撃で隅田川に沈めると、ゴジラは築地市場跡地へと上陸した。