・6月6日 木曜日 6:57 東京都千代田区九段南二丁目 九段下交差点
有楽町ルミネを出てから、倉嶋は動ける避難者と赤ちゃんを誘導して九段下まで逃れていた。
中村の言う通り、大通りは築地方面から逃れてきた避難者で目一杯だったが、裏通り伝いではそれほど動き難いこともなく、大手町で自然と分散されると、移動に苦を感じることはなかった。
それでも、朝の通勤時間以上の人混みは逃れる者たちの体力を奪うには充分だった。加えて酷暑は続いているようで、朝からうだるような空気が漂っていた。
時折地面が揺れ、築地方面から爆発音や衝撃音が聞こえる。それに混じり、明らかに巨大な獣のような咆哮、そして鋭い叫びが耳をつく。
高台になりつつある九段付近から銀座方面を仰ぐと、もうもうと黒煙が上がっていた。ついさきほど聞こえた、雷のような爆発音も気になった。
近藤のことが気になったが、赤ちゃんを抱いているためスマホを見れない。他の避難者も暑さと急な運動で息も絶え絶え、歩みが鈍くなっていた。
「みんながんばって、もう少しで靖国神社ですから。そこまで行ったら広場もあります。そこで休みましょう」
倉嶋はカラカラの喉を絞り切るように、避難者たちに声をかけた。数寄屋橋交番に配属されて以降、都内主要3区の地理を徹底的に頭に叩き込んだことが役に立った。
靖国公園まで行けば、水道もある。飲料水の確保もできるはずだ。この暑さでこれ以上、渋谷スクランブル交差点以上の混雑を進むのは自殺行為だ。皆、長引いた避難で身体が弱っている上、倉嶋は赤ちゃんを連れている。
日本武道館前の歩道陸橋まで来た時、靖国公園入り口に自分と同じ制服を身につけた者たち・・・警察官が数名見えた。続々と押し寄せる避難者たちを、公園へと誘導していたのだ。
地獄で仏に会えた気分だった。あちらも倉嶋の存在に気づき、年配の警官が寄ってきた。
「丸の内署の大原だ!君は?」
「築地署の倉嶋です!有楽町から避難してきました!」
大原と名乗った警官は頷くと、誘導棒で公園を指した。
「中に簡易の救護所がある、飲料水もふだにあるはずだから、そちらへ」
刹那、地響きがして、周囲の避難者たちが悲鳴を上げて膝を折った。
何かが倒壊する音に続き、打ち上げ花火のような破裂音がつんざいた。驚いた赤ちゃんが泣き出し、倉嶋は赤ちゃんを守るようにしゃがんだ。
落ち着いたのか、地響きが弱くなった。倉嶋は恐る恐る顔を上げると、驚いた音がした方を仰いだ。
天に達するほどの爆炎と黒煙が、銀座の先、汐留付近から立ち昇っていた。
「ありゃあ、噴火でもしたのか?」
制帽を直しながら、大原がぼやいた。
壮絶な光景に皆が息を呑む中、倉嶋は近藤の身を案じた。撮影のため、かなり接近していたはずだ。
目を閉じ口を結び、祈るしかなかった。
「彼」はいうことをきかなくなった容れ物を、どうにか動かすべく働き掛けた。
存在が永遠に近い「彼」にとって、命が尽きるということは理解できないことだった。
何をしても無駄であった。この容れ物はあくまで「彼」が憑いたため、ここまで身体を大きなものにしたに過ぎなかった。
一心同体でありながら、思考も存在も別個なものであったのだ。
業を煮やした「彼」は、活動を停止したこの容れ物の神経系統にまで侵食、完全に融合することとした。このままでは、何もできぬまま動けなくなるのみであったのだ。
融合する行為そのものは容易いことだったが、「彼」にとっては最後の手段だった。
そうまでしてでも、あの恐るべき存在を屠る必要があった。
「彼」は完全に同一体となった。
大火災と膨大な瓦礫の中で、ガイガンは完全に活動を停止していた。
身体中焼け焦げ、ところどころから炎上していた。傍目から見ても、死亡したのは明らかだった。
近藤は呆けたように、足を止めてスマホを向けていた。
強烈な攻撃の余波なのか、背鰭痕が放電している。ゴジラはじっと、燃え盛るガイガンを睨みつけていた。
全身、特に腹部から足にかけての裂け口と、背中から大量に出血しながらも、ゴジラは崩れ落ちることなく立ち竦んでいる。傷の大きさもさることながら、まるでガイガンがまた動き出すことを警戒しているように見えた。
いくらなんでも、と、近藤は軽く首を振った。誰が見ても、ガイガンが動き出すようには見えなかった。勝負は着いたのだ。
近藤はスマホをゴジラに向けた。この後は、どうなるのだろうか。
また海へ還るのか(できればそうであってほしかった)、このまま都内へ進撃するのか、あるいは傷が致命傷となって、そのまま倒れるのか・・・。
だが、ゴジラはいずれの行動も取らない様子だった。唸り声を立てつつ、ガイガンに注意を向けたままだ。
怪訝に思った近藤がもっと近づこうとしたとき、地面が大きく音を立てた。瓦礫を吹き飛ばし、ガイガンがゴジラに飛び込んだ。
全身が焼かれながらも、ガイガンは頭部の角をゴジラの喉元に突き刺した。ゴジラは悲鳴を上げながらも、ガイガンを引き離そうと両腕に力を入れる。
だがガイガンの力はいままでとは異なっていた。ヤケクソ気味に前傾へ力を込めているのがわかった。先ほどの爆発で砕かれた左腕をゴジラに叩きつける。
押されたゴジラは足がもつれ、ガイガンが刺さったままJR新橋駅になだれ込んだ。横倒しのままもみ合い、新橋駅と西口のビル群が次々と犠牲になっていった。千切れた線路と送電線が激しくスパークし、雨のように火花が注ぐ中、ガイガンは狂ったようにゴジラを叩く。これまでとは違い、残忍さも冷酷さも感じさせない、力任せ、怒り任せのような攻撃だった。
「彼」に襲いかかったのは、これまで経験したことのない凄まじい苦痛だった。
容れ物と神経系統まで融合していなかったため、ここまで痛めつけられれば当然感じるはずの「痛み」という感覚に縁がなかったのだ。当然、「主」に寄生していたときも、このような感覚はなかった。存在してからこの方、初めて感じることだった。
容れ物の生命が尽きるほどの激痛に、「彼」はもがき苦しんだ。だが融合を分離することは、もはや適わなかった。「彼」は容れ物にはなれたが、また離れることはできなかったのだ。
想像を絶する苦しみと怒りを、ただこの存在にぶつけてやることしかできなかった。いやこの存在を屠ったところで、この苦痛から逃れる術があるのだろうか・・・。
狂い絶叫するガイガンに、ゴジラは怒りの咆哮を上げた。刺さる角を引き剥がし、今度こそガイガンの喉笛に喰らいついた。
これまで以上の絶叫を上げ、ガイガンはのたうち回った。
ギリギリ倒壊を免れた新橋駅北側の高架下をくぐり、近藤は第一京浜まで走った。数百メートル先でゴジラがガイガンに喰らいつき、激しく動いている。
ゴジラの背中が青く沸騰し始めた。近藤は身の危険を感じ、カメラを向けたまま第一京浜を大手町方面へ走った。明らかに理解できた。今度こそ、ゴジラは終わらせるつもりなのだろう。
噛み付いているガイガンの喉元が発火し、ガイガンの悲鳴が止まった。ゴジラは熱線を打つというよりも、ガイガンの体内へ直接熱線を送り込んでいるようだった。
ガイガンの目が赤く光った。反撃しようとしているのか。
直後、目が赤から青に変わった。全身が青く発光し、ゴジラが発したような青い煙を上げる。
ゴジラの背中が一段と強く光り、一瞬口から青い熱線が噴き出した。
一気に爆炎が四方へ走り、近藤はその場に伏せた。
ややあって、近藤は身を起こした。もうもうと煙が上がり、その向こうには炎上する何かがはっきりと見えた。
燃え盛る火炎のわきで、立ち上がったゴジラが吼えていた。
近藤はガイガンを見やった。一目でガイガンとわかるものが確認できなかった。
炎の中に、ガイガンの頭部と、下半身らしきものがバラバラになっているのがわかった。
周囲は広範囲に穿たれ、西新橋から愛宕山付近までのビル群は倒壊、あるいは炎上していた。ゴジラによる火災どころではなかった。おそらく、小型の戦術核兵器でも用いればこうもなるであろうか・・・・。
勝利の悦びか、倒れまいと意識覚醒のためか、ゴジラは何度も吠えていた。
やがて口を閉じると、ゴジラは身体を180度向きを変えた。あのまま浜松町、品川方面へむかうのかと思われたが、全身を引きずるように歩く先は、東京湾だった。
勝利に満足したのか、傷が深いためか、それとも単にカマキリやガイガンを倒しに東京へ上陸したに過ぎないのか、判然としなかった。
だが、ゴジラの目を一瞬把えた近藤は、おそらくそのいずれも異なるのだろうと確信した。
満身創痍、いますぐ倒れてもおかしくないほどの傷を負ってもなお、ゴジラの目には憤然たる闘志と怒りがみなぎっていたのだ。
依然として出血が止まらない背中には、わずかだが背鰭が生えているように思えた。まさか、この短時間で回復、また生えてくるとでもいうのだろうか。
ゴジラは新橋五丁目から第一京浜、汐留イタリア街を蹂躙。建物をなぎ倒しながら竹芝桟橋に達すると、東京湾へ前のめりに潜り込んだ。激しい水しぶきには、ゴジラの赤黒い血液が混じっていた。潜航の泡も赤く染め上げ、そのまま赤い導線が東京湾はるか先まで向かっていくのが見えた。
近藤は撮影を止め、周囲を見回した。新橋から汐留、築地はその様子をまったく違うものに変えていた。
忘れていたかのように、あちこちでけたたましくサイレンが鳴り出した。沈黙の東京は明けたのだ。
近藤はいやな夢を振り払うように、首を振った。
薄れゆく意識の中、「彼」は最後に自身を睨みつけたあの存在の目に戦慄していた。
あれは、自分を倒しにきたのは間違いなかった。
だが、最後のあの目は物語っていた。
あの存在と理解しあえぬし、はっきり認識したのではない。
それでも、あの存在はこう言ったのだ。
「違う」
と。
「彼」は自身が憑いていた存在を連想した。
物見えぬはずが、目の前がより暗くなった。
そのとき「彼」は理解した。
命が尽きる、ということを。
自身の存在が、無くなるということを。
「主」の元にいれば、決してあり得ないことだった。
離れたことにより、この惑星を支配する悦びを知ったが、いまこうして自身の生命が潰えることも知ってしまった。
最後に「彼」は、一番最初に屠ったこの惑星の支配者の、驚愕の表情を思い起こした。
あの驚愕は、自身の生命が失われることへの恐怖だったのだ。
この惑星になど、来なければよかった・・・・・。
すうっと、目の前が暗くなった。