・7月4日 木曜日 11:42 東京都千代田区永田町1丁目 首相官邸5階 総理執務室
総務省から戻った瀬戸と望月は、午後の会議に向けて早めの昼食を取ることにした。
この1ヶ月、食事をする時間が満足になかったり、あるいは党内外の要人、経団連幹部などとの会食続きで、2人での昼食はかなり久しぶりであった。
「あれは、ちと強引であったかもしれんね」
鰻を口に運びながら、瀬戸は望月に言った。
「いえ、あれでよろしかったでしょう。あれ以上時間を設ければ、尾形先生はお話になっていた可能性があります。まあ、勘の良い関係者は悟ったかもしれませんが」
「うん、先生には申し訳ないが、あの論文だけは白日の下に晒すわけにはいかない。ゴジラが不死の存在であるなどと、公表するわけにはいかないからな」
望月は瀬戸の言葉に黙って頷いた。何を隠そう、かつて文科省政務次官として、尾形が発表しようとした論文の内容を察知、今後の研究要職への昇進と研究費用増額を条件に、論文差し替えを指示したのは、他ならぬ瀬戸だったのだ。
「あの論文、発表されていた場合、我が国の防衛政策、安全保障が根底から覆されかねませんからな」
赤味噌の汁を一口つけてから、望月が言った。
「ところで総理、昨夜の幹事長との懇談ですが・・・」
「ああ。正式に決まった。来週月曜日に、野党連合が一連の件への政府対応が粗末だったとして、内閣不信任決議を国会に提出する。取るべき道は、解散総選挙だ」
「なるほど。私も賛成です。するとロシアとの北方領土協議再開発表は、今月末まで控えた方がよろしいでしょうな」
瀬戸は頷いた。6月末、ゴジラ復活を事前に感知しておきながら周辺国に通知せず、結果的に今回の始末を招いたのではないかという疑惑をロシアは強く否定した。
だが7月に入り、極秘のうちにロシア政府の特使が来日。北方領土開発を日本と共同で行う方針を伝えてきた。その際も先の疑惑こそ否定したが、半ば口止め料も同然の政府間取引を持ち掛けてきたのだ。
衆議院解散後、この事実を公表すれば、総選挙の風向きは強力な追い風を得られることとなる。歴代の内閣がどうあってもなし得なかった、北方領土返還への足掛かりにもなるのだ。引き続き瀬戸は内閣の長に就き、政権運営をしていくことができる。
瀬戸の目的はそこにある。自身の手で、この災いからの復興を担っていくのだ。北方領土開発に携わることで、日本には少なくとも2兆円以上の経済効果が期待できるという試算が経産省と国交省からもたらされた。一連の件で日本が失った60兆円には遠く及ばないが、領土返還という悲願を達することによる政権への恩恵は計り知れない。
「総理、今夜から根回しですな」
望月の言葉に、瀬戸は頷いた。
・同時刻 東京都千代田区霞ヶ関一丁目 中央合同庁舎8号館 5階第四会議室
集められた各府県知事たちは、さながら同窓会のような雰囲気となっていた。
用意された海鮮丼定食を頬張りながら、1ヶ月間のことを懐かしんだ。
「ところで八田部さん、やはり、お辞めになるんですか?」
原田が隣に座る八田部に訊いた。
「ええ。今月中には、川崎と横浜の復興補正予算が決定します。そのタイミングで、辞任しますよ」
「しかしねえ、辞任はやりすぎなんじゃありませんか?会田さんと違って、県民からの支持も厚いじゃありませんか」
川名が向かいから口を出した。千葉県知事だった会田は、カマキラス襲来の際県民への避難指示発令を躊躇したことで、後になって県民および県議会から厳しい追及を受けた。6月末に、千葉県議会は会田に対する問責決議を提出。会田は追われるように職を辞した。
翻って、JRを半ば脅迫してまで県民の避難を推し進めた八田部は、県民からの支持も多く次の知事選も安泰とまで言われていた。
「いえ、県民の支持はありがたいことですが、JRと国交省から睨まれてしまって・・・。それに、議員の中には知事による横暴として問責決議案提出を検討するグループもあります。ですが一番は、我が県は今回の災害の当事者となったんです。誰かが辞めなきゃ、収集がつかないんです」
「それで良いのでしょうかねえ」
逸田がぼやいた。
「知事は辞めれば責任をとったことになる。県民と議会はその後も残る。辞めることが果たして賢明なのでしょうかねえ」
八田部はムッとした顔で、逸田を見据えた。
「ん、まあまあ。それにしても、尾形先生はあんなお方だったのですかなあ」
険悪な雰囲気を宥めた原田がぼやいた。
「私も同感です。実証に基づいて、理路整然と論理的にお話なさる方だと考えてました。しかし、今日のアレは・・・」
丼を平らげた町田が言った。
「総理も官房長官も、困り果てて会議打ち切ってしまいましたからな」
原田が満腹になった腹をさすりながら言った。
「それにしては、不自然な終わり方じゃありませんでしたか?」
逸田が言うと、何名が首を傾げた。
「まあ、剱崎先生にせよ尾形先生にせよ、実績のある優秀な教授なのは間違いないんですが、学内でも度々、お二人の変わり者っぷりは話題に上がるようですよ」
京都大学を擁する川名が言った。
「あんなにまでしてゴジラに生きててほしいんですかねえ。私は、さっさと死んでほしいんですが」
原田が言うと、「仮に我が県に上陸した場合、被害が計り知れませんからね」と、町田が同調した。
「ところで、小林さんはお帰りになったんでしょうか?」
お茶を啜って、逸田が訊いた。
「ええ。なんでも、午後から議会評議員との懇談があるとかで」
・同時刻 東京都千代田区永田町二丁目 ザ・キャピタルホテル東急 日本料理「萬寿」
「ご足労くださり、感謝の念に堪えません」
小林が深々と頭を下げる相手は、元衆議院議員、5つの閣僚と幹事長、最終的に与党顧問まで務めた、大澤蔵三郎であった。
「いや、良い」
今年95歳になる大澤は、小柄だがまったく背中が曲がらず、穏やかな目元の奥に鋭い光を湛える容貌である。
先付を運んできた仲居に「以降こちらから声を掛けるまで料理は運ぶな」と、大澤の付き人が釘を刺した。
「いやなに、君は私がかつて唱えていた政策を実行したいそうだと聞いたもんでな、ひとつどんな具合か、肚の中見せてもらおうかとな」
冷酒を舐め、大澤が言った。
「は。単刀直入に申し上げますが、首都機能を愛知に移転する構想を持ち上げようと考えておりまして」
カッカッカ、と、大澤は笑った。
「これは懐かしい。今から、20年も前になるかな。首都機能を全国に分散させ、首都直下地震等、東京都の非常事態にも対応可能な状態とすることを骨子とする。あのとき選挙で負けてなければ、充分通せた話だったんだがな」
大澤は気分良く、冷酒のお代わりを注ごうとした。すかさず小林が酌をし、恭しく返盃を受けた。
「はい。実は私も、政治機能、経済機能とも東京への一極集中是正が元からの持論でして」
「なるほど」
一拍の間を置き、「それで、君は今回の災害を契機に、その方向へ動こうというのかな」
「はい。この度の東京大停電で、よもや国家滅亡すら考えられる事態にまでなりました。その上でなお、東京を首都とする理由は何でありましょうか」
下を向き、冷酒を舐めるばかりの大澤に、小林は畳み掛けた。
「我が愛知であれば、長久手の万博跡地も、小牧整備場跡地もあります。用地は充分である上、地形学的に、ゴジラやアンギラスといった怪獣に比較的襲われ難いことは、歴史が証明しております」
「東京も、大阪も、ゴジラとアンギラスによる被害から完全に復旧するまで10年余り費やした。その点名古屋は、再興に苦しむ東京・大阪を尻目に、トヨタを中心とした経済発展をここ60年積み重ねてこれたからの」
「はい。それに、かかる事態に至ってなお、林五輪会長は来年の東京五輪開催をゴリ押ししようとしております。そのリソースを、首都機能移転議論へと尽くすべきであります」
朗らかな大澤の顔が曇った。かつて自身に牙を剥き、派閥を寝返らせた林の名前は、小林が想像していた以上に効果があったようだ。
「前段は理解した。して君は、私にどうしろと?」
小林は頭を下げた。
「願わくは先生のお力で、与野党の議員をまとめてくださればと」
大澤は目を閉じた。
「そこまでいうからには、饅頭はもう用意してあるんだろうな」
「は。先生の後継者である大澤城介議員の再選をお約束します」
「あやつを、どうやって?」
大澤は目を開けた。子どものいない大澤にとって、甥である大澤城介に地盤を任せたのだが、絵に描いたような放蕩者であったため、先の選挙で落選してしまっていたのだ。
「最近、千葉県知事を辞した会田という男がおります。これまた、優柔不断でおよそ頂点に立つには力無い男ですが、全国社団法人連盟の会計庶務を長年務めた実績は伊達ではありません。彼の力を使い、まずは城介議員に、主要法人の理事となっていただきます。そこで地盤を固め、次の次に控える選挙において、実績も地盤も申し分のない状態にしてから、返り咲きを狙うのです。もちろん、それとは別に、大澤先生には饅頭包みをお渡しいたします」
「出どころは、その法人連盟の裏金か」
大澤はにやつき、付き人に「料理を出すように」と話した。
「話はわかった。小林くん、これから良き関係を紡ぐよう、いまから食事を共にしよう」