・7月5日 金曜日 3:02 京都府京都市左京区 岩倉西河原町
それほど熱帯夜ということもなく、またエアコンの設定は適度でもあるのに、尾形は汗をかき、まんじりともせず起き上がった。
昨日、官邸での総理レク後、文科省、防衛省にて官僚・研究者へ向けて引き続いての講演・懇談。それが終わると、東京主要大学の教授らとの会合を経て、京都の自宅に戻ったのは昨夜22時を回っていた。
熱いシャワーを浴び、普段であればそのままベッドで寝付くところ、あれから一睡もすることができなかった。
昨日、官邸で昼食を取っていた際、近藤というジャーナリストが話していたことがどうにも気になってならないのだ。
『でも、目だけは違って見えました。何かに向けて、怒りを燃やしているような・・・』
その言葉がひっかかり、帰路の新幹線の中で、いま一度近藤が撮影した動画を見直してみた。
激しいゴジラとガイガンの争い。崩れ、炎を上げるビル群。
混沌とした激闘の後、ゴジラがガイガンを焼き尽くし、東京湾へ去らんとする場面を繰り返し再生した。
近藤の言うことは正しかった。立ち歩くこともやっとに見えるゴジラだったが、その目だけは猛り狂うようにギラついてた。
この道に入り、幾千と見てきた映像。64年前、大阪においてゴジラがアンギラスに向けた、あの闘志に盛る凄まじい目。モノクロで粗い映像だったが、それでもはっきりと認識できた。
あのときの目と、まったく同じだった。
解せないのは、なぜガイガンを倒してなお、その目をしていたのか、その点だ。
確たる証拠こそないが、ゴジラ復活も東京上陸も、カマキラスそしてガイガンを目指したものであることは状況的にも行動生態的にも間違いないと考えていい。
であるならばなぜ、目的を果たしても目に怒りを宿しているのか・・・。
東京の教授らと会食した際、この疑問をぶつけてみた。しかし返ってきたのは
「傷の痛みではないか」
「すぐに怒りが鎮静化しないのだろう」
「案外、引きずるタイプだな、ゴジラって」
などという言葉ばかりだった。
元より、ゴジラの思考を読み解こうなどと考えることがおかしいのだ、そう真面目くさる者もいた。
大きくため息をつき、尾形は起き上がった。リビングに降り、山﨑シングルモルトを開けると、氷を入れたグラスに入れて半分を一気にあおった。
喉から胸が焼けるような快感に包まれ、また大きくため息をついた。
普段から好んで酒を飲むタイプではなかったが、論文作成に行き詰ったとき、考えがまとまらないとき、今日のように眠れず、深夜にこうして祖父が好んだ酒を飲むことが、尾形の十八番であった。
尾形はグラスを持ったまま立ち上がり、リビングに置かれた写真に目を向けた。
まだ3歳だった尾形を、父と母、そして自身の後ろに祖父が立ち、囲んでいる写真だ。
写真の中で、尾形の祖父であり、ゴジラ研究の師でもある、山根恭平博士が優し気に微笑んでいた。
いつも尾形を眼差してくれた、穏やかで、知性溢れる目。尾形は目をつむり、グラスを傾けた。
「大助、研究、探究は、誠実であるべきだ」
小学校5年になり、将来は祖父を継いで学者の道を志した尾形に、祖父が向けた言葉を思い出した。
翻って、自身がずっと継続してきた研究を反故にし、政府・学会の求めるままの論文を発表したのは、出世欲でも名誉欲でもなかった。
予算拡充による、さらなる研究が目的だったのだ。
たとえ京都大学の教授職にあろうと、ゴジラのように存在も行動も大きすぎる対象を詳しく研究するとなれば、多額の予算増が不可欠だ。事実、文科省・学会が要求する軍門に下ったからこそ、より規模が大きく、広範な行動を取ることができたため、研究が進められたのは疑いようがないのだ。
それでも、こうして祖父を前にして、自身の行動が正しかったのか、誠実だったのか、そう自問すると、祖父に頭を下げなくてはならない。
いまでは、子どもの頃から敬愛する祖父の目を、まともに見ることももうしわけなくなってしまった。
新たにグラスを用意し、尾形は祖父に捧げた。
ふと、リビングの入り口に気配がした。妻の靖子が起きてきたのだ。
「何か、用意しますか?」
「ああ。ありがとう」
夜中眠れずこうして酒に頼ることもある尾形にとって、靖子は慣れたものでこうして夜食や軽食を用意してくれるのだ。
しばし経ち、アボカドのサラダが供された。尾形は箸でつまみながら、テレビをつけた。ひと仕事終えた靖子が、ミルクティを淹れて一緒に座った。
NHKではちょうど早朝ニュースをやっており、破壊されたJR新橋駅の復旧再開が早くとも9月になる見通しだと報じていた。
尾形も、通常東京駅から乗り換えなしで帰れる普段と異なり、東京から一度新宿まで抜け、湘南新宿ラインを利用して小田原まで行って新幹線に乗るという、不便極まりない帰宅ルートを選ばざるをえなかったところだ。
「今回は、疲れたよ」
そう言ってお代わりを嗜む尾形に、靖子は微笑みかけた。
「あら、田所先生出てますよ」
靖子がチャンネルをNHK・Eテレに替えると、尾形の友人であり、地質学の権威である田所教授が熱弁を奮っていた。
「田所先生、マグマがプレートに逆行した流れをしているとおっしゃってますけれど、そんなことあるのかしら?」
「どうだろうね。僕は地質学は専門外だが、田所先生のおっしゃることだ、あながち荒唐無稽とも思えないんだがなあ」
言いながら、尾形は田所が画面の先で解説している地図に注目した。フィリピン・ユーラシアプレートを逆行するマントルの流れが、フィリピン沖に集まる構図だった。
グラスを置き、しばらくじっと画面を凝視した。
「あなた?」
不審に思った靖子が声をかけ、尾形はハッとした。
「何か、気になったのでしょう?」
うかがうように目を向けてくる靖子に、尾形は首を縦に振った。
「昨夜からずっと眠れないんだが、どうも嫌な予感がするんだ。気のせいだといいが・・・」
自分でそうは言うが、どことなく、不安の対象が見えてきたような感じもするのだ。
もしかすると、ゴジラがガイガンを倒しても崩さなかった、恐ろしいまでに闘志をみなぎらせた目の向かうべき対象かもしれない。
ガイガンやカマキラスがそうであったように、地球上の生物に隕石と共に飛来したアメーバが憑依し、常識では考えられない手段でエネルギーを得ているのだろうか。
だとすれば、どんな生物に憑依したというのか。海洋生物なのか、陸上生物なのか。
はたまた、もしも件のアメーバが、人間に取り憑いたとなれば・・・。
いやな想像を振り払うように、尾形はグラスを飲み干した。
トンデモ理論をぶち上げて場の空気を白けさせた田所の解説が終わり、司会のアナウンサーが軽蔑したような苦笑いをしつつ、番組をまとめた。そのタイミングで、靖子はチャンネルをNHK総合に戻した。
「やだ、また台風だそうですよ」
フィリピン沖に、台風7号が発生したというニュースだった。
「先月なんか、カマキラス騒ぎの後、ひと月に4回も発生したのに」
靖子の言う通りだった。いずれも日本への上陸は避けられたが、どういうわけか発生の回数を追うごとに、勢力が強まる傾向があるのだ。
尾形は微動だにせず、また画面を凝視した。
自身の言いようのない懸念・疑念・不安が、一気に形づくられてこの世に現れたような気がした。