それだけです。
北セルフォード大陸北西部、アルザーノ帝国。その北にある雪山の中を、一人の男が走っていた。
彼はこの国では大して珍しくない
彼は自分の行う研究は他の誰にもできないもので、間違いなく偉大なものだと確信していた。
しかし彼は人体実験を行った
その研究によって出た被害は甚大なもので、故に今彼は国に始末される対象となってしまっている。
「はぁ、はぁ………くそっ。まさかあの特務部隊が動くとはな」
アルザーノ帝国宮廷魔導士団特務分室。
帝国の国軍省管轄の、数ある魔導士団の中でも特に魔術絡みの案件を扱う部署。危険な任務が多いため欠員が頻繁に出るが、それをこなせる魔術師が配置されている。
「どいつもこいつも、何故私の研究の素晴らしさが理解できん。どれだけ死人が出ようが構わんだろうが……」
ぶつぶつと悪態を吐いて傷口に左手を当てると、[ライフ・アップ]という
否、しようとした。
「は?」
彼の左手が焼け落ちた。
それを認識した直後に迸る激痛に歯を食いしばって耐えて、素早く周囲に視線を巡らす。
(あいつか!?)
先ほどまで誰も居なかった所に、一人の若い女が居た。
そのあまりに整った容姿に目を奪われかけたが、そんなことはどうでもいい。
ーーー女は特務分室の所属であることを示すコートを着ていた。
「《怒れる炎獅子よ》ーーーッ!」
黒魔[ブレイズ・バースト]を一節で唱えた。収束した熱エネルギーの球体が、狙い違わず女に直撃する。
そして強烈な爆発が巻き起こった。
「………何だ。特務分室も大したことないな」
それが彼の最後の言葉だった。
男が放った[ブレイズ・バースト]を避け、お返しとばかりに同じ魔術を放った。それは当然のことながら、彼の死という結果を導いた。
(まさかいきなり攻撃してくるとは………流石は外道魔術師。容赦ないわね)
いやあの男からすれば私は敵なんだから、当然と言えば当然か。
「ふぅ……」
対象の殺害とその死体の始末を[ブレイズ・バースト]で同時に行った私は、いつも懐に入れてある煙草を取り出した。
指先に炎を一瞬だけ作り出し、口に咥えた煙草に火を付ける。
煙を吸っては吐き出しながら、コートのポケットに入れていた宝石を割り作られた通信魔器を手に取った。
「任務達成よ。各自、今日中に《業魔の塔》に帰投しなさい」
私の言葉に今回の任務に同行した特務分室の構成メンバー、執行者No.17《星》のアルベルト=フレイザーと、執行者No.9《隠者》のバーナード=ジェスターが通信魔器越しに返事を寄越す。
『此方アルベルト、了解した』
『了解したぞ。……しかし任務の度に腕を上げておらんか?』
「そう?そんなことないわよ」
バーナードの言葉にそう謙遜した。
しかしそれに反して私の口元は緩む。
実際にイグナイト家、というか《紅炎公》の所以になった
彼はそのことは知らないのだろうけど、何となく褒められたような嬉しさが胸中にあった。
(まぁ、気のせいだけど)
通信魔器を仕舞って、煙草を携帯灰皿に押し付けて歩き出す。
何とはなしに空を見上げて、そして誰へともなく思考した。
私の名はイヴ。イヴ=イグナイト。
特務分室の室長となったその時に、どうしてなのか分からないが前世の記憶を思い出した、所謂憑依転生者という奴だ。