作品のイメージ自体は、とある劇団の舞台劇の粗筋から取りました。
1996年の『惑星ピスタチオ』と言う劇団さんの作品です。
イゼルローン要塞に赴任して来て数日、ウォルフガング・ミッターマイヤーは生活雑貨を仕入れに、月一回開かれると言う『フリーマーケット』に出掛けた。
官舎には、一応生活必需品を揃えてあるというのが建前だが、実際は平民の入るエリアの方はかなり担当者が横流ししていたりで、物が足りないのが当たり前、しかも申請してすぐ揃うと言うものでもないのだ。
と言う訳で、自腹を切る事を余儀なくなった平民士官達が始めたのがこの『フリーマーケット』なのである。
ハンガーやマグカップ、そう言った細々としたものを買い込むうちに、ミッターマイヤーはそれを見つけた。
ジャンクを扱う店先の、ごちゃごちゃと入っているキャリーボックスの中で、それはきらきらとミッターマイヤーを呼んでいた。
小さな、そして少し古い情報素体《データディスク》であるそれを拾い上げ、小銭を缶に入れるとミッターマイヤーは官舎に帰った。
官舎に戻ると、据付の端末にディスクを入れてみた。
しばしの間を置いて、画面一面に文章がざっと広がった。
どうやら、今では死語となった言語の文章らしく、ミッターマイヤーは慌てて、昇進祝いで父の友人から貰った古文翻訳プログラムを起動した。
そこそこの量があるらしい文体に、二分ほど掛かって翻訳は終った。
「えっと、『星の海の英雄譚』? 冒険小説か何か……うわ」
プログラムが良くなかったのか、素体の情報が劣化していたのか、画面に現れたのは文字化けと虫食いのように空欄の開いた文面だった。
ちょっとがっかりしながらも、ミッターマイヤーは読める部分を拾い読みし始めた。
「ふうん、星間戦争ものかあ。あれ、要塞の名前、『イゼルローン』って言うんだ。ふうん。……あれ、この人物、俺と同じ名前なんだ」
そこに載っていた『ウォルフガング・ミッターマイヤー』の一文に、ちょっと灰色の瞳を瞬かせる。
気恥ずかしい事この上ない。何しろ、物語の中の『ミッターマイヤー』は中将と言う雲上人だが、自分ミッターマイヤーはまだしがない中尉なのだから。
物語の中でも、『帝国』と『同盟』が戦っていて、自分と同じ名前のその将官は『帝国軍人』として戦っているらしい。
比類なき上官を戴き、そして……。
「フォン・ロイ…? ああ、文字化けしちゃっているなあ。でもそうか、友達かあ。フォンってことは貴族だろうに。……何か、ぴんと来ないや」
自分の周囲(先輩や同期、上官など)を思い返し、ミッターマイヤーは自室の気楽さで失笑した。
だが同時に、自分と共に行動していると言う、もう一人の将官の名に、ミッターマイヤーはこそばゆい思いを抱えた。
解析した情報を新しいディスクに落とすと、ミッターマイヤーは端末の電源を落した。
明日から又、忙しい毎日が始まろうとしていたので、又次の休みの楽しみとして私物入れに入れたのである。
だが、その翌日から、ミッターマイヤーはすこぶる忙しく過ごす事となり、この素体の事を忘れてしまう。
士官が良く出入りする酒場《後ヒンターフェザーン》で殺人事件が起こり、たまたま事件当初に居合わせた事を口実に、事件の調査を押し付けられたのだ。
そこでミッターマイヤーは、一人の男と出会う。
オスカー・フォン・ロイエンタール。
女性で問題を起こして降格されたと言う、青と黒の不思議な瞳を持つ男と共に事件に当るうちに、ミッターマイヤーは彼と友誼を結ぶ事となる。
一瞬、ほんのささやかな引っ掛かりを感じたものの、ミッターマイヤーはそれに余り拘泥せずに済ませてしまった。
あれから、瞬く間に時は流れた。
ミッターマイヤーは妻を迎え、親友と共に前線を渡り歩いた末に、大貴族と事を構える事となってしまった。
が、ロイエンタールの奔走によって、一人の――正確には二人か?――『味方』を得て、虎口から脱する事が出来た。
そして今、ミッターマイヤーは宇宙軍総司令官たる、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の幕僚となっている。
アムリッツァ会戦後、皇帝崩御と言う騒ぎにぶつかりローエングラム陣営は微妙な時間を過ごしていた。
あからさまな軍事行動は慎まねばならない。
だが、夜討ち朝駆けを覚悟して準備を怠らないようにする。新帝の擁立と、ローエングラム=リヒテンラーデ体制に不満を抱く大貴族達が暴発するまで、忍耐を試されるかのごとき状態が続く。
そんな中、ミッターマイヤーは休日――と言うより自宅待機というのが彼の本音だが――の午後を、書斎の整理に追われていた。
最も、昔の私物入れを見つけてしまって、整理どころでは無くなってしまったのだが。
「うわぁ、これこんな所にあったのか。懐かしいな、中尉の頃、イゼルローンに行った時のじゃないか」
引っ張り出したトランク兼用のそれを開いて、色々と中身を見ている内に無記名のディスクを見付けた。
拾い上げて暫く考えたミッターマイヤーは、はたとそれが昔買った虫食いと文字化けだらけの小説だった事を思い出した。
「あ、そう言えば、あの後色々忙しくてそれっきりだったな。どれ、何処まで無事か怪しいが、一応見てみようか」
積み上げていたファイルやディスクを脇に寄せ、ミッターマイヤーは数年振りにディスクの中身を呼び出した。
……数時間後、この上ない後悔にかられるとも思わず。
リップシュタットの森で結ばれた盟約の許、大貴族達が大挙して
ガイエスブルグに立てこもる『賊軍』こと貴族連合と、ラインハルト陣営との戦いは、一部の人間には意外に感じられていたが、なかなか簡単に決着がする気配が無かった。
無論、意外がっているのは彼我の将官達だが。
「ふーむ、もっと早く終ると思っていたのだがな」
総旗艦『ブリュンヒルト』の高級士官用ラウンジで、クリームコーヒーを啜りながらそう切り出したのはフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトだ。
「それは、向こうも同じように思っていただろうよ。きっと圧倒的多数がな」
これは、砂糖だけのコーヒーを啜りながらのカール・グスタフ・ケンプの言葉である。
次の戦略の為に集まっていた提督達は、僅かな休憩時間にも軽いディスカッションを続けていた。
ケンプの言葉に、コーヒーカップ片手のエルネスト・メックリンガーも頷いて見せる。
「彼らは『貴族』である特権ゆえに、自分達が負ける筈が無いと言う幻想の中にいる。その幻想が現実に押し返されつつある事を、彼らは決して認めはしないでしょう」
「幻想か。だが、目下のところは、奴らが未だに粘っている事と、そして吾々が押し切れずにいると言う事実が問題だ」
ウルリッヒ・ケスラーの苦々しげな一言に、控えめに言葉を繋げるのは、先頃中将となったナイトハルト・ミュラーだ。
「リッテンハイム侯は既に亡く、間も無くキルヒアイス上級大将もこちらに合流します。そうすれば、又戦況も変わるのではありませんか?」
「そうだな。如何にメルカッツ提督が老練且つ帝国切っての宿将とは言え、そろそろ限界だろうしな。……ん、ロイエンタールじゃないか」
そう言いながらケンプが指差した先に、ダークブラウンの頭髪の高級士官が現れた。
誰かを探しているらしい様子に、ビッテンフェルトの遠慮もへったくれも無い声が飛ぶ。
「どうした、ロイエンタール。ミッターマイヤーと逸れたか?」
あたたたっと、周囲が頭を押さえるのに全く頓着しないその大きな声に、些か気分を害したようだったが、金銀妖瞳の美丈夫は静かに一同の下に歩み寄った。
実際問題として、ミッターマイヤーを探しているのは確かだったので。
「卿ら、ミッターマイヤーを見なかったか?」
「いや?」
「会議室を出てから、吾々は真っ直ぐこちらに来ましたが、ミッターマイヤー提督は来られなかったようですが」
年長者の代わりに、砂色の髪と瞳の提督が説明を入れる。
口髭を撫でつつ、メックリンガーはロイエンタールへ逆に問い掛ける。
「そう言えば、最近ミッターマイヤー提督は体調を崩されましたかな? 先程の会議の最中、妙に顔色がすぐれぬようでしたが」
「……それもあって、探している」
幾分トーンの下がった声に、思わず周囲は黙り込む。
だが、ロイエンタールは時間を無駄にするのを厭って、そのままラウンジから出て行ってしまった。
その後姿を見送りながら、提督達は誰からともなく肩を竦め合った。
「やれやれ、あんな独占欲の強い奴とは思わなかったな。あんなに四六時中張り付かれちゃ、ミッターマイヤーも気の毒に」
がしがしとオレンジ色の髪を掻き回し、昔からは想像付かないとビッテンフェルトがぼやく。
その横で、これは幾分心配そうにケスラーが呟く。
「だが、確かにミッターマイヤー提督は調子が悪そうだったぞ」
「そうですね、オフレッサーが死んだくらいからずっと」
ミュラーの一言は、残念ながら提督達の感心を誘う事は無かった。
その頃、ミッターマイヤーは一人、人気の無い展望室に立ち尽くしていた。
貴族どもと開戦して半年余り。そして大方の戦局は、彼の知る通りに動いた。
オフレッサー装甲擲弾兵総監の死、リッテンハイム侯の分派行動とその死。
ジークフリード・キルヒアイスは辺境の平定をほぼ終え、数日中には合流すると言う。だが、このまま行くのなら。
ぶるっと、ミッターマイヤーは身を振るわせ己の肩を抱いた。
この後、例えようの無い悲劇が起きる。起こしてはならない事態が、そしてあってはならない事が起きてしまう。
そしてそこから、総てが狂ってしまうのだ。
ミッターマイヤーは、そっと左胸を押さえた。そこの内ポケットに、あのディスクが納めてある。
開戦から今日まで、ラインハルトに渡すか否かを、ずっと迷い続けたディスクだ。
何となくではあるが、ラインハルトに渡したところで、あの峻烈な覇王は一顧だにしないだろう予感はある。
むしろ、パウル・フォン・オーベルシュタインに渡した方がと思うものの、それを逆手に取って、もっと過酷な政策を取られたらとも思ってしまう。
何よりまだミッターマイヤーは、これを親友に見せる決心を付けかねていた。
(俺はどうすればいいのだろう)
冷たい強化ガラスに手を付け、ミッターマイヤーは胸の中で呟いていた。
どうにかしたい、そう思いつつも、状況は彼を置き去りにして容赦無く流れて行く。
ふと、不自然な光の動きに気付き、ミッターマイヤーははっとガラスの向こうを透かし見た。
それが小型哨戒艇であると気付いた時、ミッターマイヤーはラインハルトの個室に向かって走り出していた。
だが、部屋の手前で、『疾風ウォルフ』(ウォルフ・デア・シュトルム)の足は止まった。
ディスクの中身の一節が……正確には、オーベルシュタインとラインハルトのやり取りが脳裏に過ぎったのだ。
『 ――ヴェスターラントの民二百万人を見殺しにしろと!?
――この内戦が長引けば、より多くの死者が出るでしょう。
そして仮に大貴族どもが勝てば、このような事はこの先何度でも起こるのです。……
――帝国二五〇億人民の為……より迅速な覇権の為……
――卿に任せよう』
ミッターマイヤーは身を翻した。
目指したのは、超光速通信室だった。
万に一つの願いを込めて、ミッターマイヤーは走った。
辺境平定を任されたジークフリード・キルヒアイス上級大将の旗艦『バルバロッサ』の元に、一隻のシャトルが着艦した。
銀河帝国の所属を示す双頭の鷲の紋章より、もっと大きく誇らしげに掲げられた髑髏を付けた盾と二本の剣と言う意匠の紋章のシャトルは、キルヒアイスに協力した『辺境貴族連合』の盟主とも呼ぶべき、シュタインベルク伯爵家の物である。
『辺境貴族連合』とは、ローエングラム陣営側と結ぶに当って急遽付けられた名称である。
元々、帝国成立百年から二百年の間に、辺境星域を荒らし回った宇宙海賊達に特赦を出し辺境警備の為に取り込んで作られた、中央の貴族達からすれば『貴族とは名ばかりのただのごろつき』である。
最も、辺境貴族達からすれば『中央など金をむしるだけのただのゴミ』で、逆的を食らわせる切っ掛けを求め続けていたのだ。
十五の辺境貴族達の中で、今日まで続いている七つの家――数は減っていないが、残り八つの家はお家騒動などで入れ替わっている――は、大貴族への叛乱と新体制の見極めを兼ねて、ローエングラム陣営に付いたのだ。
『バルバロッサ』にやって来たのは、シュタインベルク伯爵家当主、クリームヒルト・フォン・シュタインベルクだった。
小柄でほっそりとした美貌の女性で、人によっては二十歳を超えるか否かと思うが、実はキルヒアイスの歳の倍以上の戦歴を持つ辺境切っての女傑である。
コルネリアス・ルッツ、アウグスト・ザムエル・ワーレンの両大将と共に進路を検討していたキルヒアイスは、女伯自らの登場に驚きと共に出迎えた。
「いかがなさいました、シュタインベルク女伯」
出迎えた赤毛で長身の青年提督に、艶やかなダークブラウンの長い髪をひっつめの三つ編みにして巻き付けた花の様な女性将官は、ドレスを摘まむような仕草と共に軽く頭を下げた。
百九十センチオーバーのキルヒアイスと並ぶと、百六十センチジャストの彼女はまるっきり子供のように見えた。
軍服のデザインもあるのかもしれない。
「失礼します、キルヒアイス上級大将。実は、部隊の別行動の許可をいただきに参りました」
「別行動とは?」
聞き返すキルヒアイスに、彼女は内ポケットから一枚のカードを取り出した。
「先程、私どもの超光速通信装置が受信したものですわ」
受け取ったキルヒアイスは一瞬眉を顰め、ルッツとワーレンにそれを回した。そこには短く、
『ヴェスターラントに核攻撃、阻止せよ
W.M』
とのみ、書かれていた。
「W.M? もしやミッターマイヤーか?」
「だが、核攻撃とは一体」
二人が顔を見合わせるのに、クリームヒルトは頷きキルヒアイスに向き直る。
アクアブルーの瞳に力が篭る。
「このW.Mと言う方がどのような方かは存じませんが、事実として核攻撃があるのだとすれば、それは何としてでも阻止せねば」
「確かに」
そう答えつつも、キルヒアイスは違和感を感じていた。
では、何故その知らせがミッターマイヤーの個人名で出て、ラインハルトの名では無いのか。
だが、それとは別の疑問が、ルッツの口から出た。
「しかし、ここからガイエスブルグまでは結構な距離がある。現に我々の方には、そのような報告は来てはいないのだが」
それに対してのクリームヒルトの答えは端的だった。
「新型超光速通信機の試験中に拾った通信ですわ。減衰しきって、再構築に少々手間が掛かりましたが、今からせいぜい三十分ばかり前に発せられたものです」
暫く考えていたが、キルヒアイスは意を決して顔を上げた。
「お任せしてよろしいでしょうか」
「勿論。既に高速艦艇三千隻の編成は終っております」
つまり、自分が拒否した時には、それを振り切ってでも派遣するつもりだったのだとキルヒアイスは微かに息を飲んだ。
そして、きっと彼女はその時点で自分達との協力を絶った筈である。
一本のタイトロープを、無事に渡りきった瞬間であったのだ。
「だが、ここからヴェスターラントまでは、高速艦の最大速度でも十日は掛かる、間に合うのか?」
ワーレンの言葉に、クリームヒルトは子供を見る目で微笑んだ。
「中央の艦船と一緒になさらないで。一週間で全艦到達させますわ」
そう言って、美貌の女提督は身を翻した。
一週間後、惑星ヴェスターラント上空での、核攻撃隊とシュタインベルク高速艦隊の戦いは、辛うじて全滅を阻止すると言う形で終結した。さすがに、相手に先行されていた為に、完全阻止には至らなかったのだ。だが、ブラウンシュヴァイク公の艦隊を撃破し、生存者の救出に当るシュタインベルク艦隊の様子は、ラインハルト側が送り出した強行偵察艦によって全銀河に報じられる事になる。
超光速通信室から出ると、ミッターマイヤーは壁に背を預け、そのまま座り込んでしまった。
本当なら、自らの艦隊を率いて飛び出して行きたいのだ。
だが、それでは間に合わないだろうし、事情を知らぬ他の提督達が承服しない筈だ。
まだしも近いだろうキルヒアイスの英断に、ミッターマイヤーは総てを託したのだった。
「ここにいたのか、ミッターマイヤー」
どれほどそこで蹲っていただろうか。
不意の声に、ミッターマイヤーは慌てて顔を上げ、自分を覗き込む青と黒の瞳にぶつかった。
「あ、ロイエンタール」
立ち上がろうとするのを、ロイエンタールは事も無げに抱え上げた。
所謂花嫁抱きで、ミッターマイヤーは焦って手足をばたつかせた。
「ちょっと待て、何を一体」
「体調が悪いなら言え! 作戦行動中に何をしている」
その言葉は正しいのだが、格好が格好だけにミッターマイヤーは夢中で抗った。
その時だった。もがいた拍子か、内ポケットに入れて置いたディスクが零れ落ちた。
かたんっと音を立てたものに、訝りながらロイエンタールはミッターマイヤーを降ろし、小さなディスクケースに手を伸ばした。
咄嗟に奪い返そうとしたミッターマイヤーからリーチを頼みに拾い上げると、それと親友の血の気の引いた顔とを見比べ、ロイエンタールは事の見当を付けた。
「……つまり、これが卿の体調不良の原因か?」
ミッターマイヤーは答えなかった。
だが、唇を噛んで俯く仕草で、ロイエンタールは己の問いの答えと取った。
『ブリュンヒルト』内に与えられた一室で、ロイエンタールはディスクの中身に目を通した。
虫食いだらけのテキストに、最初は顔を顰めていたが、だんだん見て行くうちにその表情に疑念と驚愕が混じって来た。
テキストは、『キルヒアイス』を喪った『ローエングラム侯』が公爵に進み、『帝国』と『同盟』と『フェザーン』、そして『地球教』とが次の時代を展望するところで終っていた。
「ミッターマイヤー、これは一体なんだ? いや、これを何処で手に入れた?」
親友の困惑交じりの声に、ミッターマイヤーは疲れたように頭を振って見せた。
「手に入れたのは、もう結構前、卿に出会うちょっと前だった。元のディスクには、古典SFってタグが付いてた」
「SF? つまり架空の話か」
「でも、いやに符合するだろう。登場人物の名も、起きた戦闘も」
仮眠用ベッドの上で、膝を抱えた親友の蜂蜜色の髪に、そっと指を差し入れロイエンタールは宥めるように撫ぜてやる。
だがその腕を掴み、ミッターマイヤーは何かに憑かれた様に言葉を続けた。
「このまま行けば、二百万人の出さなくていい死者を出した挙句に、キルヒアイスが死んでしまう。詳しい経緯は、虫食いのせいで判らないけど、取り返しの付かない事になってしまうんだ。ロイエンタール、俺はそんなのは嫌だ。嫌なんだ」
「落ち着け、ミッターマイヤー、まだそうとは限らないだろう」
ロイエンタールの言葉に、ミッターマイヤーは首を振り続ける。
何かに激しく怯え続ける親友の姿に、双色の瞳の青年は深い疑念を感じずにはいられなかった。
ミッターマイヤーの不安が緩んだのは、一週間後にもたらされた『ヴェスターラント救援』の知らせであった。
残念ながら攻撃阻止には失敗したものの、住民の三分の一の救出に成功した事によって、運命は微かにその軌道をずらしたのだ。
だが、それはすぐに戻る程度のものでしかなかったのだが。
九月、ガイエスブルグ要塞は陥落した。
戦勝に沸き立つその最中、ミッターマイヤーはキルヒアイスの訪問を受けた。例の通信についての質問だった。
「実は、ラインハルト様とお話したのですが」
少し言いづらそうにそう切り出した、赤毛の年下の上級大将に、ミッターマイヤーは軽く瞠目した。きっと、あのやり取りがあったのだろう。
――お前は一体、俺の何だ!?
――私は閣下の忠実な部下です、ローエングラム侯。
「ミッターマイヤー提督?」
「いや、何でもない。……すまない、もう少し後で話をさせてくれないか。出来れば、帝都に戻ってから。その時には、きっと纏めて話せると思うんだ」
普段より顔色の悪い、小柄な勇将の言葉に少しの不安を覚えつつ、気立ての優しい青年は相手の休憩室から退出した。
入れ替わりに、ロイエンタールが入室して来た。
「どうやって知ったのかと、俺にも聞いて来たぞ」
「言ったのか?」
不安そうに問うのに、口元に冷笑を浮かべたロイエンタールは、軽く肩を竦めてまさかと答えた。
「俺も詳しくは聞かされていないと言っておいた。まさか予言の書を持っているなどとは言えまい?」
「予言の書? おい、あれはただの空想だろう?」
自身が打ち消していた言葉をストレートに言われてしまい、ミッターマイヤーは慌てて親友の発言を止めようとした。
だが、ロイエンタールは相手の腕を取り、その少し紫がかった灰色の瞳を覗き込む。
「良いか、ミッターマイヤー。古今東西、偶然の一致はかなりある。余り気に病むな、必ずそうなると言う保証は無いのだから」
喉下まで上がった、『そうならないという保証も無い』と言う応えを、ミッターマイヤーは噛み殺した。
ただ、そうあって欲しいと、ヴェスターラントの事で、少しは変わったのだと信じたかった。
だが、オーベルシュタインがラインハルトの名で布告した武官の武器携帯一切禁止の項目が、文面と重なり合って不安を掻き立てた。
テキストは、キルヒアイスが衛兵に銃を預けるところから、『暗殺者』の手に掛かって倒れ伏すところまでの間が、ごっそり欠落しているのだ。
戦勝式典まで、時間はさほど残されてはおらず、そして容赦無く過ぎて行った。
空白に記されていた事を知ったのは、式典の終盤だった。
「ローエングラム侯、わが主君ブラウンシュヴァイク公の讐をとらせていただく」
降将として、己の主君の遺体と共に現れた男は、遺体の体内に隠していたハンド・キャノンでラインハルトの爆殺を目論んだ。
その時、ミッターマイヤーは視界の端に誰よりも早く飛び出し、その砲口に手を伸ばす赤毛の青年を捕らえた。
そして、まるで縫いとめられたように動かない己の肉体に、死に物狂いの叱責を飛ばした。
(動け、動け! 今動かないと総てが水の泡だ、キルヒアイスが死ねば、事態は総てあのまま流れてしまう! 死ななくても良い者が死ぬ、無用な戦争が起きる! ロイが、ロイエンタールが死んでしまうっ!)
とりもちから足を引き剥がす思いで、ミッターマイヤーはキルヒアイスに続いた。
実質はほんの一呼吸分の遅れだったが、ミッターマイヤーはキルヒアイスが掴んだのとは逆の腕に飛び付いた。
押し付けられようとした腕が引っ張られ、キルヒアイスの心臓を貫く筈だった不吉な閃光は、彼の左脇腹を薙ぎ払った。
「おのれぇっ」
狂気と憤怒に染まった男は、そのまま指輪型のレーザー銃をミッターマイヤーの顔に向けようとした。
その指ごと、ミッターマイヤーは両手で相手の手首を押さえ込み、全体重を掛けて床に倒れ込んだ。
カッと、左掌に熱が走ったが、構わず押さえ付けようとすると二箇所で鈍い音がした。
ミッターマイヤーに押さえ込むのと反対の方向にキルヒアイスが押さえ込んでいた為、アンスバッハ准将の肩と腕が折れたのだ。
「ミッターマイヤー!」
「キルヒアイス、しっかりしろっ!」
ここに来てやっと、動けるようになった同僚の提督達が三人の下に殺到した。
二人から暗殺者をもぎ放し、押さえつける一方で医者が大声で呼ばれた。
左手を血に染めたミッターマイヤーを、ロイエンタールが抱き起こす。
「しっかりしろ、ミッターマイヤー」
「大丈夫、それよりキルヒアイスは?」
誰かに、手にハンカチを巻いてもらいながらミッターマイヤーがそう聞くと、意外そうにその相手を見ていた美丈夫の親友は、慌てて顔を向け大丈夫と告げた。
「生きているぞ。出血が多いようだが、命に別状は無いだろう」
「良かった……」
ふうっと、目の前が暗くなった。
名を呼ぶ親友の声を遠く聞きながら、ミッターマイヤーは奈落に意識を落とし込んだ。
ああ、良かった。今度は、皆で、一緒に……。
どこかで、そんな声を聞いたような気がした。
あれから二週間余りが過ぎ、ミッターマイヤーとロイエンタールは二人並んで帝都の軍務省の廊下を歩いていた。
政権の奪取の為、『キルヒアイス死去』のブラフを流してリヒテンラーデ公の油断を誘い、艦隊を率いて帝都を急襲した。
物語にあった通りにそれらは成功し、リヒテンラーデとその一族は全員拘束出来た。
だが、物語と違い公本人の自裁以外は、全員最辺境への流刑で済まされた。
今度こそ運命が道筋を変えた事を、ミッターマイヤーは自覚した。
ふと、窓の外に目を向けたミッターマイヤーは足を止めた。そっと窓に近付き、ガラスに包帯の巻かれた左手を当てる。
窓ガラスの向こう側には、まだ明け切らぬ夜空に降る様な星が瞬いていた。
「どうした、ミッターマイヤー」
行き過ぎかけたロイエンタールが戻って隣に立ち、同じように空を見上げた。
ふと、ミッターマイヤーはある事に気付き、ほんの少し寂しさを覚えた。
予言の書は、これから無駄になるだろう。
だが、そうするとフェリックスに、親友から託される筈の息子に会えなくなるのだ。
きっと、多分、会うとしたら彼の息子としての筈。
その事に寂しさを覚えるミッターマイヤーに向かって、ロイエンタールは嘆息と共に声を掛けた。
「ミッターマイヤー、あのテキストは、まだ続きがあるのではないか?」
「うん……。でも、もういいんだ、流れは変わったから」
「判らぬぞ、又何らかの形で、又本と同じ事になるかも知れぬぞ?」
だから教えろと、言外に要求する親友に、ミッターマイヤーは久方振りの笑顔と共に首を振って見せた。
「良いんだ。その時には、又今回のように変えて見せるから」
そう言って、ミッターマイヤーはあのテキストの最後のように、もう一度星空を見上げた。
腕に抱く幼子はいない。
それでも、親友と共に歩く明日は、もうそこまで近付いていた。
この話を叩き台に、執筆した話が現在pixivで第四話まで公開している『永遠は刹那の中に』になります。
この話と違い、ミッターマイヤーがタイムトリップして亡命と言うとんでもIF話となりました。