Fate/Apocrypha Revival in the Interstice 作:梨央
機動聖都の庭園。私はここに戻ってきていた。
たくさんいた動物の使い魔たちも、もういない。
残っているのは、レオがこの地で従えたカモメただ一羽だけ。
――あれから何があったのか、よく覚えていない。
確かなのは、ヴィクトリア湖の戦いで仲間がほとんど退去したこと。
生き残ったのは、フェンリルと、私と、"白"のランサー。
「事情はすべて把握しておる。意識を奪われている間に、彼の地で起こったこともな。
あの子は、闘争を放棄して微睡んでいた
何処の世界にて手に入れたおぞましき"泥"を湖に放り込んだのじゃろう」
ベンチの隣に腰かけている、緑色の髪の
怪物の中にいた少女。母を名乗る不審者。それがなぜか今は、こんな姿になっている。
「む?娘よ、妾の姿が気に入らぬか?ならば……」
目の前で、ランサーは見る間に若返っていく。
「これでどう?文句ない?」
もう、何と言い表せば良いのかもわからない。
時間の逆行か。不老不死の応用か。あるいは私も知らない概念か。
哲学者から言葉を奪うなど、この英霊の存在はあまりに常識から外れすぎている。
「正確には、妾は英霊じゃないの。すべてのヒトに、妾の一部が刻まれているだけ。
母は強し、って
まるで理解できない。どんな理屈だ。何が論破なのか。
現世の真実、常世の真理を短く表した言葉。金言、名言、箴言。訳語はいくらでも思い付く。
私はそれらが持つ人間の機微を正確、かつ簡潔に表せる性質に着目した。
著書の中でギリシャの先人たちの言葉を紹介し、自らもまた多くの言葉を残した。
「なんだ。ずっと黙ってる割には、ちゃんと考えてるのね。偉い偉い」
ヴィクトル・ユーゴーの歌劇。
より正確に引用すれば……。
この年齢不詳の英霊は、フランス語圏の人物なのか。
だがあの怪物の胴体を"泥"もろとも消し去り、元の平穏な湖に戻した宝具。
それに詠唱の前の、暗示や催眠とは決定的に異なる不可思議な呟き。
どちらもシオンの言っていた通り、土地への大規模干渉――神霊級の魔力量だった。
ディオゲネスの言っていた通り、彼女がその気になって敵対すれば私たちなど虫けらも同然だ。
……とてもじゃないが、ユーゴーや私に近い時代の英霊とは思えない。
「そんなに母の正体が気になる?気になっちゃう?なら教えてあげよっかなー!」
ランサーがころころと笑う。いつの間にか、見た目が少女から幼女に変わっていた。
「では娘の疑問に答えましょう。母の真名は……じゃじゃーん!
先程も言った通り、妾は人類史に名を残した英霊ではないのです。残したのは、情報のみ。
遡ること十七万年八か月前に娘を産んだお陰で、最強の知名度補正を獲得できた
――そして、後の時代の子供たちは妾のことをこう呼びました。
現存する全人類に超々々々稀な確率で、女系遺伝子が残った母。ラッキー・マザーと」
よく喋るな。これがあの獅子の中にいたのか。
喋れるなら、もっと早く喋ってほしかった。
こうして対話が可能なら、不必要な犠牲を出さずに済んだのに。
「あれれ、内容はスルー?結構重要なこと言ったつもりだけど。まあ、いっか。
妾のことはそのまま母か、ラッキーを略してルーシーとでもお呼びなさい?」
ルーシー。魔性の女ルイーズを連想させる、私にとっては不吉な名だ。
真名の無い英霊なら、クラス名のランサーで良いだろう。
と言うか、そもそもなぜ彼女は槍兵のクラスを宛てがわれたのだろうか……。
「さて、勇敢なる子供たちのおかげで母は本来の姿を取り戻しました。
ですが我が愛娘。聖杯大戦の観測者よ。あなたの役割はまだ終わっていません。
バカ息子へのお仕置きタイムが残っています!さあカルナックへ、いざ大聖杯の元へ!」
――もういい。ふざけるな。バカバカしい。
私はベンチから立ち上がり、庭園の草むらに寝そべる。
無意味だ。全ては無意味だった。私には何も変えることができなかった。
大戦に集った14騎のサーヴァントも、ほとんどが退去した。
あれからフェンリルの姿だけは見ていないが、大戦の勝者は決まったようなものだ。
何を願うのかまでは知らないが、観測すべきことはなくなった。どうでもいい。
「……そうはいきません。アトラスの意思によって喚ばれた子。か弱きアヴェンジャー。
私と言う怪物が倒されたことによって、このテクスチャが人類史に及ぼしかねない、
当面の危機は去りましたが、まだあのバカ息子と言う脅威が残っています。
彼はこのままだと集めた"王"の魂で大惨事、いえ、
あなたはこの大戦を終わらせると一度は決めた。ならば、あの子を止めなければならない」
親が子供に言い聞かせるように、ランサーは私に話しかけてくる。
あいにくと、その心配なら無用だ。ついに切り損ねたが、私の切り札はまだ残ってる。
もう一人のランサーは
――"王"の魂とやらは、7騎揃っていないのだから。
「母は無論、知っていますとも。ワラキアの息子のことでしょう。ですが娘よ。
ローマの娘のことを、ギリシャの息子が"王"と見なさなかったように、
あのバカ息子が自らを"王"と定義する可能性を、あなたは意識的に排除している」
だから何だ。それがどうした。不完全な英霊の魂で、不完全な大聖杯を起動して何になる。
あーあ。大戦の観測とは、本当に何だったのだろう?シオン、私はあなたを恨みそうだ。
寝返りを打ってランサーから目を背ける。横になったまま鬱屈とした不満を募らせる。
「
もう一度言います。起きなさい、娘よ。母からのたっての願いです」
統一言語だと?本当に、彼女は私たち人類の祖なのか。そうだ、ここはアフリカ大陸だった。
なるほど、
"王"の倒すべき怪物。バケモノにふさわしい力。それら全てを、彼女は兼ね揃えていたのだな。
「立て、フリーダ。それでも城を預かった女か。このような所で虚無に墜ちることは余が許さぬ」
人類の母の重圧すら跳ね除けた私の身体が、男の気配によって強制的に立たされる。
「…………王よ」
"青"のランサー、ヴラド三世。呼んでいないのに。私の日記を読んで、戦況は把握していたはず。
結局あなたの力を借りたのは、雷帝の書庫で心が折れかかったときだけだ。
もちろん感謝はしている。
だけど、あなたがいてもいなくても、力の奔流に逆らうことはできない。結果は同じだった……。
「克己を説いた賢者が、仲間の献身を無に帰すと言うか。
夢見の忠告では足りぬとは、ほとほと手のかかる女よ。だが仕方あるまい。
民を生かすのが王の役目ならば、民を導くのもまた王の役目であるがゆえに」
何と言われようと、折れてしまったものは仕方ないじゃないか。
私はもう戦えない。いや、最初から。私は戦うために呼ばれたんじゃない……。
「ほう、
では、余が真の悪夢をそなたに見せてやろう」
ヴラドの目が赤く光る。くっ……ああっ……。
わからない。わからないが、また意識が闇に落ちていく。おのれ、悪魔……め……。
***
「ねーえ?ちょっとやりすぎなんじゃない?なんだか可哀そうになってきたんだけど……」
私の
ヴラドが私を草むらから抱え上げ、もう一つのベンチに横たえて、毛布をかけた。
私はそれを、空に浮かびながら眺めている。今の状態は、幽体離脱とでも呼称すべきだろうか。
「――母上よ、これで良いのです。フリーダは、余が力を貸すに足ると認めた器。
真名を知り、過去と向き合ってなお、己のため、今を生きるヒトのために足掻いている。
少々悲観的に過ぎるきらいはあるものの、この娘は間違いなく英霊だ。
ならば余も同じ英霊として、また黒の陣営の"王"として、その役割を果たすまで」
それは、前回の聖杯大戦で、"赤"と戦った陣営の名。今回は"白"と"青"だ。
前回も大戦の仕組みが成立していなかったとは言え、なぜ今になって……。
「さあ、聖都はこれより大聖杯の安置されているカルナック神殿へと向かう。
フリーダが目覚めるまでの間に、母上。御身も御身のなすべきことの見定めを」
「……そうね。さーて、妾には何ができるかなあー?」
二人は私と私の抜け殻を置いて、庭園を出て行く。
束の間に戻った私の意識も、草の海に沈んでいった。