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放課後の第三アリーナ。今日もまたセシリアからIS操縦を教わる予定だった一夏は、予想外な人物の登場に驚いていた。
「な、なんだその顔は………おかしいか?」
「いや、その、おかしいっていうか───」
「あら、箒さん。その機体は───」
「今日から実戦的な訓練をするのだろう?近接格闘戦の訓練が足りなくなるだろうからな。そこで私の出番だ」
二人の前に佇むのは、IS学園に配備されている訓練機の一つを纏う箒だった。
───第二世代近接両用型IS『打鉄』───。
彼女が装着する『打鉄』は隆道の専用機『灰鋼』の元となった機体である。カラーリングも『灰鋼』の光沢のない黒灰色とは違い、光沢のある銀灰色だ。
彼は彼女が機体を装着していることに驚きはあったが、それよりも機体そのものに注目していた。
(『灰鋼』で見慣れたからアレだったけど、元はこの『打鉄』だもんな。こうして見ると色以外はほぼ一緒だし。………あれ?確か『灰鋼』って汎用防御型だったよな?『打鉄』と一緒で近接両用型じゃないのか?)
隆道の『灰鋼』は『打鉄』を一次移行したものだから分類は同じのはず。一次移行した際に何か変わったのだろうかと考える。
そんなことを考えてる彼とは別に、セシリアは彼女についてある疑問を抱いていた。
「まさかこんなにあっさりと訓練機の使用許可が下りるだなんて………」
訓練機の数は限られている。一学年が放課後に借りられる時期はまだ先のはずだ。にも関わらず彼女は機体を纏っている。
(………彼女が
セシリアは自身が出した答えに納得する。確かに彼女はあの篠ノ之博士の妹だ。となれば血縁である彼女のデータ採取を優先してるのか、または単に優遇されているのか。
(どちらにせよ、いい顔はされませんわね………)
少なくとも予約者がズレた事は明白。それによって借りる事の出来ない生徒から憎まれるだろう。
そうでなくとも彼女は篠ノ之だ。あれやこれやと難癖付ける輩が出てきてもおかしくはない。もしその時が来たら自分がフォローに入ろうと、セシリアはそう決めた。
「………一夏さん。箒さんもいることですし、メニューを少々変える事にしますわ」
「え?あ、ああ。具体的になにするんだ?」
「簡単です、お二人で模擬戦を行ってくださいまし。近接格闘限定で飛行は一切せずに」
予定とは違うが、彼女が来たのならば有効に使うべきと判断したセシリアは二人に模擬戦をするよう指示する。
「飛ぶなってことか?それに近接格闘限定?」
「物事には段階というものがありましてよ。箒さんも丁度良く『葵』を展開してますし、先ずはISの近接戦に慣れて頂きますわ」
「そういうことだ。では一夏、始めるとしよう。刀を抜け」
「………わかった。行くぜ、箒」
彼はセシリアの指示に納得し『雪片』を展開、正面に佇む箒と向かい合い互いに構える。
「では───参るっ!」
箒の合図と共に両者は斬りかかる。模擬戦ではあるが彼等にとって初のIS戦だ、お互い気合い十二分だった。
「物事には段階………。自分で言っておいて何ですが………ほんとうに、耳が痛くなりますわね」
セシリアは二人が模擬戦を始めた途端に表情を暗くし、小さく呟く。
思い出すは入学初日の出来事。激昂した事により周りが見えなくなり、相手が素人にも関わらずISを用いた決闘を申し込むという愚の骨頂を犯し、その結果起こってしまった事件。思い出す度に自分が嫌になる。
もしあの時冷静であったならば違う未来になったであろうか、そう思わずにはいられない。
「………ふぅ」
しかしそれは既に過去の話だ、変えることなど出来やしない。既に終わった事を悔やんでも意味は無いのだ。過ちを犯した事実は変えられない。
ならば自分がこれから変わるしかないのだ。
「………」
セシリアはふと、目だけを動かし模擬戦を行っている二人とは別の所を見る。
そこにはアリーナ内の外周を全力疾走する黒灰色の機体を纏う人物、隆道がいた。
彼は結局の所、セシリアとの訓練を断った。誘ったのは一夏だが、一人でやりたい事があると言って。やんわりな断り方だったと一夏は言っていたが、理由はそれだけでは無く、自分がいるからなのだろうと彼女は察した。
(ずいぶんと嫌われたものですわね………)
それもそうかと、彼女は思った。何せ自分は女性不信の彼に追い討ちをかける様なことをしたのだ、至極当然の結果であろう。
(………それにしても、足速くありませんこと?)
アリーナに来たときから彼をさりげなく見ていたが、彼の歩行操縦の成長は圧倒的に早かった。
始めはゆっくりとした歩行をし、しばらくしてジョギングからのランニング。更にその後に全力疾走と段階を踏まえて歩行操縦をしている。そのアスリート走り染みた全力疾走に彼女は目を疑った。
(一夏さんより速い………。搭乗時間は彼より少ないはずですのに………)
あれほど動けるのであれば地上操縦は近いうちに全て覚えるだろう。そうなると残すは飛行操縦のみだ。
その時は無理強いはせずにまた誘ってみよう、そう彼女は決心した。
「さて、此方も見つつわたくしも………」
彼女は目線を模擬戦をしている二人に戻しながら手を広げ集中する。
「………『インターセプター』」
彼女が発したのは初心者用の武装展開方法。近接ブレードを展開したのを確認して直ぐ様収納し、何度も同じ事を繰り返す。
近接武装に関しては未だに苦手なのとトラウマによって思うように出来ず、初心者用の方法しか出来ないが今はこれでいい。出来ないのなら出来るまで練習するだけだ。
「わたくしもいい加減、近接に慣れないといけませんわね」
模擬戦を始めてしばらくして一夏と箒二人に疲労が見え始めた頃。過度の訓練はただの毒となるので模擬戦を中断させ一旦休憩を挟む事にした。
「少しばかり休憩しましょう。ずっと模擬戦は流石に疲れるでしょうから」
「お、おう………」
「だらしないぞ一夏。鍛えていないからそうなるのだ」
息が切れてる一夏に対し箒は多少の疲労はあるものの、まだまだ余裕がある様子。剣道場での特訓の時もそうだったが彼女のスタミナは一体どこにあるのだろうか。
「ぜえ………ぜえ………ところで、柳、さんは?」
「柳さん?柳さんでしたら───」
セシリアが言葉を発しようとしたその時、突如爆発音がアリーナ内に鳴り響く。その爆音は三人は聞き覚えがあった。
その方向を見ると、吹き飛ばされたように地面を転がり回る隆道。右腕には『鋼牙』を展開しており、周辺には巨大な空薬莢と弾倉が大量に散らばっている。
「なんだ………こりゃ………」
「歩行操縦を止めてから『鋼牙』の空撃ちをしてまして………。どうやら使いこなそうとしてるようですわね」
「………まさか柳さん、ずっとアレを………?」
「お二人は模擬戦に集中してたので気づかなかったようですが、ずっとですわ」
「う、うわあ………」
どうりで彼の周辺に溝やら抉れた箇所があるはずだ。大丈夫なのだろうかと不安で満たされてしまう。
そんな三人から心配そうに見られてるとも知らずに彼は再び『鋼牙』を構え、そして───。
「………ふぅっ………オッラァッ!!」
───右腕を突き出して『鋼牙』を射出。今度は吹き飛ぶ事なく、多少仰け反った程度でその場に留まった。
「す、すげえ………止まった所なんて初めて見た………」
「………使った事はないが、そんなに………なのか?」
「アレは冗談抜きでヤバい。一度は必ず吹き飛ぶからな」
彼は吹き飛ばずに済んだ事に満足したのか、心なしか上機嫌で『鋼牙』を収納し新たな武装を展開する。
「………なんですの?アレ」
「………私にもわからん」
「………」
彼が展開したのはこれまたデカイ遠距離武装、一見ロケットランチャーに見える。しかし、箒とセシリアには見覚えが無かった。
藍色に近いそれは四角い無骨なフォルムに申し訳程度の弾倉。本来あのような大型武装は肩に担ぐ肩撃ち式か銃身を支える
それだけでもマトモじゃないが、一番気になるのは九つもある砲口。早速嫌な予感しかしない。
(まさか、な………)
そんな二人を他所に、一夏はあの武装にまたしても既視感があった。
某銀河のヒーローが使いそうなデカイ武器。まさかなと思い検索をかけてみるが、その予想は当たってしまう。
───
「ああ、もう………」
なんて事だ、予想が的中してしまった。どう見ても
「………?一夏さん、あの武装に見覚えが?」
「いや、こうして見るのは初めてだ。昨日までは持ってなかったし、たぶん新しく送りつけてきたやつだと思うんだけど………」
「なんだ一夏。勿体ぶってないで説明を───」
箒の問い掛けを遮るように、彼は生徒のいない方向に『蜂ノ巣』を向けトリガーを引く。その九つの砲口からほぼ同時に飛び出してきたのは九つの巨大なミサイル。
「「え゛っ」」
そのミサイルはそれぞれ不規則に飛び回っていた。あるものは螺旋状に、あるものは直進からいきなり真横に。それらは狂ったように飛び回っていき、六発は壁や地面で爆発し、残り三発はある程度の距離を飛び回った後ようやく全て爆発した。
「え、ええ………。なんなんですのアレ………」
「よ、よくわからんが、とても恐ろしいものだということはわかるぞ」
「すっげ………ミサイルの軌道まで再現かよ………。うわ、柳さんめっちゃ不機嫌になってる………」
爆発の大きさからして威力は凄まじいだろう。もし正面にいたのであれば悲惨な光景になる事は手に取るようにわかる。攻撃性能についてはミサイル系統の中では高い方で間違いない。
しかし、荒れ狂うように飛び回り爆散したミサイルを眺めていた彼は今やしかめっ面だ。どうも気に入らなかったらしい。
彼は不機嫌のまま『蜂ノ巣』を収納する。恐らく以前と同じく二度と使う事は無いだろう。
「はぁ………」
盛大な溜息を吐きつつ、彼は哀愁を漂わせながら三人の元に向かってくる。着く頃には不機嫌な表情は無くなっていた。
「休憩中かお前ら?」
「ええ、ついさっきですけど。………あの、さっきのはまさか───」
「言うなよ。………アリーナに行く前に例のゲテモノをお前の姉に押し付けたら、今度は遠距離武器をって政府の奴等が送りつけたらしくてな。今回は一つだけだったから試しに使ってみたんだが………結果がアレだ」
そう言って彼が指差した先には焦げた壁や地面に出来たクレーターの数々。壁は試合等を想定して頑丈に造られてるため傷一つ無いが、地面の方はもう目も当てられないほど穴ボコだらけだった。
「俺はアレを片付けたら帰るわ。今日はもう疲れた」
「あ、はい、お疲れ様です。………手伝いましょうか?」
「いや、いいわ。お前は訓練でも続けてろよ」
彼は一夏に軽く手を振りその場を離れる。本当は模擬戦を見学していって欲しかったが無理強いは良くない。故に何も言わずに見送ることにした。
「………ところで、さきほどは聞きそびれましたが結局アレはなんなんですの?」
「そうだぞ一夏。まるで知っていたような口振りだったではないか」
「聞かない方がいい。………強いて言うならば、アレを考えた奴はすげーってことだ」
「「???」」
「あー………ねみい」
職員室に稼働データを提出し、その後教室で忘れ物を取りに戻った隆道は未だに睡魔と戦っていた。
今日は珍しく一人だ、一夏も箒もいない。今思えば放課後はほとんど彼等と一緒だった気がする。
「………これじゃ、どっちが歳上なんだか」
最近彼等に甘え気味だ、三つも歳上の自分がこんな体たらくにも関わらずよく任せとけなど言えたものだ。
「………帰るか」
やるべきことはやった、後は寮に帰るだけだ。寄る所など無いためさっさと帰って寝たいという思いが彼の足を動かす。教室から出て、いざ帰ろうとしたその時だった。
「あのぉー?ちょーっといいかなぁー?」
不意に後ろから声をかけられた。廊下には誰一人としていないのでどう考えても自分に声をかけたのだろう。いつもの彼なら無視してそのまま帰るのだが、今回に限っては何故か足を止めその声の主の方へ顔を向けた。
「やぁやぁ、こんにちはぁ」
そこにいたのは一人の生徒。とても綺麗な黒髪をサイドテールで纏めている彼女は廊下の中央で佇み、彼をにこやか顔で見ている。
「………」
「おやぁ?冷たい反応だねぇ?せーっかくこうして会いに来たっていうのにぃ」
「………誰だお前」
「んー、やっぱわかんないかぁ。………それもそうだよねぇ。しばらく会わなかったしぃ、自分で言うのもなんだけど私も見違えたしねぇ」
へらへらとした態度の彼女は、彼のドスの効いた声に全く怯むこと無く一人で納得したように腕を組みながら大袈裟に頷く仕草をする。まるで彼を昔から知ってるかのように。
こいつは誰だ。全く覚えが無い、こんな奴は知らない。しかし、何故だか身体が全力で警告を発してる。こいつと関わるなと、今すぐ逃げろと。
「………俺はお前なんか知らねえし、知ってたところで関わる理由もねえ。じゃあな」
背中をつららで撫でられたように悪寒が走る。逃げ出したい気持ちに駆られた彼は捨て台詞を吐くように彼はその場を離れようとしたが、次に放たれた彼女の言葉によってそれは出来なかった。
「あぁもぅ、待ってよぉ。んー、じゃあこれなら思い出すかなぁ」
「久しぶりぃ、
「───!?」
隆道は足を止めた。
止めざるを得なくなってしまった。
『にーに』
自身にその呼び名をする人間は一人しかいない。
それが耳に響き、頭痛が走る。
心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥り、息苦しくなる。
彼は硬直してしまった首を無理矢理動かし、ゆっくりと振り向く。
そこには満面の笑顔を浮かべる彼女の姿が。
「あはぁっ!思い出したぁ!?ねぇ思い出したよねぇ!?」
「お前………ま、さか………!?」
「そうでぇーす!八年前に離れ離れになったにーにの妹、
「ひっ!?」
笑顔。それも貼り付いたような表情の彼女───日葵は両手でピースをしながら彼に頬笑む。それが堪らなく不気味だった。
───メノマエノコイツガ、イモウト?
昔と照らし合わせても全く合致しない。大人しかったかつての妹の面影は一切見受けられない。彼女のあまりの変わり様に彼は身体だけでなく、思考まで止まってしまう。
首輪は一気に最大限の警告を発し、殆ど間隔を空けずに点滅している。廊下全体に無機質な電子音が鳴り響くが彼女は全くそれを恐れてない。むしろ楽しんでいるように見えた。
「おぉー!すっごい音だねぇ!織斑せんせーから話は聞いてたけどほんとに鳴るんだねぇ!」
「あ、う………」
「んんー、名残惜しいけど今日は挨拶だけにしとくねぇ。そろそろ織斑せんせーも来る頃だろうしぃ。イヒヒ」
だらしなく笑う彼女はその言葉を最後にその場から離れていく。彼はその後ろ姿に声をかける事が出来ない。
彼は彼女に恐怖を感じていた。貼り付いたような笑顔と人を嘲笑うかのような言葉に。
違う、こいつは別人だ、そうに違いない、そうであってくれと願うが───。
「あぁ、そうだぁ!今の内に宣言しとかないとねぇ!」
「な………に、を………?」
彼女はわざとらしく何かを思い出した様に呟き、彼に再び向き合う。表情は未だに貼り付いた笑顔のままで彼にこう言い放った。
「ISはねぇ、女だけに許された絶対的存在なんだよぉ。それを男が持つなんて許されないよねぇ」
「───」
「
最後の一言だけは、とびっきりの歪んだ表情で告げて彼女は今度こそ帰っていく。廊下には彼と無機質な電子音だけが残った。
隆道が日葵と残酷な再会を果たした頃。最大限の警告を発してるタブレットを片手に、千冬は廊下を全力で駆けていた。
「ああ、くそっ!よりによって校内でっ!」
最大限の警告を発している状態の隆道は極めて危険だ。どのような行動を起こすか一切不明なのだから。
昨日に至っては、彼の所に駆けつけた頃には既に半ば錯乱していた。部屋の中だから良かったものの、アレを校内で、生徒がいる場所で起きてしまったら───。
「頼む………間に合ってくれ………!」
彼の専用機には発信器が付いている。そこから発してる信号によると場所は一学年の廊下。階段を上がればもうすぐだ。
彼女は一段飛び処か三段飛びで階段を駆け上がり、そこから勢いよく廊下に飛び出すとようやく彼の後ろ姿が見えた。周囲には生徒は一人もいない事に彼女は一先ず安堵の表情を浮かべる。
彼を鎮静しなければ。刺激を与えないように、ゆっくりと近づく彼女であったが───。
「やな………っ!?」
「ヒッ………ググッ………ヴッ………ア゛………」
彼との距離は十メートルと距離は空いているが、その声と後ろ姿からして異変に気づくのは容易かった。
両腕は痙攣し、押し殺したような言葉にもなってない声。そして彼の足元には数ヶ所ほど水滴があった。
誰がどう見ても異常を来している事は明白だ。首輪とタブレットから鳴り響く最大限の警告音が、より一層異常さを際立たせる。
(まずい………!)
似ていたのだ、彼がセシリアと戦った時に起きた状態と。だとすれば非常にまずい事態だ。
他の生徒がここに来ないとも限らない。とにかく彼を正気に戻さなくてはと、彼女は恐怖を押し殺し彼に近づく。
「………柳………私だ、織斑だ。………どうか落ち着け、誰も危害を加えない」
「ギッ………イ゛ィ゛………ア゛ァ゛………」
「やな───」
彼に触れる事が出来る距離まで近づき、手を伸ばした瞬間。
「ヴガア゛ァ゛ッ!?!?!?」
「っ!?」
突如彼の指先が彼女の両目に襲い掛かる。それは完全な不意打ちだったが、伊達に世界最強と言われてない彼女は瞬時に後方へと下がる。全力で振り抜いた腕は空振り、彼はよろけるが直ぐに立て直し彼女と向き合った。
「ヴ゛ア゛ア゛ア゛、ア゛ア゛ア゛………」
「ああ、なんてことだっ………!」
彼の表情を見て彼女は思わず口を押さえそうになる。
大粒の涙を流している目は焦点が合っていなく、これでもかと言うほどに歯を剥き出しにしている。
そして彼から溢れ出している、再び現れてしまった『どす黒いなにか』。
───それは歪みに歪んだ狂気。
「グル゛ル゛ル゛………ア゛、ア゛ア゛」
隆道は覚悟をしていたはずだった。
妹が敵である事に。今の社会に染まった人間の可能性がある事に。
しかし、心のどこかで僅かながら願っていたのだ。
妹は違うはずだと。ISを絶対視してないはずだと。
もしかしたら大人しいままかもしれない。きっと懐いていたあの頃のままかもしれない。
もし妹が昔のままだったなら以前のように接しようと、彼はそう思っていた。
『ISはねぇ、女だけに許された絶対的存在なんだよぉ。それを男が持つなんて許されないよねぇ』
彼の僅かな希望は砕け散った。
妹は、篠原日葵は彼にとって───。
『覚悟してねぇ、にーに』
───『最悪の敵』になってしまった。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!」
まるで子供の様に泣き叫び、頭を抱える彼の目には既に千冬は映っていない。最早声など届きはしないだろう。
「や、柳っ………!?」
「ヴア゛ア゛ア゛ッッッ」
叫びながら彼は懐に右手を乱雑に突っ込みあるものを取り出す、それはグリップのような物体だった。彼が勢いよくそれを振ると、そこから飛び出して来たのは銀色の刃物。
(ナイフっ!?!?)
いつのまに持っていたのかと彼女は驚愕するが、そんな呑気にしてる場合ではない。アレを取り上げなくては生徒が危険に晒される。彼には悪いが気絶させるしかないと腹を括るが、彼のとった行動は予想の斜め上だった。
発狂している彼はナイフを逆手に持ち替え、その刃を自分に向け───。
「っ!?待て柳っ!!早まるな───」
───自身の左手に突き刺した。
「グヴウゥッ!?!?!?」
「なっ!?」
深々と刺し貫通した左手からは大量の血が流れ出す。辺り一面を赤く染め、足元には濁った水溜まりのように血の海と化した。彼の表情は苦痛に満ちているが、それでも尚ナイフに力を込めている。
「ア゛ア゛ッ………ガッ………」
激しい痛みによってなのか、彼は正気に戻っていく様が見える。目は次第に焦点が合い、声も落ち着きを取り戻していく。その証拠に警告も段々と弱まっていった。
「グッ………ヴ、うぅ………」
「や、なぎ………」
「う、ふぅ………ふぅ………うらぁっ!!!」
掛け声と共に抜いたナイフ。それを抜いた事により左手からは血が吹き出し、制服も赤く色付いた。あまりの痛みに彼はふらつき、とうとう壁に寄り掛かってしまう。
彼女は彼の衝撃的過ぎる行動につい面食らってしまったが、直ぐに我を取り戻し彼に駆け寄る。
「ああ………いっ、てえ………」
「馬鹿者っ………!自分を刺すなど何をやっているか………!!」
「う、るせえ………。耳元、で………騒ぐんじゃ、ねえよ………」
完全に正気に戻ったのか、彼女の声にようやく反応する。今も夥しい量の血が出ており、押さえたところで止血など出来はしない。
「くそっ出血が酷い。とにかく、早く保健室に───」
「触るなあっ!!!」
「っ!?」
彼女は彼を一刻も早く保健室へ行かせようと肩を掴むが、それは乱暴に振り払われる。彼は震えながらも、またもや懐に手を伸ばすと今度は白い布切れと網を取り出す。
それはガーゼと包帯だった。それを手際よく左手に巻き、血塗れた上着を脱いで何事も無かったかのように彼は帰ろうとする。
「ま、待て柳!」
「………なんだよ、俺は行かねえぞ。………誰がアンタの世話になるか」
「いやしかし………分かった。だが、ソレは流石に見過ごす訳にはいかない。こっちに寄越せ」
「………」
彼は何も言わずに血塗れのナイフを折り畳んで投げ渡す。彼女がそれを掴んだの見て彼は寮へと帰っていった。
「………」
ふと、千冬は手元のナイフを見る。血で染まって気づかなかったがよく見ると結構使い込まれてるのか、小さな傷や錆などが見える。いつから持っていたのかはわからないが、彼に持たせるには危険だ。生徒に向けない保証など無いのだから。
「………?」
ここで彼女は引っ掛かりを覚えた。彼がどうしてナイフをいつから持ってたかではない。
「古傷………………」
彼女は、彼が大怪我をした時に見た古傷を何故か今思い出していた。
確かに彼の身体には大から小までの刺し傷や切り傷があった。しかしあまりにも数が多すぎる。いくら襲われた事があるとはいえ、あれほどの数は現実的ではない。
「まさか………」
ここで彼女はある仮説を立てた。
───
「───っ!?!?!?」
言い様の無い寒気が彼女を襲う。彼はもしかすると、既に自分達ではどうにもならないほど手遅れなのではないかと。
廊下に残されたのは呆然と立ち尽くす彼女と彼が撒き散らした血の海だけだった。
時刻はまもなく夕食時間となる頃。自室に戻った隆道は直ぐ様医療キットと鎮痛剤に手を伸ばして、椅子に凭れかかる。
鎮痛剤を数粒ほど口に放り込んで左手に巻いた真っ赤な包帯とガーゼを剥がすと、未だに出血が収まっていない大きな傷が顔を覗かせる。
「………」
数分程それを凝視した後、医療キットから取り出すのは新品の包帯やら止血剤、そして針やピンセット等の器具の数々。
「………」
それを片手にも関わらず、一言も発せずに手の甲と平の両方を器用に縫い合わせていく。完全に縫い終わり、新しく包帯を巻き終えたのは八時を過ぎた頃だった。
「………久々だったからな。時間くっちまった」
しばらくは満足に動かせないだろう。完治するその時までは周りに知られる訳にはいかない。特に一夏達には隠し通さなければ。
「はあ………」
覚悟したはずなのに希望を持ってしまい、それは砕けた。やはり希望など持つべきではないのだろうかと気が沈んでしまう。
そんなネガティブ思考一直線になりつつ力なく時計を見て、ある事を思い出した。
「………そろそろ時間、か?」
既に時計の針は八時を過ぎている。普段通りであれば一夏達が夕食を終えてそろそろ来る頃だ。彼等にはなにがなんでも隠さなければ。
帰ったら寝ようと考えてたはずなのだが、そんなものはとっくに吹き飛んでいた。
「………っと、噂をすればってか」
一夏達の事を考えてると丁度よく扉が叩かれる。医療器具等を素早く片付け、扉を開けるとそこには───。
「うわ………なんだその顔」
「すいません、柳さん。………早速、相談良いですかね?」
───頬に真っ赤な手形を付けた一夏がいた。
「ほら、こんなもんで良いだろ。俺は使わねえから何枚か持ってけ」
「ありがとうございます………」
「それで、相談ってなんだよ。まさか篠ノ之にビンタでもされたか?」
湿布を貼って貰った一夏は何処かどんよりとしている。相談事とは頬の腫れと関係があるのだろう。
普段なら一夏とセットで来る篠ノ之も今日は来てない。喧嘩でもしたかと思っていたが、どうやら違うようだ。
「いえ、箒じゃなくて、鈴に………」
「あ?誰だよそいつ」
「え?ああ、柳さんには紹介してませんでしたね。ほら、朝のSHRが始まる前に教室にいた背の低い………」
「………ああ、なんかちっこい奴がいたっけな」
例の怪文書の件や眠気全開で顔に出ない程度に苛ついていた為よく覚えてなどいないが、確かにそんな奴がいた気がする。しかし何故その生徒に叩かれたのか、隆道はいまいち理解出来なかった。
「でもよ、そいつがなんでお前をひっぱたいたのかさっぱりわかんねえぞ。喧嘩でも売られたか?」
「いえ、鈴───凰鈴音って言うんですけど、俺の幼馴染でして。突然俺の部屋に来て箒に部屋を変えてくれって言ってきたんです」
「ほー、中国人なのか。………ん?部屋変えてくれって、それ無理じゃね。なんのための割り振りだよ、横暴過ぎんだろ」
「はは………まあ、当然箒と揉める訳で………。揉め事は一旦収まったんですけど、問題………というか相談はこの後の事でして………その………」
次第に彼の声が小さくなり、目も次第に背け始める。どうも歯切れが悪い。その時、ある可能性が隆道の思考に舞い降りた。
「………またラッキースケベか?」
「ち、が、い、ま、すっ!………えと、鈴に昔の約束を覚えてるかって聞かれまして。それで、応えたんですけど………どうやらちゃんと覚えてなかったらしくて………それで………」
「ひっぱたかれたと。………ちなみになんて応えたんだ」
鈴音の事など隆道にとっては非常にどうでもいいことであり決して関わりたくは無いのだが、彼からの相談なので私情は挟まずしっかりと聞く。原因がまだ明確にならない以上は助言しようがないのだ。
ちゃんと覚えてなかったということはその間違った応えにヒントはあるはず。故に答えを探る為、自身の脳をフル回転させつ耳を傾けたのだが───。
「えと、『鈴の料理の腕が上がったら毎日酢豚をおごってくれる』………です………」
「………?????」
───聞いても全くわからなかった。
(料理の腕が上がったら?毎日酢豚を??おごってくれる???)
隆道のフル回転ブレインは急停止した。全然理解が出来なかったのだ。どう考えようとしても正解が導き出されなかった。
しかし、ここで諦める隆道ではない。停止した思考を再び高速回転させ、思考の海に沈む。
(腕が上がったらっつうことは料理人………いや、普通ビンタしねえだろ。………毎日酢豚を奢る?………胃がもたれるっつうの、つかその前に飽きるわ)
「その『料理の腕が上がったら毎日酢豚を』までは合っていたらしいんですけども………」
(うっそだろ中国人。昔は不味かったからそのリベンジ………か?どう聞いても料理人の挑戦としか思えねえ………いや、毎日食わす必要ねえだろ………これも違う………)
いくら考えても答えが出てこない。しかし、途中まで合っていると彼は言ってるのだ。ならばその後の間違った部分を変換させれば良い話。それだけならば簡単に済むのだが───。
(奢る………毎日………奢る………酢豚………)
隆道はついに答えを導き出した。
「………全っ然わかんねえ。お手上げ。意味不明」
───わからないということがわかった。
「なんなんだよ、毎日酢豚って。それだけでも意味不明なのに奢るじゃねえのかよ。いや、奢るも意味不明だけどよ」
「うぅ………。何が間違ってたんだろ………」
隆道は今後も知ることは無いだろうが、彼女の言っていた約束とは正確に言うと───。
『料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』
───である。
つまりこれはある漫画によって一時期有名になった───。
『僕の為に味噌汁を作ってくれませんか?』
───という、一昔前のプロポーズ(告白?)をアレンジしまくったものなのだ。
味噌汁=毎朝、妻が起きて朝食の為に作る。つまり結婚、または同棲しているという意味に極めて近い意味合いになるのだ。
こうして毎日味噌汁のくだりはいつしかプロポーズ(告白?)になった訳だが、彼女はその意味を良く理解していなかったようだ。
そもそも味噌汁は日本人に馴染み深い汁物だからこそ毎日食べられるのであって、酢豚なぞ毎日出されたら飽きられてしまう。というよりそれしか作れないのかと疑いがかかる。
それに今のご時世この味噌汁のくだりは効果が薄い。何せこんな世の中だ、好き好んでする人間など極少数だろう。逆に命令されるのではないだろうか。
彼女の捻り曲がったアレンジを即座に理解し賛同する人間がいたとするならばその人間は彼女の思考を知り尽くしている人間か、超思考の持ち主か、はたまた単に彼女の味方になりたいだけか。
約束を間違えた一夏も一夏だが、彼が鈍感だというにも関わらずアレンジしまくったプロポーズ(告白?)をした彼女にも非がある。いや、暴力を振るった分彼女の方が悪いだろう。
どちらにせよ、正確な答えを知ったところで隆道は理解出来ない。女性の考える事などわからないのだから。
「篠ノ之はわかったのか?」
「馬に蹴られて死ねって言われました………」
「んだよ、知ってそうじゃねえか。だったら教えてくれたって………いや、その様子じゃ無理か。悪いな、力になれなくて」
「あ、いえ。俺が悪いんですよ………多分」
「多分てなんだよ………」
わからない事をそのままにせず相談した彼は立派であろう。しかし、相談する相手が盛大に間違っていた。
(………味噌汁うんぬんか?いや、それこそあり得ねえだろ)
隆道は惜しい所まで辿り着くが、あり得ないとUターンの如くその答えから遠ざかる。
結局この日は、一夏の相談の解決には至らなかったのであった。
翌日の生徒玄関前廊下に貼り出された用紙。その表題にはこう記されている。
───『クラス対抗戦日程表』───。
一回戦の相手は二組。一夏VS鈴音が決定した。