IS~傷だらけの鋼~   作:F-N

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お待たせしました。

VT戦、決着。

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第四十五話

 濃い灰色だけの世界に、彼女はいた。

 

「わ゛あああああぁぁぁぁぁっっっ……!!」

 

 物、風景、それ等が見当たらないその場所には腰にまで伸びている銀色──と言うよりは灰色と言える長髪を垂らす少女が一人。服も髪と同様に灰色の汚れたワンピースを纏う彼女は両手を顔に宛がい、膝を付いて激しく嘆き泣く。その目前には一つの空間ディスプレイが浮かんでいた。

 そこに映るのは複数の一本線と『0』の数字。その線の全てが一切と波打つ事は無く、無機質で不気味過ぎる電子音を辺り一面に響かせていた。まるで、何かが終わってしまったかの様に。

 そう、ここは『灰鋼』に搭載されているISコアの電脳世界。コア・ネットワークと呼ばれている彼女達(ISコア)だけの空間。ほぼ全ての人間が解明出来ていないその世界には確かな意思が存在していた。

 そして──そこで今も泣き続ける彼女は人類にこう呼ばれている。

 

 

 

 

 

 ISコア。コアナンバー『◯一九』と。

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!」

 

 空間ディスプレイから響き渡る電子音。それが彼女を未だに慟哭させる。その画面に映るのは、紛れもなく青年──隆道の心電図モニター。その表示が意味することは確実な"死"である。

 これは嘘でもない、夢でもない、幻でもない。これが現実だ。残酷な事実だ。無慈悲な真実だ。

 

 

 

 隆道は敗北した。そして──死んだ。

 

 

 

 どれだけ泣こうが、どれだけ喚こうが、決して現実は変わらない、変えられない。絶対にだ。

 ありとあらゆる手を尽くそうにも、彼女は何も出来やしない。『猛犬』の活動限界によってほぼ全ての機能が停止した今となっては。出来る事と言えば嘆き泣くぐらいしかなかった。

 ずっと泣き続けていたのであろうか。次第にとそれは小さくなっていき、彼女は涙を拭いながら心電図モニターとは別の方へ目を移す。

 

「ぐずっ……! …………」

 

 完全に泣き疲れてしまった彼女は何も無い所へおもむろに手を翳す。すると、そこに現れるのは一つの空間ディスプレイ。破損しているが故か、その画面の半分以上はノイズが走っていた。

 そこに映るのは『灰鋼』から走る火花や紫電。血の海となった地表。そして──奥に見えるのは二機のIS。それ等は今、激闘を繰り広げている。

 片や、二刀で戦う純白たる機体──『白式』。片や、血で染まった黒の機体──『黒の剣士』。その二機は凄まじい速度で何度も刀をかち合い、その場から一歩たりとも譲りはしていない。

 それは正しく互角──いや、よく目を凝らすと『白式』の方が押され気味であった。二刀という倍の手数でも『黒の剣士』はそれを全ていなし、洗練された動きで刃を振るう。先程よりは動きが鈍くも、十二分過ぎる戦闘力を保っていた。

 

「……もう、いいよ」

 

 最早、彼女にとっては関係無い事だ。

 彼を守りたかった。彼を助けてあげたかった。彼と──少しでもお話をしたかった。

 その全てが今、絶対に叶わなくなった。唯一の活動源を失った以上、何一つ行動を起こせない。無気力、投げ槍、自暴自棄。正にやけくそだ。

 もうどうなろうが知ったことか。勝手にしろ、どうにでもなれと思考が深い闇へと沈んでいき、とうとう塞ぎ込んでしまう。

 目の前で続く死闘も、されるがままの連中も、十年前の大事件も、自分自身も、その自分自身を作り出した人間も、何もかもがどうだっていいし考えたくもない。一層の事自分も壊して欲しい、終わらせて欲しいと、彼女は願った。

 

 

 

 と、その時──。

 

 

 

「……?」

 

 

 

 ──ふと、背後に()()を感じた。

 

 

 

 そんな筈は無い。この世界は今や自分だけだ。他者(他のISコア)が来ても徹底的に弾く、そう設定している。ならば、自身の後ろから感じるこの感覚は?

 恐らく──いや、間違いなく自身の後ろに()()がいる。そう感じざるを得なかった。

 彼女は顔を拭い、意を決してゆっくりと後ろを振り向く。そこには──。

 

「……!!」

 

「……アゥ」

 

 ──()()がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナのステージにて。

 その場所では、連続した金属音と二機のISから発する雄叫びが響き渡っていた。

 

「う゛ぉあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!」

 

『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッ!!!』

 

 凄まじく鋭い斬撃を繰り出す『黒の剣士』と、それを二刀で辛うじて弾いている一夏。交差する刃が火花を散らし、高々な金属音を鳴らす。

 一見互角の様に見える戦いだが、若干彼の方が押されている。防戦的な戦闘であった。

 千冬と同等と思わせる速さと、鋭過ぎる斬撃。本来なら食らっても何ら不思議ではない。動きは鈍くなっても戦闘力は未だヴァルキリークラス、普通ならあっという間に負けてしまうであろう。

 

 

 

「このおおおおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」

 

 

 

 否、一夏はまだ負けてなどいない。

 

 

 

「くっそおおおぉぉぉっっっ!!!」

 

『オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!』

 

 彼は一太刀も受ける事無く全て防御していた。幼き頃から幾度も見てきた姉の太刀筋。そして、それをただ単に真似しかしない相手だからこそ。記憶を頼りとしそれ等を己の全力を以て見切り、時に受け流し、時に防御し、反撃の好機を待つ。

 今の彼には雑念など一切無い。あるのは目前のISに一撃必殺──『零落白夜』を叩き込む、ただそれだけを考える。相手の隙が生まれるその時が来るまで全力で食らい付く事、それが彼に出来る唯一無二の手段だ。

 例え、相手の方が遥かに力を上回っていようと折れない、折れる訳にはいかないのだ。でないと隆道は無駄死にとなってしまう。

 

「偽物、野郎、があああぁぁぁっっっ!!!」

 

『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!』

 

 故に、彼はその全身全霊を賭けて立ち向かう。目の前の『敵』を倒す為に。

 

 

 

 

 

 その一方で──。

 

「…………」

 

「────」

 

 血の海で倒れる隆道とその側で膝を付く千冬。彼女は切断された彼の右腕を持ったまま、一切の言葉を発する事は無く彼をじっと見詰めている。前髪を垂らす彼女の表情は見えないが、その頬は大粒の雫が流れていた。

 

「柳……」

 

「────」

 

 返事は──無い。それは今までされてきた無視などといったものではない。完全なる"無"。

 火花と紫電を走らせる、完全に大破した機体。生気を一切感じ取れない、深々な傷のその身体。辺りを漂う鉄臭さは機体からなのか、または彼の身体からなのか、それともその両方からなのか。わからないしわかりたくもない。

 応急処置をしようとも、どこからどう見ようと理解してしまう。した所でそれは無駄なのだと。瀕死ではない──確かな"死亡"。

 

「…………」

 

 言葉が出せない。身体が動かない。ボロボロと涙が溢れ落ちていってしまう。泣いた所で何かが変わる訳でもないのに。それでも、彼女は泣く。誰に見られようとこの際気にはしなかった。

 

 

 

 この社会と女性、そしてISを憎みに憎んだ彼は己の身を削ってまで弟の一夏を庇い、支えた。

 

 

 

 危険を顧みずに武装集団に生身で立ち向かい、満身創痍になってでも真耶達を助けた。

 

 

 

 誰にも一切と頼ろうとせず、たった一人だけでシャルロットの暗殺計画を阻止した。

 

 

 

 暴走してしまったが、男性操縦者襲撃事件にて巻き込まれた箒を守った。

 

 

 

 

 

 その様な人間の最後が、末路が、コレなのか。

 

 

 

 

 

 報われなさ過ぎる。酷過ぎる。

 この様な事があっていいものか。彼がいったい何をした。残酷にも程がある。他者の為に動いた彼が、こんな目にあって良いなど許せやしないし許してはならない。

 しかし、どう嘆こうと事実は変わりはしない。彼は──ここで終わってしまったのだ。

 

「うわあああぁぁぁっっっ!!!」

 

「ま、待ってよ篠ノ之さん!!」

 

 そんな絶望の真っ只中、ステージの出入口から全力で駆け付けるのは箒とシャルロット。AEDと医療キットを抱える彼女達は今や必死の形相。

 一夏達の様子を見るべく、こっそり出入口から覗いた時にはこの惨状。血相を変えて必要そうな物資をありったけぶん取ってきたのであった。

 

「…………」

 

「ち、千冬、さん!! AEDと医療キット持ってきました!! こ、これでっ、これで……!!」

 

「はぁっ、はぁっ……織斑先生! 早く──」

 

 全力で走ったが故に息切れしたシャルロットは顔を見上げ、即理解した。せざるを得なかった。何故、彼女が応急処置処か何もすらしないのか。そして何故、ただただ泣いているのか。

 

「いったい何をしているんですか! 早く、早く応急処置を──」

 

「篠ノ之さんっっっ!!」

 

「!!」

 

「駄目、だよ……。もう、もう……!!」

 

「────」

 

 絶句。

 シャルロットも、箒も、硬直する彼女と同じく崩れていき、ばしゃりと飛び散るその血が彼女達を深い絶望へと引き込んでいく。

 

「嘘、だ……。嘘ですよね……? 千冬さん?」

 

「…………」

 

「何とか言って下さいよっっっ!!! それでも貴女は世界最強ですかっっっ!!!」

 

「…………」

 

 彼女は何も喋らない。彼だけを見詰めて、ただ呆然とするばかり。それが箒を現実へ無理矢理に引きずり出していく。嫌でも理解してしまった。

 二人は彼女と同様に言葉を失い、流れ出すのは大粒の涙。それは頬を滴り、血溜まりに落ちる。

 今や、彼女達に聞こえるのは遠く離れた場所で響く金属音と二つの雄叫びだけ。しかし、それを見る余裕は一切と無かった。

 

「「「…………」」」

 

 運ぼうにも、彼は大破した機体を纏ったまま。教員や代表候補生達は来賓と生徒の避難によってここに残されていない。ここにある訓練機は全て整備中、教員用は全てが具現維持限界。残された唯一のISは──箒が乗り捨てた、戦闘不能状態の『打鉄』一機。パワー不足で彼を運べやしない。

 他のアリーナから機体を持ち出して一夏の戦闘に介入するという考えは今の彼女には無かった。完全なる無気力。心がボッキリと折れていた。

 最早、彼女達に出来る事は──何も無い。

 

「……? なん、だ……これは……?」

 

「「……?」」

 

 その時だ、千冬がソレに気づいたのは。

 ぐしゃぐしゃな顔となった彼女は彼の首元へと視線を向けていた。二人はそれに釣られ、視線を同じく彼の首元へ向ける。その目に留まったものは──首輪。それは何故だか点滅し始めていた。

 彼の発症時のとは違う、赤ではなく青の点滅。そこから壊れかけのラジオの様に電子音が鳴り、彼の目の前には凄まじくノイズが走るホログラムが現れる。そこに映ったものは──。

 

 ──⊂……Я……∀、┠……┃──。

 

 ──⊂……Я∀、┠┃──。 

 

 ──⊂Я∀┠┃──。

 

 ──全く以て理解出来ない文字。しかし、千冬だけはその文字に既視感があった。

 『灰鋼』に発現した、未だ謎めいたシステムの一つ。一切の解明が出来なかったそれが、まさか今ここで起動するとでもいうのか。だとしても、何故このタイミングなのであろうか。

 唖然とする彼女達を余所に、首輪は今も尚の事電子音を鳴り続けている。何語かもわからない、意味不明過ぎるその文字は次第に変化していく。

 

 

 

 ──『⊂ЯAH』──。

 

 

 

 変化していく。

 

 

 

 ──『URAH』──。

 

 

 

 変化していき、それ等は一気に並び変わる。

 

 

 

 ──『HARU』──。

 

 

 

 完全に並び変わったソレは一つの単語となる。青の点滅は連続し、電子音が鳴り響く。

 そして──。

 

 

 

 『五、四、三、二、一──』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隆道は、気がつけば全く知らない場所にいた。

 

「……んあ?」

 

 辺りは砂浜と海だけ。色を一切と識別出来ないモノクロの世界。音も、匂いも、何もかもが全く感じられない非現実的過ぎるそれに彼は立往生、困惑せざる得ない。いったいここは何処なのか。

 辺りを見渡しても砂浜と海があるだけだった。人も、山も、建物も、文字通り何も無い殺風景。まるで音を消した大昔のサイレント映画。全然と現実味が無い。

 

「んー……?」

 

 本当に何も無い。海辺ならいるであろう生き物ですら、一切と存在していないここはいったい。

 何か無いのかと、彼は足元に目を動かし──。

 

「……あ」

 

 そこで彼は気づいた。自身の右腕が無い事に。身体の至る所が傷だらけな事に。残された左手で首元に手をやると、ある筈の首輪が無い。

 

 

 

 そうだ、自分は──。

 

 

 

「ああ、そうか。そう、だったな……」

 

 

 

 ──自分は、死んだのだ。

 

 

 

 あの真っ黒なIS──『黒の剣士』に殺された。今もその感触を思い出し、その傷に手を宛がう。

 何故か痛みは感じない。出血も止まっている。だとするなら、ここは死後の世界──三途の川の類いなのだろう。そう納得するには大して時間は掛からなかった。何なんだこの男は。あまりにも理解が早過ぎるのではないか。

 

「…………」

 

 現実ではいったいどうなっているのだろうか。その思考がほんの少しだけ頭を過っていく。

 アレは未だに暴れているのだろうか。それとも既に事は済んだのだろうか。一夏は自分の亡骸を見て何を思っているのだろうか。光乃や章吾達は──自分の死に対してどう思うのだろうか。

 それに、光乃に()()()()()()も──。

 

「……まあ、いいわ。もう関係ねえし」

 

 考えた所で何も出来ない、どうしようもない。ただ負けて、その結果死んだ、それだけの事だ。悔いた所で何も変わらない、何も変えられない。

 故に、彼は考えるのを止めて一人寂しく歩く。いや、今の彼に寂しさという概念は無いだろう。

 

「地獄は……何処かな、と」

 

 平坦な砂浜を歩き続ける彼は独り言を呟いた。

 自分が今までしてきた事は悪行極まる行為だ。暴力を肯定し、今まで散々と暴れ散らした自分が天国に行けるなど微塵足りとも思ってはいない。行き先は地獄しかないと常日頃考えていた。

 父親にも、愛犬にもあの世では会えやしない。それはあの時──『髑髏』になった時から覚悟を決めていた。今更になって後悔は無い。

 いったい地獄とはどういったものであろうか。百三十五種類あると言われてはいるが、はたして自分はどの部類なのかと何処か他人事であった。

 

「……あん?」

 

 歩き続けて暫く、彼は見つけ出す。浅瀬に佇む人影を。それはとても遠く、ここからでは全くと視認出来ない。というより人なのかすら怪しい。

 故に、彼は足を速める。ソレを確かめるべく、競歩に近い速度で近づいていく。

 歩く事、暫く。漸くと彼はソレに辿り着いた。ソレの正体は──。

 

「……!!」

 

 そこにいたのは一人の男性。その男性は此方を真っ直ぐに、そしてしっかりと捉えている。

 中肉中背で短髪姿である、至って普通の中年。スーツをしっかり着こなすその男性はどこにでもいそうな、何の変哲も無いサラリーマン姿。

 

「────」

 

 しかし、彼はその人物をよく知っている。

 否、知っているも何も忘れる筈がない。何せ、その男性は去年亡くなってしまった──。

 

 

 

「親父……!!」

 

 

 

 ──自身の父親──光輝。

 

「は、はははっ……。何だよ、別れの挨拶させてくれるのか、閻魔ってのはよぉっっっ!!!」

 

 彼はつい笑ってしまった。二度と会う事が無い筈の人物が今、目の前にいるのだから。

 こんなチャンスはもう一生無いだろう。故に、彼は喜びを隠さずに喋り始める。

 

「はははっっっ!!! 親父……見ての通り俺、死んじまった。こんなにズッタズタになってよ。今までのツケが回っちまった」

 

「…………」

 

「まさかこんなに早く会えると思ってなかった。それならもっと早くくたばるべきだったかなあ。だっはっはっはぁっ!!」

 

「…………」

 

 笑いながらも語る彼に対し、光輝は一切と口を開かない。それでも、彼は語る。語り続ける。

 

「……再会して早々悪いけどよ、俺は……親父やハルと一緒の所にはいけねえ。地獄行き確定だ。なあ、天国にいた親父ならわかるだろ? 俺が、俺がやったくそったれの数々をよ」

 

「…………」

 

「けどよ、もう良いんだ。俺はあのくそったれな世界とおさらば出来る、それだけで充分なんだ」

 

「……隆道」

 

「……!!」

 

 その時であった。光輝が漸く口を開いたのは。

 その声は紛れもなく父親の声。彼の耳に届き、それはより一層と大きな喜びとなる。

 

「何だよ、喋れるじゃねえか! んで、何だ?」

 

「────」

 

「あん? いや、聞こえねえよ」

 

「────」

 

「だから聞こえねえって」

 

 光輝は確かに何かを喋っている。だが、彼にはそこだけが聞き取る事が出来なかった。もう一度聞き返しても聞こえない。何を言っているのかわからないが、何かを訴えているように思える。少なくとも彼にはそう感じていた。

 呼び掛けは聞こえた筈。なのに何故、今は声が聞こえないのか。それがもどかしく感じる。

 

「ああ、くそったれが。……何なんだよ、もっとハッキリ喋ってくれって!!」

 

「…………」

 

 そう言うと、光輝はその口を閉ざし、首を横に振った。意味が全くとわからない。まるで何かを拒否しているかの様な仕草だった。

 

「あん? 何だよそれ」

 

「……お前は知るべきだ」

 

「は? ……あ、ちょっ!」 

 

 光輝から聞こえたのはその一言だけ。そして、そのまま彼から離れ歩き始めていく。深い海へ、一切と振り返る事もせずに。

 さっぱりわからなかった。言葉の意味は何だ、首を横に振った理由は何だ、何処へ行くのか。

 まだ話し足りない。語りたい事は山程にある。まだ行かないでくれ。地獄に行く前に言いたい事全てを言い切りたい。

 

「ああ、ったく。今そっちに行く──!?」

 

 父親の元へ向かおうとしたその時、突然左腕を引っ張られた。感覚からして小さな手。

 辺りに父親以外は誰もいなかった。それは先程確認したばかりだ。では、左腕を強く掴むコレは何なのだ。まさか、地獄へ導く『何か』なのか。

 仮に、そうならば──もう時間切れなのか。

 

「……ふぅっ」

 

 固まる事、約数秒。彼は唾を飲み込み深呼吸、意を決して振り向く。そこには──。

 

「……は?」

 

「……ぐずっ」

 

 ──灰色の長髪をした、啜り泣く少女がいた。

 何故だか色を識別出来るワンピース姿の彼女は彼の左腕を握り締めて、離そうとはしなかった。その小さい手はとても弱々しく、強く感じる。

 こいつは誰なんだ。銀髪のドイツ人とは違う。灰髪など今まで見た事が無い。全く記憶に無い。彼の脳内は疑問だけがぐるぐると渦巻いていく。

 

「……誰だ、お前」

 

「行か、ない、でぇ……」

 

 彼女が言葉を放つ言葉はそれだけ。それっきり彼女はまた啜り泣き、俯いてしまう。それが彼を余計に混乱させた。その言葉の意味はいったい。

 

「いや、だからお前誰だよ。行かないでって意味わかんねえぞ。大体俺は死んだんじゃねえのか。だったら行き先は地獄しかねえじゃねえか」

 

「…………」

 

 言葉を投げ掛けても彼女は俯いて黙ったまま。別に苛ついていた訳ではないのだが、状況が全く飲み込めない以上少々辛く当たってしまう。

 焦れったい。とても焦れったい。いったい彼女は誰なのだろうかと、それまで無かった苛立ちが次第に募っていき、彼の言葉は強くなっていく。

 

「……ったく。黙ってないで何と、か……──」

 

 

 

 彼が言えたのはそこまで。何故ならば、彼女を捉えていた視界に──()()が映ったから。

 

 

 

「──おい、嘘だろ……? お゛い゛……!!」

 

「あっ……!」

 

 彼は彼女の手を強く振り払い、()()に向かって歩き出す。一歩、また一歩と。

 

「マジか……マジかマジかマジかあ……!!」

 

 ()()に近づくにつれて、自然と涙が溢れ出し、最終的にそれは号泣に近いものとなる。目の前がどれだけ霞もうとも、拭う事はせずに()()の目前まで歩みを止めない。

 

「あ゛……あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ……」

 

 号泣しながらも彼は漸く()()に辿り着き、膝を付いて寄り添っていく。そう、()()は彼が愛してやまなかった、かけがえのない大切な存在。

 小さな立ち耳に短毛の赤柴。そして、特徴的な巻き尾。そう、()()は正しく──。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!!」

 

「アゥ」

 

 

 

 ──最愛の家族、ハルであった。

 

 

 

「お前っ!! お前ぇぇぇっっっ!!!」

 

「アゥン」

 

 彼はハルを抱き締めた。勢いと裏腹に優しく。

 会いたかった。本当に、本当に会いたかった。父親だけでなくハルも会いに来てくれたのかと、彼は激しく泣き叫んだ。

 匂いは一切と感じない。しかし、その温もりはしっかり伝わる。それが本当に嬉しくて、本当に愛おしくて、涙が止まらない、止められない。

 最早灰色の少女の事など──いや、何もかもがどうだっていい。ハルに会えただけで良かった。

 何処を触っても暖かい感触。それが余計に喜びとなり、ついハルの顔を思い切り撫で回す。

 

「ひぐっ……。う゛ぅ……」

 

「ワンッ!」

 

「……あ? 何だよハル」

 

「ワンッ!!」

 

 顔をわしゃわしゃするその最中、ハルは大きく吠え始める。まるで何かを伝えたいかの様に。

 しかし、犬の言葉などわかりはしない。生前は常に一緒であったが、この様に自分に対し大きく吠えるのは初めてであった。いったいハルは何を伝えようとしているのか。

 

「はんっ。死んでも犬語なんてわかんねえ、か」

 

「ワンッッッ!!!」

 

「だからどうしたってんだ。何を吠えて──」

 

 

 

 ──起きろっ!! ご主人っ!!

 

 

 

「!?」

 

 そこで彼の意識は途絶える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、それは起こった。

 

『零。R.I.C.U.system『ハル』起動』。

 

「──がっはぁっっっ!?!?!?」

 

「「「!?」」」

 

「ゲッホォッッッ!!! オ゛ヴェ……!!!」

 

 彼女達の目の前で有り得ない事が起こった。

 繋がった電子音と共に『灰鋼』が紫電を全体に走らせた直後、死んだ筈であった隆道が急に息を吹き返す。千冬を含めた三人は突然の事に驚愕を露にした。

 

 ──蘇生完了。生体再生に移行──。

 

 ──痛覚遮断処置開始──。

 

 ──止血処置開始。血液生成促進──。

 

「「「……!?!?!?」」」

 

 彼女達の驚愕はまだ終わらない。なんと、彼の出血は一斉に止まり、傷が一気に塞がり始めた。所々が急速に再生していくそれは完治していき、失明した右目も驚異的な速度で再生されていく。

 

「あ゛ぁ゛……!? な゛ん゛……!?」

 

 ──操縦者の右腕を感知。接合開始──。

 

「──なっ、あ……!?」

 

 まだ終わらない。機体から飛び出すのは数本のコード。それ等は、千冬が抱えていた彼の右腕を奪い取り切断部位に宛がって高速度で縫合する。

 右腕が接続されて暫く、それはぴくりと次第に動き始めていく。所々傷跡はあれど、身体はほぼ完治した彼の呼吸は徐々に落ち着いていった。

 

「「「────」」」

 

 彼女達は、先程とは別の意味で言葉を失った。

 完全に死んでしまった筈の彼が息を吹き返し、全ての傷が治っていく。開いた口が塞がらない。思考が止まってしまう。人間が蘇生した話自体は聞いた事はあるが、こうも目に見える速度で傷が治るなど前例が無い。有り得ない。

 しかし、今は呑気にしていられない。彼女達は咄嗟に我に返り、彼に近づいていく。

 

「お前、意識が……!!」

 

「ゲホッ……。あ……? 親父? ハル?」

 

 意識が混濁しているのだろうか、辺りを見渡す彼は突然と意味不明な事を言い出した。

 彼の父親はこの世にはいない。だが、ハルとはいったい。そんな疑問等が彼女達に生まれるが、この際何だっていい。今は彼が最優先だ。

 

「柳!! しっかりしろ!!」

 

「柳さん!!」

 

「……!?!?!? ブリュンヒルデ……!? お前等も……!?」

 

「立てるか!? ここから離れるぞ!!」

 

「ま、待てよ!! げ、げん、じつ……!?」

 

 やはり彼は混乱している。理解出来るが一夏が『黒の剣士』を足止めしている今、何としてでもこの場から離脱しなければならない。一刻も早く逃げなければ。

 『黒の剣士』は彼を斬り殺した後、確かに抹殺完了と発した。それは彼女の耳にも届いている。

 ならば、息を吹き返した彼はまたしても──。

 

「──っ!? 柳さん、生き返っ──」

 

『柳隆道の生体反応を再確認』

 

「──っ!? ぐおおおおぉぉぉっっっ!!!」

 

『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッ!!!』

 

 彼が生き返った事に驚きを隠せない一夏だが、それと同時に『黒の剣士』も音声を放ち、彼へと向かおうとするばかりに攻撃はより一層と激しくなっていく。鈍くなっていたその動きは鋭さと、そして重さを増していった。

 

「……織斑っ!? あの黒い奴、まだ……!!」

 

「やはりこうなるかっ!! 立つんだ柳っ!!」

 

「待てっての……!! この……!!」

 

 ──ダメージレベルD。修復中──。

 

 ──パワーアシスト機能停止中──。

 

 ──展開解除を実行……ERROR──。

 

「ああ、全然動かねえ……。解除も無理だ……」

 

「くそっ、なんという事だ……!!」

 

 隆道は完治はすれど、機体は未だに大破状態。展開解除も出来ない以上、無防備のままだ。

 今、まともに戦えるISなど近くに一機も無い。他のアリーナから拝借しようも時間が足りない。今から取りに行っても間違いなく間に合わない。

 頼みの綱は一夏ただ一人。しかし、その一夏も徐々に押されつつある事からそれも時間の問題。危機的状況に変わりはしなかった。

 

「くそったれが……!! 何か……あん?」

 

 その時であった。彼が何かを思い付いたのは。辺りを見渡し、()()を見た故の。今の『灰鋼』が出来る、たった一つだけの策だ。有効かどうかはわからないが任せる他無い。

 

「……おいデュノア!!」

 

「えっ!? は、はい!!」

 

「射撃は得意か!?」

 

「え? え、ええ、まあ……」

 

()()……乗って戻って来い」

 

 顎で促す彼は遠くを見ていた。シャルロットはその先を見やると、そこには箒が先程乗り捨てた戦闘不能状態のIS──『打鉄』。損傷しているが動かす事自体は可能であろう。

 しかし、あの機体では重い『灰鋼』を運ぶ事は出来ない。まともに戦えはしない。彼はいったい何をしようというのだろうか。

 

「で、でも、あの機体じゃ……」

 

「歩くぐらい、出来るだろうがよ……。いいから乗って戻って来い……!!」

 

「わ、わかりました!!」

 

 シャルロットは彼に言われるがまま『打鉄』に向かって走り出す。恐らくこの状況を打破する策なのだろう、そう踏んで全力で向かう。

 

「織斑ぁ!! 時間を稼げぇぇぇっっっ!!!」

 

「──!? ……はいっ!!」

 

 彼の放った喝。それによって一夏は限界寸前であった力を更に絞り出し、より大きな力となる。感覚、意識が研ぎ澄まされていき、『黒の剣士』が繰り出す鋭い斬撃を確実に防御していく。

 

「ぜぇらあああああっっっ!!!」

 

『オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!』

 

 激しく飛び散る火花、高々と響き渡る金属音。それは今までより一段速くなり、『黒の剣士』は徐々に押され始めていく。

 

「──っ!?」

 

 遂に折れる刀──『葵』。それは完全に砕け、辺り一面に破片を撒き散らしていく。

 だが、まだ終わりではない。此方には唯一の、自分だけの一刀──『雪片弐型』が残っている。これがある限り負けではない。その一刀で一夏は『黒の剣士』を押す、押し続ける。

 

「う゛ぅっ……!! ぐぅぅぅ……!!」

 

 疲労は既に最大限だ。汗が一向に止まらない。息が切れそうになる。筋肉が悲鳴を上げている。気絶してしまいそうになる。今にも負けそうだ。

 

 

 

 

 

 ──だが。

 

 

 

 

 

 負けない。絶対に負ける訳にはいかないのだ。もう──誰も失いたくはない。

 

 

 

 

 

『オ゛ア゛ア゛ッッ!!!』

 

「──っっっ!?!?!?」

 

 しかし、非情にも終わりはやって来る。

 『黒の剣士』が放った鋭い横一閃は一夏の刀を大きく弾き返し、そこから即座に上段の構えに。それは今、正に一夏を確実に捉えていた。

 

(ああ、くっそぉっ……!!)

 

 負ける。その言葉だけが一夏の頭を過った。

 『黒の剣士』の斬撃がスローモーションの様に見える。もう躱せない、防御すら間に合わない。ここまでなのかと歯を食い縛り──。

 

『──ゴッッッ!?!?!?』

 

 

 

 好機は漸く訪れる。

 

 

 

「!?」

 

 聞こえたのは大砲と変わらない大きな発砲音。見えたのは頭部分が大きく凹んだ『黒の剣士』。凹み具合から何かぶつかったと一夏は確信した。

 ハイパーセンサーを駆使して後方を見やると、その音の正体は彼等の所から。未だ倒れたままの隆道と耳を塞ぐ千冬と箒、そして──『打鉄』に乗り、俯せ状態で超大型たる()()()を構えているシャルロット。

 本来は換装装備であるその狙撃砲は今現在でも超長距離射撃命中率の世界記録を保持している、日本製最高峰の遠距離後付武装。ソレは、隆道が『灰鋼』に量子変換して暫く放置していた──。

 

 

 

 ──超長距離狙撃砲『撃鉄』──。

 

 

 

 これこそが隆道が咄嗟に思い付いた唯一の策。

 シャルロットが『打鉄』に乗り、隆道が武器を渡し、狙撃で隙を作る。

 それは──成功した。

 

「もう一発!!」

 

『──!?』

 

 シャルロットは続け様に二発目を発砲。砲弾は黒い刀に直撃し、折れはせずとも大きく弾いた。先程までの俊敏な動きは──もう無い。

 

「やっちまえ織斑ぁぁぁっっっ!!!」

 

 漸くと生まれた、大きな隙。一夏は咄嗟に腰を落として構え、刀を持つその手は自身の背中へと持っていく。その目は真っ直ぐに『黒の剣士』を捉え、そこから発動するのは──『零落白夜』。意識を集中させると、そのエネルギー刃は細く、鋭いものへと変化していく。

 

『オ゛オ゛オ゛ッッッ!!!』

 

 『黒の剣士』が繰り出す袈裟斬り。だが、最早それは完全に鈍い。それでは只の──。

 

「真似事だぁっっっ!!!」

 

 腰から抜き取って横一閃。『黒の剣士』の刀を大きく弾く。そして直ぐ様に頭上に構え、集中を極限にまで高め、更に研ぎ澄ます。

 そして、『黒の剣士』を全力で──。

 

「はぁぁぁっっっ!!!」

 

 

 

 ──叩き斬った。

 

 

 

『ガッ……──』

 

 千冬の教えに習い、箒の姿に学んだその構え。それは一足目に閃き、二手目に断つもの。

 

 ──『一閃二断の構え』──。

 

 硬直し、紫電を全体に走らせる『黒の剣士』。その紫電はやがて大きくなり、真っ二つとなる。そこから現れるのは眼帯が外れて金色の目を露にする、血だらけとなったラウラ。

 

「おっと!!」

 

「────」

 

 一夏は倒れ行くラウラを直ぐ様に抱え込んだ。アザ等を残し、血が滲むその姿は酷く弱々しい。

 

「うわ、ひでえ傷……」

 

「──ガボッ……ゴホッ……」

 

「……っ!? 千冬姉っ!! 手当てをっ!!」

 

「っ!? ラウラァァァッッッ!!!」

 

 一夏の呼び掛けと共に千冬は駆け出していく。血溜まりの場には隆道と箒、そしてシャルロットの三人が取り残される。

 

「お、終わった、のか……?」

 

「やっと、ね……」

 

「「……はあああぁぁぁ」」

 

 終わった。漸く終わった。

 箒はその場にへたり込み、シャルロットはISを展開したままで寝そべる様に脱力してしまった。ほんの数分間とはいえ、今までの人生で最大級の極限状態だったのだ。隆道の血やら土埃やら涙の跡やらで身体中汚れまみれなのだが、今の二人にそれを気にする余裕など少しも無かった。

 

「はぁ……。兎に角、これで……?」

 

「……? どうし──」

 

 箒達はそこで気づく。動けなかった筈の隆道が立ち上がっている事に。その視線はあらぬ方向へ向いている事に。

 

「……柳、さん?」

 

「────」

 

 返事は無い。その視線の先には──何も無い。

 いや、そこには確かに()()がいる。視認出来るのは彼一人だけだ。

 

「……ハル」

 

 ──無理矢理起こしてごめんよ、ご主人。

 

「……待って、くれよ」

 

 彼は手を伸ばす。半透明な──ハルに向けて。

 

「行かないでくれ……俺は……!!」

 

 ──どうか、あの娘を許して欲しい。あの娘は機械に操られた、ただそれだけなんだ。

 

「何言ってるんだよ……!!」

 

 呆然とする箒とシャルロットなど知らず、彼は更に手を伸ばす。届きも、触れも出来ないのに。

 

「お願いだあ……!! 行くなあ……!!」

 

 ──大丈夫。ずっと、ずっと側にいるから。

 

「待っ──」

 

 彼の目だけに映ったハルは姿を消す。残るのは砂埃が舞う地表、ただそれだけ。

 

「……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっっっ!!」

 

 彼は慟哭した。それは宛ら少年がする大泣き。二人は彼の叫びに呆然とするしか出来なかった。

 今回の学年別タッグトーナメントにて起こった暴走事件は──終わった。




◆ハル(♂)
隆道の愛犬。享年十歳。
隆道の中学時代に女尊男卑過激派が殺害。
死後、動物霊として隆道に取り憑いている。

◆R.I.C.U.system『ハル』
『Resuscitation Intensive Care Unit』の略称。
動物霊のハルが『灰鋼』に介入した事で発現した蘇生兼生体再生システム。脳の損傷か頭部の切断以外で死亡、又は心停止で発動する。
発動すると五秒後に蘇生し、同時に人体を高速で治療。切断部位が付近に残っていれば接合する。
『悽愴月華』による死亡は発動不可。

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