殆どの人間がまだ起床してないであろう早朝。
ありふれた住宅街に一軒、コンクリートブロックに囲まれた比較的小さな一戸建ては異様な光景であった。
ブロックで作られた壁には様々な落書きがされており、その内容はその家の住人に対する罵倒の嵐。郵便ポストには手紙等がぎっしり詰まっており、家主が手をつけた様子はない。表札は落書きや傷などにより無惨な姿に変わり果てて苗字が見えないほどであった。
そんな家から出てくるのは一人の暗い顔をした女性が一人。スタイルの良いその女性はさらさらした黒のセミロングヘア。頭にバンダナを巻いて一般的なエプロンをかけており、その姿はまさに主婦そのもの。そんな彼女の両手には雑巾やバケツに加え、ペンキと刷毛を持っていた。
壁を見るなり悲痛な顔を出す彼女は、黙々と落書きされた壁を塗り始める。
「…………」
しばらくして塗り終えた彼女は雑巾と洗剤等を取り出し表札を力強く拭いていく。何度も拭いてようやく文字が浮かび上がり、先程まであった壁や表札の落書きがきれいさっぱり無くなったのは作業をして約三十分後だった。
「……ぐすっ」
作業を終え表札を見るなり涙を流す彼女は郵便ポストに詰まっている手紙等を引っこ抜き、重苦しい雰囲気で家に戻っていく。
その傷だらけの表札には『柳』と書かれていた。
IS学園の朝方。
朝早くに朝食を取る者や部活の朝練に励む者、寝坊してしまうのではないかという程未だに爆睡を続けてる者がいる中で一人、激痛に苦しみ藻掻く者がいた。
「ぐっ……あが……ぎ……」
胸を両手で押さえつけ苦しむ男、隆道は起床直後から押さえようのない激痛に教われていた。
昨晩あれだけの錠剤を過剰服用したのだ。身体への負担は尋常ではなく病院送りは間違いない。
だが、隆道は飲まずにはいられなかった。その鎮痛剤と精神安定剤は普段ならば用法用量を守り服用しているのだが、政府に拘束されて以降一度も服用していない。
常に身体の痛みと不安が襲い掛かり、拘束された日からIS学園の一日までを過ごした。
敵意と警戒心と憎悪と殺意。それに加え表情こそ出さなかったが身体の痛みと不安が付きまとっていた隆道はいつぶっ壊れてもおかしくないほどにボロボロだった。
故にその二つの錠剤を見るなり今までの分、いやそれ以上を一度に飲み込み苦しみからいち早く解放されたかった。
強力な代物のため速攻で効いたが、結果はご覧の有り様。その場しのぎの行動は余計に自身を苦しめる事になってしまった。
「あ……、はぁっ……」
ベッドから転げ落ち、ある場所へ這いずる。向かう先には錠剤の入った二つのプラスチックボトルの他に表記のない、付箋が貼られた金属のケース。
痛みで意識が飛びそうになりながらケースだけを手に取り付箋に書かれてる文字を読む。
『緊急用。身体の痛みが取れない時に服用してください。一粒厳守多用厳禁』
中身は分からない。しかし隆道にとってそんな事はどうでもよく、一粒取り出しそれを飲み込んだ。
「……っ!?」
飲み込んで数十秒。突如得体の知れない激痛が全身に襲い掛かり隆道はもがく。
「────!?!?」
それは声にならないほどの小さな叫びとなりしばらくのたうち回る。それが十数分ほど続き──ようやく止まった。
「はっ、はっ、はっ……」
先程までの痛みは全て消え失せ、その場でぐったりとなる彼。汗だくになり呼吸が安定はしていないが、それも徐々に治まる。
「…………」
漸く呼吸が安定し、身体を起こした後ケースをじっと凝視する。どういった成分が入ってるかは知らないが、なるほど。一粒厳守多用厳禁な訳だと隆道は納得した。
「……ああ、くそったれ。ぐっしゃぐしゃじゃねえか……」
荷物を整理した後直ぐ様ベットに身を任せた為に彼は着替えておらず、制服はシワと汗でぐしゃぐしゃになってた。
「……シャワー浴びるか」
時刻は既にSHR五分前。彼の遅刻は確定した。
二時限目の半ば。
隆道を除く生徒達はノートにペンを走らせる。
昨日の騒がしい光景とは違い皆真面目に授業を行っていた。一夏もそれに含まれる。
「…………」
必死にノートを取る一夏であったが、昨日の事が頭から離れないでいた。
隆道が所持していた本格的な医療キット、更にその中に含まれていた縫合セット。
何故そんなものを持ってたのか、何故使ったことがあるのか。普通ならそういった処置は外科医がするものだ。一般人がする事ではない。
(柳さん……)
アレを見てしまい、隆道からあそこまでの憎悪を感じてしまえば碌な人生を歩んでない事など鈍感な彼でも分かってしまう。
どうしても訊きたい、知りたい、そして力になりたい。しかし此方から足を踏み入れる事は出来ない。一体どうすればいいのだと思考をフル回転させるが、どうしても結論が出てこない。
「…………」
彼は朝食を取りに行く際、隆道に声をかけ一緒に行くつもりだった。
隆道の住む部屋のまで足を運びノックをしようとした所で──昨日の隆道から感じた不気味さを思い出してしまった。
震える手を引き、幼なじみが待つ部屋に戻る為にそこから逃げるように離れる。
彼とて感情のある生物だ。得体の知れない恐怖から逃げることもある。その不気味さから逃れるには、隆道から離れる必要があった。
(……くそっ)
言い様のない怒りを自身に向ける。隆道を置いていった自分が許せないのだ。何が力になりたいだと。隆道はまだ教室に来てない故に、それが一層怒りに拍車を掛ける。
途中から完全に手が止まってしまい考えに耽ってしまったが故に、一夏は目の前に立つ女性に気づかない。
「い゛っ!?」
「授業に集中せず考え事とはいい度胸だな、織斑」
そういって一夏に制裁を与え睨みを利かせる千冬。一番授業に追いついてない彼が叩かれるのは仕方の無い事であった。
「……ご指導ありがとうございます」
「まったく。……すまない山田君、続けてくれ」
「は、はい!えと、というわけで、ISは宇宙を想定して作られているので、操縦者の全身を特殊なエネルギーバリアーで包んでいます。また、生体機能も補助する役割があり、ISは常に肉体を安定した状態へと保ちます。これには心拍数、脈拍、呼吸量、発汗量、脳内エンドルフィンなどがあげられ──」
「先生、それって大丈夫なんですか? なんか、身体の中を弄られてるみたいでちょっと怖いんですけども……」
「そんなに難しく考えることはありませんよ。そうですね、例えば皆さんはブラジャーをしていますよね。あれはサポートこそすれ、それで人体に悪影響が出ることはないわけです。もちろん、自分のサイズのものを選ばないと、型崩れしてしまいますが──」
彼がいるにも関わらず女性にしか分からない事を言い出す真耶。あまり男がいる前でそういった事は言わないで欲しい。
そんな事を考えてるとふと、真耶と目が合う。自分が何を言ってるのか理解したのか彼女は数秒置いてから顔を赤くした。
「え、えっと、いや、その、お、織斑君はしてませんよね。わ、分からないですね、この例え。あは、あはははは……」
教室に微妙な空気を漂わせ、生徒は意識してるのか胸を隠すように腕組みをする。
ほんとにいい加減にしてほしい。俺が何をしたの言うのだと一夏は頭を抱えそうになった。
「んんっ! 山田君、授業の続きを」
「は、はいっ」
千冬の咳払いで真耶は正気に戻り、教科書を落としそうになりながらも話の続きを再開。
頼むからいちいち脱線して此方を困らせるような事はやめてほしいと一夏は思ったそうな。
「そ、それともう一つ大事なことは、ISにも意識に似たようなものがあり、お互いの対話──つ、つまり一緒に過ごした時間で分かり合うというか、ええと、操縦時間に比例して、IS側も操縦者の特性を理解しようとします」
ISにそんな機能があるのかと思考をリセットし再度必死にノートを取り始める。一夏は勤勉であった。
「それによって相対的に理解し、より性能を引き出せることになるわけです。ISは道具ではなく、あくまでパートナーとして認識してください」
真耶の説明に多くの生徒が理解するが、一人の生徒は彼女に質問を投げる。
「先生ー、それって彼氏彼女のような感じですかー?」
「そっそれは、その……どうでしょう。私には経験がないのでわかりませんが……」
赤面してうつむく真耶を尻目に、生徒達はきゃいきゃいと雑談を始めだした。
こうなると一夏は完全に蚊帳の外だ。もう、早く授業終わらないかなと一夏は時計を見ながら頬杖をついた。
授業がまもなく終わろうとしたその時──教室の扉が開く。
「……? ……ひっ!?」
突如、生徒の一人が小さな悲鳴を上げ出した。誰が入ってきたんだと一夏は首を向けると、そこには隆道が。先日と変わらずの無表情だが、敵意と警戒心は相変わらず。あの時感じた不気味さは無くなっていた。
「や、柳君!? 今までどこ行ってたんですか!? もう二時限目終わっちゃいますよ!?」
真耶はSHR時点で隆道がいない事に心配していた。
SHR終了後直ぐ様隆道の部屋に行き様子を見に行くが一切の反応がない。マスターキーを使うという手段はあるが、それをする事に躊躇してしまったのだ。
踏み込んでいいものか、今入ってしまったら自分はとてつもない物を見てしまうのではないかと。
故に、真耶は彼をそっとしておく選択をする。彼は望んでここに来てる訳ではない。むしろ絶対に来たくなかったはずだ。
先日、千冬が諭した言葉を思い出すが、隆道には言ってはいけない言葉だと真耶は当時感じていた。きっと今後部屋に閉じ籠るだろう、そう考えてた矢先に彼は遅れながらも来たのだ。意外なことこの上無かったが、来てくれた事に嬉しさもあったので咄嗟に声を掛ける。
だが彼は当然にこれを無視。そのまま自身の席に座り足を組む。女性全員を敵視している隆道が真耶の心情なぞ理解出来る訳がなかった。
そんな隆道だが、今日は心なしか昨日よりかは雰囲気が軽く見える。少なくとも彼はそう感じた。
だが、他の生徒は違う。昨日の一件により完全に恐怖を植え付けられており、小さく悲鳴を上げる者もいれば視界にすらいれようとしない者まで。そこには『強い女性』は誰としていなかった。
完全無視された真耶であったが、ここで諦める訳にはいかない。そう決心し再度声を掛けようとするのだが。
──が、しかし。
「あっ。えっと、次の時間では空中におけるIS基本制動をやりますからね」
授業終了のチャイムによって遮られてしまう。真耶と控えていた千冬は次の授業に控え、教室を出るしかなかった。
「ねえねえ、織斑君さあ!」
「はいはーい、質問しつもーん!」
「今日のお昼暇? 放課後暇? 夜暇?」
真耶と千冬が教室から出た直後、生徒の半数が一夏の席に詰めかけきた。中には昨日嘲笑ってた生徒もいる。それに対し一夏は不愉快を覚えた。
そんな事よりもと、遅れてきた隆道が気になり生徒達に軽く謝りながら押し退けて隆道のもとへ向かう。
「お、おはようございます。柳さん」
「おう、おはようさん」
その声は現在一夏にしか向けてない優しげなもの。やはり昨日の不気味さは一切感じられず、敵意と警戒心も薄れている。何かあったのかと一夏は思った。
「てっきり来ないのかと思ってましたが……」
「ああ、シャワー浴びてなんやかんやで遅れた」
「え、えぇ……」
それだけでこんなにも遅れるものなのか、当然な疑問が浮かぶが、一夏は訊かないことにした。
「そんなことよりいいのか。お前んところに結構集まってたが」
「あー……、大丈夫です。こっちで会話してた方が気が楽ですし」
一夏は隆道が来てくれた事に心から感謝していた。
もしあのまま隆道が来なかったら生徒たちから質問攻めにあっていたからだ。
「……?」
ふと、一夏は隆道の右手首にある物が目につく。それは腕輪のようなもの。Yシャツの袖に隠れてて今まで気づかなかったが、それはチラリと顔を覗かせていた。
「隆道さん、その……腕輪みたいな物は」
「ああ……これか、気にしなくていい」
そう言って袖を伸ばしそれを完全に隠す隆道。触れてはいけないものだと直ぐに察知し、話を変えることにした。
「ところで織斑、お前のISだが準備に時間がかかる」
「へ?」
「予備機がない。だから、少し待て。学園で専用機を用意するそうだ」
「???」
休み時間が終わり全員が席に着いた直後、千冬からいきなり言われた一言に一夏は変な声を出してしまい、その後の説明に疑問を露にする。
予備機がない? 専用機? いったい何の話だと一夏は質問しようとするが、生徒の驚愕によりそれは遮られる。
「せ、専用機!? 一年の、しかもこの時期に!?」
「つまりそれって政府からの支援が出るってことで……」
「ああ~いいなぁ……。私も早く専用機欲しいなぁ」
どういうことかまったく分からない。一夏がそんな事を考えてると、顔に出てたのか千冬は見るに堪えかねなかったのかため息混じりに呟く。
「教科書六ページ。音読しろ」
「え、えーと……『現在、幅広く国家・企業に技術提供が行われているISですが、その中心たるコアを作る技術は一切開示されてません。現在世界中にあるIS467機、その全てのコアは篠ノ之博士が作成したもので、これらは完全なブラックボックスと化しており、未だに博士以外はコアを作れない状況にあります。しかし博士はコアを一定数以上作る事を拒絶しており、各国・企業・組織・機関では、それぞれ割り振られたコアを使用して研究・開発・訓練を行っています。またコアを取引することはアラスカ条約第七項に抵触し、全ての状況下で禁止されています』……」
「つまりそういうことだ。本来なら、IS専用機は国家あるいは企業に所属する人間にしか与えられない。が、お前の場合は状況が状況なので、データ収集を目的として専用機が用意されることになった。理解出来たか?」
「な、なんとなく……」
一夏はなんとなくと言ったが一つだけ、頭にこびり付いた単語があった。
『データ収集を目的として』
それは自身が実験体ということである。つまり自分はモルモット。
嫌な響きだと一夏は感じた。隆道の気持ちになった訳ではないが、確かにこれは来たくなくなる気がする、そう思わずにはいられない。
そのときふと、疑問に思った。隆道はどうなのかと。
彼が乗るとは思えないが、それが通用するのかと思えない。隆道本人がいる前で訊くのもどうかと思い胸にしまった一夏だが───。
「あ、あの。それじゃあ、や、柳…さんは」
訊かずにはいられなかったのだろう、一人の生徒が質問を持ち出す。一夏がそうならば隆道はどうなのだと。
もっともな事であるが、隆道がいる今、それはまずい。
「……柳は──」
「乗らねえぞ」
千冬が言いかけたその時、遮る様にドスの利いた声で隆道が一言。その声からは凄まじい拒絶を感じる。
「誰がISなんか乗るか。聞いた限り実験体じゃねえか。保護だのなんだの言っときながら結局それか。だから嫌なんだ、お前らのような奴は」
そう言って隆道は、もう話すことは無いと言わんばかりに外を眺めだした。
彼は予想をしていた。IS学園に連れてこられた目的は保護を名目とした監視、または実験体だと。
結果は予想通り。自分に専用機が来る事なぞ、実験体になれなんて全くもって冗談じゃない。
千冬が決めたことではないが、またしても彼女と彼にとの間に溝が出来てしまう。
彼をISに乗せることは千冬も反対ではあるが、政府は、世界がそれを認めない。世界最強であれど所詮は只の称号であり、現在は只の教師。世界には逆らえない。
どうしたものかと千冬は思考を巡らせるが、隆道によって重苦しい空気と化した中、またしても彼女に質問を持ち出す生徒がいた。
「あの、先生。篠ノ之さんって、もしかして篠ノ之博士の関係者なんでしょうか……?」
篠ノ之なんて苗字なぞそうそういない。いつかはバレる事だと一夏は思う。
──篠ノ之
ISをたった一人で作成、開発させた稀代の
千冬の同級生であり、そして篠ノ之箒の実姉。一夏は何度も会ったことがある。
そしてその天災と呼ばれる篠ノ之束は今現在──行方を眩ませ指名手配されている。
「そうだ。篠ノ之はあいつの妹だ」
いずれバレる事からなのか、それをあっさりと肯定する千冬。個人情報をバラしていいのかと一夏は思うが、いつかは箒に詰め寄る人物が現れてもおかしくない以上、今言ってしまった方が良いのかとも思考する。
「ええええーっ! す、すごい! このクラス有名人の身内が二人もいる!」
「ねえねえっ、篠ノ之博士ってどんな人!? やっぱり天才なの!?」
「篠ノ之さんも天才だったりする!? 今度ISの操縦教えてよっ」
授業が始まっている時間にも関わらず箒の元に集まる生徒達。端から見るとおもしろい光景かもしれないと一夏は一瞬思ったが、さっきの自分と照らし合わせてそれを止める。
有名人の関係者という理由で詰め寄られる。本人からすればたまったものじゃない。
それを知らずか生徒達は箒にあれこれ質問責めするが──。
「あの人は関係ない!」
突然の大声。箒に群がっていた生徒達は面食らった表情をし、何が起こったか分からない様子になる。
「……大声を出してすまない。だが、私はあの人じゃない。教えられるようなことは何もない」
そう言って、箒は隆道と同じように窓の外に顔を向けてしまう。
生徒達は盛り上がった所に冷水を浴びせられた気分になり、それぞれ困惑や不快を顔に出して席に戻っていく。
人を個人で見ない生徒達を見て、勝手だと一夏は思った。そして一つ疑問が浮かぶ。
(箒って束さんのこと、嫌いだったっけ……?)
一夏は記憶を探るが、二人が一緒にいた光景がどうしても出てこない。箒に束の話を振るといつもそこで会話が終わる事を思い出し、考えるのをやめた。
「さて、授業を始めるぞ。山田先生、号令」
「は、はいっ!」
真耶も箒の事が気になるが、今は授業を優先しようと彼女は号令を出した。
誰も気づかなかった。『篠ノ之博士』という名前に強く反応した隆道に。
「安心しましたわ。まさか訓練機で対戦しようとは思ってなかったでしょうけど」
午前授業が終わり、一夏は一緒に食堂へ行こうと隆道の元へ向かおうとするが、セシリアによって阻止される。
「まあ? 一応勝負は見えてますけど?さすがにフェアではありませんものね」
「? なんで?」
「あら、ご存知ないのね。いいですわ、庶民のあなたに教えて差し上げましょう。このわたくし、セシリア・オルコットはイギリスの代表候補生……つまり、専用機を持っていますの」
「へー」
「……馬鹿にしていますの?」
知るか、今はそんな事どうでもいい。そんな事より柳さんと食堂に行く方が大事だと一夏は言いたくなるが、そんなこと言ったら余計拗れるのは目に見えてるのでグッとこらえる。
「……こほん。さっき授業でも言っていたでしょう。世界でISは467機。つまり、その中でも専用機を持つものは全人類六十億超の中でもエリートなのですわ」
此方はさっさと食堂に行きたいのにそのドヤ顔を続けるセシリアを見て苛立ちが募り──一夏はちょっと彼女を馬鹿にしてみたくなった。
「そ、そうなのか……」
「そうなのですわ」
「人類って今六十億超えてたのか……」
「そこは重要ではないでしょう!?」
勢いよく一夏の机を叩くセシリアは昨日と同じく顔を真っ赤にさせる。これを面白く感じてしまった一夏はもう少し続けることに決めた。
「あなた! 本当に馬鹿にしていますの!?」
「いやそんなことはない」
「だったらなぜ棒読みなのかしら……?」
「なんでだろうな」
馬鹿にしてるからに決まってるだろ。早くどっか言ってくれと一夏は思う。
ちなみにこのやり取りは隆道にも当然聞こえており、一夏の心情を察知した彼は、やっぱりあのイギリス人は馬鹿だと確信していた。
「ぐ……。……そういえばあなた、篠ノ之博士の妹なんですってね」
埒が明かないと悟ったのか、何故かセシリアは矛先を箒に向ける。敵を作ることにかけては彼女は天才なのかもしれない。
「妹というだけだ」
これを箒は鋭い視線で迎撃。本気の凄みを受けたセシリアはこれに怯む。昨日の今日で学習しないのかと、やっぱりコイツ馬鹿だと一夏も確信した。
「ま、まあ。どちらにしてもこのクラス代表に相応しいのはわたくし、セシリア・オルコットであるということをお忘れなく」
男子二人に馬鹿認定されたとは知らず、セシリアは自身の髪を払い綺麗に回れ右をし、そのまま立ち去っていく。その動きはモデルを思わせるほど様になっているが、馬鹿認定している二人にとってそれは間抜けなようにも見えた。
やっと帰ったかと、一夏はため息を吐きながらも隆道の方へ向かう。
「また絡まれるとか、女難の相でもあるんじゃねえのか」
「否定出来ないですね、それ……。それよりも、飯食いに食堂行きません?」
やっと食堂に行ける。昨日は一緒に食事が出来なかったのだ。今日こそはと意気込む一夏だが、彼はそれを断った。
「いや、俺はいいわ。それよりもアイツと、篠ノ之と行ってやれ」
「え……? でも」
「野暮用があるんだ、悪いな。それにさっきの事もあるだろ」
隆道の言うさっきの事とは、箒が篠ノ之博士の実妹と知られた件についての事。そのおかげで彼女は妙に浮いており、いずれ孤立してしまうだろう。
(フォローしてやれ、そう言ってるんですか?)
「そういうことだ、授業が始まる頃には戻るから心配すんな」
一夏の心情を読み取ったのかどうかは分からないが、そういって隆道は立ち上がり教室を出る。
「………」
この時一夏は感じていた。今の隆道は箒に対して敵意を向けていないのだ。生徒はもちろん、教師の二人、しかも片方は自分の姉であり世界最強でさえあれほどのものだというのに。
「………また、一緒に食えなかったな」
野暮用とはなんだろうかと、そう思う一夏。しかし、まだ入学して二日目なのだ、機会はいくらでもあると断念し箒に声を掛ける。
「箒、飯食いに……箒?」
「………? あ、ああ。……なんだ?」
「いや、飯食いに行こうぜ」
「あ、ああ……」
そういって二人は教室を後にする。
この時、箒はある違和感を持っていた。
(なんだ……、何かひっかかる……)
それが何なのかは箒は分からない。
訳の分からない違和感を拭い、彼女は一夏と共に食堂へと向かった。