この世界には〝天竜人〟と呼ばれる世界貴族が存在している。
世界を創造した王たちの末裔である彼らは〝神〟とされ、傷一つ付けようものなら海軍から〝大将〟が軍艦を引き連れて報復にやって来る。
そのため一般人はもちろん、自由を謳う海賊ですら天竜人の前には跪き、何をされようと―子供を殺されようと、仲間を奪われようと―逆らうことはできない。
それが常識。絶対的な正義で、法律である。
―――それを守らないものは何時の時代にも存在するもので。
特に古い記録は50年前。
とある天竜人の一家が、護衛の兵士共々皆殺しにされる事態が起こったのだ。
海軍が駆け付けた時には下手人は居らず、事件を目撃しているはずの人々からは何の情報も得られなかった。
曰く、『消しゴムで消されたかのように、記憶に残っていない』。
ならば映像電伝虫と思ったが、何故か犯人の姿は映っていなかった。
気味の悪い爪跡を残して消えた犯人を海軍は天竜人の圧力を受けつつ、プライドを懸け、ついに匿名の情報のもと手配書の作成に成功した。
写真は火皿に蝶の模型が付いたデザインのキセルと、それを持つ手のみ。
通り名は〝神殺し〟。
天竜人の要望で『ONLY ALIVE(生け捕りのみ)』とされ、懸賞金は『LEAVE DESIRE(望むままに)』である。
名は、ランドワーカー・ハロルド。
誰もが恐れる、『世界最低の大犯罪者』である。
* * *
「ずいぶん騒がしいな…何事だ?」
「ああ。何でもあの〝神殺し〟がこの島にいるらしいぜ?」
とある島のとある酒場。
窓から海兵の姿を見た客の疑問に、店主は答えた。
「神殺しってアレか。…あの、アレ」
「何だ知らねぇのか?天竜人を殺したクレイジー野郎だよ。…正直、胸のすく話だけどな」
最後の方は囁くように言って、店主は悪戯っぽく笑う。
客は片眼を閉じ、持っているグラスをゆっくり揺らした。カラン、と中に入っている氷がぶつかり合って音が鳴る。
「天竜人は嫌いか?」
「好きな奴なんていねぇだろ」
「じゃあ神殺しは?」
「そりゃあ英雄さ。新聞読んで、ガキながらザマァみろって大喜びしたぜ」
豪快に笑う店主。―――その鼻先に、苦い匂いの煙がかかる。
タバコでも吸い始めたかと思い、客の手元を見て―――激しい既視感に襲われた。
雁首は黒字に金模様。火皿には羽を休めているかのような蝶の模型が付いており、持ち手は銀色で細長く、吸い口は白地に金模様。
一目見て上物と分かるキセルだ。目が離せない。
「へェ…。ずいぶん、その、イイモン持ってんな」
「まぁな。ワノ国の名工が作ったモンさ。買えば1千万ベリーは軽くするな」
「1千万…そりゃスゲェ…」
思っていたよりもはるかに高価な代物だ。しかし、値段の衝撃よりも脳裏にちらつく既視感の方が強かった。
どこかで見たことある。―――そうだ、コレは。
五十年前にばら撒かれた、天竜人一家殺害という世界を震撼させた号外。
海軍が全力を尽くし、ようやっと公表された〝神殺し〟の唯一の手掛かり。
今だ新聞に挟まれる手配書に載っているものと全く同じもの―――――。
「で、出たァああああ!!」
「おい、何の声だ!」
思わず出た声は想像以上に大きかったのか、外にいた海兵達が店に入ってきた。
「か、〝神殺し〟だ。神殺しがいるんだよォ!」
「何!?どこだ!」
「ホラ、ここ―――」
店主が指差す目の前のカウンター席。
しかしそこにあるのは空になったボトルと水滴が滴るグラスだけで、人の姿はなかった。
「誰もいないじゃないか!」
「いや、逃げたんだ!裏に回れ、店周辺を固めろ!」
上司と思わしき海兵が周りの部下に指示を出し、散らせると店主に近づく。
「オイ、本当に〝神殺し〟がいたんだな?」
「間違いねぇよ!手配書に載ってたものと同じモン持ってたぜ!」
「そうか。顔は?身長は?どんな奴だった?」
店主は見たままの特徴を挙げようとした。――――が、できなかった。
思い出せない。
目の前に座って、言葉を交わしていたというのに。
まるで消しゴムで消されたかのように、何も思い出せないのだ。
どんな顔だったか。どんな声だったか。どんな姿だったか。男だったか女だったか、それすらも。
「―――ああ、やはりか」
店主の困惑した様子に海兵は残念そうに顔をしかめると、口を開く。
「アレはそういう存在だ。どういう訳か奴は誰の記憶にも、映像にも残らねぇ。どんな目でも捉えることができねぇ。あのキセル以外、奴と認識できるものはない」
海兵は吐き捨てるように言うと、店から出て行った。
「おーい、この酒もらっていくぜ」
海兵達が出て行ってすぐ、客―――ランドワーカー・ハロルドはカウンター下にある棚から1番高い酒を取り出した。
「アンタにとっておれは英雄だからな。感謝のしるしとしてもらっておく。いやー悪いね」
フゥーと煙を吐き出しながら、ハロルドは何食わぬ顔で店を出た。
そこで店主はあることに気が付いた。
「…あ、無銭飲食だぁ!」
* * *
「いや、潤ったなァオイ」
左手に酒瓶、右手にキセルを持ったハロルドは嬉しそうに大きな呟きを零す。
「しっかしお前らもしつこいねぇ。もう50年は経ってんのによぉ」
すれ違う海兵達に対し、ハロルドは煙と共に溜め息を吐き出す。
少し特徴を出せばすぐにやってくる。
何年経っても変わらない対応だ。正直もう飽きた。
「あーあ。やっぱり情報なんざ送るんじゃなかったな。いやでも、金欲しかったしなァ…」
手配書の名前と写真。
あれは金を使い果たしたハロルドが、情報提供料金目当てに海軍に自ら送ったものだった。ちなみに情報1つにつき1億ベリー。ハロルドは2つ提供したからと勝手に金庫に入り、2億ベリーかっぱらっていた。ハロルドがいなくなった後の換金所は突然大金が消え、阿鼻叫喚になっていたという。
何度目かの煙を吐いたところで―――右腕を掴まれて路地裏に引っ張り込まれた。
「あ?…何だ、お前らか」
そこには、二人の人物がいた。
一人は右目が隠れた黒髪の少年で、眼鏡越しにハロルドを見つめる目はとても厳しい。
もう一人はウサギ耳の付いたフードを被った白髪の少女である。こちらも少年同様ハロルドにジトっとした目を向けている。
少女の肩にはコウモリの羽をもつ、2頭身にデフォルメされたウサギのような生物が乗っており、動物らしかぬ冷たい視線を送っている。
「何だ、じゃないですよ。これじゃ出発できません」
「ハルちゃんずるい。一人だけ海軍と遊んで」
「シエルちゃん、そっち?そこなの?」
はぁ、と少年は溜息を吐く。
「海軍からかったりしたらお尋ね者だよ。そうなれば賞金稼ぎ稼業も終わりだよ。収入源丸々なくなるよ」
「大丈夫。リミゼなら私たちを養えるって信じてるから」
「何で僕だけ働いてるの。絶対嫌だからね」
リミゼの返答にシエルは小さく舌打ちした。リミゼ達にとっては慣れた反応であるため、スルーされているが。
「ハルちゃん、私ドライフルーツパフェ食べたいからおごって。それで今回の事はチャラにするから」
「あ、いいね。じゃあぼくは海獣ステーキで」
「キキキッキキキ!」
「はっ倒すぞクソガキ共」
「「いいからおごれ」」
二人はハロルドの腕を掴むと表通りに引っ張り出した。
その様子、その後の騒がしさを、島民も海兵も気にすることはない。
誰の目も気にせず騒ぐ彼らは、今この島の中で一番〝自由〟を謳歌していた。
* * *
ランドワーカー・ハロルドは捕まらない。
どれ程必死に探しても、彼はするりと通り抜けていく。
もし、あなたの隣でキセルを吹かす者がいたら。
それは、彼かもしれない。
終わり方雑だなぁ……。