〝ブルーマン・オブ・ザ・グランド〟は100年以上前から続く恐怖の現象だった。気づかぬ間に侵入して、気づかれないままものを盗っていって、いつの間にかいなくなっているため、対策を取ろうにも取れず船に乗る者たちは歯噛みするしかなかった。―――それは、白ひげ海賊団も同じだった。
「おい、またなくなってるぞ!」
「ウソだろ!?鍵はちゃんと閉めたぞ!」
ただ他の船と違い、船長の白ひげはこの現象を引き起こせる人物に心当たりがあった。
随分昔に出会った、ぬらりくらりと捉えどころのないあの男。
今では世界中に名を知られている、〝世界最低の大犯罪者〟。
「出てこい、ハロルドォオオオオオオオオ!!」
パニックの中、叫ばれた名前。
突然のことに凍り付く船員たちに―――目を疑う光景が飛び込んできた。
甲板の中心に黒い霧が発生し、そこから1人の男が現れた。酒瓶を片手に現れた男は年若く、20代後半といったところか。
空になった酒瓶を海に捨てると、男は気だるそうに口を開く。
「人の名前を大きな声で叫ぶんじゃねーよ。クソガキ」
そう言って男―――ランドワーカー・ハロルドはニヤリと笑った。
* * *
「随分と久しぶりじゃねぇか。何年ぶりだ?」
「さーなぁ。忘れた」
食堂から甲板に移動して食事を再開させる白ひげ海賊団。
ハロルドもまた、白ひげの隣で酒と食事を楽しんでいた。その勢いに遠慮はない。
「それにしても、お前のところはいつ来ても人で一杯だな」
「当たり前だ。全員おれの愛する息子だぜ?死なせるわけねェだろ。…お前は相変わらず1人か?」
「あー…いや、何かいた」
ハロルドの言葉に白ひげは目を丸くする。それほどまでに予想外な返答だったのだ。この男からそんな答えが返って来るとは。空から槍でも降りかねない。いや、ありえるだろう。何故ならここは〝新世界〟なのだから。
「グララララ!ついにオメェも〝家族〟を持つようになったか!」
「家族じゃねーよ。勝手について来てただけだ。まぁ…同居人みたいな?」
「そうかい。…で、その同居人は?」
「あ?知らねーけど」
会話を聞いていた者たちの動きが止まった。それに対しハロルドは気にせず続ける。
「起きたらイカダの上で漂流しててなァ。邪魔になったから船を奪って海に流したってところだろうな」
何でもないような顔で言っているが結構ヘビーだ。裏切りと取れる行為ではないのか。
「何だァ捨てられたか」
「まぁな。どうでもいいけどよ」
『いいのかよ!?』
ユニゾンしたツッコミを喰らい、ハロルドは目を瞬かせる。
「あ?何が?」
「いや、いろいろ!」
「裏切られたも同然じゃねーか!」
「裏切りじゃねェだろ。別にお前らみたいに親子の杯交わした訳じゃねーし。言ったろ同居人だって。邪魔になったら捨てるさ」
本当にどうでもよさそうだった。
下手をすれば死んでいたかもしれない仕打ちを受けたというのに、その表情や声音には怒りも悲しみもなかった。
強いていうなら、諦観だろうか。
せいぜい「イカダでグランドラインはきついな」くらいである。
―――――そう、思っていた。
「…何か来るな」
ハロルドの視線の先に、豪快な水飛沫を立てながら近づく何かがあった。
双眼鏡で確認していた船員が戸惑ったような声をあげる。
「船と…ウサギか?」
中くらいの船がすさまじい勢いでやってくるのは、船を引っ張る生物がいたからだった。大きなコウモリようなの羽をはばたかせているが、どこからどう見てもウサギである。
あと数メートル、というところで船から1つの影が飛び出した。赤色の番傘を携え〝モビー・ディック号〟の縁に降り立った人物に船員たちは警戒し、構えを取る。
ウサギ耳の付いたフードを被っているうえに俯いているため顔はわからない。
その俯かせた顔が露わとなった時、船員たちは一瞬動揺した。
フードから覗く真っ白な髪と深紅の瞳。侵入者の正体は、随分と幼く可愛らしい少女だった。
とはいえ、見た目で敵を侮るのは三流の海賊がすること。警戒の目で少女を見据えるのは流石白ひげ海賊団というべきか。
少女はぐるりと周囲を見渡して、ハロルドに視線を固定すると、持っていた傘の先端を向けた。
その構えはまるで、銃のようで―――――。
ドガガガガガガガッ!!
機関銃のごとく傘から銃弾が発砲される。
ハロルドはさっと避けたが、その代償に甲板に穴が開く。それに焦るのは船員たちだ。家である船が傷つけられたのだから。
「やめろぉ!!」
今だ発砲する少女を止めるべく5番隊隊長、ビスタは剣を抜いた。
横薙ぎに振るわれた剣を、少女は大きく跳躍して躱した。太陽を背に再び傘を構えるが、更に後ろに誰かが現れる。
「調子乗ってんじゃねェよい!」
青い炎の翼をはためかせて、マルコは鉤爪に変化した脚で蹴りかかった。ただ跳躍しただけの少女では、空中で避ける術はない。何とか身を翻し傘で受け止めるも、そのまま海に向かって簡単に吹き飛ばされてしまった。
「キキキーッ!」
海に落ちる直前で、あの謎の生物が少女をキャッチしてマルコの高さまで上昇する。
「へェ。よく躾けられてるよい」
マルコの言葉に少女は笑みを浮かべる。その笑顔は肉食獣を想起させた。
「(あの歳で覇気を纏うとは…。末恐ろしいね)」
こんな幼い少女が覇気を使いこなすという事実に、マルコは内心冷や汗をかく。どこの手のものかは知らないが、早めに対処しなくては。と、追撃を加えようとした時だった。
「ちょっと何してるのシエルちゃん!」
下にある船から、少年の声が響いた。少女と同様に飛んでやって来たのは、髪で右目が隠れた眼鏡の少年だった。
「すみません皆さん!ぼくの連れが、いえ、連れたちがご迷惑をおかけしました!本当に申し訳ありません!」
ペコペコ頭を下げる少年。放っておけば土下座せん勢いだ。というかした。これまた見事な土下座だった。
「何してるのシエルちゃん!早く降りて謝って!」
「…そんなデカい声出さなくても聞こえているわよ、ぷっつん眼鏡」
むくれた表情で呟くと、少年の隣に降り立ち「ごめんなさい」と頭を下げる。
その様子を見て、白ひげはからかうようにハロルドを見た。
「何だ。お前の連れのわりには随分素直でしっかり者じゃねェか」
「…まぁな」
「本当に申し訳ありませんでした!」
「いや、もういいよい…」
頭を下げる少年の後ろには「私は人様に迷惑をかけました」と書かれた板を首から下げて正座する少女と、船の縁に逆さまで吊り下げられている男がいる。何故そうなったかというと、少女―――シエルが襲いかかった理由が「何となく」であったこと、ハロルドが「お前そんなに怒って疲れないの?」と言ったことに切れた少年が行動を起こした結果である。曰く、「今後何となくが原因でこんな胃を痛める思いしたくない」「ぼくの怒る理由9割占める人にそんなこと言われたくなかった」とのこと。
「もういいってよー。いい加減助けてくれ」
「黙ってください。ロープ切りますよ」
「リミゼ~私足が痺れて爆発しそう…助けて…」
「クラムチャウダー、シエルちゃんの足触診してあげて」
「キキー!」
クラムチャウダーに脚をつつかれて痛いと叫ぶシエル。たとえ懐かれていてもイタズラの手からは逃れられないのだ。その様子を見てリミゼは静かに笑みを浮かべた。
大人しそうな外見とは裏腹に随分と容赦のない少年だ。ハロルドが漂流していた理由も、貯金すべてをギャンブルで散財したことに怒ったリミゼの手によるものだった(それに関しては少女も参加していたが)。
「それにしても、よくここがわかったな」
「はい、コレがありますから」
サッチの質問に、首に下げられているスクエア型のロケットから小さな白い紙を取り出した。紙の正体はビブルカードだ。爪を材料に作られる紙は、その爪の持ち主の居場所と生命力を示す。人探しにはもってこいな紙である。
それにしても、あの神殺しのビブルカードとは。
「海軍が喉から手が出るほど欲しいモンだよな…」
天竜人の殺害という大犯罪を犯しておきながら、長い時間逃げおおせている人物の居場所を確実に教えるものだ。海軍からすれば悪魔の実よりも価値があるものだろう。
「はい。だから失くしたと思うとゾッとします」
ビブルカードをしまい直す手つきはどこか優しい。何だかんだ言いつつも大切に思っているのだろう。―――イカダで漂流させたり、海に向かって逆さ吊りさせたりしているが。
そのことを尋ねれば、笑顔が返ってきた。
「死んでほしいとか、いなくなってほしいとか、離れたいとかは思わないんです。ただ―――殺意が湧くだけなんです」
* * *
どうせだからのんびりしていけという言葉に甘え、ハロルド一行は白ひげ海賊団で一夜を過ごすことになった。リミゼは恐縮しつつも興味深い冒険談を聞き、シエルは次々と料理を消費していく様をドン引きされていた。
ハロルドは白ひげと共に船長室で酒を飲んでおり、聞こえてくる喧騒に呆れた声で呟く。
「あいつら楽しそうだな…」
「あのガキ共、お前そっくりだな」
「あ?どこらへんが?」
「眼鏡のガキの容赦のなさ、白いガキの遠慮のなさ。―――――大物を目の前にしても自分のペースを貫くところなんか、な」
―――――そうだろう、幻野郎。
「…何だァ気づいてたの」
「あたり前だ。お前さっきから何も口に入れてないだろ」
白ひげが気づいたのはそれだ。どれ程精巧な幻を作ろうとも所詮は幻。飲食するフリはできても本当に料理や飲み物が減るわけではない。あの男が今更遠慮などするわけがないのだから、減らないとすれば違和感を覚えるのは当然の事だった。
「で?お前の本体はこのおれを放って何してんだ?」
「いや…ちょっと釘を刺しにな」
モビー・ディック号と係留された船――〝ジャック・ファントム号〟に1人の男が足を踏み入れる。鍵のかかっていない不用心な扉を開け、そこにある棚を漁っていく。急いでいるのか、少々手つきが乱暴だった。
「―――お前の探し物ならここにはねェよ」
背後からかけられた気だるげな声にビクリ、と侵入者は体を揺らす。振り向けば、いつの間にかこの船の主が壁にもたれかかっていた。
「残念だったな。アレはあいつが持っている分しかない。予備なんてもんはねェのさ」
紫煙混じりの張り詰めた空気が2人の間に漂う。沈黙を破ったのは主の舌打ちだった。
「まぁ別に構いやしねーよ。お前がおれに何をしようと、お前が何の野心を持っていようと興味はねェ。ただな、おれの連れに何かしようってんなら―――――覚悟しろよ」
キセルを咥えながら再びモビー・ディック号に戻る後姿を、侵入者―――ティーチは大量の冷や汗をかきながら見送った。
最後の言葉を告げる時、一点集中で向けられた濃密で、爆発的な殺気と覇気。そして―――――胸を木刀で貫かれる幻を見た。
「ゼハハハハハ…あの神殺しにそんな弱点があったとはな」
恐怖で逸る心臓をおさえ、ティーチは笑みを浮かべた。
ビブルカードこそ手に入れられなかったが、枷になる存在を知ることができた。
なら今は―――――それでいい。