水母棲姫との戦闘中、最悪な選択を迫られた私、朝潮。深海艦娘となった大潮の自殺を止めるためには、私が深海艦娘とならなくてはいけない。これが罠であることも皆理解している。しかし、ここで拒んでしまうと、助けられる可能性がある大潮がこの場で命を落としてしまう。
選択肢なんて無かった。私は一歩前に出る。
「姉さん……」
「霞、わかってるわよね」
「……ええ」
涙目の霞の頭を撫でて水母棲姫の前に立つ。隣の大潮が鎖を差し出してきた。
「クツジョクテキデショウ。タカガイモウトノタメニナカマヲウラギルナンテ」
水母棲姫の減らず口は流し、一呼吸。皆の見守る中、私は無言で鎖を掴んだ。
「ッハ、ハハハハハッ! オオシオ、ジサツシナサイ!」
「約束と違うじゃない!」
「ミカタヲウッタノニイモウトモシヌノ! サイコウニクツジョクテキデショウ!」
さらなる絶望を与えようとしてきた。が、大潮は動かない。水母棲姫の命令を聞かない。
「オオシオ、ナニヲシテルノヨ。シニナサイ」
「誰がそんなサゲサゲなことするかー!」
主砲を水母棲姫に向けて発射。すんでのところで躱されたが、想定外の不意打ちに水母棲姫の表情が醜く歪んだ。
「ナンデ……!?」
「こういうことですよ」
ここまで、
「クサリガチギレテイル……!?」
「学習しない人ですね。前回貴女は何にしてやられたんですか? まさか忘れましたとは言いませんよね」
「……!? センスイカン!?」
海中から腕だけが2本現れ、水母棲姫の下半身、大口を開けた艤装の口内に主砲を叩き込む。舌でガードする事もままならず、内部破壊が発生。
「戦艦の方々! お願いします!」
「任せるネー! 全砲門! Fire!」
「砲撃開始!」
「Feuer!」
戦艦棲姫と同様、内部破壊さえ起これば外装も弱くなる。さらに、想定外が連続したからか行動予測がままならない。金剛さん、榛名さん、ビスマルクさんによる砲撃を回避することができず直撃。下半身の艤装は完全に破壊された。
「うちの潜水艦は特別製なんですよ。海中で主砲が撃てるんです」
「ぷはーっ! いい仕事したの!」
「潜水艦の面目躍如だね!」
海中から出てきたのはイクさんとしおいさん。これが私の想定し、司令官が計画した、誰もが無傷で終わるための最善の方法。
水母棲姫が私を深海艦娘にしようとするのは読めていた。艦娘としての矜持をへし折り、最も屈辱的に、かつ自分達の利益になるように排除する方法なんてそれくらいだ。無様に殺されるより余程精神的なダメージが大きい。何せ、味方を見殺しにするのだから。
だからこそ、そのタイミングが一番隙だらけだ。勝ったと思った瞬間が、一番気を許す。そこに全てを賭けた。
潜水艦2人と通信していたのはガングートさんだ。私の動向を見ながら指示をし、鎖の破壊を確定したところで私に合図を出した。あの『大丈夫だ』は、潜水艦の到着と鎖の破壊のことである。
「後出しで潜水艦部隊を出して正解でしたよ。こうもシナリオ通りに動いてくるとは思いませんでした」
もう一度鎖を振り、水母棲姫を横転させる。あまりの出来事に思考が追いついていない。艤装が破壊されたので航行も出来ない、完全な無防備。その水母棲姫に跨り、マウントを取った。ここからもう逃がさない。
この時の私は怒りに支配されていた。罠だとはわかっていたが、本当に大潮に自殺を強いるなんて。この罪は、死をもって償ってもらわなくてはいけない。
「行動予測ができるのになんですかこの体たらくは。想定外の2つや3つ乗り越えなさい」
「キッ……サマ……イギィッ!?」
容赦なく腕を踏み潰す。曲がってはいけない方向に曲がったことを確認してからもう片方も同じように踏み潰した。これで反撃もできない。
「今から貴女が死ぬまで殴り続けます。非力な私なので簡単には死ねないでしょう。死にたくなったら言ってくださいね」
長い鎖を拳に巻き付け、まず一発殴る。慣れないことをしているのだから、私の腕も悲鳴をあげるが、そんなこと関係ない。
「五月雨さんを殺すように仕向けた時から気に入らなかったんです」
一発殴る。
「山城さんに扶桑さんをぶつけたことも」
一発殴る。
「私を引き込もうとしたことも」
一発殴る。
「霞をいらないと言ったことも」
一発殴る。
「約束を破り大潮に自殺を強要したことも」
一発殴る。
「全部気に入らないですね」
一発殴る。
「生かしておいたら続けるんですよね」
一発殴る。
「ならここで死んでもらいます。今までやってきた全てを後悔しながら、惨めに死んでもらいます。なかなか死ねないのは反省の時間だと思いなさい」
一発殴る。
返り血も腕の痛みも気にならなかった。とにかく目の前の敵を、この手で片付けたかった。
「フ、フソウ、ワタシヲタスケナサイ!」
この後に及んで助けを呼んだ。この状態で来られたら私も大変なことになるだろう。私は山城さんを信じているので、ここに来ないと確信しているが。
だが扶桑さんは一歩も動かない。山城さんと相対しているだけ。
「フソウ!」
「私は妹との喧嘩で忙しいの……自分の身は自分で守るといいわ」
完全に見捨てた。もう見向きもしていない。
「それに……今の貴女は少し見苦しい……助ける価値がないわ」
「フソウッ!」
「喧しい」
みっともなく叫ぶその口に、ねじ込むように殴る。
「タ……タスケテ……」
「命乞い? 助けて私達に何か得があるの?」
「モ、モウ、コンナコトシナイワァ。ジョウホウモ、アライザライイウカラ……」
なんて憐れな。惨めすぎて涙が出そう。命を大事にするのは私達も同じだが、こんなにも薄っぺらい言葉で命乞いをするだなんて。どうせ助けたら後ろから攻撃してくるのだとわかりきっている事。今までの行いで信じてもらえると思っているなら、あまりにもおめでたい。
「そう、じゃあ殴るのはやめてあげる」
「ッ……ジャア」
「死ぬまで殴るつもりだったけど、気が変わったわ」
胸元のリボンに爆雷を挟み込んで水母棲姫から離れた。私に許された、数少ない武器の1つだ。もう腕も動かないのだから、あの爆雷から回避はできない。
「イヤ、イヤダ! シニタクナイ!」
「まったく、見苦しい。でもこれで終わり。さよなら」
「イヤァアアアアッ!?」
断末魔の叫びの後、後ろで爆発が起こった。あんな奴、死ぬところすら見る価値がない。
これで残りは扶桑さん1人。イロハ級が鎮守府の方に流れていくのは見えたが、頼もしい防衛線警護部隊もいる。私達はこの場に専念できる。
「姉様、あとは貴女だけです。せめて話をさせてください」
「山城……言った通りよ。私は艦娘と深海棲艦、どちらの思考も持っている。憎いのよ……この世界が」
艦娘と深海棲艦が何もかも混ざり合って出来てしまった半深海棲艦の扶桑さん。同じ立ち位置の春風とはまるで違う。根本が艦娘であり、深海棲艦側も何だかんだ物分かりがいい春風とは逆に、根本が深海棲艦であり、艦娘側も恨みと憎しみに染まってしまっているのが扶桑さん。
「私達の鎮守府なら共存できます。一緒に来ませんか」
「お断りよ……だって……今の私は貴女の愛しい提督も……殺したくなってしまうもの」
折れた脚で山城さんを攻撃する。さすがにそこまで威力が無いのか、簡単に払える。それでも、山城さんは苦痛を耐えるような顔。
「もう話なんて必要ない。わかっているでしょう……」
「姉様は強情すぎます!」
「貴女もね……山城。今日はこれで終わりにしましょう……私はお姫様のところにいるわ……その時に会いましょう……」
扶桑さんは海中に沈んでいってしまった。
またもや決着は付かず。扶桑さんが沈んでいった場所を、ただただ眺めていることしかできなかった。
事が済んだのだから、早々に撤退する。本来の目的は達成出来たのだから。
「迷惑かけてごめんなさい!」
「無事に助けられてよかったわ」
「霞、再会出来たんだから、アゲアゲで行きましょう!」
霞に抱きつく大潮。正気に戻ってはいるが、ハイテンションは根っからのもののようだ。一緒にいるだけで元気になりそうな、明るい真っ直ぐな妹。これから少し騒がしくなりそうだ。
「お姉さん! いろいろごめんなさいでした!」
「いいのよ。鎖のせいなんだから」
握りしめていた鎖を捨てた。水母棲姫の血がベッタリと付き、気持ちが悪い。
「損傷を確認します。怪我人はいますか?」
「私が一番ダメージが大きいだろう。中破行かずだ、むしろ貴様はどうなんだ朝潮」
ガングートさんに言われて自分を見る。水母棲姫の返り血で、殴り続けていた右腕と制服の一部が真っ赤に染まっていた。顔にも血飛沫が飛んでいるのが感触的にわかる。普段の山城さんや天龍さんのようになっているのだろう。
「右腕が痛いくらいで、大丈夫です」
「そうか。ところで……あれは何だ」
ガングートさんが指差す先。水母棲姫の死骸がある場所。電探の反応的にはわかっていたが信じたくなかった。振り向くと、未だに消えていない。胸元で爆雷が爆発したのだから、上半身はグチャグチャになっていてもおかしくはない。むしろ私が
「いや、まさかそんな。未練タラタラで浄化される要素一切無いですよアレ」
「ならドロップか? だとしても貴様の電探に引っかかるだろ」
「まぁ、はい。反応からして死骸が消えていないというのが事実ですが……」
嫌だが近付いて確認する。あるのだとしたら、真っ黒焦げで上半身グチャグチャの見るに堪えない死骸だろう。
だが、そこにはそれはもう綺麗な身の女性が浮かんでいた。水母棲姫の面影を残す何者か。あまりに身体が綺麗すぎて、この場にドロップしたのではないかと勘繰るレベルである。そうだとしたら半深海棲艦である事が確定するが。
おそらくだが、焦げた深海棲艦のガワが剥けてああなったのではないかと思う。ガングートさんやウォースパイトさんの時とは違った浄化だ。
「あ、そういえば……未練があっても極々稀に浄化されるんでしたっけ」
「大本営で処分されたというアレか」
そういう場合は、深海棲艦の思考は残ったままだ。大本営に保護された者は、殺意を見せたことにより処分されている。今回もそのケースになるのではないか。
「一応保護しますか……。水母棲姫の思考が残っているのなら拘束ですね」
「ああ。少なくとも、放置していくよりはマシだろ。レディ、このお嬢さんを運んでもらえるか?」
「I got it」
ウォースパイトさんがフィフで女性を掬い上げた。見れば見るほど水母棲姫だ。表情が優しくなっているように見えるが、それくらい。
「さ、帰りますか。……どうしたの霞」
「え、あ、うん、帰りましょ」
「霞はお姉さんが怖いんですよ」
大潮に言われて何故だと考えたが、そういえばさっきまでの私は怒りに身を任せて深海棲艦を殴り殺そうとしていたのだ。春風の時も音声だけで霞は私から一歩引くような態度を取ったが、今回はまともに見てしまっている。怖がられても仕方ないか。
「な、なぁ、皐月。朝潮っていつもああなの?」
「今回だけだよ……噂には聞いてたけど、怒らせたらここまでだなんて……」
「ヤベェって。姫級殴り殺すとか……」
長波さんと皐月さんが何かコソコソ話していたが、今は流しておくことにした。なんか尾ひれ背びれ付けて噂になりそうな気がしたが、大体が事実なので、私は何も言い返せないだろう。
勝利の凱旋。ちょうど警護部隊も入れ替わりのタイミングだったため、全部隊が無事に鎮守府へと帰投した。戦果としては大勝利ではあるものの、扶桑さんをここに連れて帰れなかったことだけは悔やまれる。
「お帰り、みんな。よくやってくれた! 警護も大変だったようだね」
鎮守府側に流れた深海棲艦は結構な数だったらしく、そこに別の場所からも流れ込んできて思った以上の軍団になっていたそうだ。萩風さんを筆頭に、中破以上にはなっていないがボロボロな人が多い。
「イク達も褒めてほしいの!」
「MVPだよMVP!」
「よくやってくれたよ。君達でなければ大潮君は助け出せなかったからね」
無茶な作戦ではあったが、潜水艦の2人には感謝している。ゴーヤさんの機銃だと火力が低く、潜水艦姉妹だと魚雷になり火力が高すぎるので、一番ぴったり嵌る人員と言える。この2人でないとダメといっても過言ではない。
「連絡は受けているよ。大潮君、無事に助けられてよかった。我が鎮守府は君を歓迎するよ」
「ありがとうございます! 大潮、アゲアゲで頑張ります!」
「元気な子で何よりだ。それと……その子だね」
ウォースパイトさんが司令官に女性を引き渡した。何人かはその姿を見て顔を顰める。
「満足して逝ったわけではないのに浄化された、と聞いているが」
「あれで満足しているなら余程のマゾヒストだ。みっともない救援要請や、命乞いまでして死んだんだからな。未練しかないくらいだぞ」
私の行為については伏せて説明してくれたが、まぁこれに関してはそのうちバレるだろう。説明することにもなるだろうし。
「頭の中は深海棲艦、水母棲姫のままかもしれん。出来ることなら最初から拘束しておくべきだと思うが、同志提督、貴様はどうだ」
「事を起こしてからでいいだろう。まずは入渠、その後に考えればいい」
「甘いな。だがそれが貴様なんだろう。判断は任せる」
そのままガングートさんも入渠しに行った。中破行かずとはいえ、それなりの怪我だ。お風呂で終わらせるよりは、手早く入渠の方がいい。
「あとは朝潮君と山城君。念のため入渠をしてほしい。特に山城君、精神的な疲弊が激しいだろう。ゆっくり身体を休めること」
「ええ、そうさせてもらうわ」
「朝潮君は随分と乱暴な戦い方をしたようだね。今は良くても後に響く可能性はある」
「は、はい……乱暴と言われると……そうですね……」
急に恥ずかしさが込み上げてくる。そそくさと入渠ドックに向かった。
「朝潮、寝る前にちょっと」
ドックの前、山城さんに呼び止められる。
「姉様は本拠地にいると言ったわ。最終決戦の時には私も出る」
「はい……そうなりますね。止められるのは山城さんしかいません」
「姉様の意思は固いわ。もう、こちらに来ることはない。深海棲艦として、私達と敵対する事を受け入れてる」
もう姉妹喧嘩が殺し合いになるのは確実になってしまった。今回の戦いですら、話を聞くために手を抜いていたのだ。どちらも傷が付かないように。
「口には出していたけど、やっぱり姉様を殺すことなんて出来なかった。でも、もうダメね。姉様がそれを許さない」
「……そうですか。改めて決心したんですね」
「ええ。次はもう話すことはないわ。ホント不幸。実の姉を殺さなくちゃいけないだなんて」
悲観的な言葉だが、目は強く輝いていた。
「頼りにしてるわよ。私達をあの場所に導いて」
「任せてください。必ず、決着を付けられるように」
指輪のある左の拳を合わせる。山城さんはこの手で最愛の姉を手にかける決心をしたのだ。ずっと揺らいでいた心も、今日の戦いで揺るぎないものになった。私もそれに応えなければ。
キレた朝潮は誰よりも暴力的かも知れません。あの妹達の根っこになっている長女ですから。