「朝潮、ちょっといい?」
深海艦娘の会から離れたところで山城さんに呼び出された。少し切迫した顔からして、扶桑姉様のことについてだろう。もう外も薄暗い。精密検査も全て終わり、結果が出たということか。
「扶桑姉様のことですか?」
「ええ。ちょっとまずい結果が出たわ」
山城さんに連れられて工廠に入った。ちょうど扶桑姉様は身なりを整えた後で、明石さんとセキさんが神妙な顔で結果を眺めている。
「朝潮……来てくれたのね……」
「姉様の検査の結果が出たと聞きましたので」
「ええ……私の身体……少し問題があるみたいね……」
精密検査の結果でわかったのは、扶桑姉様は北端上陸姫攻略には参加できないということ。
扶桑姉様は北端上陸姫による改造を施され、今の力を得た。山城さん以上の膂力と、同等の技能。素手で砲弾を弾き飛ばし、蹴ることで艤装を破壊できるほどの力だ。扶桑姉様自身が艤装そのものと言っても過言ではない。
ただし、北端上陸姫は保険もかけていた。扶桑姉様の精神状態は当然知っている。見つからない妹が万が一代替出来たら裏切ると、最初から想定していた。
「裏切った時点で、赤い海に入れなくされてますね」
「赤い海に入った瞬間、脚部艤装が崩壊する。自分の陣地に戻れなくしているな」
セキさんが見立てたのだから間違いない。深海棲艦にはそういう技術もあるようだ。私もあの場で改造を施されていたら、今後近付く事すら出来なくなっていた。
深海艦娘の皆にはされていなかった辺り、警戒されているのは扶桑姉様だけということだろう。これだけ強力な力を手に入れているのだから、敵に回った時のこともちゃんと考えていると。
「それは治せないの?」
「無理だ。すでにシステムは
「極端な話ですが、脚を切断しても無理ですね。ある意味
過剰防衛にも思えるが、それだけ警戒されているということ。
私達も結局、最後まで扶桑姉様には勝てないで終わったのだ。よく行って山城さんの引き分け。一度脚を折るところまでは行ったが、それでも勝てなかった。
「それくらいなら問題ないわ……この子達と一緒にいることに支障が無いもの……」
狂気の宿った瞳で微笑む。妹のことになると途端にこの瞳になる。
「そうですね。朝潮は戦闘に出ることが多いですが、その時は私がお側にいますので」
「山城さんがいないときは私が側にいます」
「帰ってこなかったら……この鎮守府は無くなっていると思ってちょうだいね……皆殺しよ……?」
相変わらず物騒ではあるが、扶桑姉様の思考がどういうものかは大体理解した。妹がいない世界は滅ぼしてもいいと簡単に言える完全妹主義。2人の妹以外の愛はいらず、2人の妹以外を愛さない。世界がそれだけでできている。1つでも欠けたらこの世界は必要なくなってしまう。
この鎮守府も、私と山城さんがいるから残しているだけと断言した。精密検査も私達がお願いしたから受けているだけだ。
「2人で姉様から離れることはありませんから。司令官もわかっています」
「あの人はよく気がつくわね……とてもいい人だわ……私が初めて負けた人……確か山城の旦那様だったわね……」
「朝潮の旦那でもありますよ。彼も分け隔てない愛を持っていますから。姉様のことも愛しています」
自分を愛してくれている想定外の人物が現れて思考が停止した。自分を愛してくれる人は妹しかいないと思い込んでいる節があるとは思っていたが、ここまで世界が見えていないとは。
これをキッカケに、鎮守府に馴染んでくれると私としては嬉しい。
もう夜になってしまったため、扶桑姉様も解放された。赤い海に入れない以外は至って普通な半深海棲艦だった。普通な半深海棲艦というのがそもそもおかしいのだが、春風という前例があるのはとても大きい。調査の早さが違う。
「これがお風呂……生まれて初めて……」
扶桑姉様は生まれて初めてのお風呂。ヒメさんがここで初めてお風呂に入った時のように、ダルンダルンに蕩けきっていた。戦闘中は愚か、ここに来て妹に囲まれた最高の環境でも見せたことのない表情である。
「ずっとあの陣地で暮らしてたんですよね。食事とかも初めてでしたか」
「そうね……あそこでは
私も一晩暮らしたが、お風呂が無いのは勿論のこと、食事すら無かった。あの陣地の上に立っていれば勝手にある程度回復する。空腹感を感じなかった。
扶桑姉様が言う通り、ただ生かされているというイメージ。手駒は消耗品という考え方なのだろう。それは貴重な深海艦娘であろうが、味方についた半深海棲艦であろうがスタンスを変えていない。
「姉様はそんな過酷な環境で生活していたのね……」
「どうせ最後は死ぬつもりだったもの……別にどうということはなかったわ……」
全て滅ぼした後に自分も死ぬと言っていた。どうせ死ぬのだからと、最初から自暴自棄になっていたように思える。不幸だし不憫だ。ここで幸せになってもらいたいと切に願う。
できることなら、私と山城さん以外も視野に入れてもらいたい。さっきの話で司令官に興味を持ったみたいだが、他の仲間達と仲良くできないものだろうか。確かに出会いは最悪だ。警護部隊組は何度も痛い目を見ている。瀕死にまで持っていかれた白時雨さんと、今でも怯えているヒメさんが難関か。
「あ」
たまたま入ってきた霞と目があった。途端に居づらくなる。
「霞様どうかされましたか?」
「あ、ああ……なるほど……」
続いて瑞穂さんと春風。話がややこしくなる3人と鉢合わせ。ここでちゃんと説明しておいた方がいいだろうし、扶桑姉様には霞達のことも視野に入れてもらいたい。
お風呂での裸の付き合いで仲良くなればいいのだが。扶桑姉様もここでは開放的だ。
「霞と……春風……」
「ええ、朝潮型の10番艦、霞よ」
やはり少し刺々しい霞。扶桑姉様のことはまだ信用できていない。春風も物凄く警戒している。
「水母棲姫は……結局朝潮の何なのかしら……」
「姉様、あの子は瑞穂です。水母棲姫は朝潮が沈めました」
「そう……そうだったわね……浄化されたんだったわね……」
瑞穂さんに関しては水母棲姫としてしか認識できていない。元々一緒に行動していたので記憶にはあるようだが、まったく興味が無かった様子。言われるがままに戦っていたし、撤退も自分の意思だったし。最後は見捨てる発言もしていたが、どうでもいいからさっさと捨てることが出来たと。
「瑞穂は……朝潮の何?」
「朝潮様の従者、部下、下僕、奴隷です」
「どんどん酷くなってません? 瑞穂さんは私の仲間です。なので、扶桑姉様の仲間ですよ」
私の仲間と聞いたことで、一応認識はされた様子。
「逆に聞きたいのですが、貴女は御姉様の何なのですか? 御姉様が姉と呼んでいるようですが、わたくしは納得いきません。ちゃんと理由を教えていただきたいです」
春風がついに声を荒げた。私が攫われ、戻ってきた時には姿も変わり、突然仇敵が姉になったとなれば驚くのも当然だ。それが今まで慕っていた姉同然の人なら尚更だろう。
扶桑姉様にも言っているが、私は仲間を分け隔てなく愛している。春風だって私の愛する妹分だ。
「貴女は……私と似たような子なのね……。私よりは浅く混ざっているのかしら……」
「それは後でいいので、今は貴女と御姉様の関係を教えてください。まだわたくし達は事情を聞いていません」
霞に大泣きされ、春風にも泣きつかれ、瑞穂さんには捲し立てられていたため、説明するタイミングを完全に逃していた。霞自身が説明を求めていたが、その霞が一番最初に泣き疲れてダウンしてしまったわけだし。
この場で簡単にだが扶桑姉様の境遇を話す。海峡夜棲姫という存在がどういうものかというのが重点。姉妹一緒にいたいという気持ちは、霞も春風も、私がいなくなったらという形で理解できた様子。私を妹として見たくなる気持ちは、春風には共感できるものだったようだ。
だが、ここから事態が一変する。
「朝潮は私を愛してくれると言ってくれたもの……私を満たしてくれるの……。だから私は朝潮を
そうだった。私が深海艦娘にされたのは、攫われてあちらの手駒にされるとか以前に、扶桑さんが深海棲艦の妹欲しさにあちらの力を利用しただけにすぎなかったのだ。私は例外的にどうにかできたが、一歩間違えれば私もあちら側の深海艦娘と同じで、この鎮守府に反旗を翻していた。
「自分のために御姉様をこの姿に変えたと?」
「ええ……服もお着替えしてもらって……いるであろう妹に近付いてもらったわ……可愛い可愛い……私の妹よ……」
霞は絶句していた。敵の思惑ではなく、扶桑姉様の欲を満たすために、私は二度と元に戻れない今の姿に変えられたわけだ。
扶桑姉様は狂気に満ちていた。物分かりのいい白の深海棲艦とも、殺戮の限りを尽くす黒の深海棲艦とも違う、純粋な狂気で生きている。相反する思考のせめぎ合いで、悪い部分だけが残る形で壊れている。
「御姉様……お許しください」
「春風、何を」
「わたくしは
湯船の中だというのに、艤装を展開し始めた。まずい。ここにいるのは誰も艤装を装備していない生身だ。今何かされたら大怪我ではすまない。
「春風、やめなさい!」
「止めるな! コイツは絶対許さない! ここで殺す! 絶対殺す!」
「場所を弁えなさい! ここが何処だと思っているの!」
艤装の展開だけはどうにか食い止めたが、それでも怒りは収まりそうにない。どうにか瑞穂さんに羽交い締めにしてもらう。
「この子は何を怒っているの……?」
「姉様……」
山城さんすら頭を抱えている。
艦娘と深海棲艦の思考が混ざり合った挙句、深海棲艦の部分が強いせいで、本能で生きている部分が強い。やりたいことはやる。やりたくないことはやらない。これはレキさんを見ているからわかる。
私が愛を口にした時点で理性がとっくに無くなっていた。だから強行手段にも出た。私が洗脳されないと確信はしていたようだが、身体を変えることになんの躊躇も無い。自分が満たされるために、簡単に他人を犠牲にした。
「姉様、もし他人の欲望のために私が殺されたらどう思います」
「この世界はいらなくなるわ……全部壊しておしまいね……」
「姉様は、春風にとってそれくらいのことをしたということです」
キョトンとした顔。自分がやったことの重大さに全く気付いていない。罪悪感も欠如している。壊れているというよりは、本能のままに行動する、知識のない子供のような、そんな気がしてきた。
「春風さん。朝潮様がそれを受け入れ、今の形を許しているのです。ここは抑えてください。ここで艤装を出すとお風呂が壊れます。朝潮様が怪我をされます。そうしたら瑞穂は貴女を殺さなくてはいけなくなります。ここは朝潮様の話を聞いてもらえませんか」
「うるさい! 瑞穂離せ!」
「朝潮様が困っています。せめて場所を変えてください。ここではダメです」
瑞穂さんだけでは抑えられそうにない。春風は完全にあちら側に倒れ、理性を失っている。
「春風、やめなさい」
「御姉様はお人好しすぎる! コイツは生かしておいたらまた同じことをするぞ!」
「扶桑姉様はもうそんなことしないわ。扶桑姉様は北端上陸姫の命令で来ただけだもの。捕まったのは私の落ち度」
優しく説明して春風を落ち着かせる。ここで暴れたらシャレにならない。私以外にも被害が出るのは問題だ。
「だから、今は抑えて。扶桑姉様には、私からも話をする。だから、ね?」
「……ダメです。わたくしは絶対に許さない。わたくしから御姉様を奪ったのも同然です」
こちら側に戻ってきたようだが、まだ怒りが収まっていない。どうすればいいか。どうにかしてこの場を収拾したいところなのだが。
実際、春風も言っていることは大概である。私は春風のものではない。理性が飛んでいるから言ってることも滅茶苦茶だ。
「私は……ここにいてはいけないようね……」
「確かに姉様がやったことは身勝手で最低な行為です。ですが、まだやり直せます。他ならぬ朝潮が受け入れてくれました。ゆっくり、ゆっくり反省しましょう」
山城さんはあくまでも扶桑姉様の味方。とはいえ、扶桑姉様のやったことは罪として認識している。
「御姉様、今だけは逆らいます。生かしてはおけません。今すぐに殺します。許容できません」
「春風、やめなさい。貴女が腹をたてる気持ちはわかっているつもりだし、私も嬉しい。でもダメ。それをやったら貴女は戻ってこれなくなる」
今ここで春風が扶桑姉様を殺してしまったら、今度は春風が壊れてしまう。今は怒りで理性が飛んでしまっているが、もし正気に戻ったら潰れてしまうのは目に見えている。そんな形で2人を失いたくない。
「御姉様は甘すぎます。その人は御姉様をそんな姿に変えても悪びれてもいないんですよ。自分のためだけに巻き込んで、自分だけ幸せになってるんです。そんな人を姉と呼ぶのはやめてください」
「もしそうだとしても、私は受け入れてるの」
「受け入れてはダメです。だから反省しないんです。これからも同じようなことしますよこの人は。さんざん御姉様に迷惑をかけて、自分だけ幸せになるんです」
そんなことはわかっている。私は精神の安定に利用されている。それでも、ずっと不幸で不憫な生活をしていた扶桑姉様が、今この瞬間を幸せに過ごせているのなら、私も嬉しいのだ。
扶桑姉様は敵対しようとしていない。ただ愛が欲しいだけ。それを私ができる。ならそれでいいじゃないか。
「姉さん、私も春風と考えは同じよ」
ずっとだんまりだった霞が口を開けた。お風呂だからわかりづらいが、泣いていた。
「姉さんが不憫すぎる。結局みんなに利用されてるだけじゃない」
「霞まで……」
「ただ、私は姉さんのこともわかってるつもり。何を言っても今のスタンスは変えない。姿を変えられても、扶桑さんが幸せなら、姉さんも幸せなんでしょ」
見透かされてる。長く連れ添った霞だから、私のことをとても理解している。
「でもね、それで私や春風は不幸せなの。それだけは理解して」
「……ええ、今痛感してる」
全員幸せになることなんて出来ないのはわかってた。だから、目の前にあるものから汲み上げようと頑張ってきた。結果、霞を泣かせることになったし、春風をここまで怒らせることになってしまった。
私の選択は間違いなのかもしれない。でも……このやり方は一生変えられない。
「あともう一つ、扶桑さん。割り切りたいから、一発殴らせて」
「……貴女の気が済むなら……何度でもどうぞ」
一連の騒動をただ見続けて、扶桑姉様の中でも何かが変わったように見えた。
「そう、じゃあ遠慮なく」
間髪を容れずに平手打ち。霞は私よりは力はあるが、それでも扶桑姉様にダメージを与えるまでもいかない。扶桑姉様は狂気の宿った目でずっと霞を見続けていたが、叩かれてからは少し目が変わった。叩かれた頰を撫でて、霞のことを刻み込んでいる。
「私はこれで手打ちにするわ。何言っても姉さんは変わらないんだから、私が受け入れないと」
「苦労をかけるわね……」
「そう思ってるならたまにはやめてちょうだい。あといろいろとボーナス貰うから」
添い寝だけでは済まなそうだ。でも霞には多少納得してもらえた。私のことを一番理解しているだけある。実の妹なのだから、一番蔑ろにしてはいけない。もっと親身に接してあげなくてはと反省する。
「……わたくしは割り切れません。お先に失礼します」
春風はまだ無理。この場でやろうとはしなかったが、顔を見ているのも嫌そうに、お風呂から出て行った。瑞穂さんも一礼して一緒に出ていく。私が言う前に春風についてくれた。さすが自称従者である。
「すみません、扶桑姉様。いろいろと」
「いいの……そうか……これが……」
扶桑姉様も涙を流していた。おそらくその意味も曖昧にしかわかっていない。霞の平手打ちが痛かったわけでは無く、心に響いたようだ。扶桑姉様の中に霞が確実に刻まれた。
これは長丁場になりそうだ。私に親密な相手ほど、扶桑姉様を割り切って見ることが難しくなる。でも、扶桑姉様の心境にも変化がある。この心は簡単には戻らないが、なるべく馴染めるように協力していきたい。
壊れているというよりは、狂ってしまっている扶桑姉様。春風のようにボッキリ折れてから修復されて歪んだわけではないので、修復とかそういう問題ではありません。