目を覚ましたとき、既に外が暗かった。随分とグッスリ眠っていたようだ。熱はまったく下がっておらず、まだまだ高熱のようだが、眠ったことで幾分か頭がスッキリしている。
眠っている間に着替えさせられていたみたいで、いつもの寝間着の作務衣だった。誰がやってくれたのだろう。
「お目覚めですか、朝潮様。そろそろかと思い、夕餉をご用意させていただきました」
起きたタイミングを見計らって瑞穂さんが医務室に入ってきた。まだ少し意識が朦朧としているが、ご飯を用意してもらえたのは嬉しい。
瑞穂さんが私の顔を見たときにギョッとした表情をしたが、気のせいだろうか。
「ありがとうございます。いただきます」
「食欲があるようで良かったです。昼餉もご用意させていただいたのですが、その時にはまだ眠っておられたので」
「だからですかね。すごくお腹が空いています」
体調不良ということで、瑞穂さんが持ってきてくれたのはお野菜たっぷりの卵雑炊。量も適量。ただ、それを三方に載せて献上されると、妙な気分になる。普通にお盆で持ってきてくれればいいのに。
「艦娘が高熱でダウンだなんて情けないですね……」
「情けなくなどございません。朝潮様はいつも皆の事を考えているので熱が出てしまったのです。自分の事だけでも精一杯のはずなのに、自分を省みず他人ばかりを気にして。やはり聖人君子なのですね。瑞穂もその中に入っているのだと思うと、胸が熱くなります。朝潮様に気にかけてもらえるということが幸せです。罪深い瑞穂が償えていると実感できます。ですが朝潮様、どうか無理だけはなさらず。此度の件、無理をした結果です。常にとは言いません。ご自分の身体を一番に考えることをお願いいたします」
熱が出るほど無理をしてしまったのは他ならぬ自分。頭の使いすぎはやはり良くない。でも、私が出来ることはそれだけだから。
「朝潮姉さん、目を覚ましたかしら」
医務室の外から霞の声が聞こえた。 まだ夜は深くないようで、お見舞いに来てくれたようだ。
「ええ、たった今。瑞穂さんがお夕飯を持ってきてくれたの」
「そう、じゃあ少し入らせてもらうわね」
霞も私の顔を見て妙な顔をした。さっきの瑞穂さんといい、私に何かあるのだろうか。
「倒れたって聞いてビックリしたわ」
「あれだけ無理するなって言われてたのにね……まさか熱が出るだなんて」
「今回は仕方ないわよ」
体調は悪いが、夕飯は喉を通った。お腹も空いていたし、瑞穂さんに感謝。
だが、どうも2人の様子がおかしい。何度も私の顔を見てはこそこそと話をしている。私の体調は顔に出るほど問題があるのだろうか。
「ほら、アンタもこそこそしてないで入ってきなさい。顔を合わせづらいのはわかるけど」
霞が外に向かって話す。何やらもう1人お見舞いが来ているらしい。
「……あの……わたくし……」
中に入ってきた人は、
「えっと、どちらさまですか。朝潮型の制服を着ているのなら私の妹ですかね。でも、もう改二ということは、私が寝ている間にこの鎮守府に?」
「えっ……」
「姉さん何言ってるの? 冗談でも笑えないわよ」
何をと言われても、
「妹なら見ればわかるはずなのに、何でわからないんでしょう。本当にごめんなさい。申し訳ないんですが、お名前を教えてもらえませんか」
「わ、わたくし……春風……です……。神風型駆逐艦の3番艦の……」
「春風さんは何故朝潮型の制服を? あ、もしかしてここに辿り着くまでに傷を負ってしまったから仕方なくとかでしょうか」
私と話しているうちに泣き出しそうになっている春風さん。何か悪い事をしてしまったのだろうか。霞や瑞穂さんも私の言動に大きく動揺しているように見える。
もしかして春風さんは以前に会ったことがある人なのだろうか。そうだとしたら申し訳ないことをした。でも電探を使い始めてから、私の記憶力は普通以上に成長していると自負している。それで記憶にないのなら、やはり
「春風さん、今から扶桑さんを連れてきますので、何があっても我慢してください。貴女の気持ちはわかりますが、今は朝潮様の問題が最優先です」
消えるように医務室から出ていった瑞穂さん。私も何が何やらさっぱりわからなかった。
再び瑞穂さんが医務室に現れた時には、山城さんと
「一大事って聞いたんだけど」
「山城さん……いや、私も何が何やら……」
やはり山城さんも私の顔を見ておかしな挙動をする。そして霞とこそこそ。できれば隠し事はやめてもらいたいのだが。
「朝潮……どうしたの……? 瑞穂が慌てていたけれど……」
「えぇと、貴女は最近こちらに来た深海棲艦の方でしょうか。もしや私が眠っている間に? 白の派閥の方ですか?」
皆が春風さんの時と同じ反応をした。
「あ、朝潮……私のことが……わからないの……?」
「その……すみません。記憶にないです。戦場で出会いましたか? 記憶力には自信があるのですが……」
本当に
「どうなってんのよ……姉さんがこんな悪ふざけするわけないわ」
「記憶障害か何かかしら。それにしてもピンポイントすぎるわよね……」
記憶障害? 私が?
「瑞穂の推測ですが、朝潮様の記憶から消えているのは春風さんと扶桑さんだけです」
瑞穂さんの言っていることが理解できない。記憶から消えているとはどういうことか。
「朝潮様。眠る前にご自分が何をされていたか覚えていますか?」
「えぇと……無理をしすぎて熱を出してしまったんですよね」
「どう無理をしたか、です。先に言わせていただきますが、朝潮様の今の症状は、ストレス性高体温症です」
ストレスを受けることをしていたようには思えない。頭痛がするほどの訓練は幾度となくしているが、それで熱が出たことは無かった。積もりに積もった負担がストレスという形で外に出てしまい、結果今の高熱になってしまったと言われれば納得が出来る。
だが、今の私がここで眠らされている理由がどうしても思い出せなかった。私は何処で倒れたのだろう。どうして倒れたのだろう。
「朝潮様、答えられますか?」
「……あれ、思い出せない……なんで……」
高熱を出して瑞穂さんにここまで連れてこられたのは覚えている。だが、その前後がまったく思い出せない。何故高熱が出たか、ここに運ばれてから何があったか。
「そうですか……わかりました。朝潮様、今の体調は如何ですか?」
「熱はまだ高いみたいですけど、それだけですね。眠る前よりはスッキリしているように思えますけど」
「では、そのまま瑞穂のお話を聞いていてください。今からこの2人を説教しますので」
春風さんと謎の深海棲艦に向かい合った瑞穂さん。その2人はというと、虚ろな瞳でブツブツ呟いていた。理由がわからない。
山城さんの力も借りながら無理矢理正座させた。本当に説教の姿勢。わざわざ平手打ちまでして正気に戻してから説教を始める。
「まずは眠る前に朝潮様が高熱に浮かされながら呟いた言葉を貴女方にお教えします。貴女方の喧嘩、まぁ春風さんの一方的な因縁ですが、その原因がご自分にあると思い悩んだ末に言った言葉です。よく噛み締めてください。『春風と扶桑姉様がこの世からいなくなれば解放されるのでは』です」
私がそんなことを言ったのか。実感がまるでない。熱に浮かされていたとはいえ、そんな攻撃的なことを言ってしまうだなんて、信じられなかった。2人も目を見開いて驚いていた。
「朝潮様は誰も傷つかない道を探した結果自分が倒れる道を選んでしまいました。それでも悩み続け、最も選んではいけない道を見出してしまいました。さらにそれを悔やみ、その結果、記憶を失うほどのこととして認識してしまったのです。貴女方を記憶から消さない限り、ご自分が潰れてしまうと本能的に判断した結果なのです。貴女方がどれほどのことをやっていたか、これで理解できましたか? ですが、朝潮様は貴女方に死ねと仰っているわけではありません。仲良く、手を取り合ってほしいと願っているだけです。まずは自分の罪を省みてください」
私に向けられるマシンガントークが他人に向けられている。私に対しては善意のみしか感じられなかったが、あちらに対しては本当に説教。言い聞かせるように、だが反論も許さないペースで喋り続けている。
「元はと言えば扶桑さん、貴女が諸悪の根源です。朝潮様を深海艦娘に変えたのは完全な私利私欲。妹欲しさに他人のことを一切考えず、それについて悪びれもしない。思考が深海棲艦に寄っているからとはいえ、本能的に動いた結果がこれです。貴女は北端上陸姫に長く利用されていた経歴がありますから、一般的な常識が足りないのかもしれません。罪悪感などの人間的な感情の一部が欠落しているのでしょう。ですが、ここは貴女と妹2人しかいない世界ではないのです。わからないじゃすみません。貴女は1人の艦娘を壊しているのですよ? それが貴女の愛すべき妹なのですよ? 自分で壊しておいて、もしやまた世界が要らない、滅ぼしたいなどと
口調も少し荒い。いつもは丁寧な言葉遣いと物腰柔らかな言動な大和撫子なのだが、今だけは全く違う。正座させて視線が上からだからか、物凄く見下しているようにも見えてしまう。
「春風さんは朝潮様を姉のように慕い、心酔しているのですよね? なら何故朝潮様が受け入れた扶桑さんに対して未だに殺意を持ち続けているのですか。朝潮様の高熱の発端は貴女ですよ。皆を受け入れ、制服も折衷案を取り入れ、お互いの架け橋となろうとしている朝潮様は貴女にとって何なのですか。まさか自分の気に入らないものを受け入れている朝潮様が嫌なのですか? 朝潮様は貴女だけのものでは無いのですよ? 貴女のやっていることは扶桑さんと同じです。自分の色に染まっていない朝潮様が気に入らなかったのでしょう。貴女が殺意を向けるものとなんら変わりありません。腹が立つのは瑞穂もわかります。ですが、貴女だけが引きずり続けるのは筋違いです。貴女は被害者ではありません」
2人とも説教されながら泣いていた。言い返す暇もないが、言い返そうともしない。あまりにも気の毒になってきて、私が口を出しそうになったが、霞に制止される。
「貴女方を忘れてしまいたいと思ってしまったが故の現状です。理解しているとは思いますが、これでさらに関係を悪化させたら、朝潮様は一生元に戻らないと思った方がいいです。特に春風さん、貴女ですよ。扶桑さんから喧嘩を売ることはないでしょう。誰にも興味が無いのですから。ですが、貴女は少しよろしくない。怒りに身を任せると、すぐにあちら側で突っかかる。自重してください」
ようやく止まった。あとは2人に任せるという事だろう。瑞穂さんの説教でボロボロ泣きながら、ずっと考えているようだった。この2人の間に何があったのかは知らないが、瑞穂さんがここまで言うくらいなのだから、相当仲が悪いのだろう。それだと私は悲しい。
「春風さんと……扶桑さん、でしたか。瑞穂さんはこう言っていますが、変われないのなら無理に変わらなくていいです。ですが、出来れば仲良くしてもらえませんか。話を聞いている限り、春風さんが因縁を付けているんですよね。私に免じて扶桑さんを許してはもらえませんか。いや、私に免じてって烏滸がましいですよね。ごめんなさい」
2人は何も言わずに医務室から出て行ってしまった。フラついていたので心配したが、私は行かない方がいいと瑞穂さんに手を取られた。今は1人にしてあげないと考えが纏まらないらしい。そもそも私自身も体調不良でここにいるのだから、勝手に出歩かない方がいい。
結局、私に何が起きているかは分からず終いだった。ストレスで高熱を出したということはわかったが、何故倒れたかは伏せられている。その理由がわかると余計にストレスを感じるからなのか、それともより悪い方向に倒れるからなのか。
「霞、1つだけ教えてほしいんだけど」
「何?」
「なんで皆私の顔を見るたび驚くの」
言い淀んだ。山城さんも目を背けるし、瑞穂さんも少し俯いている。
「心が壊れた時のゴーヤのこと覚えてる?」
「勿論。心ここに在らずというか、そんな目をしてたわ」
「今の姉さん、その時と同じ目をしてる。姉さんが壊れたんじゃないかって心配してるのよ」
私が壊れている? そんなバカな。
「朝潮は瑞穂に任せればいいのよね。私は姉様の側についてるわ」
「私も春風についた方がいいわね。瑞穂さん、姉さんをよろしく」
「お任せください。朝潮様は瑞穂が必ずやお守りいたします」
霞と山城さんも出ていってしまった。瑞穂さんだけが医務室に残り、私の夕飯の後片付けをしてくれる。
何もわからない。あの2人は私と親密な人だったのだろうか。わからない。全くわからない。高熱のせいで何かを忘れてしまっているのだろうか。思い出せない。何も思い出せない。
「あれ……私って……なんで深海艦娘になったんでしたっけ……」
目に映った白い髪に疑問を持った。今の私は深海艦娘。髪も白いし、角まで生えている。自分ではわからないが瞳も赤く染まってしまった。最初から敵に拾われていたわけではないので後天性。だが自分で鎖を握った覚えがない。その時の記憶だけポッカリと穴が空いている。
さっきの瑞穂さんの話からして、原因は扶桑さんにあるようだが、その時のことが何も思い出せない。
「朝潮様、今は考えるのをやめましょう。熱が上がってしまいます」
「ですが……」
「ご自分の体調を心配していただけると。まだ高熱は出たままなのですから。お休みください」
体調を崩しているのは変えようのない事実だ。ここは大人しく休むべきだろう。深く考えると、何か良くないことが起こるような気がする。素直に従うことにした。
何度も眠っているからか、深夜に目が覚めてしまった。時計を見ると丑三つ時。今なら夜間部隊が警護任務をしている頃だろうか。
何度も寝たおかげで体調も良くはなってきている。熱も寝る前よりは落ちているように感じた。
「ーーーー」
医務室の外から話し声。こんな夜中に誰が。
「そこまで深刻なのかい?」
「はい。あの2人が改善されたとしても、朝潮様の記憶が戻るかはわかりません」
司令官と瑞穂さんが、私のことを話している。やはり私は何らかの記憶を失っている。
「提督は聞きましたよね。朝潮様の最後の言葉」
「この世からいなくなれば……と言っていたね。朝潮君とは思えない言葉だから覚えているさ。高熱に魘され出てしまった言葉としては、あまりにも……乱暴だった」
実感は無いが、やはり私は春風さんと扶桑さんをこの世から消したいと思ったことがあるらしい。
「そこまで思い詰めた結果の防衛本能です。忘れたままの方が、朝潮様は今後健やかに生きていけると、瑞穂は思います」
「2人の犠牲の下にかい?」
「それだけのことをあの2人はやっています」
我慢できなかった。私に何が起きているかはわからないが、それによって誰かが犠牲になっているのは許せない。他ならぬ私のせいじゃないか。いくら現状を作った人でも、私の犠牲になる道理はない。
「瑞穂さん……」
「朝潮様!? 目を覚ましていらっしゃったのですか」
「貴女の今の言葉で決心しました。失った記憶は取り戻します。それがどれだけ辛いことでも、私は仲間の犠牲の下に生きていくのは嫌です」
瑞穂さんは悲しそうな顔を、司令官はそう言うとわかっていたと言いたげな、少し悲しそうな顔をしていた。司令官は私の理解者だ。これまでずっと見てきてくれている。私がこう言うと確信している。
「私も出来ることは手伝おう。朝潮君、本当に辛いことになるかもしれないがいいんだね?」
「はい。これまでどれだけ辛いことがあったと思ってるんですか」
改めて瑞穂さんに向き直る。今の私を一番心配してくれている。その気持ちは本当に嬉しい。だが、私は誰も切り捨てたくない。
「瑞穂さん、私はさっきも言いました。私が生きるために仲間を犠牲にはしたくありません。春風さんも扶桑さんも救います。勿論、私も救われます。これでいいでしょう」
「……瑞穂は逆らえません。朝潮様の意思が瑞穂の意思。朝潮様が記憶を取り戻したいと仰るなら、それを全力で手助けするのが瑞穂のお役目ですから」
逆らってくれてもいいのに、瑞穂さんは何も言わない。瑞穂さんも私の犠牲者のようなものだ。自分の意思を殺してしまっている。
「今はもう寝なさい。瑞穂君、君もだ」
「ですが……」
「瑞穂さん。添い寝……してもらっていいですか。まだ熱があるからでしょうか……人肌が恋しくて」
「お任せください。瑞穂のようなものでよろしければ」
急に表情が変わる。現金だなぁと思いつつも、温もりが欲しかったのは本当だ。いつもなら霞と寝ているものだが、今日はいない。思ったより私は寂しがり屋なのかもしれない。
選んだ道は『逃避』