翌朝から、私、朝潮の記憶を取り戻すための行動を始める。幸い熱も引き、医務室から出ることくらいはできるようになった。ただし、今までに前例のない体調不良だったため、この日一日は非番という扱いにされている。電探眼鏡も禁止。
私の失われた記憶は、春風さんとのことと扶桑さんとのこと。それ以外は全て覚えている。だが、ところどころでぼんやりするところがあった。おそらくそこに2人の記憶に関する何かがある。
「朝潮様、お召し物になります。昨日から朝潮様がこれを着ると決めた制服です」
瑞穂さんが三方に載せて私に差し出した服は、朝潮型の制服に加え、袖の無い黒い着物があった。これを一緒に羽織ればいいのだろう。
「なんだか……しっくり来ますね」
「それは扶桑さんとの記憶になります」
「着物がですか? これが……」
言われてもまだわからない。
瑞穂さんは私の意思を尊重し、全力でバックアップしてくれると言ってくれた。本心では嫌なのだろう。ずっと記憶のないままの方がいいと思っているのだろう。それでも、私を受け入れてくれた。感謝しかない。
「ゆっくりと進めていきますね。急いでも私に負担がかかってしまいますから」
「はい、それがよろしいかと思います。朝潮様はまだ病み上がり。また高熱が出る可能性もありますゆえ」
失われた記憶と向き合うのは高確率でストレスを溜める原因になると司令官に言われた。私が記憶を失った理由と、ストレスで高熱を出した理由は直結しているらしい。
「では行きましょうか」
「午前中は身体を休ませつつ行動をする方がよろしいかと。車椅子を用意しますか?」
「そこまでではないですよ。自分の脚で歩きます」
医務室の中で準備を終え、外に出ると霞が待ち構えていた。
「熱は?」
「下がったわ。でも今日は非番。記憶探しをしようと思ってる」
「……そう、くれぐれも無理をしないように」
釘を刺された。
その霞の隣、俯いた春風さんも立っている。少し霞に隠れ、昨日とは違い黒の着物を着ていた。こちらが本来の姿であり、朝潮型の制服は臨時で使っていたか何かか。それにしてはサイズがピッタリだったが。
「春風さん、今日は着物なんですね」
「はい……今のわたくしに朝潮型の制服を着る資格はありませんので」
資格なんて別に要らないと思うのだが、本人がそういうのだからあまり触れないでおこう。
「わたくしが望むことでは無いと思いますが……記憶探し、頑張ってください。おね……朝潮さん……」
「はい、ありがとうございます。春風さんとの思い出もあるはずなんです。きっと見つけてみせますから」
「よろしく……お願いします……」
逃げるように走って行ってしまった。霞もそれを追って駆けていく。春風さんは私にとってきっと深い人物だ。だからあんなにも悲しそうな顔をする。絶対に記憶を見つけなければ、誰も救われない。
体調も考慮して、ブラブラと散歩をする。瑞穂さんは一歩下がった位置をついてきてくれる。私の異常は朝のうちに全員に知れ渡っているらしく、話しかけてきた人も率先して協力してくれた。
それでも、何かを思い出すことは無かった。誰に何を言われても、全て空想の世界に思えてしまう。現実的に思えない。
「えー、ボクらのこれ見ても思い出せないの?」
「私達、朝潮ちゃんと敵陣から出撃したんだけどなぁ……」
深海艦娘となった皐月さんと潮さんに言われても、その部分だけが穴が空いている。私は何者かに攫われて敵の陣地に辿り着き、皐月さんと潮さんの目の前で深海艦娘化させられた。その原因が扶桑さんにあるというのは、昨日の瑞穂さんの説教でわかっている。攫われたこと、変えられたこと、そこから脱出したことが、全く思い出せない。皐月さんと潮さんを救出できたという漠然とした記憶しかない。
「瑞穂さん、これ何処まで言っていいの?」
「詳細を語っていただいて結構です。今の朝潮様はその記憶を欲しています」
「私達も嫌な思い出を掘り返すことになるよね……」
皐月さんが言うに、私は扶桑さんに鎮守府から攫われ、敵の陣地に辿り着いた。抱えたまま鎖を巻き付けられ深海艦娘化。しかし、私は意識まで洗脳されることなく、潜伏しながら脱出の機会を伺っていたらしい。その時の協力者が他ならぬ扶桑さんである。
私利私欲で私を深海艦娘に変えてしまったが、その後はずっと協力してくれていた。私が洗脳されていないことをバラさず、出撃まで匿ってくれた。
「その時の出撃さ、本当は出ちゃいけない春風も出撃してたんだよ」
「朝潮ちゃんが余程心配だったんだろうね。でも、朝潮ちゃん、人が悪いよ」
「ギリギリまで洗脳されたフリしてたんだよね。ボクらも完全に騙されてたよ」
チカッと、一瞬だが記憶が見えた気がした。私はこの黒の着物を着て、霞や春風さんと相対したことがある。その時に隣にいたのが扶桑さんだ。たったそれだけだが、何かが見えた。
「扶桑さんとの思い出は日が短いからすぐ思い出すのかな」
「春風ちゃんは大分長い付き合いなんだけどね」
それ、それが聞きたい。春風さんはやはり繋がりが深い人だった。何故それを忘れてしまったんだろう。
2人が言うに、春風さんは私の妹分のような存在だったらしい。私が深刻な状態の春風さんを立ち直らせ、その結果その形になったとか。今の瑞穂さんのようなことだろうか。
「白露に言われたことも忘れちゃった? 狂犬と飼い主」
「狂犬って……」
「今でこそ大分丸くなったけど、最初の春風凄かったんだよ。出撃の度に豹変するし、やめろって言ってるのに敵の死体消えるまで撃とうとするし」
あの春風さんにそんな一面があるなんて思えなかった。今でこそ、私の前では落ち込んだ姿しか見せないが、戦闘では荒れに荒れるらしい。それもこれも、半分混ざり込んだ深海棲艦が原因だとか。
「半深海棲艦……」
「そっか、春風ちゃんと扶桑さんの記憶が無いなら、半深海棲艦のこともわからなくなってるんだね」
「いの一番に朝潮が受け入れたのに」
またチカッと記憶が見えた。秋津洲さんが春風さんを連れてくる映像。そうだ、元帥閣下が割と強引に配属を決めたところから春風さんとの関係が始まっていたんだ。
「ありがとうございます。記憶探し、順調です」
「そう? なら良かった」
「全部思い出すのは時間がかかるかもしれないけど、頑張ってね」
皐月さんと潮さんからは有力な情報が手に入った。だが、おそらくこれは一番重要なところじゃない。扶桑さんはまだ日が浅いらしいが、春風さんはもっと深いところがあるはずだ。まだまだ情報が必要。
午前中はいろんな人に話を聞いて回った。少しずつ、少しずつだが記憶のカケラが集まっていく。だが、本当に一番重要な部分だけが取り戻せていない。親密な仲になった時の記憶がまったく無い。
「難しいですね……自分で拒絶した記憶を取り戻すのは」
「それだけ朝潮様に負担がかかっていたのです。それでも取り戻したいと仰るなんて、眩しすぎて瑞穂は目を背けざるを得ません」
歩き回っても体調は悪くならない。今のところストレスは感じていない。まだ行けるとやる気が出る同時に、不安も少なからず出てきた。探している2人との記憶が無いからこそ、私は今体調も崩さず行動できているのでは無いか。わからないからこそ、良いようにも悪いようにも取れる。
「朝潮様、一度休憩を。昼餉のお時間です」
「そうですね。午後からまた頑張りましょう」
成果が無かったわけではないが、前進しているとも言い難い。
「どうよ、成果は」
「まだまだね……」
昼食を摂りながら霞に問われる。正直まだまだ先は長いとしか言えない。春風さんとの思い出は少しずつ戻ってきているが、それは本当に少しだけ。扶桑さんに至っては敵対しているときのことばかりだ。現状を作った経緯がまったく思い出せない。
「春風さんは?」
「大潮姉さんが見てる。今日の警護任務が手につかなくて、さっき小破しちゃったのよ」
「……私が忘れてしまったから……」
深い関係だった人に忘れられるというのは、想像を絶する絶望なのだと思う。それを引き起こしてしまった自分が心底嫌になった。それほどの罪があったとしても、そこまでされる道理はないはずだ。私はそんなに偉くない。
罪悪感が記憶を1つ呼び起こした。高熱で朦朧とした意識で、あの2人が消えれば解放されるのではないかという考えに辿り着いた記憶。最悪な考えが口から出た瞬間、瑞穂さんに無理矢理眠らされた。
「あ……私……本当に……」
「姉さん?」
「あの2人に消えてほしいって思っちゃったんだ……思い出した……」
手が震える。急激に体調が悪くなる。自己嫌悪で吐き気までしてきた。
「私、なんで、そんな」
「朝潮様!?」
景色がぐらりと傾いた。防衛本能が私の意識を勝手に止めた。これ以上考えてはいけないと無意識に思ったのだろう。
この記憶は掘り返してはいけない記憶なのかもしれない。だか、思い出さなければ誰も救われない。私が犠牲になるのは別に構わないが、それで他の人を悲しませるのは私自身が許せない。
「朝潮……目が覚めた……?」
扶桑さんの膝枕で目が覚めた。食堂で気を失った私は、そのまま医務室に運ばれたらしいのだが、今は扶桑姉妹の部屋にいる。時間にして小一時間程度。部屋の外には山城さんと瑞穂さんが待機しているらしい。だから、今は2人きり。
「私がね……無理を言ってここに来てもらったの……」
「そうでしたか……」
扶桑さんを見ていると、また罪悪感に押し潰されそうになるが、今度は気を失うことは無かった。なんで消えてほしいなんて思ったのかがわからない。
私の身体を変えた原因だとしても、話を聞く限り私はこの身体を、扶桑さんにされたことを、全て許して受け入れている。それなのに何故。
「貴女から私の記憶が消えたと聞いて……勝手に涙が出てきたの……。瑞穂の話も……正直話半分で……何で泣いているのかもわからなかった……。やっとわかったわ……私……妹に捨てられて悲しかったんだって……」
「捨てたってそんな!」
「私が馬鹿なことをしたから……愛想を尽かされたって……思ったのよ……」
ずっと扶桑さんは涙目だった。
私が扶桑さんの存在を忘れてしまってから、ずっと部屋に引きこもっていたらしい。それだけのことを私はしでかしてしまった。
「朝潮は……私に消えてもらいたいのよね……」
「そんな事ないです! あれは何かの間違い……私ですらなんでそんなことを言ったのかわからないくらいで……」
「そう……でも朝潮の負担が無くなるなら……私は死んでもいいと思っているの……」
そんな馬鹿な話があるか。私のために死ぬなんて、絶対に言ってほしくない。その方が負担になる。死なれたら私も再起不能になる。誰も救われない。
「提督と山城から……いろいろ教わったの……。私……やっぱり壊れているみたい……」
「壊れてるってそんなこと……」
「山城に言われて……やっとわかったくらいなの……。私が朝潮にしたこと……酷いことなんだって……。霞に殴られて当然のことなのかもって……」
扶桑さんは私の消えた記憶の中で、霞に殴られているらしい。霞が割り切るために、一度だけ。その時に、相手の気が済むのなら何度でも殴られればいいと思っていたそうだ。霞の平手打ちは、痛くも痒くも無かったが、何故か響いたのだとか。
その時に感じた感情が、おそらく罪悪感なんだろうとは思ったみたいだが、まだ刻み込めてはいないようだ。同じことをやってしまう可能性はある。
「山城さんは何と?」
「身勝手で……最低な行為ですって……。そうよね……春風にとっての朝潮は……私にとっての朝潮なんだもの……。自分のものを勝手に塗り替えられるのは……気に入らないわよね……。私も朝潮に何かされたら……相手を殺したくなるわ……」
私の白い髪を撫でながら話す。
扶桑さんの目には狂気が宿っている。こう話しながらも、私に対していろいろな感情が渦巻いているのが見て取れる。今の言葉でもそうだ。扶桑さんは私のことを『自分の
「朝潮……願わくば……貴女のことを妹と呼んでいいかしら……。記憶は戻らなくていい……愛してくれなくてもいい……貴女が妹としてここにいてくれれば私は……満たされるかもしれない……」
愛。そう、愛だ。扶桑さんが私に執着するようになったのは、私が口走った愛という言葉だ。
記憶がまた1つ呼び起こされた。鎮守府に攻め込んできた扶桑さんと、攫われる私の記憶。その時に私は扶桑さんに愛を語った。これがキッカケだ。
その記憶を起点に敵の陣地の記憶が、鎖を脚に巻きつけられた記憶が、霞達と相対した記憶が拡がった。
「私は意図的ではないにしろ、扶桑さんに消えてもらいたいと願ってしまいました。そんな私が妹で嬉しいですか? 私も酷いことを考えてしまったんですよ」
「……そう思われても仕方ないもの……まだ私には罪悪感というものがよくわからないけれど……きっといつか……心から反省できるように努力するわ……。だから……私に貴女を……愛させて……」
思い出した。扶桑さん……扶桑
春風さんより付き合いは短い。この関係になってたったの3日だ。だから思い出さなくてはいけない記憶もこれだけで済んだ。記憶が溢れ出るような感覚に、少し頭痛がした。
「私もお手伝いします。一緒に学んでいきましょう。大丈夫、きっと人間らしい感情が手に入りますよ。扶桑
「朝潮……貴女……」
「全部思い出しました。扶桑姉様に攫われて、敵の陣地で身体を変えられたことも。脱出を目論んで匿ってもらったことも。そのとき、薄暗い部屋で寄り添って眠りましたよね。ちゃんと思い出しましたよ」
枕にさせてもらっている膝がガタガタ震え出した。涙も溢れ出てきている。この涙の理由もおそらくわかっていないのだろう。
「私は……朝潮の中にいてもいいのね……」
「勿論ですよ。扶桑姉様だって仲間です。それに……2人で1つの海峡夜棲姫、でしょう?」
「そう……そうよ……私達は海峡夜棲姫……2人で1つの深海棲艦……なのだから……」
昨日の涙とは打って変わって綺麗な涙だ。狂気が消えた満面の笑み。これが本来の扶桑姉様なのだろう。
「おめでとうございます朝潮様。扶桑さんとの記憶を取り戻されたようで、瑞穂も大変嬉しゅうございます」
「ありがとうございます。ところで、扶桑姉様をどうにかしてもらえませんか。動けません」
扶桑姉様との記憶が蘇り、さんざん泣きつかれた後、今はずっと抱きしめられている。膝枕は終わっているが、膝の上に座らせられ、後頭部に頬擦りされていた。妹の温もりを感じたいとのこと。これ、山城さんもされているらしい。
「今はやられときなさい。原因は姉様かもしれないけど、こうしたのはアンタなんだから」
「それを言われると反論できません……」
何故扶桑姉様に消えてもらいたいと願ってしまったのかはわからない。高熱とストレスで心に余裕が無かったために出てしまった最悪な道なのか、それとも本当に私の中にある感情なのか。
「でもなんであんなこと言ってしまったんでしょう……自分でもわかりません」
「大方、熱に浮かされて有る事無い事言っちゃったんでしょ。気にしない方がいいわ。まだ春風の分もあるのよ」
そうだ、春風さんの記憶も早く取り戻さなくてはいけないのだ。あの悲しそうな顔はもう見たくない。
閉じた扉はキッカケがあれば簡単に開きます。扶桑は浅い、春風は深いだけ。