自ら拒絶した2人の記憶のうち、扶桑姉様の記憶は取り戻すことに成功した私、朝潮。たった3日間の記憶だったため、失った翌日に取り戻すことは出来た。だが、春風さんの記憶は相当に深い。すぐに取り戻せるかが心配であった。私が記憶を取り戻さない限り、春風さんはずっと曇ったままだ。早くどうにかしなくては。
扶桑姉様の記憶が戻ったことを司令官に報告した。記憶探しをしても根本的な解決は出来なかったが、本人と触れ合うことで解決のヒントが得られたことを伝える。
「そうか……扶桑君が医務室から連れ出した時はどうなるかと思ったが、いい方向に進んだのならよかったよ」
「はい、次は春風さんの記憶です。自分で拒絶しておいて調子のいい話ではありますが……」
司令官の顔が少し曇る。扶桑姉様より簡単には行かないと理解している。ただでさえ、記憶を失って以降、積極的に関わり合いを絶っているようにも見えたからだ。朝に一言二言交わした後は姿すら見ていない。昼食の時は小破でお風呂だったと聞いたし。
私が拒絶してしまったことで傷付けているのだ。私からも誠意を見せなくてはいけない。率先して会いに行きたい。だが、春風さんからも私を拒絶しているとしたら、私には打つ手が無くなる。
「私の方からも春風くんと話をしてみる。自分から行きづらいのなら、私経由で話をすればいい」
「了解しました。まずは私自身で会えるように努力してみます。避けられているのは承知ですが、私の脚で動かないといけないと思うんです」
私のワガママで今の状態になってしまっているのだから、私自身で動かなくてはダメだ。
「君達全員に言っていることだが、何度でも言うよ。無理だけはしちゃいけない。特に朝潮君、君は特に無理をする。私は心配で仕方ないよ」
「はい……」
「私が全ての責任を持つよ。朝潮君、好きなようにやりなさい。何かあれば手伝う。私も春風君には笑っていてもらいたい。勿論君にもね」
司令官も私と同じ気持ちでいてくれている。私の記憶と春風さんの笑顔を取り戻すため、私は司令官と一緒に奔走する。
「そういえば、扶桑君との記憶を思い出すキッカケはなんだったのかな」
「愛の話……でしたね。扶桑姉様に改めて愛させてほしいと言われたんです。その時に、攫われたときのあの記憶が蘇って……」
司令官が思案顔に。今の話で何か思うことがあるのだろうか。
おそらく、私の中の扶桑姉様との一番深い関係を持った記憶があれだ。愛を語り、扶桑姉様が狂気に駆られたあの事件。あの日だけで、私は見た目も立場もガラリと変わってしまっている。
「ふむ、あとは春風君の勇気だけかな……。朝潮君、明日の夜に時間を貰えるかな。春風君との記憶を取り戻せるかもしれない」
「本当ですか!?」
「ああ。それまでは今日と同じように生活してほしい。それまでに取り戻すことができればそれでいい」
私と春風さんの一番深い関係を持った記憶は、司令官に心当たりがあるようだ。それには春風さんにも勇気がいると。聞いた話では、私は春風さんの深刻な状態を立ち直らせているという。それを思い出せる何かを、司令官は用意してくれるのかもしれない。
その後は結局、司令官に指定された時間まで何の成果も得られなかった。記憶のカケラだけは集まるが、春風さんが妹分だったときの記憶は何一つ思い出せない。
何より、春風さんと一切顔が合わせられなかったのがキツかった。朝昼晩に霞とは話をするのだが、春風さんは姿すら現さない。探しても見つからなかったほどなので、確実に避けられていた。
そして、夜を迎える。月が綺麗な夜だった。
司令官に指定された場所に行き、艤装も装備してポツンと佇む。海の真ん中、鎮守府に割り当てられた私室から見えない、ひっそりとした最も暗いであろう海路。深海艦娘化の影響で、探照灯が無くても周りがよく見えた。
「こんばんは……朝潮さん」
まだ電探眼鏡が禁止されているため、近付かれたことに気付かなかった。声がする方を振り向く。
「春風さん……やっと姿を見せてくれましたね」
目は逸らされるが、やっと私の前に出てきてくれた。こんな夜でないと話せないことなのだろうか。司令官がわざわざこの時間を指定したのだから、何か理由があるのだろう。
「2日間……たった2日間ですが、貴女からわたくしの記憶が消えた後、ずっと考えていました。瑞穂さんにも説教され、霞さんや大潮さんにもいろいろ話し、わたくしの中で1つ決着をつけたいと思います」
何も無いところから左腕を埋め尽くす深海の艤装が現れた。私が忘れているという半深海棲艦の特性。工廠要らずの艤装展開。扶桑姉様は艤装自体があって無いようなものなので、ここまでの展開を見ると少し驚いてしまう。
「やはり、わたくしは扶桑さんを許せそうにありません。いくら貴女がそれを受け入れようと、変えられた事実は覆りません。わたくしは貴女に拒絶されても仕方がないと思っています。なので」
私の記憶が消えたキッカケは春風さんの扶桑姉様に対する殺意。
記憶が1つ呼び起こされた。私の今の制服を拒絶し、脱ぐことを強要してきた春風さんから距離を置くことを決めたときの記憶。私に最も負荷がかかった時の記憶。
「どうせ拒絶するなら、わたくしをここで殺してください」
静寂がこの場を支配した。
私に殺せと? 冗談じゃない。
「お断りします。どうであれ、私が春風さんを殺す理由になりません」
「ならばそこを退いてください。鎮守府から出ていきます。北端上陸姫の軍門に下り、改めて貴女の敵として現れれば殺してもらえますか?」
主砲を向けられた。退かなければ撃つぞという覚悟の表れ。
「わたくしがここにいても、貴女に負荷をかけ続けるだけでしょう」
「私も努力します。だから、一緒に生きていきましょう」
撃たれた。砲弾は肩を掠め、遠くの海へ落ちる。演習用のダミーじゃない、実弾を撃たれた。
「退いてください。わたくしは死にたいのです」
「ダメです。死なないでください」
「……退けよ」
逆の肩を掠めるように撃たれる。
雰囲気が変わった。これが皐月さんの言っていた『狂犬』か。瞳で炎が燃え上がり、表情も性格もガラリと変わる。
「わたくしは本気だ。そこを退け」
「やめてください。そんなことをしても、悲しみしか生まないでしょう」
「ならここで殺せ。貴女の手で殺されるなら本望だ。どうせ拒絶されてるんだから!」
銃口が私の頭に狙いを定める。2回肩を掠めたのは脅しのため。だが次は無いと、態度で示してきた。このままだと本当に命を落としかねない。やられる前にやれと。
「……わかりました」
「退く気になったか」
春風さんは引かないだろう。目がそれを語っている。それなら、私はそれに本気で応えるしかない。
「なら、私がここで貴女を殺すわ」
身体が勝手に動くように私は
「それだ! それだよ
白兵戦なんて出来るはずが無いのに頭に向かって蹴りを放つ。自然にこの行動が出来た。今までに何度も扶桑姉妹の戦闘を見てきているからか、うまく真似ができているように思えた。
私の蹴りは艤装にガードされる。体勢を崩すことができないが、あちらも撃ってこない。
「何故止めたの? 死にたいのでしょう?」
「そこまで……貴女は本当にっ!」
体勢を崩すために脚を蹴る。同時に艤装を払って砲の向きを外へ。これも自然と身体が動いた。
「
「同じことって……っ」
突き飛ばして倒す。この間、一度も攻撃されなかった。この展開を望んでいるようだった。望まれるがままに馬乗りになる。春風さんは終始笑顔のままだ。私との戦いを楽しんでいる。
「次は……こうだろ?」
手を取られ、首に持っていかれる。絞めろと、目が語っている。そんなことをしたら本当に死んでしまうのに。
「思い出せ。思い出せよ。思い出せないのなら、このまま殺せ!」
扶桑姉様の時と同じように、記憶が紐解かれていくようだった。私はこれを知っている。月夜の晩に、春風さんを……
そこから記憶が溢れ出した。扶桑姉様の時とは段違いの情報の波。数ヶ月もの春風との思い出が、全部蘇ってきた。頭が痛くなるほどの記憶の奔流。
「思い……出した……」
「御姉様?」
春風の首から手を離す。自然と涙と笑みが零れた。
これは夜にしか出来ない。こんなことしたのは、この時間しかない。あの時も、月が綺麗な夜だった。
「同じ場所で、同じ時間に、今度は私が救われるなんてね。意趣返しのつもり?」
軽くチョップをしてから離れる。本能的にストレスだと思っていた記憶も、今となってはかけがえの無いものであることに気付くことができた。ストレスは感じない。体調はすこぶるいい。
春風だって、私のことを思って扶桑姉様を憎んでいた。どちらを取るとか、距離を置くとか、そういうことを考えた私の方が愚かだったのかもしれない。
「全部思い出した。春風、ごめんなさいね。貴女を拒絶してしまって」
「構いません……わたくしこそ申し訳ありませんでした、拒絶されるだけのことをしましたから。まだ扶桑さんを受け入れることは出来ませんが、御姉様が帰ってきてくれただけでもわたくしは嬉しいです」
まだ扶桑姉様のことはダメな様子。仲良くしてもらいたいのだが。
なら、ここからは私なりのケジメをつけよう。せっかくこの身体になったのだ。この身体を拒む春風に、身を以て知ってもらおう。
「春風、ここから個人演習って形で、喧嘩しましょうか。深海艦娘の力、その身体に教え込んであげる。私が勝ったら、扶桑姉様を受け入れなさい」
「……ならわたくしが勝ったら扶桑さんのことを姉と呼ぶのをやめてくださいね。そういう勝負なのでしょう?」
お互い笑顔だった。記憶を取り戻せた喜びと、春風とこういうことができるようになった喜び。まさか、喧嘩が楽しいと思える時が来るなんて思えなかった。
そうか、これがもしかしたら神通さんと北上さんの関係なのかもしれない。
「今の私を嘗めてかからないことね」
艦載機を6つ発艦。その全てにダミーの弾を詰め込む。深海の艦載機はその場で動きを止めることができるドローンのようなものだ。私はこれを意のままに操り、武器として使うことになる。深海艦娘化でついに手に入れた攻撃手段。
「はっ、こっちは経験が違うんだ! いくら御姉様といえ、簡単に負けてやるもんか!」
改めて艤装を展開。弾が全てダミーに置き換わった。
「それをずっと見続けているのは誰だと思ってるの」
「電探眼鏡もないのに何が出来るっていうのさぁ!」
春風の砲撃が、喧嘩の始まりの合図だった。
「電探が無くても動きなんて手に取るようにわかるわ! 私は春風をずっと見てきたもの!」
「わたくしも同じさ! 御姉様がどうやって避けてきているかなんて、一番わかってる!」
春風の癖は最初からわかっている。電探なんていらない。目で見て、耳で聞けば、どうしたいかなんてわかる。主砲の威力は激しいけれど、当たらなければ関係ない。
合間合間に艦載機による攻撃を加えながら、徐々に間合いを詰めていく。いくら春風でも、艦載機を使う私は、扶桑姉様と脱出してきたときのあの一度だけしか見ていない。
「ほんっとうに当たらないなぁ御姉様ぁ!」
「貴女も精度が良くなってるじゃない! でももっと頑張りなさいな!」
手を春風に向けた。何かされると思ったのだろう、春風も手を払い魚雷を生成。広範囲で逃げ場を無くしてきた。時間差まで出して跳び越えることも考慮に入れてきている。
「これで勝ちだ! 跳び越えられないだろ!」
「前までの私ならね。今なら!」
艦載機のうちの3つは背後に回らせている。2つは両サイド。そして残り1つは真正面。両サイドの艦載機を自分の元に戻し、魚雷を跳び越える。
「御姉様のジャンプ力くらいわかってる!」
「補うくらいするわよ!」
艦載機を掴み、強引に滞空時間を延ばした。私程度の重さでも持ち上げるのは難しいが、ゆっくり下ろすくらいはできる。
大きく手を引く。背後に回らせた艦載機に攻撃させる合図。
「私の勝ち!」
「いいや、負けじゃない!」
滞空しているということは、空中で無防備ということだ。つまり、春風にとって私は恰好の的である。
「なら」
「引き分けだな」
私の艦載機からの攻撃と、春風の砲撃がお互いに同時に当たった。本当に同時。結果は引き分け。
だが、私達のボルテージはまだまだ上がっている。
「まだだろ! 御姉様!」
「勝敗が付くまでやるわよ! というか顔狙わないでくれる!?」
「無防備な御姉様が悪い!」
夜中だというのに、私達ははしゃぎながら喧嘩を繰り返す。いや、もう喧嘩ではないか。かなり乱暴なじゃれあい。お互いドロドロになりながらも、これは絆を確かめ合う行為だ。
楽しかった。本当に楽しかった。終始笑顔だった。
春風との喧嘩を終え、工廠に戻った。司令官を筆頭に、あの時に私を手伝ってくれた霞と山城さん、大淀さんに加え、大潮や瑞穂さん、扶桑姉様まで待っていてくれた。奥には明石さんもいる。
「お疲れ様。スッキリしたかい?」
司令官が私の記憶を戻すためにこの場をセッティングしてくれたわけだが、春風とこうなるところまで織込み済みだったようだ。
さんざん喧嘩をして、ストレスなんてものを感じないくらいスッキリしていた。私も春風も、海水とペイントでグチャグチャだ。思いの丈をぶつけ合うのは、言葉だけじゃないのだと思う。たまには殴り合いの喧嘩をしても、バチは当たらないだろう。
「司令官は何処まで指示をしていたんですか」
「春風君に、あの場所で朝潮君が待っていると伝えただけさ」
「……司令官の手のひらの上だったんですか?」
「さぁ、どうだろうね」
含み笑い。ああ、この人には敵わない。
「ほら、さっさと着替えて寝るわよ。今日は部屋に戻ってくるでしょ?」
「お姉さんがいないと霞の寝付きが悪いんです! だから、戻ってきてくださいね!」
霞と大潮に急かされて艤装を下ろす。私が元に戻ったからか、上機嫌に見える。足取りも軽やかだ。これだけ汚れているのだから、まずはお風呂に行かなくては。
「霞、大潮。今日はちょっと趣向を変えてみない?」
「どういうことよ」
「みんなで寝ましょう。春風も、瑞穂さんも、みんなで」
私が心配させたみんなと一緒にいたかった。2日間、本当に苦労をかけてしまったのだから、何かしてあげたいと思った結果、思い付いたのがこれだ。今の私にはこれくらいしかできないし。
「無茶言わないでよ。部屋に入れる人数考えて」
「大淀君」
「滞りなく。朝潮さん、談話室の一角に、座敷のスペースと7人分のお布団を用意させていただきました。自由に使ってください」
さすが悪ノリの大淀さん、抜かりなし。私の発言と同時に明石さんに連絡を入れ、そのまま妖精さんが準備に入り、即完了である。この間、わずか数秒。妖精さんの力を持ってすれば、この程度朝飯前であった。しっかりお座敷まで作っている辺り、悪ノリが過ぎる。
「ちょっと待って、7人って、私達まで入ってんの?」
扶桑姉妹含めて7人である。春風には勿論、扶桑姉様にも迷惑をかけてしまった。せっかくだし、私経由ではあるが姉妹の絆をもっと深めようではないか。
「いいじゃない……私は……朝潮と寝たいわ……」
「御姉様、扶桑さんを入れるのはちょっと」
「こら春風、こういう時に受け入れないでどうするの。さっきの演習は最終的に私が勝ったんだから受け入れなさい」
「あれは引き分けです! いくら御姉様といえど虚偽の報告は」
「もうどっちでもいいわよ……私結構眠いんだけど……」
「大潮も眠いです! 扶桑さん山城さん、一緒に行きましょう!」
「瑞穂もご一緒してよろしいのでしょうか。恐れ多いのですが」
「瑞穂さんは今回のMVPよ。この霞が認める。今日は朝潮姉さんの隣の権利をあげるわ」
「朝潮様、早く参りましょう。もう夜も更けてまいりました。明日に支障が出る前に御早く」
「わたくしはまだ認めたわけでは」
「うっさい! さっさと行くわよ! 姉様も行きましょう」
「ええ……朝潮のもう片方の隣は……私がいいわね……」
「許しません。百歩譲って同じ部屋で寝るのは良しとしても、御姉様のお隣はダメです」
「春風!」
もうてんやわんや。私の周りも大所帯になったものだ。ここにレキさんやウォースパイトさんまで入ってくるのだから、騒がしい連合艦隊である。
「楽しそうで何よりだよ」
「そうですね。勿論、青葉さんにも手配済みです」
「また思い出が増えるわけだね。いいことだ」
司令官と大淀さんが聞き捨てならないことを言っているようだが、もう気にしないことにした。今はこの騒がしさを楽しむ方が先決だ。
春風は艤装の都合上、自殺が出来ません。左腕が大きく曲がらないので。死にたいときは人に頼むしかない業を背負っています。