その時だけは時間が止まったように思えた。周りの音が一切聞こえなくなった。見えている世界が、灰色に染まった。だが、その
山城姉様の腹を、戦艦天姫の腕が貫いていた。
身体が動かない自分を心底恨んだ。非力な自分を心底蔑んだ。何もできない今を心底悲しんだ。そして、山城姉様をあんな風にした戦艦天姫を、心底憎んだ。
戦艦天姫の腕がズルリの抜け、山城姉様がその場に倒れ臥す。沈んでいかないところを見るとまだ息があるのはわかった。それだけは喜ぶべきだろう。
「山城……真っ赤よ……どうしたの……山城……目を覚ましなさい……山城……」
私の隣の扶桑姉様がガタガタと震えだした。ようやく手に入れた2人の妹の片方が、敵の前に無残にも散った。その現実が受け入れられないでいる。まだ死んでいない。すぐに入渠させれば命は助かる。だが、身体が動かない。
「山城……山城……ヤマシロ……山城……目を……覚ましなさい……」
「もう邪魔なので、退かしておきますね」
「ア……」
倒れ臥した山城姉様の身体を、戦艦天姫が工廠の奥に蹴り飛ばした。怒りがさらに増した。それ以上に、私の隣から怒気を感じた。ただでさえ狂気に堕ちている扶桑姉様が、さらに狂おうとしている。ようやく手に入れた理性を投げ捨て、ただ殺すためだけの厄災に戻ろうとしている。
「……殺すわ……壊すわ……一片も残さず……グチャグチャにしてあげるわ……」
涙が流れ落ちた後、虚ろな目で立ち上がる。狂気の宿った瞳の光。敵に対して容赦などしないが、今の扶桑姉様は自分の命も省みていない。どうなろうが戦艦天姫を殺そうという気概が感じられた。それこそ、命を捨ててでも。
私も同じように暴走をしようと、自分の変化を肯定していた。私はもう自分の身体の変化に対して抵抗が無い。アサも止めてこようとしない。骨がメキメキと音を立てているようだが、気にもならなかった。身体が熱い。服がキツくなってきた。だが、それももう知ったことではない。鬱陶しいので服は破り捨てた。
「あれ、もしかしてアサちゃん、変化してます?」
戦艦天姫が満面の笑みでこちらを見てきた。気に入らない顔。血塗れの腕を見せびらかすようにこちらに向け、かかってこいと言わんばかりに手を振る。腹が立つ。
「壊すわ……もう知らない……絶対に殺してあげる」
自分への負荷を全て無視し、本来なら十全に機能を発揮しない艤装を強引に活性化させ、追加の負荷で血涙を流しながら戦艦天姫に突っ込んだ。完全に暴走している。
「アサちゃんが見たいので邪魔しないでください!」
そんな扶桑姉様ですら、片手間に遇らう。その態度が気に入らない。腹が立つ。その笑顔をグチャグチャにしてやりたい。八つ裂きにしてやりたい。殺したい。殺したい。殺したい。
「殺シテヤル」
たった一言口から出ただけで、やけに力が湧いた。身体は重いし吐き気もするが、そんなことを忘れられるほどの怒りと憎しみ。
ゆらりと立ち上がり、艤装を展開する。今まで機関部に腕が接続されていただけの艤装がさらに変化し、小型化された戦艦棲姫の自立型艤装が、深海忌雷が変形した機関部に接続されていた。その自立型艤装には脚が無く、接続により宙に浮いているようにも見える。艤装展開中だけは、アサがこちら側に入っているように思えた。
ありがたいことに私の方にも艤装が現れ、腕と脚が包まれていた。これなら私も攻撃が出来る。私自ら敵を殺せる。
「わぁ、戦艦棲姫みたいになりましたよ! ミサキちゃん、見ました!?」
「
敵の2人が何かを言っているようだが、理解が出来なかった。とにかく目の前の敵を破壊したい。潰したい。殺したい。
「ああもう、邪魔ですよ! 扶桑さんでしたっけ、アマツはアサちゃんをもっと見ていたいんですよ!」
「知らないわそんなもの……貴女を壊すまで……止まらない……」
私が変化している間も、扶桑姉様は戦艦天姫を攻撃し続けてくれていた。扶桑姉様の全力を以てしても、その場に足止めする程度で終わってしまう。その全力すらも、敵の干渉を強引に克服するために、扶桑姉様が限界を超えて搾り出している力だ。攻撃する度に、身体が裂けてきている。
「アマツが壊れる前に自分が壊れそうですね。それなら、妹と一緒のところに行ってください」
躱し続けていた戦艦天姫が扶桑姉様の攻撃を受け止めると、山城姉様と同じように腹を貫いた。が、その腕を掴んで耳元で一言。
「ツ カ マ エ タ」
いいタイミングだ。私の変化は止まった。ここからは戦える。身体が前より大きくなっているが、気にもならない。艤装もまた大きく様変わりしたが、どう動かせばいいか理解している。
「え、ちょっと、抜くんで離してください!」
残った力を使った、身体を張っての拘束。この危機的状況でも、扶桑姉様は薄ら笑いを浮かべている。いつもはそんなに表情を変えないのに、今だけは敵が焦る姿を見てほくそ笑んでいる。その気持ち、私が力に変えよう。
「アァアアアアァアアアア!!!」
咆哮し、戦艦天姫に向かい、跳ぶ。今までよりも身体が軽い。殺すために最適化されている。扶桑姉様が押さえてくれている真上から、落下の力を利用して拳を振り下ろす。
「わぁ、とっても凶暴になりましたね!」
私の渾身の拳も、戦艦天姫には児戯に等しいらしい。残った片手で簡単に受け止められ、腕がピクリとも動かなくなる。なんて膂力だ。離れたくても離れられず、突っ込みたくても突っ込まない。軽めに止められている割には、私は身動き一つ取れなくされていた。
だが、今は別行動を取る艤装がある。私の拳は止められていても、私よりも強力な
「あ、これマズイかもです。離してください!」
「離さないわよ……確実に……殺すために……」
「ココデ! 死ネェ!」
ここで足が出てきた。扶桑姉様を強引に蹴り飛ばし、貫いていた腕を引き抜く。その勢いで扶桑姉様は山城姉様と同じ場所に吹き飛ばされ、再起不能に。片腕が空いたせいで、アサの拳も止められる。
「やっと邪魔がいなくなりました。あ、死んでないなら入渠してもいいですよ。アマツは優しいので今はわざわざ攻撃しません。アサちゃんに興味がありますから」
依然工廠の中のため、他の艦娘はこちらに攻撃できないでいる。そもそも私が近すぎて攻撃出来ないのだろう。軽巡岬姫の方も、天龍さんと龍田さんが応戦しているせいで手出しが出来ない。
「アサちゃんは殺しませんよ。お母様が求めてますから。せっかくなので、今ここでお友達になりましょう」
「コノクズガァ! ココデ絶対ニ殺シテヤル!」
「アサちゃんには耐えられますかね?」
戦艦天姫の両腕は塞がっている。さりげなく私の脚も動かないように固定されていた。これだけの戦闘をしても主砲を使ってこない辺り、完全に嘗められている。
ここで何を血迷ったのか、私の首筋に噛み付いてきた。肉を千切るほどの力で無理矢理歯を突き立て、少ししてから拘束すらやめた。痛みに首筋を押さえる。しっかり血が出るほどに噛まれていた。噛んだだけでなく、傷が拡がるようにされていた。
「アサちゃん、これわかります?」
舌を出して見せてきた。舌の上に乗っているのは見覚えのある黒い塊がいくつか。
「お母様が『種子』って言ってるものです。知ってますよね。今、そこにいーっぱい埋め込んじゃいました。島風ちゃんみたいなとくいこたい?じゃなければ、アマツのお友達になってくれると思います」
今の噛みつきで私の首筋にいくつかの『種子』を埋め込んだということだ。だが私は予防接種をしている。当然対策済み。ただ痛いだけだ。私はこのクズを殺さなくては気が済まない。たかがこんなことで拘束を解くなど、ふざけているにも程がある。だが
「ッギ……ナニ……」
首筋から妙な熱が拡がってきた。噛み付かれて傷になったことで熱が出ているだけだ。ジワジワと拡がる熱が鬱陶しい。首筋を押さえながら戦艦天姫を睨み付ける。私は早くこの女を殺さなくてはいけないのに、
「ナニヲシタ……!」
「いっぱいいーっぱい埋め込んだだけですよ。アマツが出せるだけ全部なので、そうですね、30個くらい?」
ドクンドクンと血の巡りが速くなる。身体がおかしい。噛み傷の痛みが変に和らいでいるように思えた。血はまだ止まっていないのに。
「そろそろ気持ちよくなってきますよ。
事前に神通さんに聞いていたことを思い出した。埋め込まれた『種子』の『発芽』は恐ろしいほどに
深海艦娘に変化させられる時とはまた違う感覚。あの時は変化が幸福感にすり替えられた。だがこれはそれ以上におかしい。あまり理解が出来ないが受け入れてしまう。これが気持ちいいというのならそういうものなのかもしれない。
「クソ……ガァ!」
思い通りになるのが腹が立つ。首筋から抉り出してやろうと、傷口に指を突っ込もうとするが、それを見越して戦艦天姫に再び取り押さえられた。私の変化に心の底から喜んでいる満面の笑みが気に入らない。
ビクンと身体が震えた。首を中心に『種子』が根を張っていく感覚。それがとてつもなく
「アッ、アァアアアアッ!?」
「ふふん、来ました来ました。お友達になれそうですね」
価値観が変えられていく。嫌だ、嫌だ、こんなふざけたことで、皆を敵と思いたくない。だが、ゆっくりと、歪んでいく。私の周りのものが、おかしくなっていく。
「大丈夫だよ朝潮ちゃん、ちゃんと助けるから」
誰かの声に気を取られ、気付いたら、脇腹に例の注射器が数本刺されていた。『種子』の中和剤だとわかった瞬間、気持ち良さが一転、身悶えるほどの激痛が身体を駆け巡る。この激痛のおかげで、私を支配していた怒りと憎しみが抜け落ちた。自分で言うのはあれだが、私は正気に戻った。
艤装のアサに掴まってブレーキをかけていたのは那珂ちゃんさんだった。私に中和剤を入れてくれたのもおそらくこの人。フルスピードを維持せざるを得ない
「ッいぃいいっ!?」
「っよし! 任務完了! 次、古鷹ちゃん!」
「了解! 目くらまし!」
苦痛に悶える私の真後ろにいた古鷹さんが、戦艦天姫に向けて全力で探照灯を照射。内蔵式探照灯が故に、出力を自分で調整出来ることで、地味ながらも強烈な攻撃になった。ON/OFF自由な辺りも目くらましにはちょうどいい。
この時点で、戦艦天姫は搦め手に弱いことがわかった。真っ向からのゴリ押しで圧倒的な力量差を見せることで、こちらの戦意を奪おうとしてきている。それなら、どれだけでも狡いことをやってやろう。普通では考えられないような戦術をいくつも使い、手のひらの上で踊らせてやればいい。
「眩しっ!?」
「高雄さん!」
「皆さん少し我慢しなさいね!」
戦艦天姫の真下から垂直に魚雷が上ってきた。この魚雷の挙動は霞が使っていた試作品の手動操作魚雷をよりピーキーにしたものだ。霞と違い電探が装備出来る高雄さんは、霞に数と威力と手早さで後れを取る代わりに、機動性と小回りで上回るように訓練していた。
この場で最も重要なのは工廠に影響なく敵のみを撃ち抜く精度。それを魚雷でやれるのは、そもそもスナイプを得意としていた高雄さんの真骨頂。
「朝潮ちゃん、艤装しまえる?」
「身体は動きませんが……やれます……」
「合図したらしまって。2……1……GO!」
那珂ちゃんさんの合図と同時に、高雄さんの魚雷が海上に飛び出し、戦艦天姫の背中に衝撃を与えるように爆発した。炎が上がるわけでなく、訓練用の空気の爆発。死には至らないが、それなりに酷い衝撃が入る。
その衝撃で私の拘束が緩んだ。それに合わせて艤装をしまう。合図を出した那珂ちゃんさん自体は私の腕を掴み、脚部艤装を海面につける。その瞬間、力の抜けた私の身体を強引に引っ張る形でトップスピードが出た。ダメージはあるが、私は戦艦天姫から引き剥がされ、ほとんど事故のような状態で海上から上がった。
「救出完了! 那珂ちゃん大活躍!」
「ありがとう……ございます……」
中和剤の激痛がようやく引いてきた。古鷹さんと高雄さんも撤退済み。戦場には目くらましを喰らってふらつく戦艦天姫しかいない。
「前哨戦です。ようやくスタンバイ出来ました」
「私もだ。ヤツを追い返すぞ。榛名」
「はい、榛名は大丈夫です」
搦め手の隙間にゴリ押しを入れ込む。目くらましがまともに効いた戦艦天姫の前に出撃したのはガングートさんと榛名さん。せめて工廠から追い出してしまえばまともな戦闘が出来ると判断した。
ガングートさんはわかるが、榛名さんはそういうことをする人には思えない。だが、今までの自信から何か秘策があるのだろう。
「目潰しとかズルイです!」
「戦場にズルイもクソもあるか。それに、貴様らにそれを言われる筋合いは無い」
「素直にお引き取りください。そうでなければ、強引に追い出します!」
ガングートさんはいつもの調子だが、榛名さんまで接近。白兵戦担当でも無いのにあそこまで近付いては危険だ。
「榛名、やれぇ!」
「参ります! 榛名、
榛名さんの宣言と共に艤装が変形。
金剛型の艤装の特徴として、艤装の両サイドに船体を模した盾が接続されている。それが展開し、なんとガングートさんの艤装と似たようなアームに変化した。
これが明石さんと共同で開発した榛名さんの新武装。明石さん命名で、Armed Guardian Phase、略してAGPというそうだ。遠距離と近距離を同時に可能とする強烈な進化である。
「榛名パンチです!」
宣言通り艤装のアームでパンチ。同時に主砲の発射。フラついている状態でこの攻撃は体勢を崩す原因にもなる。瞬間的な衝撃ならガングートさんよりも上だろう。
「フラついたなぁ! ならもう一撃だぁ! Ураааааааа!」
ガングートさんの会心の一撃で、ついに戦艦天姫が工廠の外に追い出された。咄嗟にガードをしたらしく無傷だったが、ようやく本来の戦場に移動させることが出来た。
その頃には天龍さんと龍田さんがかなりギリギリな状況。それでもどうにか押し返しギリギリ工廠の中というほどに。
「何なんですか! 目潰しして! 変な魚雷使って! 艤装が変形してパンチって!」
「さっきも言ったが、それを貴様らに言われる筋合いは無い」
それをガングートさんと榛名さんが追った。
その頃には私はあまりにも消耗が激しかった。最初の体調不良から、怒りと憎しみに任せた暴走、一時的な『種子』の『発芽』、そしてその中和。体力を根こそぎ持っていかれ、私は限界を超えていた。
どうしても耐え切れず、ここで意識を落としてしまう。目が覚めたらきっとこの戦闘はいい方向で終わっている。仲間を信じて、私は眠りについた。
朝潮、第二進化。上半身だけの自立型艤装が背中に接続された戦艦棲姫という様相に。艤装が宙に浮く、というのは他よりもファンタジーな気がしますが、天龍や龍田の頭部デバイスみたいなのもありますし、ここ最近では深海日棲姫のような下半身が無く浮いている深海棲艦なんてのも出たので問題ないかなと。