黒コートの混ぜ物、防空霞姫との戦いの最中、唯一十全に機能を使える瑞穂さんが、『種子』による洗脳を受けてしまったことで、消滅していたと思われた水母棲姫だった頃の記憶が蘇ってしまった。その状態で価値観が変化したために、私、朝潮を復讐する相手と認識し、まともに動けない状態で攻撃を受け続ける羽目に。
だが、その時間稼ぎが功を奏した。救世主は空より舞い降りる。
「お待たせ」
戦場に降り立ったのは山城姉様。戦艦天姫に大敗した後、さらに訓練を積んでいる。私達の中では誰もが認める最高戦力だ。
気配の端に感じた深海の気配はウォースパイトさんのものだ。ならば、その時点で山城姉様を戦場に投げ入れると思っていた。その予想は見事に的中。時間稼ぎをした甲斐があるというもの。
「瑞穂に『種子』?」
「ああ……どうにも出来なかった」
「そう。アンタ達も相当やられたわね……島風、無茶しすぎよ」
「時間稼ぎ頑張ったもん!」
「えらいえらい。血塗れじゃなかったら抱きしめてあげてたわ」
瑞穂さんは愚か、防空霞姫すら無視して会話を続ける。あちらは人からもぎ取った従者を盾にこちらを見ているが、山城姉様の正確な戦闘力は伝わっていないのだろうか。滅茶苦茶な登場に呆気にとられる気持ちはわかるが。
「防空霞姫様、申し訳ありません。自衛をお願いいたします」
「何言ってんの。アンタが私の盾にならないでどうすんのよ」
「
「アマツさんから? そういえば、腹を抉ってやった低速戦艦がいるってのは聞いてるけど」
今まで見てきているだけあり、瑞穂さんは本質を理解している。逆に防空霞姫は山城姉様ですら嘗めてかかっている。それだけしか聞いていないなら弱いと思っても仕方ないか。すぐに覆されることになるだろうが。
「あら、私ってば雑魚とでも思われてるのかしら。確かに戦艦天姫には手も足も出なかったわ。アレはまた別格なんでしょうね」
「普通の艦娘なんてみんな雑魚でしょ。ヒナタは6人がかりだったからやられたみたいだけど、ほとんど無傷だったわよね。それを、旧式の低速戦艦であるアンタ1人で何が出来るわけ?」
「そういう認識なわけね。面白くなってきたわ」
戦場で笑顔を見せる山城姉様。その方が余程怖い。
「瑞穂も覚悟しなさい。優しく出来るかわからないわ」
左手にキス。いつものルーティン。狙いは勿論防空霞姫。霞の顔をしていようが関係ない。これを知っている瑞穂さんは流石にまずいと思ったのだろう、顔が変わる。
「お逃げください!」
「逃がすかぁ!」
一撃。ただの一撃。ただし、間に瑞穂さんが割って入ったので本気の寸止め。
「仲間思いじゃない。瑞穂が盾になったらちゃんと当てないなんて。そんな甘ちゃんだから手も足も出ないんでしょ」
何もわかっていない。山城姉様の本気の拳は、
胸に拳圧をモロに喰らった瑞穂さんは、何をするでもなく、そのまま白眼を剥いて倒れてしまった。
「……は?」
「次はアンタにこれをぶち当てるから覚悟しておきなさい。短い時間で念仏でも唱えておけば?」
倒れ伏した瑞穂さんの艤装を掴むと、雪さんに向かって放り投げる。
「雪、こいつの中和」
「は、はい!」
これで今の心配事は一旦消えた。邪魔者はいなくなった。あちらはこちらを嘗めてかかっていたが、今の一撃で認識を変えたようだ。
「ふぅん……そう。何したかわからないけど、アンタも引き込んだ方がいいわね。朝棲姫はどうしてもこちらに欲しいんだけど、アンタも欲しくなっちゃった」
「そこまで朝潮に執着するのは何故なのかしらね。別にこの子じゃなくてもいいじゃない」
「そんなこと知らないわよ。お姫様の……私達の母さんに聞いてもらえる? 私達が母さんの崇高な考えなんてわかるわけないもの」
高射砲が全て山城姉様に照準を合わせる。普通の艦娘ならひとたまりもないだろう。だが、その背中は頼もしかった。戦艦並の砲口を8つ向けられても、この人なら無傷で生還すると確信出来る。
「死ななかったら私のものにしてあげる。死んだら雑魚ってことだものね。瑞穂は面白かったけど大したことはなかったわね」
瑞穂さんを救出し、ようやく冷静に戻れるかと思った矢先にこの言い草。抑え込まれていた怒りと憎しみが再発。隣に島風さんがいるものの、思考の海は徐々に熱くなる。自制しようと思う気持ちはあるものの、収まりがつかない。
怒りと憎しみに理性を上乗せし、暴走を何とか止めている。
『呑まれちゃダメ……呑まれちゃダメ……』
「そうだ、理性的でいろよ朝潮……私が本能でお前が理性なんだからな……」
私の怒りと憎しみは、山城姉様が晴らしてくれる。そう思うだけで、ほんの少しは緩和される。
「能書きはもういいかしら。ほら、早く撃ちなさい」
「言われなくてもやってやるわよ」
轟音と共に一斉砲撃。8門の高射砲全てから、戦艦並の火力が放たれた。1つや2つなら簡単に弾けるだろうが、8つともなると回避すらも至難の技だ。
3つかすった時点で『種子』は3つ。それで『発芽』が確定する。あちらは山城姉様も欲しいと言い出しているため、直撃よりもかすらせることをメインに考えているだろう。
その砲撃に合わせ、山城姉様は
「っぎぃっ!? こいつ……!」
「霞のツラを殴るのは気が引けるわね。ねぇ、何処から
「ふざけるな! 何でアンタが余裕こいてるのよ! 雑魚の旧式戦艦風情が!」
霞の顔での悪態は心にクる。だが、どうにか理性を保ち、山城姉様の奮闘を見届ける。怒りも憎しみも限界まで膨れ上がりそうだったが、山城姉様の戦う姿を見ていると心に活力と勇気が湧いてくる。私の尊敬する姉だ。
「綺麗な顔のまま、他をズタズタにしてやるわ」
「っがぁっ!?」
不意打ち気味に両肩を掴み、握りつぶす。肩から下が動かなくなれば、万が一のことも無くなる。以前に私達が見た空母鳳姫は接近戦をカバーするために匕首を持っていたが、防空霞姫はそういったものは無いようだ。艤装が異常に大きいからか、白兵戦用の武器を用意する場所も無いように見える。
痛みもあるだろうが、近くにいてもらいたくないという気持ちが強いのだろう、大きく身体を振り、高射砲での攻撃を試みるが、適当に振るっただけなので簡単にキャッチ。片手で掴んでいるのに、ビクともしないようだ。もう間合いすら取らせない。
「な、なんでっ」
「高射砲が邪魔ね。アンタの頭が最後にこうなると思うから、ちょっと見てなさい」
至近距離過ぎて放つことの出来ない高射砲を殴り飛ばすと、木っ端微塵に吹き飛んだ。4基とも破壊し、もう何も出来ないというほどに。残っている武器があるのなら、まだ見せていない魚雷か、駆逐艦という枠を超えた艦載機か。
「クソッ、アンタ一体何なのよ!?」
「ただの艦娘よ。アンタみたいな混ぜ物じゃない、正真正銘の純粋な艦娘。旧型のボロ戦艦よ。わかったかしら、
だが、このタイミングで2つ目、3つ目の混ぜ物の気配を感じた。効果が一気に上乗せされ、アサが耐えきれずに嘔吐。3人分の相乗効果はとにかく尋常ではない。全身裂傷状態の島風さんの身体が危険な域に達してしまう。これは本当にまずい。
「ヤマシロ姉さん2時方向から!」
渾身の力でアサが叫び、追加で嘔吐。電探の範囲外から小さな反応が猛スピードで飛んでくる。これは一度見た、空母鳳姫の矢の反応。深海の気配を感じただけの距離から、正確無比な一射。並じゃない。
「そっちも援軍なわけ? 随分と弱気じゃない」
目の前にいた防空霞姫を掴み上げると、よりによって矢の盾にした。飛んできた矢はまだ背中に残っていた機関部艤装に突き刺さり、その勢いを止める。残念ながら貫通はしなかったようだが、身を守ることは出来たようだ。だがそれを見越したかのように恐ろしい速度で戦場に割り込んできた軽巡岬姫が、防空霞姫の身体を分捕るように回収した。
これと同時にこちらの援軍も戦場に到着。ウォースパイトさんを筆頭に、天龍さん、龍田さん、清霜さん、榛名さんの重量編成。さらには後発で護衛艦隊の4人も来るとのこと。いざ戦えと言われればその場で戦えるレベルではある。
「大発持ってきて正解だったみたいね〜」
「だな。龍田がいて良かったぜ」
すぐに私と島風さん、そして瑞穂さんを積み込んでくれる。なるべく吐かないように耐えているようだが、いつもとは比べ物にならない過負荷により、結局胃の中が空っぽになるまで吐き続けることに。
「カスミ、帰りが遅いと思ったら、随分と苦戦してるようだけど」
「ミサキさん……ごめんなさい、こんな奴らに手こずったわ……」
「映えある第二水雷戦隊なんだから、もう少し頑張りなさい。帰ったら訓練よ」
空母鳳姫の矢と艦載機が目くらましになり、攻撃したくても出来ない状況。そのまま撤退を許すことになってしまった。攻めに使うものを守りにも使い、牽制をしながら徐々に距離を開いていく。こうなるともう追いつけない。
「龍驤はいませんか。なら私は用がありません。皆殺しでもいいですが、この子の治療が先決ですので」
敵と会敵したが、結局何もせずお互いが撤退。ここでやってもジリ貧と踏んだのだろうか。あちらも慎重ではある。混ぜ物を減らしたくないのかもしれない。
私達が十全の状態なら、相手の出方関係無しに戦闘になっていただろう。そういう意味では、足手纏いとなったことが悔しかった。
なんとか鎮守府へ帰投。私と島風さん、そして瑞穂さんは早急に入渠。私に関しては、顔を殴られた傷と3人分の相乗効果で消耗して体力を回復するための入渠となる。他の2人とは違い、2時間ほどで終了した。
「お姉さん、話は聞きました」
大潮が服を持って待機してくれていた。時間ももう遅く、夕食を摂るためだけの着替えになるので、簡単に着られる海峡夜棲姫の着物。
「瑞穂さんの記憶が戻っちゃったって……」
「ええ……あの時のことを思い出してた。私、同じことされたわ。馬乗りで顔を殴られ続けた」
「そうですか……で、でも、洗脳は解けたんですし、入渠が終わったらいつもの瑞穂さんが戻ってきますよね!」
入渠が終わって記憶がまた無くなっているのなら今までの瑞穂さんが戻ってくるだろう。だが、今までの傾向からして、洗脳されていた記憶は全て残り続けている。その時に起こったことを、何もかも覚えている状態だ。
最悪の場合、瑞穂さんはまた壊れ、二度と目を覚まさないかもしれない。それだけは避けたい。何としてでも。
「お姉さん……?」
「戻ってきてほしいわよ……いつもの瑞穂さんが」
自然と涙が出てくる。どうしても、絶対に戻ってくると言えない。最悪な状況ばかりを考えてしまう。
「お姉さん……泣かないでください。泣かれると……大潮も泣いちゃいます……」
それだけ瑞穂さんが私達に馴染んでいたということだ。自分を罪人と称し、常に献身の姿勢を解かず、必要な時に瞬時に必要なことをやってくれた瑞穂さんには、いつもいつも頼らせてもらっていた。甘えてしまっていたかもしれない。それほどまでに身近な存在だった。
「きっと帰ってくる……帰ってくるわ。まずは入渠が終わるまで待ちましょう……考えるのはその後よ」
「はい、そうですね。それでいいんだと思います」
袖で涙をぬぐい、いつもの調子に戻ってくれた。私も今だけは立ち直ろう。ずっと気に病んでいても何も変わらない。
「それで……工廠の隅に霞がいるようだけど」
「敵も霞だったから、顔が合わせづらいって」
気持ちはわかる。自分で無いとわかっていても、自分と同じ姿形のものが悪事を働いているとなると肩身が狭い。特に今回の霞は物凄く横暴だった。洗脳された霞自身よりも酷い、見下した態度と暴言の嵐。あれを私に見せて心を崩そうとしてきているのだろう。効果的だと私も思う。
「霞、大丈夫だからちょっと来て」
ちょいちょいと手招きすると、無言でやってくる。気に病まなくてもいいところで落ち込んでいる辺り、私の妹だと実感する。性分なのだから仕方ない。それは私もわかっていることだ。
「……私も聞いたわ……別の私が瑞穂さんの記憶を蘇らせたのよね。私じゃないのに私の責任に思えて……」
自分では無いのに自分の名前を出されるせいでおかしなことになっているのだろう。防空霞姫は霞の外見では飽き足らず、名前にも"霞”の文字を入れ、周りからもカスミと呼ばせている始末だ。完全に私に意識させに来ている。
「大丈夫。霞のせいじゃないわ。だってそうでしょう。貴女は本当に何もやってないんだもの。気負う必要はないわ」
抱き寄せて頭を撫でる。私も癒されるし霞も癒される、一挙両得の行動。今は姉妹の温もりが欲しい。
「瑞穂さん……大丈夫よね。きっと大丈夫よね」
「……ええ……明日にでもいつもみたいに隣に立ってくれるわ……」
そうやって自分にも言い聞かせないと折れてしまいそうだった。
ここの朝潮型には深く深く繋がりを持った瑞穂。朝潮の心を壊すためにも充分な素材。