防空霞姫との戦闘の翌日。島風さんと瑞穂さんの入渠が完了する。瑞穂さんは準備が出来てから起こすこととし、まずは島風さんに起きてもらうことに。
私、朝潮は島風さんのドックの隣に立ち、明石さんの合図を待つ。
「じゃあ開けるよ」
「はい、大丈夫です」
島風さんの入るドックが開き、島風さんが元気よく目を覚ました。寝起きがここまで綺麗な人もなかなかいない。
「おっおーうっ! おはようございまーす!」
「おはようございます島風さん。身体の調子はどうですか?」
「だいじょーぶ! 全部動くし、連装砲ちゃんも元気いっぱい!」
過負荷を強引に乗り越えたことによる後天性の
本当に無理をすれば、あの体調不良は強引に払拭して戦うことが出来ることがわかった。そんな無理はしないが。
「ありがとうございました。島風さんのおかげで、私は助かりました」
「いいのいいの! 朝潮がやられちゃったら意味ないもん!」
結果的に誰も死ななかったが、一歩間違えれば島風さんが死んでいた。なるべくなら自分の命も勘定に入れてほしい。当たり前だが、島風さんが死んでも意味がないのだ。死なない確証があってあんなことをしたわけではないだろうし。
「瑞穂さんはまだ?」
「いえ、入渠自体は終わってます。万全な状況で起きてもらいたいので、島風さんに先に起きてもらいました」
「そっか。なら、連装砲ちゃん出したままにしておくね。いざって時のために」
万が一の時のことを考えると、それがいいだろう。何が起こるかわからないのが今からのことだ。島風さんがいてくれれば、それだけで人数が増えるようなものである。
「御姉様、春風参りました。島風さんもご一緒ですか?」
「私もお手伝いするよ。連装砲ちゃんに任せて」
「これだけ人数が用意できていれば万が一があっても大丈夫だと思うわ。春風も来てくれてありがとう」
前回瑞穂さんが目覚めた時にいた春風もこの場に。何かあった時のことを考え、いろいろと持ってきてくれた。春風も洗脳からの発狂経験者。何が欲しいかはわかっていた。
今は私もすぐに拘束出来る状況にあるので、艤装を装備していない瑞穂さんが何かの間違いで暴れ出しても何とかなるはずだ。これで準備完了。
「それじゃあ準備はいい?」
「はい。お願いします」
瑞穂さんの眠るドックの蓋が開く。前回はここで私の顔を見て発狂し、再度入渠したことで完全に壊れた。私は顔を出さない方がいいかもしれないと思ったものの、顔を合わせた瞬間に同じようになるなら早い方がいい。むしろ私を思い浮かべただけで壊れる可能性だってある。それなら最初から私が側にいた方がいい。
「ん……う……」
「瑞穂さん……おはようございます。大丈夫ですか?」
目を覚ました瑞穂さんが私の顔を見た。途端に顔が青くなっていく。
「あ、朝潮、様……瑞穂は、瑞穂、嫌、あぁああっ、いやっ、いやぁああああっ!?」
前回と同じだ。頭を抱えて喉が壊れんばかりに叫び出す。
水母棲姫の記憶は既に瑞穂さんの心では耐えきれないほどの負荷だ。だから記憶を改竄するほどに壊れたのだから。そこに、洗脳され私に殴る蹴るの暴力を振るった記憶まで追加されてしまった。負荷に負荷が加わり、あっという間に壊れてしまう。
「瑞穂さん! 自分をしっかり持ってください!」
「いやあああっ!? あぁああっ!?」
頭をガリガリ掻き毟りながら悶え苦しむ。ドックの中で全裸で暴れまわるため、身体もどんどん傷付いていく。それをやめさせるためにも、島風さんの力も借りてどうにか押さえつけた。
今回はどれだけ暴れても余程のことがない限り再入渠させるつもりがなかった。前回それで記憶がおかしくなったのだから、またやったら今までの瑞穂さんは消えてしまうだろう。それだけは避けたい。私達は今までの瑞穂さんが帰ってきてほしい。
「殺してっ、瑞穂を殺してぇえええっ!?」
「馬鹿なこと言わないでください!」
艤装のパワーアシストで身動きが取れないように出来ているものの、心がもう殆ど壊れてしまっている。もう自分の死のことしか考えていない。
暴れる体力が無くなってきたか、ガクガク震え始めた。これはいよいよまずい兆候。暴れる力が無いのならと、拘束を解き、起こして抱きしめる。こういう時だけは大人の身体で良かったと思えた。
「自分を壊さないでください! 貴女は死んではいけない人です!」
叫ばなくなった代わりに、反応が無くなってしまう。壊れた結果、心を閉ざしてしまった。いつも以上に虚ろな目で、何をしても反応しない。私がどれだけ叫んでも何も言葉を発しない。脚を失ったときのシンさんのようだった。何もかもに絶望し、世界の全てが必要無くなってしまった表情。
「瑞穂さん! 瑞穂さん!?」
頰を軽くはたく。反応がない。死んではいないが、腕はダランと垂れ下がり、意識を持っているのかいないのかわからないほどになってしまった。
春風が用意してくれていたワインを口に含み、無理矢理口移しをした。春風の時はそれで意識を取り戻してくれたが、瑞穂さんはそれでも無反応。咳き込みもせず、表情も変わらない。
「うそ……瑞穂さん、瑞穂さん!」
「朝潮、入渠させよう。こうなったらもうそれしかない。記憶は全部無くなるかもしれないけど……死ぬよりマシだよ」
辛そうな明石さんの声。このままだと衰弱して死を待つだけになってしまう。死ぬことだけは絶対にダメだ。それを回避するためには、この手段しかない。何もかも忘れて、初対面の瑞穂さんとなってしまっても、生きているのならまだ一緒にいられる。
「……お願いします……再入渠の方向で……」
「朝潮も気負わないで」
瑞穂さんを改めて入渠ドックに入れ、蓋を閉める。幸い暴れ回ってもドックが壊れることはなく、そのまま寝かせるだけで事が済んだ。だが、これで瑞穂さんが目を覚ましたとしても、前とは別人になっている可能性が非常に高い。下手をしたら目を覚まさない可能性すらある。
「御姉様……今は待ちましょう」
「そうだよ朝潮。待とう、ね?」
何も出来ない自分が悔しかった。怒りや憎しみは湧かなかったが、より深く堕ちていくような感覚はしていた。
前回と同じように1時間も経たずに再入渠完了。その間も私はずっとドックの横にいた。瑞穂さんがいつ目覚めてもいいように、ジッと待っていた。
「朝潮、辛いならここにいなくてもいいんだよ」
「見届けます。変わり果てたとしても、瑞穂さんは瑞穂さんなので」
待っている時間で頭の中を整理した。アサとも話し、どうであっても変わらず接する覚悟を決めた。幸い、以前の経験から意図しない表情を作ることは出来る。辛くても笑顔を見せるくらいは出来る。
「じゃあ、開けるよ」
明石さんの声と共に、入渠ドックが再び開く。目を開くが少し寝ぼけ眼。目を覚まさないということが無くて本当に良かった。
「おはようございます、瑞穂さん」
前回は壊れるキッカケとなった記憶を全て都合よくいい方向に改竄することで精神を安定させたが、今回はどうなるか。別人になっている覚悟はしている。
同じように改竄されるなら、消えることがないほど深く刻み込まれた最悪の記憶を辻褄合わせで最高の記憶に差し替える。私主観で考えるなら、瑞穂さんにとっての最悪の記憶は水母棲姫の時に私に殺されたことと、洗脳により私を攻撃したこと。それがすり替わるとしたらどうなる。
一番ありがたいのはその部分だけ綺麗さっぱり忘れてそれ以外が全て前のままという状態。以前のように、わからないが大きな罪を持っているという漠然とした記憶になっているのがいい。
「瑞穂さん……?」
ボーッとした瞳。まだ焦点が定まっていない。最悪な可能性を考慮して、慎重に。あまり近付くこともなく、それでいて離れもせず。
「朝潮……様……?」
「瑞穂さん、記憶が……」
「朝潮様、おはようございます」
初めて出会った時のようにニヘラとした笑顔。私への認識が主従関係のままであるということは、記憶が基本的にはそのままであるということだ。今はまだわからないが、少なくとも恐ろしく変化しているということはない。先程狂ったのが嘘のようだった。
それだけで、泣きそうなくらい嬉しかった。いろいろなことを覚悟していたから、本当に嬉しかった。
「よかった……瑞穂さん本当に良かったです……」
思わず私から抱きついてしまった。涙もボロボロ出てくる。後ろで春風と島風さんも心から喜んでくれているようだった。私のこれを見て、瑞穂さんがオロオロし始めてしまう。
「朝潮様、瑞穂、その、何かご迷惑をおかけしましたでしょうか……また罪を増やしてしまったのでしょうか」
「そ、そうだ。瑞穂さん、入渠する前は何処まで覚えていますか。辛いなら何も話さなくて結構ですので」
少し表情が曇る。何処まで覚えているかで今後の扱いが変わる可能性がある。触れていいこと悪いことがあるだろう。本人の口から何処まで聞けるか。
「朝潮様……瑞穂は朝潮様に裁いていただいた罪をついに思い出したのです。朝潮様も当然ご存知だと思いますが、裁かれる前の瑞穂は……水母棲姫と呼ばれておりました。朝潮様が仰る元深海棲艦という意味、ようやく理解することが出来ました」
自分が水母棲姫であるという自覚がある。それを思い出したことで先程の狂乱を見せたわけではないのなら、私に対しての行いでかもしれない。そこを忘れているのなら先程の戦闘に触れなければいいだけだ。
「曖昧ではありますが、瑞穂がやったことは狡猾で卑怯で……非道の限りを尽くしておりました。朝潮様に裁いていただいたときも、最後の最後には情けなく命乞いをし……それが瑞穂であったことが恥ずかしいほどです」
「……そうですか。それを思い出したんですね。どうして思い出せたんですか?」
「そこが少しボヤけていて……目覚めた時には思い出していたのです。何があったのでしょう。瑞穂は何故入渠していたのでしょうか」
私が領海に行こうとしたこと自体がスッポリ抜けてしまったようだ。生まれ変わったばかりの前回と違い、主従関係という人格が完全に形成されていたからこそ、その部分を残した状態での辻褄合わせが発生したのかもしれない。現状維持が最善であり、不要な部分だけを切り落とすことで何とかなると頭が判断したのだろうか。
それでも、防空霞姫との戦闘は避けた方がいいだろう。それこそ思い出さなくてもいいことを思い出しかねない。
「瑞穂さん、それは思い出さない方がいいです。何事も無ければそれでいいんですから」
「朝潮様がそう仰るのでしたら、瑞穂はこれ以上の詮索は致しません。瑞穂にとってそれは良くないことなのでしょう。朝潮様が瑞穂のことを思って仰ってくださるのですから、誰に何を言われようと思い出すことはありません」
ニッコリ笑ってくれた。最悪な想定は全て覆り、最高の結末を迎えてくれた。そういうところでも、瑞穂さんは無意識に献身してくれる。私の心の安寧は今、瑞穂さんに支えられていると言ってもいいかもしれない。
入渠完了を司令官に伝えたところ、瑞穂さんに抱きつかんばかりの大喜びだった。記憶が丸一日分飛んでいること以外は正常。『種子』を埋め込まれ、洗脳されていたこと自体を完全に忘れており、後を引くものもない。
「最近悪いことばかりでしたが……本当にいい形に決着がついてくれました」
「ああ、世の中悪いことばかりじゃないよ。本当に良かった」
「瑞穂の生き方で朝潮様が喜んでいただけるのなら、これ以上の幸せはありません。瑞穂にはちんぷんかんぷんですが、朝潮様が思い出すなと仰るので、このままでいたいと思います。空白の1日でまた瑞穂の罪は増えたのだと思います。故に、瑞穂はまた誠心誠意朝潮様に仕え、贖罪をさせていただければと存じます」
いつもの調子の瑞穂さんがこんなに嬉しいことはない。
「瑞穂さん、少しの間は無理をせずで行きましょう」
「かしこまりました。朝潮様と共に少しの期間、訓練担当として活動させていただきます。提督、よろしいでしょうか」
「経過観察は必要だからね。君の場合は少し特殊だ。何かあり次第、教えてくれればいい」
私は基本的には訓練担当を続けていくが、瑞穂さんもサポートとして付き添ってくれるそうだ。私の目につく場所にいてもらえる方がいいだろう。
執務室から出ると、瑞穂さんを心配していた霞と大潮が待っていた。先に春風と島風さんから話は聞いていたのだろう。不安そうな顔は消え、大潮に至っては飛びつくように瑞穂さんに抱きついた。
「お、大潮様」
「何も変わってません! 良かった、良かったよぉ!」
「大潮姉さん、瑞穂さん困ってるから離れてあげて」
霞も表情を変えないようにしているが内心は喜んでいるのはわかる。が、瑞穂さんが霞の顔を見た瞬間、少しだけ震えたのがわかった。2人にはわからない程度に顔が歪んだのも確認した。
「瑞穂さん?」
「……朝潮様、瑞穂の懺悔をお聞きください……」
霞と大潮に聞こえないように私に呟く。
「何故かはわからないのですが……霞様のお顔を見たとき、少しだけ、ほんの少しだけなのですが……恐怖と……
「瑞穂さん、それは気のせいです。私が言うんですから」
防空霞姫にやられたという事実が、身体に刻まれてしまっているのだろうか。霞の顔だけで反応してしまうとは考えていなかった。記憶には無くても、あれほどの仕打ちを受けたのだ。実際記憶が残っていたら、この瑞穂さんといえども怒り狂うほどの憎しみを持ってしまったのかもしれない。
瑞穂さんには似合わない。忘れているのなら、そのまま忘れたままの方がいい。敵の混ぜ物連中には誰かしら因縁を持っているものだが、わざわざ瑞穂さんがそれを持たなくてもいい。あちらは山城姉様を目の敵にしてそうだし、触れなくていい。
「かしこまりました。気のせいです」
「はい、気のせいです」
思い出したらまた心が壊れてしまうだろう。次こそ再起不能になる。今だって綱渡りかもしれない。
だから私も言い聞かせる。私の言葉でなら、今後に響かないように本当に気のせいだと思い込むだろう。良くも悪くも私の言う通りにしてくれる。それがいいことか悪いことかはわからないが、少なくとも、こういう時に関しては良いことと思える。
瑞穂さんの件はもうこれで終わりになってもらいたい。たまには幸せな結末が欲しいものだ。
瑞穂だって長く鎮守府に所属して、いろいろな経験をしています。壊れていようが、成長はしますとも。