人間に与する艦娘を処理する戦闘中に判明した、私の中に住む子供の存在。ヨルと呼ばれていたこの子供は、おそらく意識だけの存在なのだろう。頭の中でキャンキャン騒がれて、挙げ句の果てには身体を乗っ取られ、どこかわからない空間に閉じ込められた。
そして今、その子供、ヨルが私の目の前にいる。
私を子供にしたような外見なのだろう。私よりもひと回りもふた回りも小さい。私と明確に違うのは肌。身体中にヒビが入り、その隙間から深海の光が明滅を繰り返す私とは違い、子供らしく綺麗な見た目だった。
「さぁ、お話ししよっか、ご主人」
話すことなどない。私を表に出しさえすれば、貴様が仲間と呼んでいる奴らを後ろからでも八つ裂きにしてやる。
だが、今のところここから脱出する手段が無いのも事実だ。今だけはこいつの話を聞いてやり、脱出方法を聞き出すか編み出すかすればいい。こいつは私の目の前に突然現れたが、出入り口は必ずある筈だ。
その前に、こちらからも聞きたいことがあった。私のことを私以上に知っていそうな奴らだ。敵対しているがここでいろいろと知っておきたい。あちらは私に敵対心がないのだから、ここで利用してやる。事が済んだら用済みだ。ヨルはここで殺してやる。
「……その前に、聞きたいことがある」
「なになに? 人間とお友達になる方法?」
「ふざけるな。人間は滅ぼす。根絶やしにしてやる」
こいつのノリは苦手だ。子供なのに、妙に私の言われたくないことばかりを言ってくる。話しているだけでいろいろと揺るがされる。私が手首を潰してやった艶やかな女と同じだ。こいつらは何なのだ。
「さっき貴様が言っていたのはどういうことだ」
アマツの母親が私を今の私に書き換えたということ。今の心が作り物であり、本来の私は壊されていると。それの真偽は私には付けられない。こいつが言うことを鵜呑みにすることも出来ない。証拠でも持って来られれば別だが。
「言った通りだよ。ご主人は元々、あの戦艦天姫と戦ってる私達の仲間なんだよ。でもアレのお母さんの作戦で、いっぱい怒ったりすると心が壊れるようにされてたんだって。で、壊れちゃって、今のご主人がいるの」
「理解出来ん」
「私もよくわかんない。詳しい話はアサ姉から聞いた方がいいよ」
話を聞いても全く理解が出来ない。理解出来ないということは、理解しなくてもいいことだろう。ならもうこの話は終わりだ。
「そっか、アサ姉だ。アサ姉探さなくちゃ。ご主人、一緒に行こう」
「何故貴様の言うことを聞かねばならん。というか話をするというのは何処に行った」
「アサ姉と合流したらお話ししようね! あと、ずっとそこにいてもいいけど、外には出られないからね。今、出口知ってるの、私だけなんだから」
こいつ、ガキのくせにこちらに駆け引きを仕掛けてきているのか。話をすると言いながら私を放置しようとするし、思い付いたことをすぐに実行しようとする考え方は子供なのに、そういうところばかり機転を利かせてくる。
「くそ、余計なことを聞かなければよかった」
腹が立つが、今はこいつに従った方が良さそうだ。脱出方法がわかった時点で絶対に殺す。大きくため息をつくが、私は無意識のうちに口角が上がっていたらしい。
前後左右どころか重力すら感じない空間で、ヨルに連れられて何者かを探している。前に行っているのか後ろに行っているのかもわからない。だが、進み方だけは何故かわかった。
ヨルはこんな状況でも世間話なんてしてきた。私達は敵対関係にあるというのに、どれほど緊張感が無いのだ。今は生かしてやっているだけだということを理解していないのか。
「あ、多分そろそろアサ姉がいる」
「……そいつは何者なんだ」
「私のお姉ちゃんみたいな人だよ。ご主人の相棒って聞いてるけど?」
まったく覚えがない。ヨルが聞きたくもないのに話してくる内容の全ては、私の黒く塗り潰された記憶の中にあるのかもしれない。そうだとしたら、私はやはりアマツの母親に心を壊されたということに他ならない。
それを考える内に、また人間への怒りと憎しみが込み上がってきた。私の思考を邪魔するようにこの感情は膨れ上がる。
「いた! アサ姉!」
結局代わり映えのない風景を進み続け、ボンヤリと漂っている
そういえば、アマツが戦闘中に何かを言っていた。確か『艦娘の人格は塗り潰し、深海の人格は飲み込まれた』と。私が艦娘の人格で、これが深海の人格なのだろうか。
「アサ姉! アサ姉起きて!」
近寄り、身体を揺するヨル。
この後の展開は大体予想出来る。この人格が飲み込まれたというくらいなのだから、あの人格の意思は、私と同じものになっているだろう。つまり、
「触るな!」
「あうっ!?」
目を覚ました途端、反転した私、アサがヨルを殴った。急なことで気が動転しているヨル。アサの目はヨルに対する敵意しか感じられない。私と同様、人間への怒りと憎しみが全てだ。人間という人間を須らく鏖殺し、それに与する存在も徹底的に駆逐する。
「あ、アサ姉……」
「お前、人間の味方をしてたよな。わかってるんだぞ。私が敵を食い殺そうとした時に消しやがって」
私の持つ大型艤装は自立型。私の指示に従い自動的に動いていたが、それをコントロールしていたのがこいつか。ならば、私の仲間だ。外での戦闘のことも把握しているようだし、ヨルが私達共通の敵であることも理解している。
「アサ姉までおかしくなってる……嫌だよそんなの……」
「はっ、知るかそんなこと。人間の仲間は殺す。お前もそれなんだろ。なら殺す。この場で殺す」
私と同じように手を横に伸ばす。あの大型艤装がこの場に現れた。この中で表の艤装をコントロールしていただけあり、この艤装はアサの所有物扱いということか。場所問わずに出現させるくらいは出来ると。
ヨルは子供だ。あんなものをまともに受けたら一撃でお陀仏。私が手を下すことなくヨルが死ぬことになりそうだ。
……そうしたらここからどうやって出ればいい。ヨルが死ねば私が表に出られるのか。それともアサは脱出方法を知っているのか。少なくとも、本来知っているであろう脱出方法を私は思い出せない。アサが元々知っていたとしても、今は私と同じように思い出せない可能性はある。
「面倒だから避けるなよ。お前みたいなガキは一撃で終わらせてやる」
「……絶対元に戻すんだから……!」
ヨルも艤装を展開した。私の身体を乗っ取ってる時に使っていた尻尾。アサの大型艤装とは比べ物にはならないが、あれの力は私も見ているからわかっている。アマツに対して叩き付けたり、水上機を発艦したりと、子供の割には使いこなしているイメージだった。
理由はわからないが、この2人の戦いは嫌な気分になった。2人は敵対しているし、アサに関しては私と同じ意思を持つ仲間なのに、どちらにも死んでもらいたくない。この空間に引き込まれてから、私は何かおかしくなっている。
「待て、2人とも。ここでやるな鬱陶しい」
「止めるんじゃない! 人間の仲間は皆殺しだろうが!」
アサは思った以上に粗雑な奴のようだ。大型艤装のコントローラーなのを考えるとわかる。ただただ突っ込むだけの簡単な攻撃だからこそ、あんな性格でもどうにかなるのだろう。
「こいつが死んだらこの空間から出られなくなる可能性がある。貴様は脱出方法を知っているのか。だったらすぐに教えろ」
「……知らん。艤装を展開された時だけ、それがコントロール出来るだけだ。お前の指示も聞こえていたが、ここからは出られそうにない」
「こいつは自分からこの空間に来たし、最初は私が表側にいたのに、無理矢理こっちに引きずり込まれた。理解できたか」
「……チッ。今は生かしておいてやる」
アサが艤装を消した。敵対しているとしても、有益な情報を持っているのなら利用するべきだ。単細胞だとそんなことも説明されないと理解出来ないらしい。
「助かったよご主人。私じゃ勝てたかわかんなかった」
「勘違いするな。貴様は我々の欲しい情報を持っている。話が終わったら殺してやるから覚悟しておけ」
などと言いながらも、内心安心している自分がいる。何故だ。
アサと合流したことで、当初の予定通りヨルが話をしたいと言ってきた。アサは嫌がったが、こいつの話を聞かない限りこの空間から脱出することは出来ないだろうとアサを諌めた。私だってこんなことはしたくない。
「本当に何も覚えてないの?」
「しつこいぞ。私は貴様のことも、他の連中のことも知らん」
「私もだ。それだけか。ならもう殺すぞ」
「待て。出られなくなるかもしれないと言っているだろ」
どれだけ狂犬なのだこいつは。
「私ね、ご主人の記憶に触れるの」
「……どういうことだ」
「私がご主人の中に住ませてもらうようになったときにね、ご主人のトラウマから夢の世界を作ったんだよ。こんな感じに」
真っ暗で境界線もわからないこの空間が、突如ガラリと様変わりした。いろいろな場所が破壊され、燃え盛る鎮守府工廠の風景の中に私達はいた。
「なっ……これは……」
「私達が初めて出会った場所。私が作った、あの時のご主人が一番見たくなかった世界」
先程までは空間の中に浮かんでいたような状態だったのに、今は地に足をつけていた。世界が変わったことで、重力すら出来ている。この世界は、ヨルの明晰夢ということか。この空間にいる限り、ヨルは世界を好きに変えられる。
あまりの出来事に、アサも言葉を失っていた。今この空間の中だけとはいえ、艦娘だの深海棲艦だのもう関係ない。規模が違いすぎる。最初からこれをやっておけば、私もアサも敵わないのではないか。
ヨルはこの世界を統べるもの。この空間に閉じ込められた時点で、勝ち目はなかった。
「今からは本当に話したいこと。私はご主人の記憶に触れるって言ったよね。今のご主人の記憶、ぐちゃぐちゃだった。まともなものがほとんど無かった」
何も思い出せない。思い出そうとしても、人間への怒りと憎しみに阻まれる。そんな私の記憶に、ヨルは触れることが出来た。人様の記憶に勝手に触れてタダで済むと思うな。この話が終わったら、確実に殺してやる。
「ご主人がおかしくなって、私が閉じ込められた時、ずっと表に出る方法を探してた。出口を探して、いつもの方法で出られないか確かめて。その時にご主人の記憶に触ったの。そしたらね……残ってた記憶、あったよ」
心が壊され、記憶も汚され、今の私が出来上がっている。それでも消えなかった私の記憶。汚れて壊れた記憶は、私には必要のないくだらない記憶なんだろう。必要がないから消えた。それだけだ。それでも残っていた記憶とは何だ。
「凄いね。やっぱりちゃんと残ってた。
破壊されている工廠の奥、1人の人間がこちらに歩いてきた。ヨルの作った世界に、私に残された記憶を再現されただけだ。だが、どうしても目が離せなかった。
あの人間を、私は知っている。
人間なのに、怒りも、憎しみも、何も沸かなかった。
「これでダメなら、多分もう無理。表に出る方法を教えるよ」
その人間は私の前まで歩いてきた。屈託のない笑顔。どう見ても恐ろしい筋肉質な巨体なのに、気さくなおじさんと思わせる空気。いつも傍に居てくれる、大切な人。
「おい、そいつ人間だぞ。殺すぞ」
「……この人は……司令官は……殺せない……」
その人間は、司令官は、私を優しく撫でてくれた。人間にそんなことされても気分が悪いだけのはずだった。だが、この人の手の温かさは、そんなことを考えさせない。怒りと憎しみが晴れていく。
人間にもこんな人がいると、思い出させてくれた。
「ご主人、このてーとくは私がここに出しただけの人。
まだ記憶はぐちゃぐちゃなんだと思う。それでも、先程までとは雲泥の差だった。司令官に撫でられながら考えると、怒りと憎しみに邪魔されない。すぐに思い出せるのは司令官のことばかりだった。
思い出す内に、左手へ目が行った。薬指にはめられた指輪。私と司令官の、絆の証。
司令官との記憶を、全て思い出した。出会ったときから、今の今まで、ずっと見守っていてくれた。私の成長を喜んでくれた。私の無理を心配してくれた。私の罪を叱ってくれた。私を思ってくれていた。そんな人を殺せるか。
殺せるわけが無いだろう。
「もういいよな。殺すぞ」
アサが司令官の首を掴もうとした。例えニセモノだったとしても、私の前で死ぬようなことがあるなんて耐えられない。この繋がりは、相手が人間だったとしても崩れない。
そこからは芋蔓式だった。司令官の記憶が呼び水になり、他の記憶も連鎖的に蘇る。ヨルから言わせてみれば、残っていた記憶を中心に、ぐちゃぐちゃだった記憶が元に戻っていくようなものだった。
「やめなさい、アサ」
その手首を掴む。
「おい、離せ。そいつが殺せないだろ」
「いくら作り物の司令官でも、殺させるわけにはいかないわ」
この人のおかげで、私はここにいる。皆のおかげで、私はここにいる。
思い出した。
私は朝潮だ。朝潮型駆逐艦1番艦の朝潮だ。
身体はもう深海棲艦だけど、私は加藤司令官の艦娘だ。